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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第一章 【潜入調査】
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其の拾 割の合わぬお仕事

 報告会を終えて労務局を出たエンは、両手を上げて「んん――」と伸びをした。解放感に包まれる瞬間だ。

 里の自宅に帰り着いたのは三日前の夜中だった。疲労のため倒れ込むように眠ったエンだったが、翌日にはもうトキに酒をおごらせたりと、里内を徘徊できるようになっていた。


 歩き始めたエンの視界の先、里の本通りを見覚えのある顔が横切ってゆくのが見えた。それがシノであるとすぐに判ったが、とくに声をかけようとは思わなかった。彼女が通り過ぎていくのをそのまま見送るエンだったが、シノの方もエンの姿に気が付いた。シノは笑顔でエンの方へと走り寄ってきた。


「ねぇねぇ、エン先輩」


「何だよ?」


 シノは相手が先輩だろうが物怖じしない。人懐っこい笑顔で話しかけてくる。


「先輩って、仲間の忍を囮にして、敵の軍隊をおびき寄せたって本当ですか?」


「するかっ! そんなこと。 誰だよ、そんなこと言ってんのは!」


「えぇー、違うんですかぁ? ここのところ例の二領地が滅ぼされた件が話題にのぼったら、だいたいセンパイの名が出るんですよ」


 乙村氏と丙谷氏が滅んだという情報は、すでに美濃国中を駆け巡っていた。弱小だったとはいえ、近隣の領国の勢力図が変わったという事実は、里の住人たちにもインパクトがあったようで、その影に濃武の里の忍の姿があったことは様々な憶測を呼んだ。

 ただ、そういった噂話に戸は立てられないものだとはいえ、エンとしては噂の伝わり方が気に入らない。昨日からというもの道を歩いていても、噂を元にしてエンに話しかけてくる者が増えたのだ。


「やぁエン君、領主を欺して軍勢を誘い出したらしいね。でもどうやって領主に接触したんだい?」


 ── おいおい、何の話だ……


「おぅエン、岐阜の殿様の軍を連れてきて三郡を滅ぼしたらしいな。スゲェことするな、お前」


『・・・・・・・・』

 そこまでできればもはや鼠級の所業ではない。そんなあらぬ噂まで享受するのであれば、噂に見合う虎級あたりに昇級させてもらえねば割が合わない。


 怪しい噂をネタに話しかけてくる連中の相手にもうんざりしたエンはシノと別れると、そのまま里の出口の方へと向かって歩きだした。


 エンはあの夜、丙谷軍を誘導してきたガクと戦場で会ったことは、労務局への報告でも話さなかった。何もやましいことがある訳ではない、ただ同じ組の仲間と殺し合いをしましたとは言いたくなかったのだ。

 エンが語らずとも、里は目付を通じて事実を知っているのかもしれないが、この事についてのエンへの追求はないだろう。よりにもよって里から依頼主の敵方へと内通者を出してしまい、作戦が筒抜けになっていた事は、里としては信用問題だからだ。しかし一方で、結果的にそれが丙谷氏と甲田氏の戦闘へとつながり、戦略目標を果たしたことにもなる。里としては高度な作戦の一環で、内通を使ったと苦しい言い訳をするしかないが、できれば表沙汰にはしたくないはずだ。

 丙谷側への潜入を担当した組の調査にて、ガクの死体は確認されていた。あの夜、甲田領での領民の動きに異常を察したガクは単独で偵察に出るも、夜間の戦闘に巻き込まれて死んだとされている。



 いつもの茶屋に客はいなかった。

 退屈そうに店先を眺めていたサヨだったが、ふらりと現れたエンの姿に気付くと、エンを送り出したあのときと同じ微笑みで迎えた。


「おかえりなさい。ひと回り大きくなって帰ってくるのかと思ったら…… あんた少しやつれたんじゃない?」


「サヨちゃん!」


「ただいま」くらい言うのかと思ったら、いきなり大声で名前を呼ばれたことで、サヨはビクッと肩をふるわせてしまった。


「な、なによ」


 そういって怪訝にエンをよく見てみると、その顔は出発前より少しやつれたようだったが、目にほんの少しだけ威圧感のようなものを感じた。何か今までにない体験をしてきたのだと察せられる。これまで多くの忍を見てきたサヨにとってはエンなどはまだまだ半人前なれど、これがわずかながらもエンに忍としての素養が備わってきたことを示すものなのであれば、喜ばしいことなのだろう。


「俺は今回、死ぬかと思ったんだよ!」


「は? …… そ、そうなの?」


「そう! めちゃくちゃ怖かったんだよ!」


「う、うん……」


 この謎の情緒での訴えかけるエンに、どう返事をすればよいのか分からないサヨは、うなずいて話を聞くくらいしかできない。


「サヨちゃん!」


「はい?」


 サヨを見るエンの目は、なぜが涙が溢れんばかりに潤んでいる。


 ──えぇー……


 あまりの温度の差にすっかり引いてしまっているサヨに構わず、エンは訴える。


「俺にもっと優しく…… 甘やかしてくれよ!」


 失笑ものの要求ではあるが、なるほど今回のお仕事はエンにとって、さぞかし緊張の連続だったのだろう。それがここまで心安まる人も場所もなく、安らぎを求めて自分の所までやってきた可愛げのある弟がそこにいることにサヨは気付いた。


「分かったわよ」


 サヨはいつの間にか自分と同じくらいの身長になったエンの肩を軽く抱き寄せ、頭を優しく撫でた。


「よしよし。いっぱい頑張ったね。もう大丈夫だからね」


 そしてこの日のエンの言動は、これ以降エンをからかうネタの一つとして、サヨのレパートリーに追加されたという。


第一章 ── 完 ──

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