slash3.ブラッディ チャイルド
更新が大幅に遅れて申し訳ありません。
前回より、もう少し見ていて面白くしようと努力しました。成功しているかどうかは微妙ですが。
僕らは一応人間である以上、必然的に親が存在することになる。が、物心ついたときには既にいなかった。要するに僕らは孤児…捨て子だ。
まあ、名前は本当の親がつけて、施設に預ける際に一緒に残して行ったものらしいし、なにより児童養護施設に預けられたのだから,段ボール箱に入れられて橋の下に置かれるよりは大分ましな扱いと言えるだろう。
この地域は国の進めていた気象操作実験の対象区域として30年ほど前に選ばれ、当時は名誉ある扱いを受けたらしいが、実験はことごとく失敗。以後は異常気象のせいで一年中気温が低くなり、農業には向かず、人口も減った。国の経済状態が悪化してからは、政府は主要都市の保護に重点を置くようになり、ほとんどの地方都市は必要最低限かそれ以下の措置しか施されなくなり、衰退の一途をたどった。無論、この地域も例外ではなかったらしい。
治安も財政も悪化し、万人が満足に子供など育てられるはずがない。一人はまだどうにかなっても二人以上は…という家庭も多かったらしく、各地の施設は孤児であふれた。
僕も、そのうちの一人だったのだろう。だだ、親が誰で、どんな顔で、どんな心情で、なぜ僕を見捨てたのかは全く知らないので今もそれは憶測の域を出ないのだが。
泣き虫、わがまま、血の気が多い、と子供にも一応個性というものはあるが、集団でみるとどの子もあまり変わらないようにしか見えない。僕もそんな子供だった。
が、しかし、いた。子供の僕から見ても、明らかに集団の中にあっても他とは違うと断言できる強い個性の持ち主が。
一人は女の子だった。ぼさぼさの髪の下の、厳しく結ばれた眉根と利発そうな眼が強く印象に残っている。
ある日、一人のいじめっこの男の子が他の子を泣かした。まあ、当時としてはいつも見かける光景だったのだが、彼女は行動した。泣かした方の男の子に握りこぶしで駆け寄り、数度やり取りを交わした後、唐突に掴みかかった。所詮相手は女だ、と男の子は侮っていたのか対応が遅れ、鼻先に拳を叩きこまれた。遠くから見ても彼女が激しく怒っているのが見て取れた。その後はやり放題で、馬乗りになって滅茶苦茶に顔やら腹やらを打ちのめし、相手が泣き出しても全くやめる気配がないので保母さんが止めに入ったが、振り向きざまに見事な右フックを保母さんの顔に命中させ、僕を含めた周囲の子供たちの間に戦慄を走らせた。
ちなみに問題のいじめっ子の方は全治一週間ほどの軽傷を負い、助けられたことになる泣かされた子は彼女に以降心酔して言い寄っていたが、本心を彼女に伝えるたびにはたき落とされていた。
そしてもう一人は男の子。短く刈り込んだ坊主頭とぼんやりした一重まぶたの目、とそれほど外見は印象的ではなかったのだが、雰囲気、と呼べばいいのか、得意なそれが漂っていたように思えた。
彼はいつも一人か、多くても三人で本を読んだりパズルやゲームに興じていた。そこに時折突っかかってくる奴がいるのだが、彼はいつも全く気にする素振りを見せなかった。ある時、突っかかってきた子に彼は襟首を掴まれた。しかし彼は抵抗せずににやりと口元を歪めて相手に侮るような視線を向ける。興奮した相手が手を挙げても彼はされるがままにし、最後に一言「気が済んだ?」と聞き返していたのを見たことがる。相手はそれで萎えて彼にちょっかいを出さなくなった。
要するに、彼は大人だった。下手な成人より大人かもしれない、そうあの頃の僕は思っていた。
二人とも、それほど有害な人間ではないのだが、気弱な僕はどうも関わる勇気がなかった。
女の子の方は前述の通り、「ボーイッシュ」「男勝り」の一言で片づけるにはいささか荒すぎたし、男の子の方は逆に陰気で、大人びた雰囲気がどこか近寄りがたさを生み出していた。
それでは何故僕は彼等と同居しているのか。
僕らがいた施設には通称・「班分け」なる制度が設けられていた。それはその名の通り5,6歳あたりで施設に収容されている子供たちを3人一組の班に分けるというものだった。施設内ではこれでまとめられ、引き取られる時にもこの班ごとにまとめて引き取られる。そうでもしないとなかなか施設から子供が減らず、増え続けてパンクしかねなかったのだろう。結局は僕らの居た施設は3年ほど前に潰れてしまったらしいのだが。
月日が流れ、気がつけば僕にも班分けの時が来ていた。
実質上人生の伴侶となるのだから今から考えるととても深刻な問題だったのだろうが、子供の僕はそこまで考えが及ばず、楽しみに発表を待っていた記憶がある。
僕はその“人生の伴侶”を知った時にとても驚いた。なにしろそれまでで最も僕の記憶に残り、かつ最も近寄りがたかった二人だったのだ。
(名前は?)
