其の五 スナイパー
エンとユナそして大助は、土手の上を草原方面へと向かった。サクの突撃によってせっかく追いついてくれた友軍を再び引き離して、敵本隊のいる方へと進んでゆく。すぐ横の土手の下は敵兵で満たされているだろう。
そのとき、ユナがエンと大助の衣服を掴んで止めた。
「敵がくる……」
ユナはとにかく敵を察知するのが早い。敵より先に相手を捕捉してくれるので先手を打てる。そんなユナが目で捉えたのか気配を感じたのか、確信を持ってそう告げるので、エンたちは一旦木の陰に身を隠した。
やって来たのは三人、軽く腰を曲げて歩いているのは明智方の忍や罠を警戒してのことだろう。普通に歩いているように見えつつも草や葉を踏む音が鳴っていないことから、彼らが敵方の忍であることが判った。ただし、いくら音を抑えたところで、すでに彼らは捕捉されているため、その歩行法にはもはや効果は無い。
三人の敵忍が幹の太いくぬぎの木を通り過ぎたとき、最も左を進んでいた敵忍の側頭部に飛来したクナイが突き立った。
ゴッ という硬いもの同士がぶつかったような音は大きく響き、音の方を向いた残る二人の忍の目の前で仲間が膝から崩れて倒れ込んだ。そして、地に伏してビクリと痙攣した仲間の人生最後の動きを見届けたその視界の中に仲間を殺したエンの姿もあった。二人がエンから目を離さぬまま武器を構え、戦闘態勢をとった瞬間だった。その背後から疾風のように踏み込んだユナが瞬く間に二人を斬ったのだ。
「えっ」「なっ」
エンは苦悶ではなく、不思議そうに死んでゆく者を初めて見た。それほどにユナの不意打ちは速く鋭かった。
「へぇ……」
二年見ていなかった間にさらに強さが増していたユナに感心するエン。そんなエンとは違った意味で大助もまた、少し興奮気味にユナを見つめているその目は、これまでのものとは変わっていた。
「よし、さっさと進もう」
そんなエンの声を聞いた大助は驚いて問うた。
「おい、待て待て。お主らこの者たちの首を獲らぬのか?」
「そんな重い物は邪魔になるんで要りません」
エンはそういって、さっさと先を急ごうとする。エンたち忍の契約は成功報酬なので、個々の討ち取り数は重要ではない。案件の成否、即ち此度の戦を明智が勝利し、その中で安田作兵衛を最後まで補佐し続けることが成功の条件なのである。しかし、大助の方は事情が異なる。彼ら侍は、討ち取って持ち帰った首の数が評価に直結するのだ。自分が討ち取ったわけではないので強くは主張できないが、敵の遺体を放置する勿体なさに後ろ髪を引かれながら大助はエンについていった。
エンは土手下を気にしながら進んでいたが、おもむろに遠筒を取り出して覗き込んだ。そして何かを探すようにそわそわと周囲を動きまわる。ユナと大助がキョトンと見守る前で、やがてエンは動きを止めると、そこに大助を手招きで呼び寄せた。
「もうすぐ敵の先陣の将がこの土手の下に差しかかります。そいつを射れますか?」
「将だと!?」
「見た目だけで判断するので、影武者だったりすると外れなんですけどね」
エンが大助を立たせたその場所は木の陰で薄暗い。土手下の隘路の方を向くと左に木があるため、左から右へと流れてゆく敵兵からは死角に入る。目の前には草葉の隙間があり快晴の下で進軍してきた敵兵が見えるが、明るい向こう側からこちらの存在は視認しにくいことだろう。まさに、狙撃にはうってつけの場所である。
今回、サクは守備側でありながら率先して変則的な突撃をしかけ、その横からエンが弓兵を使って敵前軍の後続に混乱を起こした。おそらくは、そのような自軍の騒ぎと混乱を聞きつければ、部隊の将は収拾のために位置を上げてくると読んでいた。エンの標的はその将なのだ。そして、将が前線へと急ぐ途中を狙うため、ここまで進入してきた。ただし、エン組の忍に遠隔で敵将を仕留める技能を持つ者はいない。そこで、弓の名手と紹介されていた大助を連れて来たのだ。
