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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第九章 【忍道】
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其の八 弱き者に取って代わる

 美濃には四大道場と呼ばれる剣術道場が存在する。曲井、滝田、真影、明練館の四道場がそれであり、これらは美濃に古来から存立している老舗の剣術道場として、その名は国内に知れ渡っていた。

 そんな四大道場から選抜された剣士たちが一堂に会し、剣術試合を行うという年中行事がある。元来その行事は、秋の収穫を祝って行われる奉納試合として始まったと伝えられている。そのため、試合は道場ではなく野原で行われるお祭りのような大会となっていた。

 当の道場にとってもこの大会の意義は大きい。定期的な交流と他流試合を兼ねることで平素の道場間の抗争を抑え、他流の上位の技を体感することで剣術向上への刺激にもなる。そのような理由から、各道場にとっても、年に一度のこの試合の日は大切な日となっていた。


 さて、そんな剣術試合を間近に控えたある日のこと。当日には試合の会場となる広場に十名ほどの人が集まっていた。それは試合では勝負の判定を担う近所の神社の宮司、そして四つの道場からそれぞれの道場主と門下生の筆頭となる塾頭であった。彼ら代表者たちは毎年事前に会見し、行事の日時や段取りの共有を行うことが慣例となっているのだ。


 だが例年と異なり、この日参加している面々は、とある違和感を感じていた。どうも塾頭だけではなく、その他の人間をも連れてきている道場があるようなのだ。そんな会見の中、とうとう真影道場の道場主が堪えきれず疑問を切り出した。


「滝田さん、そちらのお二方とはどういったご関係ですかな?」


 そう尋ねられて驚いたのは滝田道場側である。彼らはてっきり、真影道場が人を多く連れて来ているのだと思っていたからである。


「え? 真影さんのお連れではないのですか?」


 では何者か、という視線が集中する中で、不審者の一人が口を開いた。


「挨拶が遅れましてどうもすみません。俺たちは遊好館という道場の者です。じつは今日は、皆様におたずねしたいことと、提案したいことがあって参上しました」


 不審者の正体はエンとユナだった。二人はまるで関係者であるかのように、しれっと会合に潜り込んでいたのだった。これには真影と呼ばれていた男が怒りを見せた。


「何だと、部外者が紛れ込んでおったというか。不届きな奴め、とっとと失せろ!」


 ここで他の全ての道場にも同じような反応に出られたなら取り付く島もないところだったが、幸いにもエンにとって望ましい反応を見せてくれる者があった。


「まぁまぁ。何か話があって、わざわざ来られた様子。聞いてみてもよいのでは?」


 道場主としては若い男だった。連れの塾頭と比べても、兄と紹介されても違和感がないくらいだ。その精悍な身体からは他の道場主のような貫禄は無いが、それを補う迫力のようなものは感じられる。恐らく相当に強い人なのだろう。そして男は周囲にも一目置かれているのだろう。真影も少し態度を変えた。


「ふん、酔狂な。まぁいい、手短に申せ」


「では、お言葉に甘えて。まず、この地で毎年行われます対抗試合は、もはや奉納試合という祭事の枠を越えて、美濃における剣術道場の頂上決戦とうたわれています」


 エンは対抗試合の意義を確認するように皆を見回してそう言うと、その通りだといいたげに道場主たちが黙ってうなずく。そんな反応を確認した上でエンは続ける。


「そこでおたずねしますが、この中で一番弱い道場はどちらでしょうか?」


「何だと?」


 エンのひと言から、場を剣呑な空気が包んだ。エンは構わず本題に入る。


「だって、美濃にはいくつも道場が存在していて、剣の道を志す者の全てが四大道場の門を叩くとは限りません。人により事情は様々でしょうが、才能ある者が野の道場にてくすぶっているのも事実です。そうすると、毎年あなた方が四道場だけで美濃一の強き道場を決するというのは、いささか不公平なのではないかと思いまして」


