二人の剣戟
剣が重なると、金属が擦れ合い、火花が音を立てて散る。何度も二人の剣は、交わっては離れ、交わっては離れ。そうなると必然、アンガスの手は痺れてくる。これは当然といえば当然なのだが、アンガスは剣戟の操者が剣を振るたび、すべてを剣で相殺もしくは受け流している。しかしアンガスは実力のある生徒たちに剣術で立ち向かえるほどの腕前なのだ。加えて予選でも本戦でも、相手の剣を自身の剣を使って避けたのはごく僅かだ。では何故アンガスは苦し紛れに剣で辛うじて避けるのか。例えば、剣戟の操者はアンガスに戦い方を教えていた。弟子というものは、早々師匠に勝てるものではない。さらに剣戟の操者がアンガスの剣術のすべてを教えたというのなら、剣術というのはいとも簡単に習得できてしまうものである。つまりアンガスの剣術はもとから秀でていたのである。剣戟の操者が施したものは、自信をつけるというもの。我々というものは、案外思い込みで労苦をものともしないものだ。すると師弟だからという理由は通らない、―――が、師弟になるほどの実力差があるのは明白だった。
二人が剣を打ち合えば打ち合うほど、アンガスは疲労する。剣戟の操者の顔色が変わらないのと同じように、彼の剣は衰えることを知らない。むしろ鋭くなっていると思うほどだ。
肩で息をするアンガスには所々に切り傷が。鋭刃がアンガスを襲う度に、掌中の剣は弾き飛ばされる。だが次の攻撃までにはアンガスの手に剣はひとりでに戻る。何度こけようが、何度膝をつかされようが、アンガスは剣を振るった。ふと剣戟の操者は攻撃を止め、アンガスとの距離をとる。
アンガスの集中はここで一度切れる。耐え切れずアンガスは地に剣を刺し、膝をついてそれに寄りかかる。今まで無言を保っていた口は突如として開かれた。
「一つ教えてやろう。本能のまま振るう剣など恐れるに足らず。戦いの中で考え、探し求める渇望者こそ本物だ。アンガス・シーカーよ、その名は飾りか?」
その返事は出来ない、それほどの疲労困憊。だというのに不思議と頭は爽快に回っていた。教えてやる、そう言われたがアンガスに向けたのか分からないほど曖昧な言い方。自身に言い聞かせているようにも聞こえなくもなかった。アンガスは分かっていた、彼が歩んできた道を、そして歩むだろう道も。だからこそ聞いてしまった、彼の正体を。
「では貴方は何なんなのですか!?」
「操者だよ、それ以上でもそれ以下でもない。―――それほど知りたいなら教えてやろう、剣戟の操者たる所以を!」
剣戟の操者はアンガスに向けて剣を投げつけた。アンガスは驚いたが、すぐさま剣で構え、投擲された剣を迎え撃つ。剣士が剣を手放すという暴挙に出ることをとやかく言えないアンガスだが、目の前にいる彼はそんな奇想天外なことはしないだろうと思い込んでいた。
頭を切り替えると、剣戟の操者は魔術を使った遠距離戦闘も有り得るわけである。彼はまだ魔術を使っていないのだから、剣士と決め付けるのは早計だった。しかしそれはアンガスがエリナとの戦いでした行為とまったく同じもの。圧倒的に違う点は、アンガスがその剣を払った後であった。剣戟の操者はただ立っていた。アンガスの接近に、何も反応もしなかった。アンガスは前だけを見て彼に向かって突き進む。障害は何もない、あるとしても源は目の前の敵。十分反応できると高をくくっていた。
ふとアンガスは思う、剣の転がる音がしないな、と。
「言っただろう、探し求めろ、と。予測し、予想し、予期しろ。探求とは、お前が思うよりも深い」
アンガスは後ろを振り返る。目に飛び込んできた現実は、剣戟の操者の剣による追撃だった。とっさに身体をひねる、辛うじて剣を受けとける。彼の手にあったときよりも軽い、アンガスは弾き返す。しかし彼の剣は、宙にゆらゆらと浮いてアンガスに攻撃を繰り返す。
