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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第三章 【道場】
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其の七 タイマン

 エンが遊好館の門下生となって、一週間が経っていた。

 道場には何度か顔を出している。通うにつれて顔見知りも増えていき、道場内を歩いているだけで男だからと二度見されることも少なくなった。

 ぶつかり稽古で鍛え抜くような道場ではないとはいえ、まだ修練らしいことを何もしていないエンは、全くといっていいくらい強くなっていない。


 まだ入門して日は浅いが、エンが道場に顔を出した日にマチコがいなかったことは無い。まるで道場の隅に住みついているかのように、今日もいつもと同じ場所に座っている。

 暗い色の衣服を好み、隅の方に座っているものだから、稽古中の人に踏まれたことも一度や二度ではないらしい。せめて目立つように明るい色の服を着ればと勧めた人もいたが、暗器使いが目立つわけにはいかないと言い張ったそうだ。

 エンはそんなマチコの傍に座ることが多い。暗いイメージから彼女を敬遠する門下生もいるようだが、マチコには気遣いが無く、先輩風のような圧を出すこともない。むしろ力の抜けた様子で話す人だったので、エンには話しやすい相手だった。


 今日もエンはマチコの傍に座り、工作に精を出していた。

 紐と紐をねじり合わせて強度の高い紐にして、その紐をクナイの柄先の輪に結び付ける。こうしてクナイと手を紐でつないでおくことで、投げたクナイを失わず、引き戻して再装備できるものへと改造しているのだ。

 このうすい色で丈夫な紐は、マチコに教えてもらった町の雑貨屋で買ってきた。また、使用時に紐の摩擦で火傷しないように、竹の皮で指サックも作ってみた。


 この日の道場には人が少なく、三人しかいなかった。中央で武器を振って汗を流している者が一人。これは振っているものが鉄扇であることからも一目瞭然、塾頭のアゲハである。

 残る二人は世間話をしながら工作中という、道場としては目もあてられない状態である。



「たのもぉぉぉ!」


 とつぜん、この閑散とした道場に男の大声が響き渡った。声の主は返事を待つこともなく、やはり大声で用件を告げる。


「この道場の看板をもらい受けに参った!」


 道場にいる三人の中で最も玄関に近い場所にいたアゲハが、応対のために男の方へ行った。エンとマチコは道場の隅に陣取ったまま、来客を気にすることもなく作業を続けている。


「できたぁ。見て見て、マチコさんどう? 違和感ない?」


 エンはマチコに向かって、両手にクナイを握って立ってみせる。


「うん、いいじゃない。そうやって握れば、紐を結んでる輪も目立たないし。紐も袖から衣服の中に通して隠してるのね」


「はは、暗器使いのマチコさんからお墨付きが出たとなれば、これはもう完璧じゃないか」


 有線クナイの完成にご満悦のエンに、マチコは話題を変えて話した。


「キミって、ほんとにユナのいい人じゃないの?」


 そういえば、多くの門下生たちに同じような質問を受けて冷やかされたが、マチコにはまだ聞かれていなかった。一見、風変わりなマチコも、やはり噂好きな女子だったようだ。


「あいつも忍だからね。友達としては良い子だけど、一緒に暮らすのはね」


「いやいや、キミだって忍でしょ。なんで相手が忍じゃ駄目なのさ」


「だって寝首をかくのが本職の人と、同じ屋根の下で毎日寝起きするって怖くない?」


「あはははっ、面白いね、それ。ウチもキミとは暮らせなくなっちゃったけど、その話、ウチも使っていい?」


 忍ならば女子であろうが、必要とあらば相手を斬る。実際にユナの剣が人を殺める瞬間も見たが、そこに躊躇はなく、エンにはかなわない身のこなしだった。あいつを怒らせてはいけないと思ったものだ。そんな持論を語っただけだったのだが、マチコには面白く感じられたようだった。

