其の二 ユナ再び
「エンくーん」
タチバナにユナの呼び出しをお願いして一週間。指定の日時に労務局の前まで行くと、すでにユナが待っていた。
むしろ田従軍のお仕事で一緒に戦ってからまだ日も浅いので、ユナは服装以外はあの日と何も変わっていない。背中まである髪は、今日も後ろで一本くくりにしてある。
エンはタチバナに謝意を伝えて労務局をあとにすると、「お茶でもしながら話そうか」と、ユナと連れだっていつもの茶屋へと歩いた。
「おやまあ、まあまあまぁまぁ・・」
茶屋の前まで来てみると、エンとユナの姿を見つけたサヨが物珍しそうに寄ってきて、ニヤニヤと観察するようにエンとユナの周りをまわった。
「いや、客だぞ。どんな店員やねん」
「だって…… エンが女の子を連れてくるんだもん。おねえさん、感慨深くて…」
エンのいつもの長椅子に、今日はエンとユナの二人が座った。
「お祝いに金柑饅頭をつけとくわね」
サヨはそう言うと、二人の間にお茶と饅頭を置いていった。誰の何のお祝いなのかは不明だ。
「今日は悪かったな。わざわざ呼び出したりして」
「ううん、わたし男の子と待ち合わせて、一緒にお茶を飲むなんて初めてだから、楽しいよ」
デートみたいな言い方をする。
しかし、その観点で考えると、エンは初デートにして女子の実家に行くという、狂った行為を願い出ようとしていることになる。そのことに気がついた途端、安易にユナの紹介で実家の道場へと連れて行ってもらおうと目論んでいたことが、飛び込みで見知らぬ道場に赴くよりも敷居が高いことのように思えてきた。
「それで、どうしたの? わたしに何か用があるって聞いたんだけど…… あっ!? その前に、昇級おめでとう」
「あ、ありがとう。 実はその…… 昇級したことにも少し関係があるんだけど、取り急ぎで、武術のたしなみが欲しくって」
エンはいま心に抱えている苦境をユナに打ち明けた。それはお仕事で立て続けに死ぬ思いをしてきたこと、労務局があまり安全とは思えない案件の斡旋を増やそうとしていること、不意打ちや奇策だけでは限界があることへの思いである。
「だからね、せめてもう少しは強くなっておなかいと、長生きできないと思ったんだよ。でも俺、一人で修行なんて、やり方も分からないし…… そこで思いきって、どこかの道場にでも入門してみようかと思ってさ」
「そっか。強くなるのはいいことだよ。でも、道場なんてたくさんある中で、なんでウチを?」
「それが… 今まで俺って、強くなろうなんて思ったこともなかったもので、ふだんの生活の中で道場の存在なんて気にしてこなかったんだ。 それが今、とつぜん道場行こうって考えたらさ、どこに道場が在るのかもぜんぜん知らなくて…… そしたら思い出したんだよ、ユナの家が道場をやってるって言ってたのを。だからユナの道場を見学させてもらえたらなと思って」
エンの相談を聞いたユナの表情が少しだけ残念そうに曇った。
「そりゃそうだよねぇ。たくさん道場を知ってたら、ウチなんて選ばないよねぇ」
「いやいや、そんなの分からないさ。それでもユナん家を選んだかもしれないじゃん」
エンには道場の良し悪しなんて分からないので、これは嘘ではない。
「ありがとう。でもウチって門下生が女性ばっかりなんだけど、大丈夫?」
「強くなれるなら問題はないよ。でもたしか、女性専門の道場じゃないって言ってなかったっけ。何で女子ばっかりなんだ?」
これはエンの素朴な疑問だ。剣術を身に付けようとする男女の比率を考えれば、女より男の方が圧倒的に多いはずなのだ。むしろ女だけで道場を成り立たせる方が難しいように思える。
「わたしって女姉妹ばかりで、みんな小さい頃から道場に出入りしてたの。近所では『女家族の道場』なんて言われてたらしいわ。そのせいか、ある時にお父さんが門下生を募集したら、お屋敷勤めの女中さんたちが入ってくるようになって。いつの間にか、女性だけの道場ってイメージが付いちゃったみたいなの。そうなるともう男性にも、女が集まって遊んでるような所で武の精進ができるか! なんて言われたりして、男の人は入ってこなくなっちゃった…」
「なんか、つらい話だね……」
「だからね、エンくんが入門してくれたら、お父さんも喜ぶと思うの」
女子ばかりの道場に一抹の不安はあったが、ユナのあの強さを目の当たりにしているだけに、道場の質は確かなのだろうと信じたい。ここまではエンの目論見通りに事が進んでいた。




