学年別トーナメント~本戦〜
森にはまた静寂が戻る。その代わりに、闘技場には生徒たちが溢れかえる。あるものは傷だらけで、あるものは無傷で。そして知り合い同士で集まりだす。亮はすかさずアンガスを見つけ、声をかける。
「よっ、どうだった?」
軽くそう言ったが、アンガスを見ただけでわかった。彼は無傷、予選を突破したのだと。そして一人だと思っていたのに、彼はエリナと共にいた。それは知っていたが、まさかこんなにも仲が深くなっているとは。アンガスがあの他人を寄せ付けないエリナの隣に。その事実は亮以外の人も容易に驚かせた。
「なんとかね」
アンガスの口ぶりは苦労したようだった。それは確かに人間関係でしたようだが、戦いでは皆無だ。
彼は本当に控えめである。そして控えめなのは、今はエリナもそうだ。アンガスとは軽口を叩くほどになったが、亮にはそうはいかない。青山が言った二人目の自身より強いものだ。興味はあるが、亮の飄々とした様にエリナはあまり好感が持ていなのであろう。
そんなエリナは関係も無く、アンガスと亮は話を進める。他愛も無い、彼らにとっては楽しい話だ。しかしアンガスの頭からリリーのことが離れることは無かった。だからこそ彼は亮との会話を早々に切り上げた。この闘技場の隅にいるはずのリリーに会いに行くために。
エリナを連れて闇雲に、あても無く彼女の元に向かった。
「亮、じゃあ後で。エリナさん、行こう」
エリナの手をとり、ずんずん進むアンガスにエリナは疑問を感じていた。行こう、と彼は言ったが、どこに行くのかまるで検討も解かなかった。もちろん理由もわからない。エリナは仕方なく質問するのであった。
「ねぇ、どこに行くの?」
「決まっているよ、リリーさんのところだよ」
エリナは納得してしまった。エリナを連れて行くわけも、今行くわけも。全て一瞬で理解した。きっと彼女は、ドッティたちに絡まれているに違いない。アンガスならば放っておく訳が無かった。しかしこの生徒数である。簡単に見つけられるか、そう思っていた矢先、アンガスはいとも簡単に見つけてしまった。
やはりリリーはドッティたちに囲まれていた。三人どころではない、その倍はいる。しかし、アンガスとエリナにはそんなことは関係なかった。
「ドッティさん、いいかな?リリーさんに話があるんだけど」
そう言って、アンガスはエリナをおいて、ドッティたちの間に割り込む。ドッティは威圧的な態度で振り返るが、アンガスを見てしまったら、そうはいかなくなった。しかし、ドッティの取り巻きは違う。噂の落ちこぼれが、偉そうに彼女らの間を割ったのだ。
どうやら予選でチームを組んでいた二人は、この場にはいないようだ。ドッティに唆されたということだろうか。
そんなことはさておき、アンガスには罵声が飛ぶ。誹謗中傷はとどまることを知らないが、ドッティのみ顔を伏せている。
アンガスはそんなことお構いなしに、こう言った。
「いいよね、ドッティさん?」
ドッティは頷くと、すぐさまその場を去る。恐怖していたのだ、圧倒的な力の差に。
その一連の出来事が終わった頃、エリナはのろのろとアンガスの後を追った。そしてここにエリナ、アンガス、リリーの三人が揃ったのだった。
リリーは口を開かなかった。感謝の言葉も、悦喜の言葉もない。まるで予選が始まったときに戻ったみたいだった。
エリナはあまり乗り気ではないのだ。我関せず、そういう姿勢を貫いている。
そうであるから、そうでなくても、開口一番はアンガスの発言であった。
「リリーさん、大丈夫?」
アンガスは思いのほか分からず屋なようだ。エリナは呆れを通り越して、感心している。リリーが発するこの雰囲気の中でも、彼はめげることはない。
だからなのか、リリーはついに痺れを切らした。
「なんで私に構うの?同情で、私を助けたつもりにならないでよ」
どういうことだろう、これにはエリナも驚きだった。リリーはアンガスに感謝こそすれ、非難するのはいかがなものか。しかしアンガスは何も怯まなかった。
「そんなことないよ。ただリリーさんと仲良くなりたくて」
リリーは何度この言葉に騙されたことか。それはアンガスも同じである。だとしても、だからこそアンガスはこの言葉を使った。
彼ら彼女らと、いままでの自分と決別するために。そんなことはお節介、加えて伝わらない。
そう、リリーは素っ気無い返事をする。
「なら私を放っておいて。その方が幸せよ」
エリナは少し疑問を感じた。誰が幸せなのか、リリーは言わなかったからだ。彼女がアンガスを避ける理由は、その方があなたは幸せ、そういうことなのだろうか。
しかし伝わらない。
リリーのさっきの発言は捨て台詞となった。
アンガスは悲しそうな顔をしている、そう思っていた。決意、彼の凛々しい顔からはそれが感じられた。
「同情か・・・。確かに君と僕は同じ気持ちだったよ」
エリナにも聞こえないほど小さい声で。アンガスの真意はまだ見えない。
