其の六 滅気斬
忍は数人で『組』を作って行動することが多いのだが、戦闘を得意とする忍だけを集めて組とするような機会はほとんどない。もちろん武芸に長けた忍も存在はするが、忍に求められる事柄の多くは工作や諜報であって、戦はあくまで侍が担当するお仕事だからだ。
そうはいえども常に敵と戦うことなく、忍が日々のお仕事をこなし続けていけるものでもない。相手がある以上、任務遂行のためには立ちはだかる敵との殺し合いに発展することもありうる。
要は、不本意ながら戦うこともあるが、なるべく戦闘は避けてゆくのが忍の基本姿勢なのだ。なので忍は敵と対峙した際に、いきなり相手に斬りかかることはあまりしない。まずはどうにかして、相手の力量を探ろうとする。その上で戦おうと判断することもあれば、無理だと思えばあっさりと退散もする。
いま川原に現れた敵影は四人、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。
「顔に出すなよ」
仲間にだけ聞こえる程度の声でエンが言った。
こちらが敵の強さを測るように、敵もこちらの強さを測ろうとするはずで、相手の表情や態度といったものは当然観察してくる。表情ひとつが情報となりえるのだ。
このことについてはここまでの道中、すでに組内で意識共有をしていた。
とくに恐怖の表情というのは、敵に戦闘を決意させる原因になりうる。敵にこちらの力量を測らせないためにも、感情を顔に出すべきではない。
よって、第一に無表情でいること、そしてもしも無表情をつらぬく自信がなければ、笑顔を作るということに決めていた。殺し合いになるかもしれないときに笑っていたら、相手も少しは気味が悪いだろうという単純な発想である。
スイコ組と敵組は、接触まで約十歩の所で停止してにらみ合った。少しでも相手の力量を測るための材料を見つけ出して、戦うか逃げるかを決めるために睨み合うというこの光景は、忍ならではのものだろう。
エンも何かを見つけようとはするが、さすがに敵も無表情を崩さない。そもそもこの敵は、こちらより人数が少ない不利を知りながら向かってきたのだ。それ自体が相手に強いと思わせる策かもしれないし、ほんとうに強いのかもしれない。仲間の忍を付近に伏せている可能性もある。
そのあたりまでの推測はできるのだが、いかんせんスイコ組の面々は経験が浅く、それ以上のことを読み取ることができない。
エンは一旦敵から目を離し、味方の様子をうかがった。みな表情を消しているが、ユナだけが笑っている。いや、想像以上にニヤニヤと笑っている。
『こいつ、すげぇ ムカつく顔してるな……』
どういう感情であんなニヤついた表情になるのか分からないが、何だろう、打ち合わせ通りとはいえ、あれのせいで敵が攻撃してきたらどうしようと、エンは不安になってきた。
そんな膠着を破ったのが、吾平だった。
「やむを得ん…… 滅気斬を出すか」
吾平は敵全員にかろうじて聞こえる絶妙な声の大きさで、そうつぶやいた。
「メッキザン?」
聞き慣れない技の名前に、敵に戸惑いが走る。
内心では味方も同じくらい戸惑っているのだが。
特殊な剣の使い手なのか? それとも術を使うのか? 敵の心がザワつく。彼らとしても、現地調査に来た下忍同士の遭遇戦くらいに思っていたからだ。
エンたちとしては、虎級以上の上忍が出て来ているとまで勘違いしてくれれば好都合なのだが、少なくとも武闘派の殴り込みくらいには見えただろう。それだけでも相手に不安を煽るには十分だ。
── このハッタリは使える。
そうふんだエンは、あえて大声で吾平を制止した。
「待ってくれ! ここであんたの技を出すまでもない。俺たちで殲滅しますよ!」
そう言って一斉に襲いかかる気配を見せた。
敵の心を折るには、これだけで十分だった。敵は背を向けて逃げ去っていった。
これは、しばらく使える。
それから目的地へと進む道中で敵組と遭遇すること二度、同じ方法で敵を追い払った。回を重ねるごとに仲間の芝居が調子に乗ってきたのが気になるところだが、それが案外堂々と見えて良かったのかもしれない。
そうして進んできたエンたちの視界に、ついに今回のお仕事の目標である丘が見えてきた。そこはエンが想像していたような小高い丘とは異なり、とても傾斜のゆるい丘であった。この丘が野戦において戦略上の要衝となるため、いち早く押さえようというのだ。
丘の斜面は長くゆるやかで幅が広く、まるで草原を少し傾けたような景色で、その北側には木々の立つ林が在った。南側の斜面は少し急で、茶色い岩肌が見えている個所も多々在るため、この丘には西か東から登ることになる。エンたちは今、東からその丘を登っている。
「人がいるぞ」
トウがいち早く丘の頂上付近に人影を見つけた。すでにこの丘は、敵方の手に落ちているのかもしれない。逃げるにせよ戦うにせよ、まずは丘上の人影が何者かを確かめる必要がある。
