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忍のお仕事  作者: やまもと蜜香
第一章 【潜入調査】
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其の一 忍のお仕事

 そよ風とたわむれるように草の先が揺れている。

 虚ろな視界に映るのは、陽の光に満たされた白い世界を背景にやさしく揺れるそんな草だけである。すっかり暖かくなった気候の中でこうして木陰でまどろむこと、これこそ生物としての至福なのではなかろうか。


「エン、どうだ?」


 至福を妨げる無粋な問いかけが、意識を現実へと引き戻す。


「……ああ、どうだったかな」


 とりあえず適当に曖昧な返事をしながら、エンと呼ばれた青年はゆっくりと体を起した。


「お前、いま寝てただろう」


「まさか」


 体格の良い男の追及にも、エンは取り合うことなく話を逸らす。


「その人、さっきから寝てましたよ。アタシ見てましたもん」


「おいお前、何を急に堂々とチクってくれとんじゃ」


 女の子のいきなりの口撃に、エンは少し声を荒げる。

 すると女の子はエンを避けるように、体格の良い男の方へと寄っていった。


「タイ先輩、あの人がああやって新人を威圧してくるんです。 アタシもう怖くて怖くて」


「あの人言うな、先輩だぞ。 だいたいお前、昨日までぜんぜん喋らなかったくせに、何で急に饒舌なんだよ。こっちが怖いわ」


「この二日間よく観察して、アタシはタイ先輩に取り入るって決めたんです。だからあなたの悪行もタイ先輩に報告したまでです」


「お前はアホなのか? 目の前の先輩を天秤にかけたことを堂々と宣言するって、正気か?」


 タイと呼ばれたがっしりとした体格の男は、二人のやり取りを黙って聞いていたが、ここで不思議そうに会話に割って入る。


「エンとシノは、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」


「おい、お前は目か耳が腐ってるのか」


 こんな調子で草の上に腰を下ろす男女三人は、決して遊んでいるわけではない。彼らは潜入調査というお仕事の最中なのである。


 彼らの職業は『しのび』。


 まさに今、草陰に忍んで道行く人々を見張っているのである。


「ほら、あと半日で終わりなんだから真面目にやれよ。まぁとりあえず交代だ」


 そう言うとタイは、先ほどまでエンがいた場所で大きな体をうつ伏せにして、草の向こうの街道を見張った。


「この陽気の中、一日中あてもなく通行人を見てるだけなんだぜ。タイはよく集中していられるな。身体の調子でも悪いのか?」


 エンは街道からは死角となる木の裏に回って座りこんだ。


「仕事だろうが! まじめにやってるこっちの方がおかしいように言うな」


 タイは街道から視線を外さずに叱った。


 今回のお仕事は、日中のみ三日間の潜伏調査である。指定された領地へと潜入し、その地の状況や領民たちの様子を観察してくることが主な目的となる。潜伏初日は旅人に扮して領内を見て回り、地形や防備、田畑の様子などを見て回った。そして、よそ者が毎日うろうろと徘徊していると不審なので、二日目以降はこのように身を隠して街道を往来する人々を観察しているのだ。

 日中の業務時間は酉の刻(十八時)まで。ただし今回は一刻(二時間)のサービス残業を課せられているため、業務終了は戌の刻(二十時)である。



 やがて、何も起こらないままに日は暮れた。闇につつまれた中でなお街道の監視をつづけている三人のお仕事は、すでに残業時間に入っている。残業といっても、やることに変わりはない。

 今夜は空を曇が覆っており、街道に月明かりは無い。とうぜん木や草に囲まれながら見張りを行っている彼らの周りはさらに暗い。


「真っ暗だし…… こんなとこ誰も通らねえよ。この残業って、要るのか?」


 エンはもはや、集中を切らせている。


「このご時世、里も付加価値を付けてサービスしていかないと、仕事の依頼もこないのだろう。比較的に安全で簡単な仕事だしさ、これで報酬をもらえるのなら楽なもんじゃないか」


 なだめるようなタイの答えだが、そのようなことは当然エンにも分かっている。これはあくまで暗闇の中で間を持たせるための会話なのだ。


「エンさんと違って、タイ先輩は真面目なんですね」


 エンと同じく集中の切れているシノが絡んでくる。暗闇でお互いの顔はよく見えないのだが、タイは苦笑の表情である。ここでエンが言い返す。


「あからさまに呼び方に差をつけるな。お前、勘違いしてるみたいだから教えとくけど、この組の組長って俺なんだからな。労務局への報告だって俺がするんだぞ」


「えっ……うそ!?」


 シノは心底驚いている。ほんとうに勘違いしていたようだ。落ち着いた言動、包み込むような体躯、仲間を引っ張るような主体性、てっきりタイが組長だと思っていた。そして、今日これまでの自分の言動を思い返したシノは、おどおどと話した。


「も…もしかしてエン先輩は、この成果の全く無い…仕事結果を……すべて、ア…アタシのせいにして、ほ…報告されるんですか?」


「お前、一度見下した相手への偏見がすごいな。お前のせいになんてするわけないだろうが。そもそもこの仕事は成果がないわけじゃない。何も無いことが分かったってのが成果なんだよ」


 この顔の見えない先輩が怒っていないことが伝わって、シノはホッと胸をなで下ろした。だが、ホッとして心が落ち着くと、また思ったことをすぐ口に出した。


「忍のお仕事って、ぬるいんですね」


 タイの苦笑いは止まらない。ここでもエンが話す。


「新人だからぬるい仕事を充てられたんだよ、それくらい気付け。とはいえ、経験の浅い鼠級の仕事ってのは、このテの調査のお仕事が多いんだけどな」


「こういう仕事なら、アタシでも続けていけそうです」


 志はなかなかに低いが、今のシノの素直な感想なのだろう。エンはシノの方を向いて言った。


「この仕事ももうすぐ終わりだから最後に言っとくと、シノは見た目で相手への評価を決めつけ過ぎる。これからも調査や偵察のお仕事をしていくのなら、むしろ見た目にだまされるな。今のお前だと、相手の中に変装した忍なんかが混ざっていたら、簡単にだまされるぜ。だからせめて、この俺がやり手の忍であることくらいは見抜いてだな、俺の方に媚を売るくらいにならないとな」


 最後のひと言が余計ではあるが、意外にもエンから先輩らしいアドバイスを受けたシノは、素直に聞き入った。そしてしおらしく返事をした。


「はい」


 時刻は戌の刻を告げた。

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