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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第九章 【忍道】
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其の九 大躍進

「何で薙刀なんて持ってきてるの?」


 奉納試合の会場へと向かう遊好館の一行にあって、エンを除く四人は布に包まれた長いものを担いでいる。エンに尋ねられたのは薙刀使いのシカだ。


「ちゃんと試合用の摸擬の薙刀よ。自分で持ってきておかないと、試合場で用意されてなかったりすると困るからね」


 機嫌良くそう答えたシカだが、エンが聞きたかったのはそういうことではない。


「いや、だから違うって。今日は剣術試合だから、みんな摸擬刀で戦うんだって……」


「えっ、何よそれ! 聞いてないわよ!」


「いや、言ったよ! あんたら雑談ばかりして人の話を聞いてなかったんだろ」


 これから参加するのは剣術道場が集まって試合をする剣術試合であり、使用する武器はみな刀を模した摸擬刀である。よって、彼女たちの担ぐ得物は、使うことのないただの荷物ということになる。


「いくら何でも全員が聞き逃してるなんてことあり得ないでしょ。言い掛かりはやめてよね」


「そんな筈はない! マチさんは知ってたよねぇ」


 道場の女子と揉めると、なぜかいつもエンが少数派となって悪者にされて終わる。不利を悟ったエンはマチコを味方に引き入れようとした。


「ウチには直接教えてくれたから知ってるよ。みんなに言ったのかは知らないけど」


 道場にてエンに最も甘いマチコですらこの調子で、期待したほどの援護射撃が飛んでこない。


「ほら見なさいよ。誰も知らないじゃない。そういう大事なことはちゃんと周知してよね」


 今日もまた、エンの落ち度として問題が片付けられようとしている。この理不尽をエンは共に歩いている館長に直訴する。


「先生、あの先輩が難癖付けていびってきます。破門にしてください」


「あっ!? こらエン、あんた先生になに余計なこと言ってんのよ」


 やれやれといった表情で門下生たちの戯れ言を軽く流していたユデだったが、前方に黒い道着の集団を見つけると、門下生たちをたしなめた。


「お前たち、内輪揉めはそのへんにしておけ。前に居るのは試合に参加する他の道場じゃろう。馬鹿にされぬよう悠然と進もうぞ」


 すると、黒い集団の中から一人、藤色の着物を着た女子が近づいてきて、エンにもの申す。


「あなたね。せいぜい調子に乗って、明練館に叩き潰されて、恥をかけばいいのよ!」


 とつぜん絡むように悪口を吐かれたエンだったが、ここでカッとなって怒りをぶつけ返すような喧嘩下手ではない。


「なんだ、明練館の応援団か? しかし、そうやって明練館の名を使って喧嘩を売って回るんじゃあ、明練館も迷惑だろう」


「なんですって!」


 エンの少々意地の悪い返答に、あっさり声を荒げたのだから、この子はけっして口喧嘩が上手なわけではなさそうだ。そんな今にもエンに飛び掛かってきそうな女子の腕を掴む者があった。


「いや、誠に申し訳ない。この者が失礼なことを申したのだろうが、どうか勘弁願いたい」


 その黒い道着も明練館のもの。そして声の主は先日の顔合わせにも参加していた明練館の塾頭である。


「ちょっと!? 何でお兄ちゃんが謝るのよ!」


「お前が他人様に迷惑をかけて回っているからだ」


「お兄ちゃんの敵はワタシの敵よ!」


「私は敵に喧嘩を売って回らないよ。遊好館の皆さま、重ね重ねお詫びして、失礼つかまつる」


 そう頭を下げて、明練館の塾頭とその妹は去っていった。アゲハがエンに問う。


「あんた、あんなに目の敵にされるなんて…… 試合の参加を決めてきたとき、どんな悪どいことをやったのよ」


「おっと、あらぬ誤解はやめてもらおうか。あの子とはさっき初めて会ったんだから」


「初対面でいきなりあんな絡まれ方をしたっての? ……まぁ、いいわ。そういうことにしておいてあげる」


 試合の会場となる広場は、草を短く刈って手入れを施された草原。そこで二試合を同時に行えるよう二つの試合場所が設けられている。また、二カ所それぞれの試合場所では代表選手が中央で戦い、それを挟むように座が敷かれている。この座に各道場の関係者が陣取るのだ。