「我らは遠き過去より奉納を任される由緒ある道場ゆえ……」


 エンの問いに、滝田と呼ばれていた道場主が伝統を理由に正統性を主張しようとするが


「なるほど、大会への参加資格は由緒であって強さではないと」


 エンは徴発的な論法で揚げ足をとろうとする。しかしそこに、最初にエンの話に耳を傾けてくれた黒い道着の男が割って入った。


「我々の伝統的な行事を非難し、ここにいる全員を怒らせてしまうと、私にも止めきれません。ほどほどにせねば生きて帰れなくなりますよ」


 この男が相当に強いことは、その雰囲気からもうかがい知れる。そのような人に淡々と忠告されると、むしろ威圧というよりも薄ら寒いものを感じる。


「いやいや、貴方が強いのはこうして近くから拝見しているだけでもビリビリと感じ取れます。そんな貴方に喧嘩を売るような無謀なことはしませんよ。 ただ……」


「ただ?」


「それほど強くない道場も混ざってますよね。それで頂上決戦ってのは謳い文句に偽りありじゃないですか?」


「ほぅ、弱い道場とは?」


「曲井道場」


 エンが口にした具体的な道場名を聞いて微笑した黒衣の男をよそに、明らかに据わった目つきでエンを睨みつける者がいる。彼らが曲井道場の者で間違い無いだろう。


「言われてますよ、曲井さん」


「よくも愚弄したな! 四大道場に喧嘩を売るとは身の程知らずめが!」


「そう思うのなら、あなたの横にいるその塾頭と勝負しましょうよ。試合への出場を賭けてね。おたくの相手であれば、ウチはコイツで充分です」


 そういってユナの肩を引き寄せる。


「女子ではないか! 舐めおって!」


「さぁ、やりますか? やりませんか?」


「そのような勝負を皆が許すわけがなかろう!」


 自尊心に傷を付けるような言い方で勝負を取りつけようと誘導してみたのだが、なかなか相手もウンとは言わない。ところが、曲井道場への周囲の反応は意外なものだった。


「私はやっていいと思いますよ」


「な!? 滝田殿、何をいわれます」


「もう何年も曲井さんが勝てていないのは事実です。見ている人にそう思われたのなら、曲井道場自身に原因があるともいえる。ならば、そのような疑念は曲井さんの手で払拭してやればよろしいのではないですか?」


 四大道場の威厳が曲井道場のために揺らいだのであれば、曲井道場の実力をもって四大道場が四大道場であることを示せというのである。エンの発言は恐らく各道場の者たちを不快な気持ちにした。ただし、その不快の矛先は発言したエンよりも、原因を作った曲井道場に向けられた形だ。これでは曲井も引くに引けない。


「ぬぐぐ…… ハカマダ、相手をしてやれ」


 ── やった、掛かった


 エンは用意周到に持参していた練習試合用の摸擬刀をユナとハカマダに手渡した。場所も当日の試合会場となる広場。足もとの草は短く刈られて手入れされている。そこに曲井道場のハカマダと遊好館のユナが、摸擬刀を構えて向かい合った。


「その顔をぶちのめして、嫁に行けぬ体にしてやる」


 そんなハカマダの口汚い脅しなど全く聞こえていないかのように平然としたユナ。いや、むしろ突然巡ってきた他流試合に胸が躍っているのか、口もとに笑みさえたたえているユナの様子にハカマダの方が激昂した。

 ハカマダはユナに向かって猛進し、彼女の頭を狙って剣を振り下ろした。細やかさに欠ける怒りにまかせた大雑把な攻撃である。当然ユナはひらりとこれを避けた。空振りに終わったハカマダが踏ん張って足を止めて振り返ると、ユナの姿が無い。

 ユナを一瞬でも見失ったこの時点で、彼は勝利の可能性を喪失していた。ユナは既に身を低く、ハカマダの膝元にまで踏み込んでいる。


「なっ!?」


 ハカマダは敗北を悟った。それでも剣を振り下ろそうと決めた。先に胴を入れられて試合には負けようとも、そのままユナの頭に剣を振り落とし、ユナの顔を潰してやろうと考えたのだ。

 しかし、ユナの剣はハカマダの胴には入らなかった。重力に逆らって斬り上げられた剣は、ハカマダの脇の辺りに食い込んだのだ。


 ── ゴリッという聞き慣れない音がした。

 ハカマダの肋が折れた音だった。突然の激痛にハカマダは思わず剣を落とした。

「ぐうぅぅ……」と、呻きながら脇腹を押さえてその場にうずくまったハカマダの頭にちょこんと乗せるように、ユナはそっと摸擬刀を当てた。


「へぇ、凄いね」


 ユナの勝利が決まったとき、明練館塾頭のフクウラはそう呟いた。ハカマダが勝負よりも頭を狙ってきたとき、ユナはいち早くその気配を察して、胴打ちから脇の斬り上げへと技を切り換えた。その戦闘センスに感心したのだ。

