其の九 昇級
「各所各組の大まかな結果はすでに聞いていますので、詳細な報告は明後日で結構です。みなさん今日と明日は帰ってゆっくり休んでください」
労務局のタチバナにそう言われたのを免罪符に、エンはダラダラと自堕落な酒に溺れる二日間を過ごした。
最近のお仕事のあとは、身体がダルい。ここ二度ほど、望まずして命がけなお仕事が続いたが、そういったお仕事の後には皆このような倦怠感を感じているのだろうか。
目が覚めてからずっと同じ天井を眺めながら、そんなことを考えていた。最近ではお仕事のあとには、決まって「祝盃」などと称して酒をあおっているあたりに倦怠の原因を見出せないあたりがエンの若さである。
気合いと共に寝床から起き上がり、気合いと共に外出の準備を整えた頃には、すでに昼が近かった。
エンは労務局へと向かう。寮の前の小道を抜けて大通りへと出ると、通りの先から「あっ!?」という声が聞こえた。どうやら新人くノ一のシノが、エンの姿を見つけたらしい。
「エンせんぱ~い」
シノが人なつっこい笑顔で走り寄ってくると、唐突に質問を投げかけてきた。
「エン先輩は、この里のくノ一の方に向かって、裸で馬に乗って迫っていったっていうのは、本当ですか?」
「はぁ? ……いや、間違ってはいないけど……」
でも何だろう、不本意な表現がなされているような気がする。
「やっぱりそうか」と、何が嬉しいのかシノはニコニコと質問を続ける。
「あと、センパイって鉄砲を撃つときも裸になるって噂ですけれど、露出狂なんですか?」
「だれが露出狂だ! さっきから裸はだかと言われているが、ふんどしは履いていたんだからな!」
名誉を守るためのエンの主張だが、少しズレた返答になってしまっている。
「なんだ違うんですか……」
『何でちょっと残念そうになんだ、コイツは』
どうもシノには、噂の真偽を本人に確認に行くという悪癖があるようだ。
労務局の応接室にて、エンはタチバナと面会した。いつもであれば書面に簡単な報告を書いて提出してしまえば終わる手続なのだが、今日はタチバナに声をかけられ、面談のような形をとらされてしまった。
社交辞令な挨拶のあと、タチバナは今回の案件の結果について語った。
「今回の拠点確保では、我が里は三カ所の地点を押さえるべく動きましたが、結果として二カ所の確保に成功しました。よってこの案件では成功報酬も出ます。これについては、私はエンさんの組の功績が大であると評価しています」
「あ、ありがとうございます」
エンたちスイコ組は参加しなかった むしろ田中央の台地の確保については、両軍が派遣した忍が小競り合いを続けている間に両軍の前軍が到着したため、戦闘は侍へと引き継がれて激戦になったそうだ。
さらには駆けつけた主力の中軍も投入して、台地をめぐる戦いが、この戦の事実上の決戦となった。
辛くも台地を征したのは敵のモトス軍だったが、エンたちスイコ組が確保した北の丘から回り込んだアツミの別動隊が、中央台地の背後を脅かしたため、結局両軍が撤退して戦は終わったらしい。
タチバナがエンにたずねた。
「今回のお仕事の中で、何か気づいたことや、感じたことはありますか?」
「スイコとユナを二人で組ませるのはやめた方がいいですね。二人の特技と性格が合わさると、無謀に走る傾向があるので長生きはできませんね」
「なるほど。次回から気をつけましょう」
報告というよりも、意見や感想を求められる形で時間が過ぎた。
『話すことは話したし、報告もそろそろ終わりだろう。とっとと報酬を貰って帰ろう』
そんなことを考えているエンの想像に反して、タチバナは話を続けた。
「ところでエンさん、今回の出発前に私と話したことを憶えていますか?」
「え…… ああ、里の求める人材になってもらいたいって話ですか?」
「そうです。そしてあえて今回、エンさんの得意分野とは異なる案件を紹介し、エンさんはそれを受けてくださいました。そこで私どもは今回、独自にいくつかの確認項目を用意して、エンさんのお仕事ぶりを見せていただきました」
「はあ、そうですか……」
またしても目付に見張らせていたということである。気のない返答をしながらも、正直なところ心中では良い気はしていない。
「何を確認したかは言いませんが、今回のエンさんの組の活躍は、我々としても十分に満足できるものでした。よって、私からエンさんの昇級を推薦させていただこうと思います」
「へっ?」
「すでに他の組員からも話は聞きまして、エンさんの指示で危機を脱した場面も多々あったと聞いております。やはり我々の見立て通り、他者を指揮する素養があるということで、あなたを推薦することに決めました」
これまで具体的に昇級というものを目標にして戦略的にお仕事に取り組んでいたわけでもないエンであるだけに、突然の昇級に驚きを隠せなかった。
「あ、ありがとうございます…… 昇級ですか」
「鼠級では味方を指揮する機会はなかなかありませんのでね。経験を積んでいただくために色々なお仕事を紹介するにしても、猿級以上にいてくれた方が、こちらもやりやすいですし」
そうして報酬を受け取り、労務局を退出したエンは、労務局の裏手の椅子に腰掛けた。
自然と表情が緩んでくる。
級が上がると、お仕事での報酬の取り分が上がる。独り身のエンはとくに銭に困っているわけでもないのだが、やはり出世は嬉しいものだ。また、労務局がエンに対して害意がないことも感じられた。
ぬか喜びにならないように、昇給が確定するまでは、あまり期待を膨らませない方がいいのかもしれない。しかし、さすがに労務局の主任の推薦ともなれば、落とされることもないだろう。
「よし、サヨちゃんに教えに行こう!」
緑の多き季節、エンはサヨのいる茶屋への茂みへと消えていった。
第二章 ── 完 ──