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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第九章 【忍道】
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其の七 ヘッドハンティング

 里の北西の山。どのような自然現象をもってすれば、このように岩山の上に二つの大石が積み重なるような奇跡が起こるのかは分からないが、そんな自然の神秘に思いを馳せるほどエンは夢想家ではない。重なった大石の上に仰向けに寝転んで、ぼんやりと空を見上げていた。まだ寒さの残る季節だが、蓑を敷いて寝転べは石の冷たさは紛れた。

 つい先日まで、エンはお仕事のために丹波国まで出張していた。そこで明智家の丹波攻めに従軍していたのだ。当初濃武の里からは八名で出征に出た忍たちであったが、無事に里へと帰還できた者は五名だった。しかも、脱落した三名は敵の手にかかって落命したのではない。エン組とバジク組に別れた同じ里の忍が殺し合った結果であった。

 これについては生かして連れ帰ったタクの証言により、バジクの側が禁を破って同士討ちを仕掛けたことが明かされた。これによってバジクたちの殉職については、エン組にお咎めは無く済まされたのだった。


 そうして無事に仕事を終えても、エンの心は浮かない。今回の案件を通して、エンは濃武の里で忍のお仕事を続けることの困難を痛感したからだ。あまりにも障壁が多すぎると。

 第一に多人数での案件では、信頼の置ける者でその頭数を揃えることができない。その際にはそれ以外の者を加えることになるが、今回などはそれが結果として全く連携が取れず、挙げ句の果てに同士討ちとなってしまった。あんなことでは命が幾つあっても足りないし、そもそも自分に合わせた人選を行わせている時点で、労務局には迷惑をかけることになる。

 また、エンには仲間たちの立場も気になる。エンに協力を続けることで、彼らが里内で孤立してしまうのではないか。特にカンについては、出世の道を閉ざしてしまうのではないかと気を遣う。


『細々とやっていくしかないない……か』


 仲間に迷惑をかけるくらいなら、この先は単独での偵察任務などで細々と食いつないでいくしかないだろう。寂しく見上げた先では、晩冬の雲が薄青い空をゆっくり流れていた。



 季節の代わったある日のことだった。労務局からの使いの者がエンの部屋の戸を激しく叩いた。


「エン、いるか! 出てこい!」


 そういって、ドンドンと戸を叩く。


「おい、とうとう討ち入りかと思って焦っただろ。戸が壊れるからやめろ!」


「急いでエンを呼んでこいと言われたんだ。すぐに労務局へ向かってくれ」


 労務局が緊急で呼びつけるとは、珍しい事もあるものだ。それも忍として不人気なエンをご指名とは、余程いま忍が出払っているのだろう。


 エンが着のみ着のまま労務局へ入ると、受付の男が走り寄ってきた。これもまた珍しい。いつも無愛想だったこの男は、これまでエンからの問いかけに対しては常に最低限の単語のみで返答してきたものだ。それが向こうからエンに寄ってくるなど、初めての体験なのだ。男は言う。


「賓客だから、粗相の無いようにするんだぞ」


「賓客?」


 男はエンが事情を知っている前提で話しているようだが、エンは何も聞かされていない。男はさっさとエンを先導して歩き出した。


「なぁ、おっちゃん」


「うるさい、余計な口をきくな。黙ってついてこい」


 男はエンの話を聞こうとしなかった。だが、労務局が賓客などというくらいだから、近年であれば明智さまに匹敵するような大名からの案件が獲れたのかもしれない。


『どこか大きな客からの案件が舞い込んだものの、規模が大きくて忍が足らない、なんてところかな?』


 そんな予想を巡らせながら、エンは案内する男の後についていった。いつもの板張りの広間ではないようで、かつて踏み入ったことのない離れの建物へと案内される。


「エンが到着いたしました」


 そういって開かれた襖の奥は、畳張りの部屋だった。上座に見知らぬ男が座り、下座にタチバナ、オノといった局員。また、タチバナとオノの間に座するのは、エンもふだん会うことのない労務局の偉い人なのだろう。


