其の八 威力偵察
騎馬の影は二つ三つと増え、三騎の影となった。
エンはすぐに遠筒を覗いた。
「騎馬は三騎で馬引きなどの従者を連れていない。三騎とも腰に刀、小型の弓を持っている」
「それってまさか……」
「威力偵察だろうな」
威力偵察は戦闘の玄人だ。騎乗のまま戦闘を行う技術を持っている。少なくとも寄せ集めの忍に何とかできるものではない。
「アイツら何で逃げないんだ?」
丘につっ立ったままのスイコとユナを見ながら、トウはそんな当然の疑問を口にする。だが、エンにはその答えが分かる。
「スイコが馬鹿だからだよ。アイツはきっと、威力偵察を知らないんだ。だから、今までと同じように対処しようとしてるんだ」
「でも、ユナは分かってるんじゃないのか? 何でスイコを説得して逃げないんだ」
このトウの疑問にはカイムが答える。
「ユナはさっき、強さを褒められて気を良くしてるんだ。心の隅で戦えるんじゃないかと考えているうちに、逃げる機会を失っていってる」
騎馬とユナたちの距離は百歩ほど。接触するのも時間の問題だ。
「いや、馬鹿だろう……」
「ああ、馬鹿だけど見殺しにはできない。カイム、ここからあの騎馬を狙撃できるか?」
「無理だ、遠すぎる。ここからでは当たる気がしない」
遠すぎても近すぎても使えないとは、鉄砲というのも聞いてたほど便利な武器ではないのかも知れない。
「分かった。じゃあカイムは、引き金を引けば弾を発射できるところまで鉄砲の準備をしてくれ」
「いや、ここからじゃ当たらないって言っただろ!」
「絶対に当たる方法で俺が撃つから、頼む急いで!」
エンに詰め寄られて、不満そうにカイムが鉄砲の準備に取りかかる。さらにエンはトウにも指示を与える。
「トウは味方の軍が来る方向に回り込んで、機をみて大声で頼む」
「うん」
トウは林の木々の間をぬって、所定の場所へと移動して行った。その間にエンは、つないでいた馬を引いてきた。
「エン、お前馬に乗れるのか?」
「乗ったことはないけど、少しの間だけ落ちないように脚で馬を挟んで、やるしかない」
エンは馬にまたがった。この時点で馬が暴れたら終わりだったが、意外とおとなしくエンに背を預けた。
するとエンは衣服を脱いだ。そしてカイムから鉄砲を受け取ると、銃身に服を掛けた。
「何してるんだ?」
「敵に近づくまで、鉄砲を持っていることを知られたくない」
「そうか…… 死ぬなよ」
エンは馬を走らせた。
一方、吾平たちの方は、どういう状況だったのか。
彼らがいたのは、軍が押さえたいと考えるほどの見晴らしの良い丘である。もちろん三騎の騎馬が現れた時にも、いち早く発見することができた。
「また敵が現れたぞ」
「あれは……」
さすがにユナは、現れた騎馬が普通ではないと気付いた。
「威力偵察じゃないかな?」
「何偵察だろうが知ったことではない。同じように追い返すまでよ」
吾平は怖いものを知らない。勇気があるという意味ではなく、ものを知らないのだ。
ここでユナは無理にでも吾平を連れて逃げるべきだった。もし吾平が聞かなかったら、ユナだけでも馬で駆けられない林の方へ逃げるべきだったのだ。
ユナが自身をその場に留まらせた理由には、拠点を守るという責任感もあったのかもしれないが、やはり吾平の強気に引っ張られたこと、そして先ほど自分の剣術を皆に認められたことが大きかった。
『威力偵察を相手にどこまで闘えるか』を考えてしまった。そんな戦術シミュレーションに入ってしまったため、逃げる時間を逸してしまったのだ。
拠点には柵も壕もないため、一気に蹂躙されかねない。騎兵を相手にするには最悪の環境であったが、幸運だったのは二人が有無を言わさず殺されなかったことだった。騎兵にしてみれば、派手な格好の男と血に染まった女が無防備な場所で待ち構えているのだ。騎兵は二人に何者かを聞かずにはいられなかった。
すると今回も吾平は、要領を得ずかみ合わない話を始めた。吾平本人に戦略的な意図はないが、ここでも時間はかせがれた。