「どうです? やれますか?」
エンにそう尋ねられた大助。初めての大役に緊張を覚えたが、ここは悩むまでもなく、選択肢は『やる』しかない。
「分かった、任せよ」
「将の兜の額には半月の印があるので見れば判ります。そいつを仕留めてください」
弓に矢をつがえる大助。「念のために毒も付けておこう」エンは懐から取り出した小さな容れ物の線を抜くと、中の液体をトロリと大助の持つ矢尻に垂らした。
エンは草の陰から森道の様子をうかがい、大助の方に掌をかざしている。「まだ」という意味だ。狙撃位置に立つ大助は心を静めて待つ。実際の時間はどれくらいであったのか、少なくとも大助には一瞬に感じられる間を経たとき、エンの手が動いた。
大助は大きく弓を引く。そのまま射程に敵将が入ってくるのを待つ。今度は一瞬が長い。するとそこに周囲の兵とは異なり、飾りの配された甲冑を纏う武士が見えた。そして、額の半月を視界に捉えた。
大助は弓の角度を微調整すると、射撃の邪魔になる呼吸を止めた。
シュッ ──
大助の弓から離れた矢は、糸を引くように真っ直ぐ伸びてゆき、将の首当てを貫いた。
── !?
将が倒れたとき、彼の右手を歩いていた者たちには刺さった矢が見えていなかったため、将は躓いて転んだのかと思い、慌てた素振りは見せなかった。だが左側、とくに将の左後ろに付き従っていた者たちは、飛来した矢が将の首に突き立つのをはっきりと目撃したのだ。
「敵襲ぅ!!」
誰かが叫んだ。素早く駆け寄って将を助け起こそうとした者よりも、倒れた将の横に立ち、二の矢から守るために土手へ向いて両手を広げて盾となろうとした者が最も忠義の厚い臣なのかもしれない。
しかし彼らが見た土手の上には、もう大助の姿はなかった。手応えの余韻に浸ろうとする大助をエンが草むらに引き倒していたからだ。
「おい、何をする!」
不意に転ばされた大助が苛立ちをぶつける。敵将を射た彼としては、勝ち名乗りのひとつも挙げたいくらいだったのだ。
「とっとと逃げますよ!」
「馬鹿な!? 敵将の首がすぐそこにあるのだぞ」
「だから逃げるんです! すぐに血眼になった敵兵たちが土手を上ってくる。ここに留まると確実に死ねますよ」
「しかし……」
「大助さまの矢は間違いなく先陣の将の急所に当たりました。しかも矢には毒を塗ってある。サクには俺からも証言しますから」
エンの言っていることは理解できる。それでも諦めきれないといった表情の大助にエンは詰め寄る。
「敵軍の進行が止まって膠着すれば、実質我らの勝ちですよ。そうなればあなたが戦功第一なのに、敵の首に拘って傷を負ったり討ち取られたりしたら、サクにどれだけ怒られるか」
そう言われると、大助も反論できない。大助はエンたちと共に自陣へ向けて走った。頭の切り替えは速い男なのだろう、大助は先頭を走るユナをも追い抜く勢いで走っている。
大助の方も今日の一連の行動を経て、エンに対して思うところがあった。ひと言でいうと、エンを見直したのだ。功名心に囚われず、そつの無い行動をとる男だと感じた。そんなこの男を作兵衛は友と言い、エン、サク、と呼び合っている。
「のぉエン殿…… 作兵衛さまが『サク』なのに我が『大助さま』では少々おこがましく思う。じゃから作兵衛さまと同じように我とも砕けた話し方をしてもらえぬか」
初めて大助はエン殿と呼んだ。小数で共に戦うということは、仲間意識を築くのに効果的なのかもしれない。
「そうですか…… では、俺は『ダイ』と呼ぶので、ダイには『エン』と呼んでもらおう」
躊躇もなくいきなり大きく砕けてみせたエンに、苦笑いのダイであった。
今回で通算100話でした。
こういう節目で綺麗に物語をまとめれば格好が良いのでしょうけど、そんな起用ではない人間が書いております。皆様もうしばらくお付き合いください。