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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第三章 【道場】
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其の一 現実への帰還

「このままでは駄目だ…… 間違いなく死んでしまう……」


 ぼんやりと寮の天井を眺めながら、エンはそんなことを考えていた。ただし、この厳しい現実について悩みを抱いたのは、なにも今が初めてではない。少なくとも昨日も同じ事を考えていた、同じ天井を眺めながら。

 では、昨日はどのような結論に達したのだったか、エンは回想する。そう、昨日はたしか、同じ悩みに苛まれながらも日中は部屋でごろごろと過ごし、夕方からは山菜をつまみに仲間が昇級祝いにとくれた酒を飲んで寝たのだった。

 ならば一昨日はどうだったかは、もう考えてはいけない。とにかく自堕落な日々を送っていた。


 猿級に昇級して数日、浮かれて過ごしてきたエンだったが、この昇級によって自分の命運が尽きようとしていることも、同時に悟っていた。

 昇級したことによって労務局のタチバナあたりは、きっとまた前回の案件のような危険なお仕事をエンに回してくるだろう。それは命に関わるようなお仕事だ。

 前回やその前は、どう考えても運が良かった。奇策の類いが上手くはまって、なんとか切り抜けることができただけなのだ。あんなものが、この先いつまでも続くわけがない。


 ── お仕事が怖い。


 怖いので引き籠もって現実逃避した。いたって簡単なロジックである。

 しかし、現実とは残酷なもの。たったの数日にして、酒も食料もストックが尽きた。人が現実から目を背けて引き籠もっていられるのも、銭や食い物がある間だけ。まことに世知辛いことだ。


「しょうがない、買い出しにでも行くか」


 ついに重い腰を上げたエンは、現実世界とつながる自室の引き戸を開いた。

 顔を照らす陽の光が、引き籠もりには眩しかった。


 里には市場がある。忍の里といっても、そこで暮らす人全員が忍というわけではない。それは規模の小さな町といった雰囲気で、店もあれば畑や工房といった施設もある。


 市場への道すがら、エンは改めて自分の置かれた状況について考えてみる。

 なるべく殉職しないためには、ある程度の強さが必要なのは間違いがない。そんな強さを手に入れるためには、やはり修行的なことを行わねばならないのだろう。

 しかし、修行といわれても、さしあたり何をどうすればよいのかが分からない。 藁を巻いた棒でも立てて、ひたすらクナイを投げ続ければよいのか? やらないよりはマシなのだろうが、それでいざお仕事に行って戦闘が始まった時、そのおかげで何とかなるものではないような気がする。

 やはりこういうことは、じっくりと修練を積みながら、定期的な試合などを経て常に自分の強さの程度を把握しつつ、精進していくことが大事なのではなかろうか。


 ── 道場にでも通うべきか。


 しかし、道場といっても、どこに在るのだろう。これまでのエンは道場のことなど意識したこともなかったし、外出して町や村を訪れても道場の存在など気にとめたこともなかった。そのため、今のエンは世の道場の評判も知らなければ、近隣の道場の場所も知らない。そうして絶望しかけたとき、ふと先日のお仕事での仲間との会話を思い出した。


「そうだ。たしかユナの家が道場をやってるって言ってたな」


 ユナとは、前回のお仕事において同じスイコ組として共に戦った忍である。そして剣の腕が立ったのを憶えている。

 よく知らない道場を適当に見つけて、そこに飛び込みで入門するというのは少し抵抗があるが、知り合いの道場となれば、予め話も聞けて安心感もある。 第一、いろいろと調べる手間がなくていい。


「しかし、どうやってユナに会えばいいんだろう」


 今のエンが知っているユナの情報といえば、くノ一である、剣を扱う、家が道場をやってる、この三つだけである。とてもじゃないが、友達とすらいえない。

 さしあたって出来そうなことといえば、労務局に行ってユナの事を聞いてみることくらいだ。


 ── やる気のあるうちに動かねば。


 エンは環境に慣れてしまうと億劫になって動かなくなる自分を知っている。目的地を市場から労務局へと変更したエンはその場で向きを変え道を変え、労務局へと向かったのだった。


 労務局の入口をくぐり、受付の案内係の前に立ったエン。そこで、ユナの家の場所について尋ねてみた。

 そんなエンの相談を受けた小太りの中年職員は、黙ってエンの顔をしばらく見てから口を開いた。


「そういうのは個人情報にあたるんでね、教えるわけにはいかんのよ」


 あっさりと断られる。だが、エンは食い下がった。


「彼女の家は道場をやってるらしいんです。せめて、どこの村や町でやってるのかだけでも、教えてはもらえませんか」


「だめ」


 融通のきかない職員だ。


「いや、俺はユナと組んでお仕事もしててね、仲も悪くないんですよ。それで今、彼女に話したいことがあって、どうしても会いたいんですよ」


 仲は悪くない。まだ良くもないけど、嘘ではない。


「そんなに親しいのに、どの辺りに住んでるのかも知らないのがまた怪しい。つきまとい犯ってのは、だいたいそんなこと言って情報を聞き出そうとするんだよ」


「いや、誰がつきまとい犯だ!」


「だいたいあなた、忍でしょ? つきまとったり、覗いたりするの、得意じゃないの」


「いや、ここに来る人って、ほとんどが忍でしょ。あんた、忍相手に仕事してるくせに、忍への偏見がすごいな」


「とにかく、そういう忍の技術を性的欲望に使用する変態からくノ一を護るためのルールだから。あきらめて帰ってよ」


 世の中の変態たちのせいで、ルールがこんなにもガチガチに縛られているとは……

 諦めかけたエンだったが、ここで融通の利きそうな人を思い出した。


「じゃあ、タチバナさんにつないでください」


 里の忍が労務局の職員を呼び出すのであれば、不自然ではない。受付の男は気だるそうに腰を上げると、奥の職員溜まりの方へ取り次ぎに行った。

 しばらく待つと、タチバナは現れた。突然の呼び出しを受けても、タチバナが醸し出す穏和な雰囲気はいつもの通りだった。あの融通の利かない受付の男への文句の一つも言ってやろうかと思っていたが、穏やかなタチバナを見ていると、何だかどうでもよくなった。エンはユナに会いたい件だけをタチバナに相談した。

 目を閉じて思案したのはほんの一瞬で、タチバナはエンに提案する。


「私も職員なのでね、掟を破って住所を教えるわけにはいかないのだけど…… ならば、ユナ君をここへ呼んであげよう」


 融通が利いた。

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