 ただ、マチコはたしかに「ウチも」と言った。エンはそれを聞き逃さなかった。


「それって…… もしかして、マチコさんも忍だったの?」


「キミねぇ……、暗器使いなんて、いかにも忍じゃないか。なんで気付いてないのさ」


 エンの察しの悪さにあきれるマチコ。一転して話の風向きが悪くなってきたので、話題を変えようと思ったエンは、ここでやっと先程からの訪問者に興味を持った。


「看板を修理にでも出すのかな」


「はぁ? なに言ってんのキミ、あれって道場破りよ」


「道場破り?」


「うそ…… キミ、道場破りを知らないの?」


 つい先ほどマチコに勘が悪いと思われたばかりなのに、今度はエンがものを知らないという流れになってしまった。


「え… あの…… それって一般常識なの?」


「そりゃあもちろん一般常識……… だと思うんだけど」


 当たり前のように持ち合わせていた知識だっただけに、あらためて一般常識なのかと問われると、少し自信の揺らぐマチコだった。

 そして、こんな緊張感もなく話す二人の会話は道場が閑散としていることも相まって、アゲハにまで届いていた。


「こら、あんたたち! もう少し静かに話しなさい!」


 怒られてしまった。

 マチコは声の音量を少し落として言った。


「道場破りってのはね、適当な道場に乗り込んで、その道場の強い人を倒して道場の看板を持っていくのよ」


「なんで看板なんか欲しいの?」


「この道場を破ったって証明になるんでしょ。たぶんあの人たちって、奉公先の無い浪人侍なのよ。だから看板をたくさん持ってて、箔が付いてる方が、自分を売り込みやすいなんて思ってるんでしょ」


「なるほどそりゃ迷惑な話ですな。でも今日は人も居ないし、どうしても看板が欲しいなら、予備の看板でも安く譲ってあげればいいんじゃないの」


「馬鹿ね、道場にとっても看板を取られるのは不名誉なことなの。道場破りにやられる程度の実力しかいななんて知れ渡ったら、そんな道場には誰も入門しなくなるでしょ」



 一方、道場の玄関口では、招かれざる客にアゲハが丁重にお帰りいただこうと話をしていたが、相手は聞く耳を持った道場破りではなかったようだ。


「女では話にならん! 男を出せ!」


 埒が開かず声を荒げる道場破りに、対応しているアゲハもうんざりして振り返る。


「エン~、呼んでるよ~」


「もぉー、そういうの俺にふらないでよー。

 ここは女の道場だって言って、帰ってもらってよ」


「分かった。ここは女のど・」

「聞こえておるわ! ならば何故、男のあいつはここにいるのだ!」


 またアゲハは振り返る。そして、いいかげん男同士で直接話せよと言いたげに、エンに道場破りの言葉を伝える。


「エン~、女の道場に何であんたがいるんだーって言ってるよ~」


「いや、聞こえてるから。 わざとやってるだろ」


 しぶしぶ重い腰を上げたエンは、面倒くさそうにアゲハのいる玄関口に応対に出た。手入れの行き届いていないむさ苦しい髭の男が立っていた。

 エンを見た道場破りが言う。


「キサマが今、この道場にいる男で一番強い奴だな。道場の看板を賭けて、ワシと勝負してもらう」


「えー、やだよぉ」


「ならば看板はこのまま貰っていく。それが嫌なら、闘ってワシを止めてみろ」


 闘うのは嫌だが、先生や他の門下生に、黙って看板を渡しましたと言うわけにもいかないだろう。


「もぉ… 分かったよ。 やればいいんだろ」


「そうこなくてはな。闘って勝ち取る看板にこそ、価値があるというもの」


 エンと闘えることになって気を良くしている道場破りに、横からアゲハが口を挟む。


「あんた、もしその子に勝ったら、次は私と闘いなさい」


「ワシは女は相手にせんと言ってるだろうが!」


「じゃないとあんたの事を、手薄な時を狙って看板を集めてる卑怯な看板泥棒って言いふらすわよ」


「な!? ………いいだろう。ただし、手加減してもらえると思うなよ」


 こうしてアゲハも闘いの約束を取り付けたところで、エンも口を挟んだ。


「ネェさん、なんなら先にやってくれてもいいんだよ」


「あんたは黙って勝つ算段でも考えな。それとねエン、後があるからって、わざと降参してはいけないよ」


「う…… するどい」


 アゲハに泣きついても状況は良くならなそうなので、エンは交渉相手を道場破りに切り換えた。


「なあ、もう気付いていると思うけど、俺はまだ入門して間もないんだ。あんただって剣で身をたてる者なら、弱いものイジメは本意じゃないだろう。だから、何か俺に有利な条件をくれよ」


