其の四 新入りがシメられるは世の理か
数えてみると、この日の道場にはユナを含めて七人の門下生がいた。組織だった練習は誰もしていない。武器を持って振り込んでいる人もいれば、何やら床に座りこんで作業をしている人、数人で談笑している人たちもいる。
ユナがそんな門下生たちを紹介してくれるというので、エンは挨拶に回ることにした。
まずは練習用の薙刀を手にしたまま談笑している四人の女子に挨拶した。町のお屋敷勤めの女中が多く通っているとは聞いていたが、この子たちもそんな女中さんであるようだ。
エンが道場に入ってきた時からずっとお喋りに花を咲かせていた彼女たち。エンが挨拶すると、ユナの旦那が挨拶にきたのかなどと、ひとしきり話の種にされた。
「たいていの女中さんは、薙刀を使うのよ」
女中さんとの挨拶を終えたあとに、ユナが教えてくれた。武家の女子は薙刀をたしなむそうで、そんな武家の屋敷にて奉公する女中が有事の際に与えられる武器となると、当然のように薙刀となる。なので非番の日には道場に通って薙刀の稽古をつけることが、女中のたしなみなのだそうだ。
先程まで道場の中央で、短い棒を持って素振りを行っていた女性がいた。その彼女が手を止めたようなので挨拶に行った。
「こちらはアゲハさん。今のこの道場の塾頭よ」
ユナがそう紹介した人は、エンよりも背が高く、白い着物に赤い袴をはいていた。
「この道場が男子禁制じゃないって噂は本当だったのね。あんた、武器は何を使うの?」
「え? 今はクナイぐらいですけど」
「へぇ、ユナの男だけあって、やっぱり忍なのね」
クナイといえば忍の武器だから、そりゃあバレる。そんなことよりも、誤解されていることの方が問題だ。
「いや、だから違いますって。俺は道場を探していて、ユナにここを紹介してもらっただけなんですって」
全員が誤解しているので、そろそろエンも説明が面倒になってきた。一方、アゲハの方は、目の前の男が道場見学者だと知って目を輝かせた。
「男が道場を探してここに来るなんて、あんた変わってるわねぇ。じゃあ、せっかくだから、私と試合しましょう」
── なにが「じゃあ」だ。 まだ何も習ってないのに、塾頭なんて人に勝てるわけないだろ。
慌ててエンは、断ろうとする。
「何でいきなりそんな話になるんですか。男だったら誰でもそれなりに強いなんて思ったら大間違いですからね」
「あはは。正直な子だねぇ。でも別に深い意味はないんだよ。ただの体験入門よ。あたしの武器は鉄扇。 練習だからお互い切れない摸擬武器を使うけど、形状としてはクナイと似てるでしょ。あんたが入門しないとしても、似た武器の使い手と試合しておくのって、貴重な経験じゃない?」
── 正しい。 口車に乗せられているような気もするが、言ってることは間違っていない。
打ち負かされて痛い思いをすると分かっていて、わざわざ闘うのは気が重いが、貴重な経験と言われてしまうと受けないと勿体ない気がしてくる。
「わ、分かりました。やります」
ユナが練習用の木製クナイを二つ貸してくれた。アゲハもたたまれて棒状になった木製の扇を両手に持っている。
道場のざわつきに気付いた道場主のユデが、二人の方を見ながら意外そうに言った。
「エン君は案外、武闘派なのだな。まずは入門前に、ここの強い奴をシメておこうというのか」
「・・・・・」
そんな見当違いな感想は、エンの耳にも聞こえた。シメるどころか、これからエンの方がシメられようとしているのだが、誰も止めてはくれないようだ。むしろ皆、楽しそうに見える。
誰もが闘うことに抵抗がない野蛮な世界に足を踏み入れたことに多少の後悔を覚えつつ、エンは位置についた。
── 強い人を相手に待っていても仕方ない。
エンはいきなり間を詰めていった。
相手の武器を落としてやろうと、アゲハの手首に向けて三度、クナイを振るって斬りつけにいったが、すべて木扇ではたかれた。
この攻撃は通じないと悟ったエンは、アゲハの胸をめがけて突きをくり出した。しかしアゲハはまるで、突き出されたエンのクナイと腕の側面を転がるように回転してかわし、その遠心力を乗せてエンの肩口に木扇を打ち込んだ。
「痛ぇ!」
強い痛みがエンの上半身を走り抜けたが、なんとかクナイを落とさずに堪えた。
『駄目だ、勝てる見込みがない。ならば、せめて相手の動きを学ぶためにも、受けてみるか』
エンは両手のクナイを前面に構えて、防御の態勢をとった。
それを見たアゲハは先程までとは打って変わって、手数で押してきた。アゲハの両手から休みなく繰り出されてくる木扇。たたんでいると、短い棒で殴りつけられているのと同じだ。
頭だけは打たれてはいけないと堅く守るが、そのせいで首から下は二回に一度は叩かれている。
── くそっ 痛い、痛い
『悪あがきにクナイを投げつけてやるか。比較的に動きの少ない足の甲にでもクナイを当てれば、動きが止まるかもしれない。 でも…… ほんとうに当たったら、痛すぎるだろうな』
痛ぶられているくせに、そんなぬるい事を考えて躊躇した瞬間だった。
バシッ!