そんな座につくためにも、まずは対戦相手を決めねばならない。芝の広場に四道場が集まった。他の三道場の者たちも、見物に来ている一般の観客たちも、女ばかりの遊好館の門下生たちを好奇な目で見ている。そして多くの人が笑っている。


「こうなるとは思ってはいたけど、やっぱり腹は立つわね」


 堪らずシカがボヤいてみせた。エンはそんなシカだけではなく、周りの門下生にも聞こえるように答える。


「皆、三大道場がそんな女子たちに敗れることをまだ知らないのさ」


「エンの言うとおりよ。せいぜい悔しい思いをさせてやりましょう。さあ先生、行きましょう」


 アゲハがユデを促して座から進み出た。そして、各道場主と塾頭が中央に集まり、対戦相手を決めるクジを引いた。ユデの引いたクジには黒い印が付けられていた。同じく黒い印のあるクジを引いたのは滝田道場、そこが最初の対戦相手と決まった。


「どうせどこも知らないから、どこでも同じね」


 皆が真剣にクジを引く姿を見て、マチコが小声で言った。どこでも同じではないのだろうが、たしかにマチコの言う通り、遊好館は敵の研究など一切やってきていないので、対戦相手によって変えるような作戦は持ち合わせていない。ただ一つ、三大道場の中でも明練館が毎年優勝を重ねている強豪であることだけは、遊好館も情報として持っていた。


 滝田道場と遊好館の関係者が、同じ試合場所の両側に設けられた座についた。道場主には床机が用意されており、そこに座ったユデは一軍の指揮官のようである。

いよいよ試合が近いのだが、ここで対外試合というものに慣れていない遊好館は、門下生から出場選手の選抜までは行っていたが、各選手の出場の順番を決めていないことに気が付いた。


「先生、順番を決めてください」


 アゲハの求めにユデが思案を始めると、ユナが手を上げた。


「はい! わたし一番にいきたい!」


「そうか、じゃあお前が一番だ。二番がシカで、その次がエン。トセが四番で最後がアゲハじゃな」


 この順番で対戦を行い、三勝以上を収めた道場が勝利となる。勝負の判定を任されている宮司に促され、広場の中央へと出てきた滝田道場の先鋒は名をイイダという。

 イイダとユナが向かい合って摸擬刀を構える。他流試合、それも他道場や観衆に見られながら闘うことなんて初めてなのだが、ユナはけろっとした様子で緊張など微塵も感じられない。


 宮司の手が振り下ろされ、試合が始まった。

 イイダはどっしりと構えており、ユナがその周りを動きながら牽制するかたちになった。これはイイダによる格の違いを観衆に示すための動作で、周りをチョロチョロと動く方が格下に見えるという武術の試合ならではの演出である。

 そんなものは全く意に介さずニコニコと動き回るユナ。ただ動くのではなく、足運びのステップやリズムをあれこれと変えながら動いているのは、仕掛け方を模索しているのだ。

 そのうちに、二人の剣先が合わさった瞬間、ユナがイイダに向かって走り込んだ。イイダは剣を横に振るい、力でユナごと払い飛ばそうとしたが、ユナはそれを剣で受け止めて横方向には全くブレない。そして彼女はイイダの剣の側面で自らの剣を滑らせるようにして間合いを詰め、滑らせてきた剣の余勢でイイダの額に一撃を入れた。


 観衆からどよめきが起こった。女子が三大道場を相手に、劣勢からの奇策などではなく真っ向からの戦いで勝利を納めたのだ。滝田道場の門下生たちの声が止み、油断を捨てた目になった。