大きな瞳で僕を見据えて女の子が始めに聞いた。
(かしわ)
僕は
(ヘンな名前)
坊主頭をかしげて男の子が言った。
女の子は右手を差し出して笑顔を見せた。
(よろしく。オレはリョウ)
(ありか、じゃないの?)
僕は頭をはたかれた。
(痛い…)
(その名前呼んだらこんどは蹴るからな)
残った男の子が最後に平然と名前を告げた。
(おれはしんと。まあ適当に呼んでよ)
二人との出会いは記憶に残るような劇的な出来事ではない、他愛もないものだったと思う。
二人と同じ班に分けられてからの日々は楽しい、というか騒々しいに近かった。リョウは事あるごとにかんしゃくを起こし、進斗はどうもリョウと馬が合わないらしく、しばしば衝突していた。進斗の周りに対する一種の挑発的な態度も相まって二人は度々トラブルを引き起こし、僕も巻き込まれる形で物理的・精神的に多数の被害を受けたが、それも2,3週間もすれば慣れて、いつのまにか自分の生活の一部となっていた気がする。
が、そんな生活もある日あっさりと終わった。
僕達の引き取り手がついたのだ。
その話を聞いてから数日後、僕たちの元に一組の若い夫婦が訪ねてきた。夫は角ばった顎に無精髭を生やした、無口でやせ形の男性で、妻は夫と不釣り合いにも見えるほど美人で、髪を肩まで伸ばした穏やかな顔つきの女性。
それが僕らの実質上の親、神前夫妻だった。だから僕の名前は「神前 柏」。進斗の名前は「神前進斗」。リョウの名前は「神前 有花」だ。
(大きな家)
(あなたたちの新しいお家よ)
(おばさん、あれが?)
小高い丘の中腹に、一組の夫婦と子供たちが立っている図が脳裏に浮かぶ。その目線の先には一軒家…と言うには不自然な、大きなガレージらしき建物が併設された木造住宅が建っている。
(お母さんって呼んでくれて構わないのよ?有花ちゃん…)
(おれのことはリョウって呼べよ)
(それより早く行こうよ、お母さん)
真っ先に、神前婦人もとい母さんを「お母さん」と呼んだのは、以外にも進斗だ。何故なのかは分からないが、まあ所詮偶然なのだろう。
(ほら、彼もこう言っていることだし)
そう控え目に言う神崎氏、もとい父さんは今でも僕の記憶に強く残っている。
父さんと母さんは整備工として生計を立てていた。仕事を終えた父さんからはいつも油の臭いが漂い、母さんはその都度鼻をつまんで、
(あなた、もう一寸綺麗に作業着使えないの?)
(仕方ないじゃないか。汚れちゃうんだから)
という会話を交わしていた。
当時僕はまだ幼い子供だったが車や飛行機、列車などには全くと言っていいほど興味がなく、テレビ画面に映る、砂ぼこりに浮かぶ巨大な人影。ずっしりとした柱のような足を踏み出す鉄の塊。空に舞い上がって彼方に飛び去る巨人。それらに僕は魅せられた。
要するに子供の頃からヴァレットが好きだった。
だから父さんの仕事は僕にとっては見てるだけで時間を充実させるもので、僕は暇さえあればヴァレットの膝元にかがむ父さんの姿を見ていた。
ある日、僕が整備場の扉を開くと、父さんは振り返って自嘲気味に言った。
(見ててそんなに楽しいか?)