手首に木扇を受けたエンは、左手のクナイを落としてしまった。すかさずアゲハは片手の木扇をエンの顔の前に突き出すと、扇を開いた。
「うおっ!?」
目の前で木扇を開かれて、正面への視界を奪われたために面食らったエンの喉に何かが触れた。
気が付くと、アゲハのもう一方の木扇が、エンの喉元に押し当てられていた。
「ここまでね」
アゲハはそう言って、喉元の扇を引いた。エンはへたり込んで、その場に腰を下ろした。あまり勉強になったとは思えないくらい、一方的ににやられた。
「女といってもこんなに強い人がいる道場よ。入門しなさい。一緒に強くなりましょう」
茨のムチで完膚なきまでに削られた上での、甘いアメのように優しい言葉。思わず「はい」と、言いそうになる。まさに調教の手口だ。
だが、このままこのおネエさんの手のひらに乗せられた状態で入門するのは危険だ。入門後、いいようにもてあそばれる未来しか見えない。本当はもう心は決まっていたが、ここは断固保留だ。
それはそうと、道場に入ってきてからずっとエンには気になっていることがあった。
道場の隅の方に座りこんで、何やら散らかしている人が居るのだ。ユナが少しのあいだ席を外すということなので、エンは一人でその人の傍まで近寄っていき、同じように傍に座った。
その人は何者かが寄ってきたことに気付いてはいるのだろうが、エンの方を向くことはなく、黙々と作業を続けている。エンは思い切って挨拶をしてみた。
「道場の見学に来たエンといいます。よろしくお願いします」
「あ、うん。ウチはマチコ」
何か細かい作業をしているようで、あまり話しかけない方がいいのかもしれない。黙ってマチコの作業をながめていると、マチコは目を作業から逸らさないまま、エンに話した。
「いきなり災難だったね」
「へ?」
「さっき、アゲハに叩きのめされてた」
「ああ…… なんであんなことになったんでしょうね……」
「いつも、実戦が人を育てるー なんて言ってる人だから。試合とか好きなのよ」
まったくエンの方を向いてはくれないが、話はしてくれる。無口な人ではないようだ。
「あの、何をしてるんですか?」
「暗器の加工よ」
「暗器?」
「キミは忍のくせに暗器を知らないのか」
暗器とは、ふくみ針や毒針といった小さなものから、仕込み杖など大きなものまで、隠し武器のことである。
マチコはエンに説明をすると、エンが使うクナイだって懐に隠し持っていきなり投げつければ、立派な暗器であると語った。
「ウチはね、毒を塗った小さな針のひと刺しで大の大人を仕留める光景を想像するだけで、もう心がバラ色に燃えてこの胸ときめくんよ」
もう完全にエンの方を向いて語っている。
最後のくだりのマチコの癖はよく分からないが、この危険な人を敵に回してはいけないことだけは、よく分かった。
気分の乗ってきたマチコは、暗器使いの技を見せてあげると言いだすと、小指くらいの長さで箸くらいの太さの筒をエンに差し出した。
「この筒に針が入っているの。筒を口にくわえて吹くと、針が飛び出すしくみ」
そう言うと、マチコは服の袖をまくり、エンの前に腕を出した。
「ここに針を刺してみて」
「え? 何言ってんの」
「少しチクッとするだけで、毒も塗ってないから。いいから、早く」
やらない方が怒られそうなので、仕方なくエンは筒をくわえて吹いてみた。すると小さく細い針が飛び出して、マチコの腕に刺さった。ただそれだけだ。
「見た?」
「……そりゃあ見ましたけど……」
「じゃあ交代。キミも手を出して」
「は?」
「ほら、もう早くしなさい」
これもやらない方が怒られそうなので、仕方なくエンはマチコがやったのと同じように腕を出した。
「いくよっ」
その腕を狙って、マチコが筒を吹いた。
チクッ
針がエンの腕に刺さった瞬間、ほんの小さくうっすらと、血の霧が舞ったように見えた。
「見えた?」
「何か赤いのが一瞬見えたような…」