「エン、話は聞いているか?」


「いえ、誰も教えてくれませんでしたので……」


「そうか」


 オノの確認にそう答えたエンを、タチバナは自分の隣に座らせた。タチバナは自分から説明を行う旨を周囲に伝えてから、エンに話した。


「こちらは伊賀から我が里へと来られた、服部家にお仕えされている方です」


 そう紹介され、服部の使者が静かに頭を下げてお辞儀した。


「これはどうもご丁寧に。以前、服部家には随分と優しくして頂いたことがあります。その節はありがとうございました」


 そういって、エンも丁寧に頭を下げた。伊賀国は忍が国を運営するような所で、その中でも服部家といえば代表的な忍家であり、この業界では超大手といえる。エンは思わず隣のタチバナに言う。


「ずいぶんと大手からの案件が来たんですね。良かったですね。呼ばれたってことは、俺もそのお仕事に入れてもらえるのかな?」


 そんなエンの浮かれた言葉にも、タチバナたち労務局員の表情はくずれない。


「エンさん、違うのです。実はいま、エンさんに移籍の話が来ているのです」


「へ? 移籍?」


「はい。服部さまは直接エンさんに移籍を持ちかけて引き抜くのではなく、筋を通して先にエンさんの所属する我々労務局へとお話を頂きました」


「ちょ…… ちょっと待って下さい。俺のような開店休業中のいち忍なんかを、なぜ服部家が誘ってくれるのですか?」


美味い話には何か毒も入っているのではないかと警戒するエンに服部の使者は丁寧に答える。


「我らも同じ服部の一門であるからの。シンゾウ殿の家の者から話は聞き及んでおる。神部殺しの一件じゃよ」


 なるほど、あの戦闘ではエンを格下とみて相手が油断してくれたことが大きかったとはいえ、神部屋敷で上忍と渡り合えた事実によって、どうやら服部家中ではエンの名が通っているらしい。合点のいったエンに対し、濃武の里の労務局員たちは話が飲み込めていない。


「何の話ですかな。よろしければお聞かせ願えませぬか?」


「ほう…… エン殿は話しておらぬのですな。隠す事情がおありか?」


 あれほどの手柄話をエンが自分の里で公表していないことを使者は意外に感じた。少なくとも労務局に伝えておけば、出世の助けにはなるはずなのだから。だが、これにはエンの事情があった。


「実は二年間お世話になっていた大和の労務局との約束でして。あの事件については、俺からは誰にも口外しないと。まぁ、使者さまが語られるのなら私には止められませんが、できればここだけの話としてください」


 遠い大和の里との約束を律義に守っていたエンに感心しつつ、使者は服部家がエンに目を付けた理由を労務局員に語って聞かせる。


「先頃まで伊賀では、神部のとある分家を少々厄介な上忍が治めておりましてな。その者の傍若無人な振る舞いには、伊賀の同胞とはいえ他家もいささか手を焼いていたのです。ところが、その者をエン殿が殺したのですよ。それも一対一で闘って」


「「「な、何と!?」」」


 労務局にとって耳を疑うような話だった。エンは濃武の里では猿級なのである。それが伊賀の上忍を倒したなど、にわかに信じがたい事実である。しかし、現に服部家はそれを理由にエンを迎え入れたいと、こうして使者を送ってきている。


「状況は分かっていただけたと思うが。どうだエン殿、これから私と一緒に伊賀へと来てもらえぬか?」


 つい先刻までは想像もしていなかった、エン自身の行く末をも左右する問いに回答を求められている。エンには正解を即答できる自信がない。


「とても有り難い話なのですが、今後に係わる重い話でもあります。一日で結構ですので、回答をお待ちいただくことはできませんか」


 使者はどうにもせっかちな性格であるようで、すぐにでも帰途につきたい様子だが、エンとしては一晩でも猶予が欲しい。ここは労務局にも協力させるべく、エンは局員たちに話を振る。


