⑦
目の前にあるのは、先程お店で買ったお部屋のレイアウト。水色を基調としたシンプルなその部屋は、私の好きな色を参考にルカがお店で選んでくれたものである。
「もう入ってもいいよ」
そう言われて、私は恐る恐る部屋に足を踏み入れた。
入って右手には、先程はなかったクローゼットがあるし、窓には先程にはなかったカーテンがかけられている。部屋の中央には水色の丸いカーペットがあり、その上にローテーブルが置いてある。ローテブルの上にはお茶碗とお椀、箸、歯ブラシ。その目の前には壁沿いにテレビ台とテレビがあった。
部屋を買うときとは別で購入したベッドや箪笥もある。ベッドは左手奥、箪笥はその手前にあった。
おそるおそる右手にあったクローゼットを開けてみると、買った服が綺麗に収納されている。反対側の箪笥も開けると、下着類も入っていた。
現実世界で自分が過ごしている部屋よりも豪華で、やはりこれは夢なのではないかと疑いたくなる。
「旦那、これでよろしかったですかい?」
「うん、いつもありがとう。お代は前払いで送っておいた量で足りてる?」
「ばっちりですよ! しかも旦那はいつも粋の良いのを送ってくれるんでありがたいです! じゃあまたごひいきに!」
いつの間にか2足歩行に戻っていたトラは、ルカと一言二言交わすとまた薄紫色の光に包まれて消えていった。
「これ、どういうこと……?」
頭の中を埋め尽くす疑問を消化すべく問いかけると、ルカは笑う。
「トラにお店で買ったものを召喚してもらったんだよ」
「……いや、その一言じゃわかんないんだけど」
なんでそれだけで説明できた気になっているのか。
「えっと……まずあの猫は何?」
こっちからわからないことを聞いた方が早いかもしれない。そう思って聞くと、ルカは私の部屋に入ってきて中にあるものを物色しながら答える。
「トラは運び屋さんだよ」
「運び屋?」
「そう。この世界に幾つか支店を持っていて、そこに物を転送すると彼等の世界で預かってくれるんだ。で、その世界から僕達の世界に運び屋を召喚すると、運び屋が荷物をこっちの世界に戻してくれる」
「……ん? 今の説明で言うと、トラはこの世界の人、いや、猫じゃないってこと?」
「そりゃそうだよ。だって喋る猫なんておかしいじゃん」
……ルカにとって何がおかしくて何がおかしくないのかがわからない! 私にとってしてみたら貴方が魔法使ってることもおかしいわ!
そうまくし立ててしまいたくなる気持ちを飲み込む。当の本人は「そういえばアイちゃんの世界の猫は喋るの?」なんて聞いてくる始末。お互いにとっての常識が違うとこんなにコミュニケーションを取るのに苦労するのか、と頭を抱えたくなる。
「喋らないし、猫は普通4足歩行だよ。鳴き声はさっきトラが魔法使うときみたいなの」
「あ、それじゃあこの世界と一緒だ。面白いね」
楽しそうに笑うルカは、私と違って常識の違いと楽しむことができるらしい。私は、毎度の擦り合わせに苦労するんだけどな。
「まだ私あんまり運び屋についてわかってないんだけど、お代って何?」
話を戻す。ルカが前払いしたというお代とは何だったのか。お金?
「嗚呼、あれは魚だよ。新鮮な魚捕まえたら、なるべくその都度トラに送るようにしてるの。そしたら、急にこういう大がかりな転送が必要なとき便利だし」
「魚……」
猫が魚好きっていうのは、共通なのか。
「じゃあ整理すると、さっき私達が買ったものは1回ルカがこの世界のトラの支店に送って、それをトラがトラの世界に送って、ルカがさっきトラを召喚して、トラが品物を召喚してくれた。ってことで合ってる?」
「そうそう。合ってる合ってる」
ルカはにこにこ笑いながら、ローテーブルの前に座った。「お茶碗とかは1階に持って行っておくねー」なんて言いながら、割れていないのかチェックするように底を覗いている。
その様子を見ながら、1つ疑問が生まれる。
「なんでそんな面倒臭いことするの? ルカが一気にこの家まで物を転送しちゃった方が早いんじゃない?」
ルカの空間魔法とやらを使ってしまえば、トラを経由するだなんていう面倒なことをしなくても済んだだろうに。
「んー、それができないんだよね」
「なんで?」
「此処に来るときも、僕空間魔法使わなかったでしょ?」
言われて、思い出す。確かに森の入口までしか転送は使っていなかった。
確かそのときルカは、『ここから先は転送では移動できない』って言っていた気がする。
「この森にかけた魔法はね、外部からの侵入者を僕以外一切許さない仕様になってるんだ。だから、空間魔法でこの家に物を送ろうとしても、その魔法が弾いちゃうの」
「えー……」
なんて面倒なんだ。
「最初はその対象を人だけに絞ってたんだけど、そうしたら爆弾とか送り付けてくる人もいたから、これは人に限らず入ってこれないようにしないとなって」
「……」
けろっとしながら出てきた発言内容は私が思っていたよりも重いものだった。そんなの、命を狙われているようなものじゃないか。それなのに、なんでルカはこんなに平然としているんだ。
けれどそこに関して深く聞く勇気もない。私とルカの関係は、そんな深い所まで話すような関係ではないと思ったから。
「じゃあ、なんで召喚魔法では移動させることができたの?」
話を逸らすべく、新しく疑問を投げかける。ルカは気にした様子もなく答えた。
「空間魔法と召喚魔法は、物を移動させるときに使う道が違うから、って言えばいいかな。空間魔法はね、自分自身や自分の目の届く範囲にあるものを違う場所へ移動させることができるんだけど、それはこの世界の中に限られるんだよ」
「うん」
「で、召喚魔法は世界間での移動になる。同一世界での移動はできないんだけど、違う世界――例えばこの世界とトラの世界とか、この世界とアイちゃんの世界とか、そういう間での移動ができる魔法なんだ。あと、この召喚魔法は、異なる世界の誰を召喚するか、ということは選択できるけど、この世界のどこに召喚するかっていうのは僕の目の前に限られるの」
「うーん、うん」
「だから、召喚魔法という手段を使ってこの家に何かを移動させるためには、まずこの森に辿り着くことが前提条件となる。それなら空間魔法による侵入経路さえ塞いじゃえば良い話でしょ? だから、森に魔法をかけるとき、召喚魔法による移動は許可したんだ」
「うーん……そうなんだ」
わかったような、わからないような。情報量が多くてついていけてるのか自信がない。
「ちなみに、召喚魔法で呼び出したトラとかが、厄介な人を運んでくる可能性とかはないの?」
「可能性としては限りなく0に近いかな。依頼主の許可したもの以外を運んだりしたら、トラはトラのいる世界で罰せられるんだ。それに、彼等はこの運び屋の仕事に誇りを持っているしね」
そこは一応信頼関係が成り立っているらしい。不思議な世界と魔法の構造に、なんだかより一層ファンタジーっぽさが増した。
「さて、沢山話してたら疲れた! そろそろテオが下で待ちくたびれてると思うから、戻ろうか」
ルカはお茶碗類を持って立ち上がり、出口へと向かう。その後ろ姿を見ながら、ルカはその明るさからは想像もつかないけれど、いろんな複雑な事情を抱えているのかもしれない、なんてことを思った。