「そう。そうとう上手く血管に刺さらないと、あの血は出ないの。ウチもこれができた時には、たまらない感動につつまれたものよ。その時にはもうウチの手は、全体的に変な色になってたけどね」
── 自分の手に刺して練習したのか
「何だか、すごい技術なのは伝わりました。」
── ぜんぜん羨ましくはないけど。
「あとね、この刺さり方をすると、血がなかなか止まらないの。血管に刺さってるからね、毒も回りやすいし」
── 何言ってるの、この人。 ……毒、ほんとに塗ってないだろうな。
マチコのそばを離れたエンが、再び道場主のユデの前に立つと、先ほどまで道場には居なかった女性が、ちょうどユデにお茶を運んできたところだった。
「あらやだ、えぇ…… 男の子?」
道場に男が居たのが衝撃だったらしい。手に持つ盆を落としそうな過剰な動揺をみせる。
「五女のユカだ。こちらは今日、見学に来たエンくんだ」
「ゴジョ? すみません、ゴジョって何ですか?」
「ケンガク? ケンガクって何?」
聞き慣れない言葉に、理解が追いつかない二人。
「五番目の子供の五女じゃよ。 そして…… お前の方は分かるじゃろ、道場の見学に決まっとるだろうが。ユナが連れてきたんじゃよ」
「ユナより年上に見えるんですが…… 五女ですか」
「おう、ユナは七女じゃからな」
── 何人いるの?
「いま居る子だけでも呼んでこようか? 紹介するよ」
「やめて、やめて、ぜったい憶えきれないから、小出しにしてください……」
ユカの丁寧な申し出は、エンも丁寧にお断りした。
「それにしても、何でまたウチの見学に?」
ユナにも聞かれたもっともな質問だ。ユデも興味深そうに聞いている。しかし、さすがに会ったばかりの経営者とその家族に、他の道場を知らないから消去法で選んだとは言えない。咄嗟にそれらしい理由を考える。
「先の戦場で、ユナさんの強さを見たんですよ。正直、怖いくらいでした」
「ユナが怖い? 親バカかもしれんが、あれはそれなりに目鼻立ちも整って、気立ても良いと思っているのだが」
エンはユナの戦闘力の高さを「怖い」と表現したつもりだったが、なぜか容姿の話として理解されてしまった。たしかに整った顔立ちでかわいいのだが、エンにはどうしても、あの戦場でのユナの笑顔が印象に残り過ぎている。
「敵を斬り捨てたユナさんは、返り血にまみれて笑ってました」
「ほう、ユナもついに修羅と化したか」
── いや、何言ってんの? 娘の話だぞ、狂ってんのか
武道一家のノリに引きながら、エンはなんとかこの場で言葉を考えてつなぐ。
「な、なので、まずは俺も強くならないとなぁ、などと思いまして……」
とっさに理由を取って付けた結果、エンはユナに憧れてこの道場に来たということになった。また、家族であるユナを褒められたと感じたこともあり、ユデとユカは気を良くしたようだ。
「まあ、ゆっくりしていけばいい。他にも見ておきたいものなどあれば言ってくれよ」
「いえ、もう決めました。先生、入門させて下さい。お願いします」
「まだ門下生と挨拶をした程度だろうに。ほんとうによいのか?」
「挨拶ついでに叩きのめされましたが」
「うん。ワシも見てて、入門しなくなるのではないかと、ヒヤヒヤした。お主、まだ腕から血が出ておるではないか」
「あ…… これは、あっちの人の仕業です」
エンは道場の隅の影を指さした。
「なんか…… すまぬな……」
「はい。でも決めましたから」
「ならばワシに断る理由はない。お主は今よりこの遊好館の門下生である。 これからは都合のよい時に通ってくるがよかろう」
── この道場、そんな名前だったのか。もっと格好良い名前かを最初に確認しておくべきだった。
「改めてワシの名はユデ、号してカンサイである。館長とでも先生とでも好きに呼べばよい。ワシはお主のことをエンと呼ぶ」
「分かりました、ユデ先生。よろしくお願いします」
濃武の里の猿級忍エンは、遊好館道場の門下生エンにもなった。エンに居場所が増えた。