「よかろう。ならばキサマは、好きな武器を使ってよい。そしてワシは、あそこに掛けてある木刀でやってやろう」


「分かったけど、もう一つだけ」


「何だ?」


「俺はまだ入門したてで、屋内で闘うのに馴れてないんだ。外の広場でやらせてくれないか?」


「ふん、自分の道場の方が有利だと思うが、よかろう。後悔するなよ」


 一同は、ぞろぞろと道場の外へと出る。道場の隣は草もまばらな空き地となっており、木が一本立っているだけである。エンが広場と呼んだそんな空き地へと歩きながらアゲハがエンに言った。


「木刀でも強く打たれれば骨が折れるからね。なるべく当たらないようにするんだよ」


「うん、分かった」


「それから、頭を打たれるのだけは気をつけな。木刀でも死ぬからね」


「……そりゃ怖いね。なるべく骨折までにしとくんで、看病よろしく……」


 空き地の中央あたりで、すでに道場破りが仁王立ちしている。どんよりと肩を落としたエンも、少し間をあけて位置につく。そんなエンたちを遠巻きに囲むように、アゲハとマチコも立っている。


「実戦は練習なんかより遙かに力になるんだからね。頑張って成長しな」


 無責任なセコンドからの応援が飛ぶ。


『違うんだよアゲハねぇさん。そもそも俺には実戦に堪える力が無いから、ここに入門したんだよ。それなのに入門早々やらされるのが実戦ってなんだよ』


 だか、愚痴ばかり言っても仕方がない。なんとかすぐに勝つための算段を立てないと、ヘタをすれば死ぬかもしれないのだ。正直、看板なんかよりも命が惜しい。


「準備するから、ちょっとだけ待ってね」


「早くしろよ」


 エンは道場破りに背を向けると、ごそごそと動いてみせてから、エンを見守るマチコに話しかける。


「マチコさん、ふくみ針ってここに入れるので合ってるよね」


 待っている道場破りは、そんなエンの様子を観察しながら思った。


『ふくみ針? 何を使ってもいいとは言ったが、あ奴は決闘で暗器を使う気なのか。 しかし、本当に素人なのだな。持っていると知られずに使用し、相手の不意を突いてこその暗器なのに、会話が聞こえているぞ』


 エンは道場破りの方へと向き直り、二人は正対した。二人の間には、まだ十歩分ほどの距離がある。


「お待たせしました。では始めよう」


「うむ、かかってこい」


 道場破りもさすがに武で身を立てようとするだけはある。相手が未熟と知っても、闇雲に仕掛けはしなかった。


『こちらから打ち込んで、奴に暗器を使われるのは厄介だ。ただし奴の武器もクナイ、ワシを攻撃するには間を詰めるしかない』


 そう考えた道場破りは受けに回った。

 エンは、右手のクナイを道場破りの顔にめがけて投げつけた。

 だが、道場破りは姿勢を崩すこともなく、飛んできたクナイを左へと打ち払った。


「馬鹿が。一対一で対峙している相手に武器を投げるとは。未熟すぎオゴォ!?」


 道場破りの右頭部にクナイが直撃した。

 クナイの側面で撲られた形となり、道場破りは流血しながらも踏みどどまった。


 エンとクナイはうすい紐でつながっている。

 敵がクナイをはじき飛ばした勢いを利用して、時計の長針のようにクナイにつながる紐をぐるりと一回転させて、道場破りに当てたのだ。クナイをはじき飛ばした敵がその場を動かなかったので、紐の長さはそのままに、高さの調節にだけ集中すればよかった。


「な、何だ? いまのは」


 道場破りは、衝撃に揺れる脳に逆らって状況を把握しようとする。しかし、エンは主導権を渡さない。すでに紐を引いて、クナイを握り直している。


 次にエンは、右手のクナイを高く放り投げた。


「何のつもりだ」


 敵の目が高く上がってゆくクナイを追った瞬間、エンは左手のクナイを敵の右肩を狙って投げた。


「一つ目のクナイで注意をひいて、このクナイの回避を遅らせるつもりか」


 道場破りは右に一歩動いて避けようとする。落ち着けば容易な動きである。しかし、エンの投げたクナイの軌道は、道場破りが動いた方に向かって変化してきた。敵はもう二歩右に動いてそれを避けた。


 ザクッ!