可能性として、丘はすでに敵の軍団に占拠されていることも考えられる。エンたちは丘を登りながら、もしも逃げることになった場合は北の林へ駆け込むこと。そして、林を抜けて本部へ戻るようにと意識合わせをした。
接近するにつれて、丘の頂上付近がよく見えるようになってきた。五人の男が並んでエンたちの組を待ち構えているが、甲冑の類は身に着けていない。また、付近に旗や幟、柵の類も立てられていない。
これらの様子から察するに、少なくとも敵であるモトス氏の軍勢はまだ到着していないらしい。彼らもおそらく、エンたちと同じような事情で派遣された敵方の忍なのだろう。
エンたちは足を止め、約十歩の間合いでにらみ合う形をとった。
「何者かー!」
待ち構える五人の男のひとりが大声で叫んだ。
これに対し、スイコ組の中で最も声の通るトウが交渉に入る。
「オレ達はアツミ方の先遣隊だ。オマエ達はモトス方の忍で間違いはないか」
「いかにも、この地は我らモトス方が獲った! よそ者は早々に立ち去れぃ!」
敵は無駄に声が大きい。
「この地を我らに明け渡してもらいたい。おとなしく去ってもらえれば、同業のよしみで追うことはしない」
トウは相手の威圧を受け流すかのように、穏やかな口調で話していた。
「なめるなー! ここはすでに我らの陣地じゃ、キサマらこそ失せろー!」
我らの陣地とは言うが、とくに周囲には備えのようなものは見えない。おそらく彼らも到着して間もないのだろう。
なおもトウは落ち着いて話すが、相手は威圧的に怒鳴る形での会話を繰り返す。
その間にもエンは観察している。五人並ぶ敵のうち、真ん中に立って黙って見ている男が敵の組長なのだろう。その右隣の男こそ先ほどから相手の気を飲むように怒鳴ってはいるが、端の者などは残念ながら不安の色が顔に出てしまっている。
『猿が一、鼠が四ってところか』
むこうも忍なのだから、相手が味方より強いと確信すれば逃げるはずだ。その判断をするのは真ん中の組長、彼を揺さぶればいいのだ。
それはそうと、先ほどからエンの横に立つユナがソワソワしている。
『どうしたんだ、こいつ。緊張しているのか?』
エンが相手を観察しているように、相手もとくにあの組長はこちらを観察しているはずだ。ユナのこの様子を『怖れ』ととられると不味い。
トウが言った。
「そちらの端の者などは、いささか不安を隠せぬようだが?」
エンは感心した。トウは交渉しながらも相手をよく見ている。
「愚弄すると許さんぞー! キサマらごとき、ねじ伏せてくれるわ!」
「では、交渉は決裂、力で取り合うということでよいですか?」
トウが相手に揺さぶりをかけたが、この言葉を聞いたユナがいち早く刀に手をかけた。
「おい、早いよ」
エンはユナの手元を隠すように半歩斜め前に出た。敵の組長は動かなかった。
このままでは戦闘に入ってゆくことになるが、敵は本当に自信があるのだろうか。その場合はスイコ組が逃げなくてはいけないのだが、エンにもまだ判断がつかない。
つかの間の沈黙を破ったのは吾平だ。
「いたしかたない、滅気斬を出すか」
始まった。
満を持して発したような台詞だが、もう何度も聞いているので、味方は内心笑いをこらえている。
だが敵の動揺が小さい。やはりこの敵は手練れなのだろうか。
エンは言葉を継ぐべきか躊躇したため、少し間が空いた。
すると吾平は身を低く構えると、落ち着いた声で言った。
「必殺 --・」
それをやると、もうあとは存在しない滅気斬を撃つしかなくなるのに。 ハートの強いやつだ。
これにはさすがに、敵にも動揺が走った。それはそうだ、いま目の前で静かに構える敵が、自分たちを必ず殺す威力をほこる滅気斬なる攻撃を放とうとしているのだから。
スイコ組としては、このまま吾平をみっともなく殺されるわけにもいかない。エンは大声で吾平を止めた。
「スイコさん! 気まぐれで我ら鷹組についてくるのは構いませんが、勝手に我らの獲物を先に狩ろうとするのはやめてもらえませんか!」
上司を止めるセリフの中に、こちらが鷹級の戦闘集団と思わせる言葉を含めてみた。さらに鷹組が制止することで、スイコが虎級である可能性まで臭わせた。
「ふん、分かったよ!」
吾平が説得を受けて引き下がる素振りを見せる。はたして相手はどう反応するか。これで駄目なら覚悟を決めて逃げるしかない。
沈黙を続けていた敵の組長がついに口を開いた。
「くそ…… 『ろの弐』で落ち合うぞ、退散!」
敵は二方向に分かれて逃げていった。
おそらく彼らはこの地を地元とする忍だったのだろう。散り散りに逃げた者が地図上で暗号化した地点に集結できるのは、この地にくわしい地元忍としか思えない。
ともあれスイコ組は、ハッタリだけで目標地点の確保に成功した。
ここからは味方の軍が到着するまで、この地を押さえることが任務となる。
もし味方の軍隊より先に敵の軍隊が到着すれば、できるかぎり足止め。敵でも軍隊以外なら、撃退しつつ制圧を続けなければならない。