まさに剣戟の操者の名に違わぬもの、剣を操るとは。さすが剣戟の操者の名に恥じぬもの、その剣戟は美しい。だが本人はただ立っているだけ、ただアンガスを見据えているだけ。だというのにどうしてこんなにも温かいのか、どうして敵を見守っているのか。何もかもを見逃さぬように、目をつぶらぬように、瞬きは最小限に。必死で剣を振るアンガスが、決して反れぬように。剣戟の操者は愚直にアンガスに向かい続けた。
アンガスはそろそろ浮遊する剣の相手に慣れてきた頃だ。それを確認すると、単純な作業は終わりを迎える。剣戟の操者が掌中に生成するは雷の矛。これだけ離れていても、その矛の鋭さはびりびりと痛いほど伝わってくる。アンガスを貫くのか、それとも裂くのか、脅威であり恐怖さえ覚える。しかし逃げることはしない、アンガスの掌中には雷球。次は魔術での戦いだ、その中でも宙に浮く剣は敵の撃退を止めない。
もったいぶっているのだろうか、アンガスはすでに準備は出来ているというのに剣戟の操者は様子を伺っている。それもつかの間、彼の矛は突然放られた。それに応えるようにアンガスも雷球を放る。いつものように、というかエリナとの戦いのように、矛は雷球をいとも容易く貫く。それだけでアンガスは安堵する、矛は勝手に避けてくれるはずだからだ。
「何故考えない?何故想わない?変化しない事柄などない。変化について行けぬ者は常に淘汰されてきた。お前も先を目指さぬ者の一人か?」
矛は曲がらない、アンガスを突き刺そうと意志を持っているようだ。アンガスの魔術の効果は絶対であったはず。この危機に瀕してやっと頭を働かせる。気を抜くと、余裕があると、アンガスの頭はすぐに怠けるのであった。彼は優しい、矛が貫くのは腹、しかも端のほうである。痛みはない、電気を帯びていたおかげで感覚が麻痺しているようだ。
「お前の魔術は、相手の魔術も同じタイプのものだった時、使い物にならない。お前の能力が万能なわけがないだろう」
ああ、また教えてくれた。彼はアンガスのことを熟知している。そして価値さえも余すところなく。
こうしてアンガスはある答えにたどり着く。それは必然といえば必然で、当然といえば当然だった。手がかりはあちらこちらに、ただ彼の主人には疑問が多々あった。アンガスは回答を求めた。
「剣戟の操者、貴方は自分をそう呼びましたね。だったら貴方は凄い人だ、二つ名まで持っている。じゃあ貴方の本当の名前は何なのですか?」
その問いに剣戟の操者は口を開かない。それどころか回答の義務を払拭すべく、攻撃の手を強めた。彼はようやく自身の手に剣を戻して、思い切り振るう。矛によって腹を穿たれたアンガスにそれを止める力も知恵もなかった。彼らの距離はまた縮まり、そして離れた。アンガスは地を転がりまた起きる、再度彼の正体の回答を求めた。いや彼の反応から確信を得た、今度は彼に確認をするだけだった。
「貴方は、―――――僕だったのですね」
彼は剣と矛を操る者、彼は剣を探求する者。彼は肯定しない、彼らは同じであって同じでない。彼は世界に操られる者、彼は道を探し求める者。彼らがまったく違うのは、過程そして終極。スタートした瞬間に、彼らは別々の方向に走り出したのであった。
「操者だよ、アンガス・シーカーなどではなく剣戟の操者だ。探求者になるべきだった者の末路をよく見ておけ。―――お前はアンガス・シーカーか?」
「僕はアンガス・シーカーだ!もう歩みを止めることはない!!」
気合を入れ、啖呵を切っても状況は変わらない。重傷を負うアンガスと無傷の剣戟の操者。加えて二人の実力の差も相当なものである。どうしようもならない問題がアンガスの目の前に壁として立ち塞がった。だとしても彼は探し求める、もう立ち止まることはしなかった。
また二人の剣は重なり始める。今度は剣術の競い合いだけではない、魔術も混ざり合う戦いになった。アンガスが避けなければならないものは剣だけではない。雷の矛も厄介なものである、一度突き刺されたこともあり、恐怖が生じる。だが臆しない、彼はこの状況を打破する策を模索する。少し打ち合っただけなのに、アンガスには相当長く感じた。それほどの密度で、徐々に体力が奪われるのではなく、もう限界を感じていた。