威力偵察の騎兵三騎は、ある程度固まって行動しているが、常に整列しているわけではなく、騎乗のまま至近距離で吾平と話している。エンはそんな三騎のうち、吾平たちから一番遠い最後尾の騎馬へと突っ込む方向に馬を走らせた。
「ん? 何だあれは…… 敵か?」
走りながら近づいてくる馬が気づかれないわけはなく、敵まで約五十歩のところでエンは補足された。
ただ、吾平とユナという見かけのおかしな二人に加え、さらに裸で馬に乗った男が向かってくるのだから騎兵も少しは面喰らう。
エンが狙う最後尾の騎兵が弓を構える。
前の二人の騎兵は、吾平とユナに近づき過ぎたことを後悔した。さすがに目の前の敵を放置して、無防備にもエンの方を向いて弓を構えるわけにはいかない。
敵に接触するまでに一矢は射られる覚悟はしていたエンだったが、自分を狙う弓に向かっていくのはなかなかに胆力を要する。そんな恐怖に耐えながら、エンは銃身に掛けた服を掴んだ。そして、騎兵が矢を射たその瞬間に合わせて、豪快に服を捲った。
『よし…… 生きている。痛みもない!』
敵は威力偵察の騎兵である。確実にエンの頭部を狙って射てくるとふんで、その矢をはじき飛ばすように服を捲ったのだが、運良く上手くいったらしい。
エンが掛けていた服を外したことで、敵はこの至近距離に至ってはじめて、相手の持つ武器が鉄砲であることに気が付いた。
「鉄砲だと!?」
「もうおそい!」
敵騎に突っ込むエンに乗馬技術はなくとも、馬同士はさすがにぶつからないようによけるもので、エンと騎兵はギリギリの距離ですれ違う。そして、射撃を外しようのない間隔となるそのすれ違いざまに、エンは鉄砲の引き金を引いた。
パーーン
轟音と共に強い衝撃が走り、エンは馬から放り出された。
ドサッ
馬上の人であった四人が二人に減った。
エンは地面で背中を強く打った。暫くうずくまりたいくらいに痛かったが、できるかぎりの無表情ですぐに立ち上がった。
『ここが正念場だ』
エンに撃たれた兵は、腹を押さえてのたうち回っている。
「さあ、次はお前らの番だ」
エンは残る騎兵相手にすごんだ。
吾平、ユナ、エンが、馬上の侍を睨みつける。
「下郎が……」
鉄砲で仲間を撃たれ、異様な姿の三人に反包囲されているこの状況で、騎兵は明らかに気圧されている。
エンは一瞬、吾平に目配せした。すると吾平が騎兵へと言い放った。
「貴様の仲間はまだ息があるようだ。そいつを拾って失せるなら見逃してやる」
『そう、それだ吾平』
精神的に騎兵を追い込んでおき、その上で侍の気高い自尊心を傷付けない名目で逃げ道を作ってやる。冷静に考えれば、一人減ったところで再度間合いをとって立て直せば、威力偵察の騎兵の優位に変わりはないのだ。
しかし、そのような冷静さを失っている時に、仲間の命には時間の限りがあり、その命が助かるには騎兵が今すぐ仲間を連れて去ることだと促した。これは暗に、死んだら今助けなかったお前のせいだと揺さぶったのだ。
その時、
「おーい! 待たせたな! 先鋒が到着するぞー!」
トウだ。
友軍の侵攻ルート方面に回り込んだトウが叫んだのだ。
もちろん嘘である。
「ぐ・・分かった…」
威力偵察の騎兵は、二人がかりで苦悶の仲間を馬に押し上げると、負傷した仲間を庇うように撤退していった。
そんな騎兵の後ろ姿を、エンたち三人は黙ってじっと見送っている。
やがて去ってゆく騎馬の影が完全に視界から消えた。
「ぷっ」
「くくく」
「あはは」
三人に笑いがこみ上げる。
「ユナお前、返り血まみれで睨みながら、薄ら笑いを浮かべるあれ、怖すぎるわ」
「ええ、笑ってなんかないよぉー …たぶん」
エンが衣服を拾って着ながら、ユナをからかう。
そこにトウが寄ってきて言った。
「西に人と旗が見えた。やっと本物の味方が来たぜ」
終わった。
エンは林のカイムに手招きし、全員でその場に寝転がった。
今日はとても長い時間、気を張ってお仕事に精を出したつもりでいたが、仰向けに見上げる空の陽はまだ高かった。