『あちらの先鋒が油断してくれていたのなら、ユナを最初に出したのは失敗だったかな?』


 エンはそんな戦略面での不安を覚えたが、今さらどうにもならない。すぐに次の試合が始まる。

 二番手はシカ。さすがに緊張した面持ちで座を立ち上がったシカに、応援に来ている仲の良い門下生が励ましの声をかけた。

 滝田道場の次鋒はミヤモト。それに向かい合ったシカは、いかにもぎこちない構えで摸擬刀を握っている。その理由は明白、彼女は薙刀使いなのである。シカが剣を構えている姿を見るのはエンも初めてである。


 開始早々、ミヤモトが打っていった。相手が女子だから遊んでやろうという気持ちはすでに吹き飛んでいる。そのミヤモトの剣をシカは払って弾いた。

 ミヤモトは止まらない。次々と連続で剣を打ち込んでゆく。シカは防戦一方ではあるが、それらミヤモトの攻撃を全て剣で弾いている。

 普段は女中として武家屋敷に勤めている遊好館の薙刀使いたち。その中でも古参のシカはトップクラスの実力を誇っている。薙刀が剣に替わっても、今のところセンスでカバーできている。


「おい、何やってるんだ! さっさと決めろよ!」


 滝田道場側の座から叱咤とも野次ともとれる声が飛んでくる。その声がミヤモトには忌々しく聞こえていた。


「決めようとしてやってんだよ!」


 そう小声で吐き捨てたミヤモトも、攻め立てているにもかかわらずなかなか相手の懐に踏み込めないことに苛立っていた。なぜか。ミヤモトの打ち込みを弾くシカの剣が妙に力強いため、決定打に持ち込めないのだ。

 シカは道場では薙刀を振っている。薙刀は極端な表現をすると、長い棒の先に刀を付けたような形状の武器で、刀よりも重量がある。あらゆる武器を研究し、使い手を育成することを念頭に設立された遊好館では、摸擬刀においても形と重量にこだわって製作している。よって、シカはいつも本物と同じ重い薙刀を振って稽古を行ってきたのだから、力が付いていて当然だった。

 ミヤモトが打ちシカが弾き防ぐ。これを繰り返す攻防に先に焦れたのはミヤモトだった。ミヤモトは一気に試合を決しようと、大きく上段に構えて剣を振り下ろした。それを見たシカはこの時を待っていたとばかりに軽く後ろに跳びすさり、下りてくるミヤモトの剣を弾き飛ばすべく、力いっぱい剣を振り上げた。


 ── あれ?


 シカの剣は何にも触れることなく空を切り、さらには斬り上げた勢いで無防備な万歳の体勢となってしまった。


「あの子、獲物の長さを間違えた……」


 そうアゲハが指摘した通り、シカは武器の長さを測り損ねた。いや、忘れていた。相手が振り下ろす武器がスピードに乗る前に斬り上げて弾き飛ばすのは、薙刀使いシカの得意な技なのだが、不慣れな刀型の摸擬刀でこの技を再現することはできなかったようだ。

 そんなスキをミヤモトが見逃してくれるわけがない。シカの腹にミヤモトの摸擬刀が当てられた。


「きゃん、イタぁぁい」


 そんな間の抜けた声が周囲の人々の耳に届いたところで勝負があった。


 三番手のエンは、すごすごと戻ってくるシカの肩にポンと手を置き、「俺が仇をとってやるよ」と、謎の大言をはいて出ていった。対する滝田道場の中堅はイケヤマと呼ばれた。


『滝田の中堅ともなりゃあ相当な実力者なんだろうから、また気煙が見えてくれりゃあ便利なんだけどな』


 エンは過去に二度だけ、敵の殺気を目で見る『気煙』という能力が開花したことがある。上忍や達人の域に達した者の一部には、この気煙を使いこなす能力者が存在していることは判っている。だが、エン自身はまだ気煙を自在に発動させることはおろか、如何なる条件において発動するのかすら判っていない。過去二度の発動時の共通点は、気煙の浮かび出た敵も気煙の使い手だったという事実のみなのである。


