①
「え? 帰る?」
「うん」
1階に降りて3人でお茶とお菓子を食べ始めたところで、ルカが私に「アイちゃん、そろそろ1回帰ろうか」と言い出した。
いつになったら帰るんだろうと思ってはいたけれど、こんなにも急にその話になると少しばかり驚くものがある。
「あ、言っとくけど、一時的にだよ? 明日にはまた呼び出すから、ちゃんと来てね。って、アイちゃんは拒否の仕方もわからないとは思うけど」
少しだけその言い方にムッとなる。確かにわからなけど、その言い方はなんだか、私に拒否権がないことを強調してるみたいに聞こえて嫌だな。
私がそんなことを考えていることを知る由もないルカは、「テオ、あれ持ってきて」なんて言って何かを指示している。テオはそれを聞くとこくりと頷いて、トタトタと2階へ行ってしまった。
「では、アイちゃんに注意事項が幾つかあります。よく聞いてね」
「……わかった」
なんだかルカの思い通りに全てが回っているのが癪だけど、仕方がない。私はこの世界のことや魔法について知らない。
ちゃんと聞いておいた方が良いだろう。
ルカの話は、数十分にも及んだ。内容を全て軽くメモしたものを、後からルカはくれた。
テオは戻ってきたときには、小さな薄紫色の石を持っていた。『召喚座標石』と呼ばれるそれは、ルカがもう一度私を呼び戻すために必要らしい。ネックレスにしてもらったそれは、首にかけておくことにした。
「それじゃあアイちゃん、またね」
笑ったルカの顔は、なんだか哀愁漂うものだった。
全てにおいて現実味の感じられなかった私は、ただ「うん」と答えて手を振る。テオは振り返してくれた。
ルカの手が薄紫色に包まれる。
――そして次の瞬間には私は、異世界に行く前に自分が居た場所に戻っていた。
*
しん、と静まり返った空間。ピッピッという定期的に聞こえてくる機械音。衣擦れの音。本の重なる音。
それら全てが、私にとって日常の筈。……なのだけれど、少し、非日常にも思えた。
私が立っているのは、図書館の片隅。ファンタジー小説の本棚と歴史小説の本棚の間の狭い通路。特に周りに人はいなかったようで、突然私が現れるところを見てしまう人がいなかったのは幸いである。
深呼吸をして、その場所から移動する。元々荷物は図書館の中の勉強スペースに置いていた。そこへ戻ると、長時間放置していたにも関わらず荷物はきちんと置いてあった。
鞄を手に取り、足早にその場所を去る。歩きながら鞄の中から携帯を出して確認すると、時刻は17時をさしていた。
『元の世界に戻ったら、まず時間を確認してほしい』
『なんで?』
『時差があるかもしれないから。こっちの世界の時間の流れと、アイちゃんの世界の時間の流れに差があるかもしれないんだよ。例えば、こっちの世界での1日がアイちゃんの世界では2日ってこともある。もしその差が大きいようなら、今後呼び出すときに注意しなきゃだからね』
『ちなみにこの世界の時間は1日何時間なの?』
『24時間だよ』
『1時間は何分?』
『60分』
『1分は何秒?』
『60秒』
『……こういう時間の単位は一緒なんだ……』
『わかりやすくて良かったね!』
ちょっと前にしたルカとの会話を思い出す。あっちの世界を去るときに見せてもらった時計は16時45分だった。そうなると、この世界と異世界とで時差はないようだ。
下手すると浦島太郎になっていたかもしれないということに対する恐怖心が出る一方で、そういう事例があることを帰るぎりぎりになるまで明かさなかったルカに少々腹が立つ。が、今その怒りを向ける対象はなく。
私は足早に、久々のように感じる帰路についたのであった。