僕はうなずいた。
(それなら教えてやろうか)
その日から二人でヴァレットの前にかがむようになった。
ちなみにこの頃、同時に父さんにヴァレットの操縦の仕方も習った。一度吐いたがなんとかまともに扱えるようになった。練習には父さんの持っていたブレードバーニア搭載型の機体を使ったのだが、これが何故か名前も何も思い出せない。
一応学校にも行った。意外に友達もそれなりに出来た。
相変わらず進斗は周りよりも大人びていた。一方のリョウは何故か僕らの中では勉強が一番出来た。
この頃だっただろうか。父さんは進斗とリョウにもヴァレットの整備や製作を教えようとしたのは。
リョウは僕ほど熱心ではなかったが、最低限のこと学んでいたようだった。
進斗はというと、あまり乗り気ではなかったらしく、丁重に父さんの誘いを断っていた。
(じゃあ進斗はコンピューターの使い方でも勉強しようか)
後で母さんが進斗にそう言った時、彼が心なしか嬉しそうに見えた…気がした。何しろ無表情な子供だったから。
それから数年経った、あれは今から三年前の冬頃だった。
時計の針が文字盤の左上を指す、昼ごろのことだ。ここから先は断片的にしか覚えていない。
緊迫した顔で僕らを連れていく母さん。
(ねえ、どうしたの?)
無言。
(母さん、何があったんだよ)
(いいから早く)
たどり着いた先は整備場。さらに奥へ僕らを連れていく母さん。
(ここでじっとしてて)
気がついたら僕らは狭い民生機のコックピットの中だった。
それからいくつもの音が聞こえた。何かのひしゃげる音、はじける音、誰かの悲鳴。そして――――――――――――
―――自分の心音。
周りが静けさに包まれた。僕らは外に出る。父さんのヴァレットがないことにリョウが気付いたが、そんなことは後で良かった。
一心不乱に走り、片っぱしから三人でドアを開けた。家があちこち傷ついていることなど気にも留めなかった。
そして、台所の当辺りだったろうか。
赤く染まった母さんの死体を見つけたのは。
それからはもう――――
僕は昨日島原さんに話したことを思い出していた。島原さんは僕らの生い立ちを聞くと、苦い顔をしてその後しばらく押し黙り何かを言おうとしていたが、結局は何も言わずにまた夕食にがっつき始めた。
思い直してみれば、父さんは僕らと母さんを見捨てて一人で逃げたのだろう。まあそんなことは今考えてももうどうしようもない。
目を開けるとカーテンの隙間から差し込む朝日の光が眩しい。しかしそれもどうでもいい。何しろ…
「おい、起きろ。早く起きろって!」
起きて早々髪を散々引っ張られているのだから…。
「ああー痛い。何も髪の毛引っ張ることないだろ」
「急ぎの用だからな」
そうそっけなく言うと彼女はドアを開けた。
中では欠伸をする進斗、居候し始めた島原さん…ともう一人、見知らぬ子供が椅子に腰かけていた。
「ん、ああ、おはよ柏」
進斗が気だるそうに挨拶する。
「おはよう。で、この子は?」
僕は島原さんと会話している子供に目を向けた。するとその子供もこちらに顔を向けた。長めの髪の下から大きな目が見え隠れする。一見女の子に見えるがよく見ると男の子らしい。
「姉ちゃん、この人?」
「ああ、でも姉ちゃんはやめてくれ。名前で頼むよ」
以外とリョウは子供に優しいが、譲れないところはしっかり主張する。
「え?僕がどうかしたの?」
何も知らずに厄介事に巻き込まれるのだけは御免なので一応話は聞く。
「まあ座りなさい」
島原さんに勧められるがまま僕は椅子に座り、リョウの話に耳を傾けた。
その男の子、「淺間 久志」君は、リョウの話では早朝6時ごろに突然ここを訪ねてきたらしい。既に起きていたリョウが玄関に出ると、
(昨日のお兄ちゃんは?)