 試合が始まり、イケヤマが一歩を踏み出した。そこに殺気は見えない。軽く剣を振り上げるイケヤマを凝視しているエンに向けて、その剣が振り下ろされた。


「わっ!? っと……」


 かろうじてイケヤマの剣を受け流した。やはり気煙は見えないようだ。アテが外れたが、気煙が見えないのなら実力でなんとかするしかない。

 エンはそれ以上イケヤマを寄せ付けないよう、体の前でブンブンと剣を振って一旦距離をとった。


「あの子、何やってんの?」


「さぁ……」


 エンの不審な動きに、試合を見つめるアゲハとシカが眉をひそめる。

 エンにはシカのように敵の攻撃を弾き続ける技術は無い。防戦一方だといつかやられることが判っているのだから、とにかく攻めるしかない。右の袈裟斬りに左の胴、そして足払い、いずれもイケヤマにいなされた。もちろんイケヤマも反撃を行ってくる。上段中段の剣戟はなんとか剣で受け止め、下段の払いは跳んで避けた。


「猿みたいな奴め」


 エンの動きにそんな感想を持ったイケヤマの目の前に、とつぜんエンが左手の掌をかざした。


「何だ? ………おわっ!?」


 掌で視界を減らされたイケヤマの胸に向けて、エンの剣先が飛び出してきたのだ。イケヤマはこれをかろうじて避けた。


「手で視界を隠しての突きとは、卑怯な」


 一旦距離を取りたいイケヤマだったが、エンはそうはさせじと食らいついてゆく。そのとき、戦闘中にもかかわらずエンが一瞬チラリと左を向いた。もはやこれは人間の習性だろう、ついついイケヤマもエンの目線が向いた方向を追って見てしまったのだ。それと同時に発生した逆方向という死角から、エンの横凪の攻撃が飛んでくる。

「どわっ!? 」と、驚きの声を上げながらも、イケヤマはこれもかわしたのだった。


「重ね重ね卑怯な奴め!」


「弱者の戦術といってもらおうか」


 イケヤマがエンを罵ったが、エンは悪びれなかった。これは流石にイケヤマの怒りに点火してしまったようで、エンは猛攻を受けることになる。


 イケヤマの剣は速かった。それらの攻撃をエンは、まさに紙一重で受け続けた。


『くそ…… クナイを投げつけてやりたい……』


 もちろん剣術試合でそのようなことはできない。が、こんな守勢が長くもつわけがない。エンはとつぜん丸まるように、その場にしゃがんだ。イケヤマの視界からエンが消えた。


「また何かしようってんだろうが、もう欺されん!」


 イケヤマが剣を上段に振りかぶった。そんなイケヤマの喉元を目がけてエンはいち早く、まるで蛙が飛び跳ねるように突きの姿勢で飛び上がった。

 が、そんな突きの軌道が大きく上にブレた。エンの剣先は、上段から唐竹割りに振り下ろそうとするイケヤマが握る剣の柄の先に突き立った。

 振られて勢いに乗ってしまえば、イケヤマの剣を止めることはできないが、振り始めのまだ力の乗らない体勢にあったその剣は、エンの剣先に押さえられて止まったのだ。

 初めてイケヤマに隙ができた。エンは間髪入れずイケヤマの側面を回りながら、胴に弱々しい一撃を入れた。綺麗に斬った。だが、いかにも弱い。これを審判の宮司はどう見るか。


 一瞬の間を経て、宮司の手が上がった。


「っしゃあぁぁ!」


 当然の勝利だと言わんばかりに勇んで戻ってくるエンを遊好館の仲間たちが微妙な表情で迎えた。


 四番手はトセ。とつぜん副将として現れた謎のルーキーの実力はエンもまだ知らない。滝田道場副将のヒロサワと対峙したトセが摸擬刀構える。背中を丸めているのは猫背であるためか、膝も曲げたトセの構えは低く見えた。

 宮司が開始の合図を示した途端にトセは突きを狙って跳び込んだ。


 ── !?