しかし二人の剣戟は響き合う、華麗で軽快な音は無垢なる宝を呼び寄せ引き寄せる。エリナもまたアンガスと同じように、何かを探して走り回っていた。それは彼の行動と変わりなく、強いて言うならば、彼との違いは彼より遅かった、それだけだった。
その理由は、単純明快。アンガスが三位決定戦に姿を現さなかったからである。エリナはアンガスとの戦いの後、軽く放心していたのだ。突然の理解出来ない出来事のせいである。アンガスはエリナに勝ちを譲ったのである。一時は、その勝者の余裕かそれともエリナへの同情かに、憤慨し嫉妬したが、それを表に出してしまうと勝者であるという権利を手放すことになる。欲というものは本当に凄いもので、虚構の名誉への良心の呵責も含めた後ろめたさをすべて押さえ込むのだった。しかしエリナは凄い後悔に苛まれる。まさに心ここにあらず、栄光など微塵も感じられなかった。
エリナの物語が進まなくても、トーナメントは着実に挑戦者を振るい落とす。亮とルイの戦いはエリナの目の前で行われているのだ。もちろんエリナの目はその外部の状況を捉えてはいなかった。覚醒しなかったことを考えると、彼らの戦いは少なくともアンガスとエリナの戦闘よりは静かだったようだ。
エリナのように魔術の多用しなかったのか、彼らは接近戦に重きを置いたのか。真実はまったく違うもので、その静寂は亮の魔術のものであった。未知なる能力への対応は、いくら三元帥の息子の一人でも難しかったようだ。彼の魔術の水球を、得意の槍をも奪われた状態で、まるで角を失った犀。ただ図体と態度のデカイ獲物であり、誰も優待せずただ態度のデカイ狩人の標的だった。完全に敵を仕留めた亮はルイに見向きをせずに闘技場を去る。
エリナを一瞥し、ため息をつく。どうせならアンガスが良かった、誰も特別視しない亮は彼のことは少し期待していた。アンガスと亮の魔術は似ている、見てくれだけの関係であるが。自身ではない誰かとの戦いと俯瞰することで今は我慢する、未来にある彼との対峙という楽しみに思いを馳せながら。
そしてルイからしてみれば、屈辱以外の何物でもなかった。我が敵の眼中に我なし、彼は初めての挫折の味を味わった。もちろんルイといえど、挫折を味わったことがないわけではない。だがここで述べた初めてとは、回数的な最初という意味ではない。程度での初めてだ、味わったことのないぐらい強い屈辱だったということだ。周りから見ればたいしたことのない、強者であってもたまには味わうもの、という軽い認識であるのは間違いない。彼が気にしているのは心の中、確かに亮はルイを眼に映していた。しかしただそれだけ、亮の意識とは別のところで目への刺激を脳が処理していただけ。亮がルイを相手にしてなかったのは戦う前から分かっていたことだ。それは慢心で、そう自身に言い聞かせて怒りを抑えて平常心を保ったルイは現実を知る。この黒い異物はルイを容易に濁らせる。純粋に純水な彼には抗うことさえ出来ず、静かな水面に投げられた石に波紋を広げられたのだった。その波紋が収まる前に、彼はもう一つの異物を相手取らなければいけないのだ。
ルイは気持ちを立て直す、見てくれだけは素晴らしい。エリナと良い勝負をした、むしろ優勢であったアンガスとかいう者との戦いだ。火の壁の中で何が起こったのか疑問である、あそこからエリナが勝つとは。とはいえ良かった、彼女だけでも決勝に行ってくれて。三元帥の家の者が上位を独占できないとは、本当に不甲斐ないことである。ルイはこの戦いだけは負けることは出来ないのだ。過去から受け継がれて、そして未来もきっと変わらないであろう、このパワーバランスを崩さないためにも。槍を取り、目的のために障害を穿とう。