玄関先で突然そう聞いたのでリョウは話を聞いてやることにしたという。
(姉ちゃん男勝りなのに胸おっきいね)
(…………………いいから早く)
(今のはちょっとふざけただけだからそんなに怒らないでよ)
余計な会話の後、久志君はリョウにゆっくりと事情を話し始めた。
彼の家は、両親、兄、姉と自分の5人家族で、この不況でも珍しいとりわけ貧乏な家庭らしい。もともと満足とは言いにくい生活を送っていたが、一家の大黒柱である父親が仕事をクビになり、最初はなんとか家族を養おうとしたものの、次第に絶望して家に引き籠り、周りには全くと言っていいほど無関心になってしまった。それからは家計が油に燃え広がる炎の如く悪化。母親が水商売までしたものの、借家の家賃が上がったせいで、それだけでは足りなくなり、仕方なく金融会社から生活費を借りた。が、しかし。後になってそこに騙され、高額の利子をつけられていたことを知るも、その時にはもう遅かった。借金は大きく膨れ上がり、不足分の取り立てに毎日…まあヤクザ屋さんらしき人たちが家に押しかけてきて、最初は居留守や母親が話し合ってなんとか追い返せた。しかし次第に嫌がらせがエスカレートし、挙句の果てにはヴァレットを持ち出して脅しをかけ始め、仕方なく相手の言われるがままに金を払うが、そんなことをしているうちに当然生活費も尽き、母親も限界に達した。そんなとき、何かいい方法がないかと外を出歩いていた彼が見たのが、墜落したヴァレットで軍用機を撃墜する僕だった。僕の戦いぶりに感心し、先述の強引な取り立てを僕にやめさせてもらおうとここに来た…。
「ってなんて子供だよ…僕らの顔を覚えてるどころか居場所までつきとめるとは…」
僕は久志君にある種の恐怖を感じた。
「通りかかった車に乗せてもらってあの残骸背負ったヴァレットを追いかけて、後は近くに住んでる人に話を聞いた。みんないい人で助かったよ」
彼が僕に淡々と語る。
「ところでカーチャンが水商売をしてるっていうのはどうやって――――」
「そんなことをわざわざ聞くな」
興味津津の進斗の言葉をリョウがぴしゃりと遮る。
「うむ、賢い子だな」
笑顔で感心する島原さん。まあ異様に行動力があるのは僕も認めるが。
それは置いておいて、リョウが僕を見て言った。
「というわけで柏、助けに行くぞ」
「はぁ!?」
「何を驚いとる。当然じゃろう」
振り返った僕をいかがわしく見つめる島原さん。
「爺さん、あんたも同感か」
「あたりまえじゃ。やっぱりリョウちゃんはわしの思ったとおり優しい子だ」
「ちゃん付けやめろ。しかしオレはあんたを見直したよ」
シンパシーを感じる二人を一瞥し、進斗が僕に言う。
「賛成2人、反対一人、保留一人で助けることは決定か」
「保留?」
「それは俺」
「…」
進斗のいい加減さに呆れる僕に、久志君が目を輝かせながら口を開いた。
「やった!頑張ってね、兄ちゃん!」
もしも彼が可愛げのある幼女なら…いや、そんなことはない。
「そう言われても困るんだ…僕は忙しいから…」
「昨日の輸送以外に仕事来てなかったよな?」
リョウが鋭くつっこんできた。
「そ、そう言われても話を聞く限り報酬もらえそうにないし…それでも助ける義理は…」
「馬鹿者。何を言う。まず自分を頼ってくれる隣人を助けることから、世界平和が現実のものとなっていくというのに…」
深い話をされても困るんですが…島原さん…。
一通り話してから島原さんは静かに言った。
「ま、どうしても嫌なら仕方がないだろう」
「爺さん、何言ってるんだ!?助けに行かないのか?」
全員の目が島原さんに向けられ、彼は自信たっぷりに口を開いた。
「安心しとくれ、わしが『大和』に乗る!」
「え?爺ちゃんが?」