 ヒロサワは咄嗟に上半身を傾けた。一瞬前まで首があった位置をトセの剣が通過してゆく。ヒロサワは慌ててトセとの距離をとった。頬を伝う冷や汗を不快に感じながらもトセから目を離さない。背を丸めてゆらゆらと剣先を揺らして構えるトセは気味が悪かった。


「くそっ、気持ちの悪いヤツめ。何の化身だよ」


 ヒロサワは魔を打ち払うように積極的に攻勢に出た。一合二合三合と剣がぶつかり合い、八合までトセが防ぎきったとき、ヒロサワの打ち疲れを狙ったかのようにトセの足が飛んできた。


 ── 蹴りだと!?


 この時代の剣術は、戦という実戦への備えとして修練するものなので、白兵戦にて有効な蹴りなどの体術を織りまぜることも反則ではない。

 トセの蹴りはヒロサワの太腿を捉えたが、ヒロサワも全身の力を足に込めて踏ん張り、バランスを崩すような隙は見せなかった。

 ヒロサワが再び打って出る。またも守りに入ろうとするトセに向けて、アゲハの檄が飛んだ。


「一撃入れてんだから退くんじゃない! たたみ掛けるんだよ!」


「はい!」


 アゲハの声に背中を押されてトセも突っ張ってゆく。一進一退の攻防になった。広場を縦横無尽に動きまわりながら打ち合うトセとヒロサワの戦いに、観ている客たちも興奮を抑えることができず、口々に声援を送りはじめた。

 そんな観客の中にあって、やはり沸き上がる感情を抑えきれず、息苦しくすらある胸に手を当てて試合を凝視しているのが、明練館の塾頭フクウラの妹だった。四大道場の伝統を破って割り込んできた遊好館に敵意の目を持って観戦していた彼女であったが、その遊好館の女子たちが名門道場を相手にして互角以上の戦いを演じている姿に、同性としての痛快さが溢れ出してきたのだ。


「女なんぞに負けるでねえぞぉ!」


 見知らぬ男が傍でそう叫んだ。フクウラ妹はムッとして、男の耳の近くで叫び返す。


「偉そうな男なんぞ、ぶっ倒しちまえー!」


 今日この試合会場にやってきた観衆のほとんどは、明練館の試合の方を目当てに来た者たちであった。なので、ユナの試合が始まる頃は遊好館の試合を見る観衆はまばらだったのだが、無名道場の女子たちが滝田道場を相手に大立ち回りを演じていると聞きつけて、次第に観衆がこちらへと流れてきた。そして今、トセの激闘を大勢の観衆が囲み、盛り上がりが最高潮に向かっている。


「凄いな……」


 エンは素直にそう感心した。エンよりも後に入った後輩でこれだけやれるとは、大した格闘センスである。そりゃあアゲハが特に目をかけるはずだ。


 終わらない攻防に埒があかないと感じたヒロサワは、トセの足を止めようと画策した。そこでまずヒロサワはわざと攻勢に出た。五合打ち合ったところで自身の動きを鈍らせたのだ。先ほどと同じ八合でないのは、本当に疲れているためである。


『癖の悪いこの女のことだ、きっとまた足が出てくる』


 そう読んだヒロサワは蹴りの衝撃に耐えられるよう両足でがっしりと地を踏みしめ、摸擬刀の両端を握ってトセの蹴りがくれば剣で受け止める準備をしたのだ。トセの体重の乗ったあの蹴りを剣でとめたなら、トセの足が傷つきその後の動きに支障が出ることは間違いがない。

 だが、そんなトセの癖を読んでいる者がこの場にもう一人いた。ヒロサワの動きが鈍ったとき、アゲハが大声で指示を出したのだ。


「トセっ! 背筋伸ばして上段!」


 歓声に紛れたその声をトセだけは聞き分けた。

 身を低く耐衝撃体勢で構えていたヒロサワの周囲がとつぜん暗くなった。今日は快晴であったのに、何かの物陰に入ったような涼しさすら感じた。


「なんだ?」


 目の前に壁があるように感じた。目線を上げてゆくと、これまで見たことも無いような大人間がさらに高々と剣を振りかぶっていたのだ。


 ── 熊!?