決意を胸に顔を上げると、―――――立ちはだかったのは穴の開いた壁だった。アンガスは現れなかった、自然にルイは不戦勝で第三位という目的に達したのだった。あるものは呟く、ルイ・ハーネスに恐れをなして逃げたのだ、と。あのエリナに対して、あんなにも勇敢に戦ったものが、か。ルイはわかっていた、きっとこのトーナメントよりも大事なことがあるのだ、と。それが、ルイがアンガスに感じた誠実さを吟味して出した答えだった。
このトーナメントで勝ち残ったという名誉よりも大切なこと。ルイには思いつかない、そして思い違いをしていた。彼の誠実さは私利私欲を含んでいた、彼のものは愚直だった。心の赴くままに、気ままとは違う彼のまっすぐな探求は、時としてこんなことになるのか。気持ちの悪いほどの深く冷静な―――分析というにはあまりにも多い想像を含む―――推測とは裏腹に、煮えたぎるほどの怒り。落ちこぼれさえも自身は眼中にない、わかっている彼は落ちこぼれではないのだ。しかし自身の中でだけでも彼に少しでも多くの罵詈雑言を浴びせなければ自身を保っていられないのだ。それでもルイの矜持は彼を許さない、彼は仕方なく地面に力いっぱい魔術を放つのだった。
エリナはこうしてようやく覚醒する。何故トーナメントの進行が止まっているのか、それを確認すると彼女ははっと気付く。アンガスは決意を持ってステージを降りた、自身で幕を下ろしたのだ。それには確実に理由がある、だから彼女は思い出す、忘れたい汚点を。そして彼女は口にする、彼が呟いたこの言葉を。
「私も反則をしたわ。これはその罰―――いえ、贖罪よ」
エリナは駆ける、王座にかかった手を離して。アンガスと同じ道を歩もうとするのだった。亮のアンガスの所在の質問も無視して、忠告も無視して。アンガスに責任を取らせるために、エリナを勝たした責任を。エリナは駆ける、彼女の燃え滾る意志は誰にも消すことは出来なかった。彼女の後姿を見送った後、亮はこう言った。
「あらら、俺も不戦勝かよ。まったく、俺なんて眼中になかったみたいね」
物語は進み、世界は回る。誰かが変わろうと、誰かが変わらずとも、着実に改変し進行する。物語を改変させた付けはいずれまとめて。信頼で成り立つそれは、誰にであっても平等で公平だった。
彼らの剣戟は唸る、己が相手を圧するべく。彼らの剣戟は襲う、己が相手を屈させるべく。彼らの剣戟は吼える、己が力を知らしめるべく。彼らの剣戟は―――――。
何度力の差を見せ付けられようとも彼は圧倒されることはない。何度現実を見せ付けられようとも彼は屈服しない。何度権を弾かれようとも彼が否定されたわけではない。幾度なく繰り返された磁石のような行いはもう少しで終わりを迎える。
「この茶番ももう終わりにしよう。お前も分かっているはずだ、アンガス・シーカー。我々二人は両立しない。」
「そうだね、貴方には斥いてもらうよ。貴方と僕は同極だ。」
「ぬかせ。お前は平らだ、平等で平凡だ。耐えること出来ない。」
そして再度始まる剣劇。その開幕は予定通り、程よい緊張感で。それはもう剣戟と呼べるものではなく、荒れていて洗練されていた。アンガスの剣の威力は先ほどより上がっている。まだこんな力が残っていたのか、剣戟の操者は驚く。意表をつくほどでないにしろ、動揺を誘えた。しかし動揺するにあたわず、さすが華々しい戦歴を持つ者。この程度の事態はこれまでに何度も経験したことだった。だがアンガスが剣戟の操者の高みに近づきつつあることは間違いなかった。
アンガスは考える、何か一手足りない、と。近づきつつあるといっても、実力の差はあまり埋まってはいない。経験という最大の壁が、アンガスの行く手を阻む。―――――大丈夫、彼らは運命さえも引き寄せるのだから。
ここでアンガスは完全に相手に読まれる手を使う。彼は全力で突いてくる、体勢は低く剣も下段に構えている。剣戟の操者は落胆する、捨て身か、と。ここまで多くの譲歩をしてやっと対等な戦いが出来ているのだ。相手がその気なら仕方がない、全力を持って終止符を打とう。がら空きのアンガスの頭上から剣を振り下ろして終わりだ。彼らは剣を振るう、どちらも迷いは微塵もなかった。