まず、当の依頼者が全く安心していない時点でかなり不安だ。
外では風が吹き、機体の外装に当たって乾いた音を立てている。外はかなり寒いのだろう。
島原さんの肩越しに見えるモニターの外の風景はどこまでも灰色の住宅街だった。僕は本当はこんな所に来たくなかったのだが、一応仕事でもある。何しろ依頼人・久志君の話を聞けば、昨日届け損ねた荷物の輸送先は自宅の近くだと言うのだ。それならヤクザ屋さん退治は輸送のついでにやればいい。
仕事となれば話は別だ。報酬は僕ら義兄妹の生活費なので、僕だけ行かないわけにはいかない。
「えーと、連中が来るのは何時頃だったかの?」
『確か9時頃から10時頃だよ。爺ちゃん』
通信機から久志君の明るい声が聞こえる。
『今8時54分。もうすぐ来る。その時は頼んだぞ、爺さん』
続いてリョウの声が聞こえた。
「分かっとる。1分でけりをつけてくれるわ」
口元を綻ばせた島原さんの顔には自信のほどが伺える。僕はどうしても腑に落ちないことがあるので彼に聞いてみることにした。
「島原さん、なんで僕が一緒に?」
「発作がまた出たら困るだろう」
「薬は?」
「あれはたまに効かん」
「…」
一番気が進まなかったのになんで僕が保険に…それはともかく例の輩はもうすぐ現れるはずだ。目を離さない方がいい。
他の建物よりやや高いマンションの陰から再度久志君の自宅を監視する。壁の劣化が激しいのを除けばごく一般的な借家だ。
『来たかな』
進斗が唐突に言った。レーダーを見ると確かに接近中の二機のヴァレットが存在する。
『あれか…』
リョウが空に見える黒い影に気がついた。
二機のヴァレットが道路に乱暴に降りた、というより飛び降りたと言った方がいいか。
「よし、じゃあ島原さん。まずは牽制射撃―――」
そこまで言ったところで僕は重大なことに気がついた。
機体が高速移動し、敵が眼前に近づきつつあった。
「そこの連中、待たんか!」
外部スピーカーで大声を響かせる島原さんに、二機のヴァレットが向き直る。
やや華奢な胴体に乗っかった頭部には三つ目の光学センサー。手足はやや太い。確かあれは『TID34型 ベイオネット』だ。今まで何度も見たことがある。比較的高価な日本産民生機で、主に自警団や企業が運用して――
『なんだテメェ?』
僕の心の声を遮るように相手が外部スピーカーで怒鳴った。
「ワシは元日本自衛隊一等空佐、島原靖也だ!」
そんな大声でわざわざ名乗らなくても…。
『爺さん、下がってな。怪我する前に』
『言えてる言えてる。元とか……ハハハハハハハッ』
相手の機体が胸を反らして嘲笑うような動作を見せた。
「調子に乗りおって…よし、行くぞ!」
「え?あ?は…ちょっ――」
僕の気も知らずに島原さん操るエイナは相手に向かって猪突猛進する。
『なっ、なんだ?』
相手が肩をこわばらせた瞬間、エイナは拳を機体の顔面に叩きつけた。
バランスを崩した機体が道路に倒れて砂ぼこりを上げた。
「ちょちょちょちょ、何やってるんですか!?」
「まあ見とれ見とれ」
進斗達もこの光景を共有していたようだった。
『おいおい、爺さん』
『爺さん突然何を!?』
『凄い凄い。爺ちゃん頑張れ!』
「見とれ見とれ」
これぞ馬耳東風と言うのであろう。
『てめぇ、何しやがる!』
道路で寝ている相棒を見て、もう片方が声を荒げた。
しかし、エイナが突き立てた中指で相手を招くような動作をとった。
「何挑発してるんですか!」
「ふん、調子に乗っとる若造には丁度いいわい」
「ってま、前、前!敵機が!」
「む」
ベイオネットの複眼がすでに目と鼻の先まで迫っていた。このままじゃ―――避けろ――
僕が目をそむけた瞬間時、金属のぶつかり合い、ひしゃげる音が聞こえた。