「ほら、伊賀の御方が来られているんですよ。局も接待して伊賀の話を聞かせていただいたり、交友を結ぶ好機じゃないですか」


 このエンの提案が労務局長の心に刺さった。タチバナとオノに挟まれて座っている中年の男が目を輝かせて、宿を提供するので是非とも里で宿泊するようにと使者へ願い出たのだった。


 使者の歓待は労務局に任せ、エンは労務局をあとにした。すでに日は傾き、夕暮れ時となっていた。労務局の裏手の通りには、今はすでに花を失った桜の並木と丸太の長椅子が並んでいる。エンは空いている椅子に腰を下ろした。

 それにしても唐突に降ってきた驚きの誘いだった。廃業寸前から業界大手への栄転。落ち着いて整理しないと頭が追いつかない。


 大手の忍組織が手がけるお仕事とはどのようなものかは、噂程度に聞いたことがある。例えば、大人数で編成された忍が軍の一翼を担って、侍どもと共に大名クラスが行う合戦に参加する。はたまた、敵味方両軍が多数の忍部隊を放った戦闘警戒区域に伏せて四六時中、牽制やぶつかり合いを繰り返して支配域の確保に務める。そういった精神と生命をすり減らすような任務が多いという。もちろん真偽は不明の噂であり、それが大手のお仕事の全てではないはずだが、そのような話を耳にするにつけてエンは、『大手は性に合わない。そもそも実力が伴わない』と考えてきた。そして、報酬の額にこだわらず、中小の里でのびのびと働くことが自分には合っていると思ってきた。

 しかし、濃武の里で忍のお仕事を続けていくことが困難な今となっては、エンに選びうる選択肢は多くはない。


 目をつむって想像してみる。それは、里のお仕事に依存せず、自給自足の生活を送る自分。そして、活動の基盤は主に道場に置き、武の道を進んでいる自分。


 ………… 無理がある。


 少なくともこの妄想を実現するためには、道場にて門下生を統率できるだけの指導力と強さが求められる。エンは先日、ユナの剣さばきを目の当たりにしたが、自分があれを越えられるとは到底思えない。指導力にしてもそうだ。これまで奇策を弄して戦い抜いてきたエンが、真っ当な剣術など指導できるとは思えない。


「やっぱ俺には忍の方が合っている」


 やはりこの結論しかなかった。そうと決まれば、あとはどう去るかだけを考えればよい。



 翌日、再び労務局の応接の間。昨日と同じ場所に昨日と同じ人が座っていた。

 果たして労務局は昨夜の接待で伊賀とのコネクションを作ることができたのだろうか。そんなことが少し気になるエンだったが、せっかちな服部の使者は座につくなり単刀直入にエンに昨日の返答を求めてきた。エンは爽やかな笑みをたたえて答える。


「ありがたいお誘いで、是非お受けしたいと思っています。ただ、一つだけ、私からの願いを聞いて頂きたいのです」


「ほう、それは?」


「俺の服部への移籍は、来年からとして頂きたいのです。美濃にはこれまで世話になった人々がおりますゆえ、ぜひ恩を返し義理を果たしてから伊賀へ参りたいのです」


 美濃を去ると決めたエンにとっての唯一の心残りは、遊好館についてであった。遊好館道場との出会いがエンに忍としての幅を広げてくれた。そしてここまで死なずに済んだ。だがエンは遊好館に対してまだ何も貢献ができていない。エンは年内にせめて何か一つでも、世話になった遊好館への恩を返してから去りたいと思ったのだ。

 殊勝なことをいう男なのだな、服部の使者は感心した様子でエンを見た。


「そうか、分かった。私の役目はお主の服部への移籍を実現することだ。来年になれば必ず当家へ来ると約束してくれるのなら、帰ってそのように伝えよう」


 ここに今、濃武の里で鬱屈とくすぶっていたエンに活路が開けたのだった。


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