「アンガス・シーカー!!!」
誰かが彼らを呼んだ。この声は凜として、幾度となくアンガス・シーカーを救ってきたものだった。だから今回も反応してしまった、驚いてしまった。何故彼女がここに、エリナ・テルフォードは決勝戦の真只中のはず。剣を振る手が止まる、操者はアドリブに対応出来なかった。しかし探求者は違った、ただ目下の目的のみを見ていた。
何も予想外なことはない、彼女の来訪は彼の最後の奥の手だった。ここまで効果があるとは、未来には彼女とのどんな行いがあるのだろうか。ああ、長かった。彼は彼を超えていく。
―――――アンガスの剣は剣戟の操者の身体を貫いた。剣戟の操者の口元には血が伝う。彼は、成る程、と頷く。
「探求者は見つけたわけか、絶対の実力差のある敵の倒し方を。操者には分からなかった勝利の女神の足音を。素晴らしい、僕も出来ることならそうしたかったよ」
唖然とするエリナを余所に、剣戟の操者は独白する。空を見上げ、手を伸ばす。すっかり夜になった空を、月と星が彩っていた。
「暗い、暗い、暗い─────。今、僕はどんな顔をしているのだろう。この暗愁に相応しい暗晦な表情だろうか」
彼はかつての自分のように、自身に問いかける。わからなかった答えを、探していた表情を。暗闇で求めていたものは、今ここで改変する。
「いや、そんなわけはない。だってこんなにも心地よい、―――ああ、闇夜を照らす月の光はこんなにもきれいだったのか」
彼の呟きなどエリナの耳に入っていない。エリナが動けないのには理由があった、アンガスが人を刺しているからである。青山との戦いのときのことを思い出す。理由なき殺人に驚愕しているのである。そんな彼女に気付いたのか、彼は声をかける。
「大丈夫だ、アンガス・シーカーは誰も殺してなんかいない。ところでこいつのことを頼む。どうやら気絶をしているようだ」
剣戟の操者はアンガスを押す。もたれかかっていただけのアンガスは、それで地に転がった。エリナはアンガスに駆け寄る。大丈夫、息をしている。それを確認すると、エリナは剣戟の操者に気にかける。エリナが顔を上げる前に剣戟の操者はこう言った。
「エリナ、いつもすまないな」
彼女の名前を呼んだ、そしていつもと言った。エリナの記憶にはない、彼という人のものも、いつもも。エリナが顔を上げる頃には、彼はもういなかった。どうしてだろう、なぜか少し懐かしく寂しかった。
僕はずっと見ていた、見ていることしか出来なかった。エリナがアンガスを探しに来たのは予想外だったが、結果として良い方に転がった。アンガスの方は、傷は多くあるものの大丈夫だろう、エリナもついている。それよりも心配なのは剣戟の操者の方だ。
彼は義理堅い人だ、このような状況でも僕の所に来てくれる。
「傷の方は大丈夫か?・・・そうは見えないな、すまない」
「何故謝る。感謝こそすれ、謝られることはされていない。・・・ありがとう、見逃してくれて。マスターの意志に反して、改変をしてしまった。これでは傀儡失格だ、すまない」
「気にすることはないよ。これは改善だ。きっとこれは運命なんだよ。アンガス、君は自身の人生を全うしただけ。それはだれにも咎められるものではない」
「マスター、貴方は僕をその名前で呼んでくれるのですね。―――ありがとう、これで僕も少しは救われた」
剣戟の操者は光り、足の方から消えていく。彼は僕の小説が作り出した幻想。役目を果たし、本来あるべき場所に戻っていくのだった。これが彼の終極、タイムリミットはすぐそこだ。なのに、彼は笑っていた、きっと悔いがあったことだろう、きっと心残りがあったことだろう。
道を違えた二人はもう出会うことはない。強いてわがままを言えるとしたら、彼の終極が見たかった。そして剣戟の操者は完全に消える。彼の残した光はかけがえのないものに。僕は空を仰ぐ、そしてこんな言葉が口からこぼれるのだった。
「本当に今夜の月はきれいだ―――」