エイナの膝蹴りで腹の駆動系を損傷した敵機がよろよろと道路に手をついた。
『な…』
リョウの感嘆…というより驚きの声が通信機から漏れる。
「小癪な!」
10数メートルほど先に、体勢を立て直して距離を取ったもう一機がヴァレット用ハンドガンを構えるのが見えた。が、エイナがブレードバーニアを起動する方が引き金を引くのよりも早かった。木霊する銃声が何故かスローモーションのように聞こえ、相手の発砲した弾丸がエイナの装甲をかすめた。気が付くと機体が宙に浮いていた。
エイナはそのまま相手のハンドガンを空中から叩き落とした。着地と同時にエイナはしゃがみ、隙を見せた相手の足首を掴んだ。
次の瞬間、バキリ、と何処か不快な音が響いた。ふと見ると相手の右足は本来想定されていない方向にエイナによってへし折られていた。
『柏』
「何?」
『………えーと、なんて言うか…言葉に、出来ない』
「僕も」
リョウの前では進斗と久志君が素直に感動しているようだった。
しかし、本当にこの人は凄い。戦闘技能そのものはまだまだ素人の僕の目から見ても確かに凄い。でも僕はこの人の凄さがそれだけではないと思った。
なにしろ、平和な住宅街が傷一つ無く目の前に広がっているのだから。
「もとはと言えばうちが悪いのに…それにこの子が迷惑かけたみたいで本当にすいません」
「いやいや、調子に乗っとるあの若造どもがいかんのじゃ。それにしても若いのぉ。今歳は幾つ?」
島原さんの質問に、淺間夫人は綺麗な顔で苦笑しながら「今年で…33です」と答えていた。「へえ、そうは見えんけどなぁ…」と島原さんが顔を若干ご婦人に近づける。
全く元気で人懐っこい爺さんだ…と思いつつも、こうして昼食を御馳走して貰って、今日の昼食代を浮かせてもらったのは全部彼のお陰なのだということを僕は思いだした。それに貯金や年金を僕らのためにも使ってくれることを承諾してくれたのだ。一角の敬意と感謝を表さねばならない。
「ところで離婚についてはかんがえとらんのか?和子ちゃん。なんならわしが面倒を見てやらんこともないが」
「え…あ、はあ…」
次第に調子に乗ってきた島原さんと彼に言い寄られて引き気味の淺間婦人こと和子ちゃんは、まるで血統書付の高級犬にガラス越しに血眼で求愛する野良犬のようで、見ていてかなり和む。これも一応利益だ。
そんなことを考えながら、僕は卵焼きを丁重に口に運んだ。懐かしい味だ。いや、もう少し塩加減は強かったか…。
貧しいのにの関わらず、感謝の心で料理を作った本人の正面で嫌な顔してしまったら、面倒なことになりかねない。だから僕はその辺で味を詮索するのをやめた。
それより早く聞いておかなければならないことがある。
「あの…」
淺間夫人がこちらを向いた。会話を僕に遮られた島原さんが不機嫌そうに口を開こうとしたのは無視した。
「あら、何?うちのことは心配しなくていいのよ。また頑張って働けばいいし。今日は娘が外で食べてくるって言ってたから…それにもう一人は酒以外は口にしないからもともと余ってたのよ」
「あ、いえ。そうじゃなくてこの辺で『佐原 玄』という人を知りませんか?その人に荷物を届けなきゃいけないんですけど…」
僕はそう言って、手元の箱をそっと撫でた。紛失したら困る。
依頼人からのメールには、「重要な物品につき、仮に遅れても出来るだけ確実に輸送願いたい」と書かれていたし、依頼人本人から荷物を受け取る時も念を押された。まあ住所は渡されていたのだが、念のために近所の人に確認しておいたほうがいいと思っていたのだ。その機会を与えれくれた点でも島原さんに感謝しなければならない。
一方、淺間夫人は大きめで二重まぶたの目を見開いた。
「あら、それってお義父さんじゃない」
「え?お父さん?」