 ヒロサワは側面を守るために両端を掴んで構えていた剣を本能的に頭上に掲げた。これから攻撃が降ってくることが判ったからだ。

 だが、はるか高い位置から体重とスピードを乗せて落ちてきたトセの剣はヒロサワの剣などものともせず弾き飛ばし、そのままヒロサワの脳天を打ったのだった。


 宮司の手が上がった。なんと遊好館の若手が名門滝田道場の副将を破ったのである。しかもその副将はトセの足下で気を失っている。最高潮にワッと盛り上がる見物人たちの歓声の中には、

「何だありゃあ」

「でけぇ……」

 などといった声も紛れていた。


 また背を丸めてもじもじと自陣に戻ってきたトセの戦いには遊好館の皆もすっかり興奮させられたようで、「やったな」「おめでとう」という優しい言葉とは裏腹に皆からバシバシと叩かれる手荒い歓迎で迎えられた。


「あ…… あぁ…… いたいです」


 そう、弱々しく痛がるトセは笑顔だった。

 残すは大将戦。どの道場も塾頭がその任に当たる。アゲハがゆっくりと自陣から進み出た。すでに広場の中央には滝田道場のフルタが立っている。足を進めるアゲハは、そのフルタを鋭い眼差しで捉えて放さない。アゲハの威嚇はもう始まっているのだ。広場の中央、二人は向かい合って剣を構えた。宮司の手が振り下ろされ、試合が始まった。

 悠然と構えるフルタ、その静けさが逆に空恐ろしさを醸し出している。アゲハは構える剣を倒してスッと前へ出した。その剣先がフルタの前進の障害となる。

 フルタは自らの剣をアゲハの剣と交差させた。二人の横方向から観戦している者には、剣が『×』の字に見える。一瞬の静寂があり、試合の膠着が予想されたそのとき、古田の目にただならぬ気合いがこもった。


「とぉああぁぁぁぁ!」


 気合いと共にフルタは、交差させているアゲハの剣の側面を打った。


 ── カンッ!


 木製の摸擬刀同士がぶつかり乾いた音が響いた。そして同時に、アゲハの体勢が崩れた。


「えっ!?」


 三大道場の塾頭の実力を測り誤ったとしかいいようがない。アゲハの握る剣に思いもよらぬ横からの強大な力を受けて押された。よろけるアゲハの隙となった左腹に向かって、フルタの正確無比な胴払いが飛んできた。


 宮司の手が上がった。あまりにもあっけない決着。流石は三大道場の大将と評すべきか、このフルタという男は他の門下生とは格が一段違った。

 アゲハは相手の剣を弾く程度の払いにあれほどの力が乗っているとは思わなかった。相手を油断させて勝つ立場にあるのが、今回の剣術試合における遊好館である。そんな遊好館の大将が、油断をしてあっさり体勢を崩されてしまった。完敗である。


 しばらく呆然と立ち尽くしたアゲハだったが、仲間のもとへ戻ってくると、荒れた。


「もおぉぉぉぉ!!」


 悔しさに地団駄を踏み、足元の草をブチブチ引き千切って投げ捨てる。遊好館の門下生たちは恐れてか気遣ってか、そんなアゲハを放置していたが、エンはアゲハの傍に寄るとポンポンと軽く背中を叩いて諭す。


「ねぇさん、落ち着きなって。次は一番強いのと当たるんだからさ。ほら、頭を切り替えて」


 そう、大将戦に敗れはしたが戦績は三対二、なんと遊好館は勝ち上がりで決勝の舞台に上がることができるのだ。


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[良い点] 横島忠夫で来るかと思ったら青木だった。
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