 もっとも、同じように感心はしていてもユナをよく知るエンにかかれば、「やっぱ実戦で幾度も敵を斬り殺している技は違うね」となるのだが。


 なにはともあれ、美濃国内の強豪道場が集う剣術試合に今年は遊好館が参加できることが決定したのだった。



「なにぃぃ!? そ、それはまことなのか?」


 報告を受けて誰よりも驚いたのが、遊好館の館長のユデであった。ユデはエンの伊賀行きを知っている。それだけに、これがエンなりに恩返しのためにと動いたことであるのも分かる。それにしても、大それた置き土産を用意したものだ。


「はい。来週には現地で試合の運びとなりますので、ウチから試合に出る人をすぐに決めちゃいましょう」


 試合参加の権利を獲ってきたエンとユナ、そして塾頭のアゲハは絶対参加だ。残り二人の選手を決めねばならない。


「はい。じゃあ、試合に出てみたい人っている?」


 まさかの挙手制で、アゲハが参加者を募った。この時点で、現在道場に居ない人は落選である。

 道場を静寂が包む。しかし、手を挙げる者がいない。女子ばかりの道場で、武家勤めの女中が薙刀の手習いのために通っている者が多いためか、みな試合と聞いても積極性が無かった。

 エンは強い者が一人座っているはずの、道場の隅をジロリと見た。明らかに一瞬目が合ったマチコが視線を外してそっぽを向いた。


『くそっ、あいつ……』


 希望者を得られなかったことで、アゲハは塾頭の強権を発動、名指しで指名をする。


「イノとシカ、あんた達出なよ」


 すぐ傍で先ほどまでアゲハも一緒にお喋りをしていたイノとシカに声をかけた。買い物にでも誘うようなノリだ。


「そのあたりは私はお仕事があるから、遠出は無理よ」


 イノがあっさりと不参加を表明したが、シカは出場を承諾した。それでもまだ一人足りない。どうしても人がいなければ、道場主ユデの九姉妹から在宅の者を連れ出すしかない。


「あ、あの……」


 弱々しい声で手を上げている者がいる。


「どうしたの? トセ」


 エンが不在であった二年の間に入門していたトセという女子である。自分に自信が無いためか、それとも周りに気を遣う性格なのか、いつも声が小さい。さらに、背を丸めるように立つため地味でこじんまりした印象を持たれるようだが、じつは門下生の誰よりも身体が大きい。ここでは『門下生唯一の男子であるエンよりも』の注釈を付けたいところではあるが、残念ながら男子のエンよりも女子のアゲハあたりの方が背は高い。


「わたしが出てもいいのでしょうか……」


 控え目にそうたずねるトセにアゲハが近づくと、丸められたトセの背中をバシンと叩いた。衝撃で思わずトセが背筋を伸ばす。


 ── デカっ!?


 エンと同じくらいの高さだったトセの目線が一気に上がった。


「いいに決まってんでしょ!」


 アゲハが力強く、五人目の選手を決定した。

 その他に応援に来る都合がつく者は、一緒に現地に向かうことになった。もちろんついて行った者は控え選手として扱われるのだが。


 ひと通りの決め事が終わり、エンは道場の隅で腰を下ろした。そして、すぐに傍のマチコに絡んでゆく。


「マチさん、何で手を上げなかったのさ。冷たいねぇ」


「ウチは刀は使えないからね」


 マチコの専門は暗器。得意は剣術ではなく武術。剣術道場に長年在籍していることが奇跡ともいえる畑違いである。


「でもまぁ、皆の晴れ舞台だからね。一緒に行って見学するよ。何なら風上から、痺れるやつを流してあげようか?」


「やめろ、おい。道場の悪名が轟くだろ」


 冗談でもウンと言えば、本当にやりかねない。公衆の面前で三代道場を相手に正々堂々とぶつかることで、遊好館の名を知らしめる。それがエンの狙いなのだ。


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