「ええ、あの…飲んだくれ亭主のお父さんよ。頑固で偏屈な所があるんだけど顔が広くて信頼のあるとってもいい人。でもなんでお父さんはいい人なのに息子はあんな飲んだくれのフヌケなのかしら…!」
次第に淺間夫人の穏やかな表情が変化し始めた。微小から無表情、無表情からしかめっ面、目を伏せると、こめかみにおぞましい青筋が浮き上がってきた。ガラスの置物のようにしなやかだった白い手も、今では地獄の万力の如く強く握りしめられている。
その上、何かブツブツと低い声で独り言を言い始めた。断片的に聞き取れた内容から察するに、亭主への悪態のようだ…。
“駄目な亭主に黙ってただ付いていく、一途な妻”というのは所詮ドラマの中の話だった。そして、亭主への怒りと憎悪に燃える本物は洒落にならないくらい見ていて恐怖を覚えることを僕は今実感している。
なんと言おうか、全身から出ている府の感情がが大気を伝わってくるようで本当に恐ろしい。
右側のリョウに目くばせする。脂汗を滲ませ、見開いた目で僕に警告を発している。
左側の進斗の様子も見る。もともと色白の顔を真っ青に染め、目を細めて恐怖と戦っている。普段は多少のことでは動じないはずの進斗が怖がるのは経験上、危険信号だ。
延々と亭主を呪うご婦人の怒りを一刻も早く鎮めないと非常に危険な気がするが、今話しかけようものなら、機嫌が直らないどころか逆に悪化し、目の前の箸で相手の両眼ををえぐり取りそうな勢いだ。
受取人の住所をまだメモしていないのに、目を取られるわけにはいかない。
一方の久志君とその兄は、もう母の怒り…と言うより底のない憎悪には慣れっこなのか全く問題無く食事をしている。………危険性を十分理解しているためか、止める様子も全く無い。
久志君の兄、「淺間 哲司」君が僕らを見て、小声で「危ないですから…」と囁き、首を左右に振った。
超強力な爆弾を抱えたようなこの状況を、どう処理すればいいか三人でそれぞれ考えていた時だった。
「怒った顔も、可愛いのお…」
沈黙した部屋に、老人の声が響いた。彼はあっさりと爆弾にライターを近づけてしまった。
「でも笑った顔も捨てがたいな。やっぱり人妻には魅力が―――」
そこに油を注いで更にプロパンガスを持ってくるようなことを更に続けた。
―――――終わった。
―――
――
―
と思ったがそれは間違っていた。
「和子ちゃん?」
「え?あっ…失礼しました。恥ずかしいところを…」
「いやあ、いいよいいよ。怒るのは健康の証だからね!ハハハハハ」
いつの間にか淺間夫人の顔に微笑が戻っている。
島原靖也元・日本自衛隊一等空佐の無謀な作戦により、淺間夫人の感情の爆発は防がれたらしい。
「まあ、そう気を悪くしないで下さい。ちょっと最近お母さん疲れてるんで…」
淺間家長男にして淺間和子の第一子、淺間哲司君が歩きながらこちらを振り返った。
まあ怒りたくなる気持ちはある程度まで分かるのだが…。
「で、後どの位?」
リョウが特に気に留める様子もなく質問した。受取人の佐原氏の工房―――哲司君曰く「アトリエ」まで僕達は案内してもらっている。
「ああ、あそこですよ」
彼は道路の突き当たりを指さして答えた。進斗が怪訝そうに首をかしげた。
「あれが?」
「はい」
数メートル歩いてその「アトリエ」に近づいた。島原さんとリョウも言葉を発した。
「本当か?」
「いや、違うだろ」
そして僕は絶句する。
その目の前にあったのは―――――――――
―――高さ4メートル程度の薄汚いトタン張りの直方体だった。
「ま、まあ中に…」
哲司君がおもむろにそれから突き出したドアノブに手をかけた。実はドアがあったらしい。気がつかなかった。
しかし、その微妙な驚きは大きな畏怖と不安によってかき消されてしまい、もはや微塵も感じなかった。