 そこに最初に高く放り投げたクナイが降ってきたのだ。道場破りの左肩に刺さる。


「うがっ!」


 相手に掴まれないように、エンは刺さった瞬間に紐を引いてクナイを呼び戻した。クナイの抜けた肩から血が吹き出している。


「くそっ、奴は糸か何かでクナイを操ってやがるのか」


 想像の外からの攻撃と痛みの連続に、道場破りは苦しいながらも、まだ立ち続けている。


 またもエンは、右手のクナイを投げつけた。

 最初の攻撃とまったく同じように飛んでくるクナイを、道場破りはまた同じように左へと打ち払った。

 ただし、じっとしていると、左に払ったクナイが右から飛んでくることは、先ほどの経験から道場破りにも判っている。ここは流れを変えるためにも、間を詰めて斬りかかるべきかと考えたが、そのとき彼が見たエンは、頬を膨らませていた。


「暗器で狙っているのか」


 エンの懐に飛び込むことを躊躇した道場破りは、右から来るであろうクナイに備えて、木刀を右に構えた。そして、エンの手から伸びる紐も目で捉えた。

 その瞬間──

 クナイを捉えるはずの木刀に鈍い感触があった。


「紐?」


 エンはクナイを回転させながら、約一歩分、紐を伸ばしていたのだ。クナイは、紐を受けた木刀の部分で回転の軌道を変え、回り込むように道場破りの後頭部に当たった。


 ゴツッ という音と共に、道場破りはその場にバタリと倒れて動かなくなった。なぜか入門早々に道場破りとタイマンを張る羽目になったエンではあったが、意外にもパーフェクトゲームでの生還を果たしたのだ。


「きゃーエンー」


 アゲハが笑顔で駆け寄って、エンを抱きしめた。


「あ… ありがとう。なんとか骨を折られる前に勝てたよ」


 マチコも傍に寄ってきたが、抱きついてはくれなかった。微笑みながら、アゲハとエンを見ている。

 やがてマチコが、足下を指差して言った。


「こいつ、どうする?」


 マチコの足下には、流血が血溜まりになりつつある道場破りが転がっている。


「よくもまあ、頭やその近くにばかり当てたもんだねぇ」


 アゲハは座って道場破り頭を膝にのせると、彼の傷口に布を充てて止血を始めた。

 この人は本当は優しいんだ。 それともまさか、鉄扇で殴り倒した相手の救護で慣れていたりするのか? そんなことを思いながら、エンはアゲハを見ていた。



 窓からは爽やかな風が吹き込んでくる。

 包帯を巻かれた道場破りが転がっていることを除けば、何事も無かったかのように平静を取り戻した道場の一角では、相変わらずマチコとエンが座って工作をしている。

 マチコは手を休めることなく、改良中の暗器の方を向いたまま話した。


「道場破りをやっつけたのに、自信がつくどころか元気がなくなっちゃってるね。どうしたの?」


 憂鬱な目をマチコに向けて、エンは答えた。


「闘いになっても実力が伴わないから、いつも奇策に頼ってたんだよ、俺。 でもね、それじゃあ駄目だって思ってここに来るようになったのに、やっぱり今回も、奇策で相手を欺して勝ったなと思ってね」


「たしかに、キミって暗器なんて使えないのに、闘う前からふくみ針を仕込んでるようなことを言ってたもんね。相手に聞こえるように」


「あんな事ばかり、考え付いちゃうんだよ……」


「もうちょっと前向きに考えてみなよ。キミには才能があるんだって。人を欺す才能だけど、才能が無いよりはいいさ」


 人を欺す才能って…… マチコのそんなフォローでは、まったく慰められた気にはならなかった。


「はぁぁー 情けない」


「なんか…… 災難が多いね、キミって」


第三章 ── 完 ──

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