だとしても、休んではいられない。学年別トーナメントは本戦を迎える。後ろを見ずに、悔やまずに、進め進め。もう後ろに道は無く、後には引けない。
一晩休んで明日が本戦。それが学年別トーナメントの予定だ。やっとトーナメントという名前がしっくりくる戦いになる。教師といえども、組み合わせは明日にならなければわからない。
不安しかない、僕はそわそわしてしまう。予選ではまだ会わないはずのリリー、決して戦うはずのなかったドッティという大きな改変が起こった。何かすべきか、どうすべきか考えをめぐらす。
「ねぇ、少しは落ち着きなさいよ。見ているこっちまで気が休まらないわ」
そう桜に注意されてしまった。
ここは自宅で、もちろん剣戟の操者もいる。何故僕だけあせっているか疑問だが、彼も彼女も黙々と食事をしていた。食事中ぐらい、というのが桜の思いなのだろう。僕はそそくさと食事を終えた。
「明日はどうなるだろう」
皆が食事を終え、僕はやっと問うことが出来た。桜は答える気もなく、一人で後片付けをしている。剣戟の操者はそうしてやっと口を開く。
「彼に任せておけ。マスターは何も出来ないだろう」
いきなり核心をつかれた。そうなのだ、僕がいくら気を揉もうとも何も出来ない。嫌味に聞こえるのは、僕を遠ざけようとしているのだろう。しかしきっと剣戟の操者は僕が頼めば何でもする。それは命令になるだろうが、僕は無理強いできないのはわかっているのだろうか。
一言でそれ以上の発言を許されないようにされた僕は、とぼとぼとベッドに向かい、不貞寝した。
朝起きて、学校に行く。いつもと同じで、改変なく進んで欲しかった。そんな希望は容易く崩された。そう、トーナメント表を見ただけで。こんなに早くティーダと当たってしまうとは。一回戦で当たってしまうと、まだ実戦経験の浅いアンガスは苦労する。苦労では済まないかもしれない、最悪の事態も考えられる。改変が行われたことは火を見るより明らかだが、何故。考えるまでもなく、僕がマードック家の当主と出会ったからだ。本来とは違う道で、本来いない登場人物と共に。
ティーダは僕を良く思っていないのは明白だ。父親に頼んでさえ、排除出来なかった存在だ。今度はアンガスが標的か。彼の家柄なら学校への手回しも容易い。アンガスには最大限奥の手は温存しておけ、そうは言ったが、具合が悪い。
「使い所を間違えるなよ・・・」
そんな言葉が口から漏れた。
それと同時に足は人気の少ない場所に向かう。なんとしても剣戟の操者に伝えたいことがあったからだ。
彼はそんな僕の気持ちをいつも察する。そこにはもう彼が立っていた。
「いざという時はアンガスを助けてやってくれ」
何の前置きもなく、単刀直入に言う。彼の気持ちはわからない、しかしアンガスには勝ってもらわなければならない。いや、勝って欲しいのだ。
アンガスにも、剣戟の操者にも、それは必要なことだった。
「それは依頼か、それとも命令か?」
彼はそんなことを言う。
この二つはさして変わらない。僕からの依頼も命令も、剣戟の操者からすれば強制のようなものだ。だからこそ、僕はこう言おう。彼の意思で動けるように。
「どっちも違う。これは僕の願望だ」
彼は返事をしなかった。ただ僕をじっと見た後、どこかへ向かう。
僕は彼の決定に身を任せた。読者になりきれないまでも、見守ることにしよう。
×××
同じだ。僕が剣を持ち、彼は素手。彼の顔にはこう書いてある。ハンデとして素手で戦ってやる、と。
本戦に出られたこともそうだが、初戦にティーダ・マードックとあたるなんて。今回の学年別トーナメントは驚き続きだ。
怖い気持ちは前よりも増している。けど、不思議と負ける気はしない。武者震いだろうか、手が震えている。おもしろい、努力しても取り巻くものは変わらない。結果を見せなければ、意味がないということだ。僕は確かにエリナさんのおこぼれで本戦に出場しているかもしれない。しかし、そんな考えを否定する。
僕の口角がつり上がるのが良くわかる。止まらないし、止めるつもりもない。
さぁ、始まりだ。僕は一人じゃなく、先生がついている。そしてマネさんも。
「はじめ!」
開始の合図が出る。僕の頭は冴えている。敵にむやみに突っ込まない。彼の魔術の餌食だ。
しかし彼にはそんなことは大した問題ではないようだ。
土くれが彼の周りに浮かび、その数を徐々に増やしていく。そしてある一定の数になると、その増加は止まる。どうやら準備が整ったようだ。
「降参しろよ。今なら半殺しで勘弁してやる」
「嫌だ」
僕はただ一言で、彼の提案を拒否する。ティーダの眉間にしわが寄る。
「まさか勝てるなんて思ってないよな?」
ティーダは続ける。
「最近転校生とつるんでいるから、自分も強くなった気がしたか?馬鹿かよ!お前は今も落ちこぼれだ」
動じない、自信を持つ、自分の心を管理する。全てマネさんが教えてくれたことだ。
僕の目はゆるぎなくティーダを見つめる。それで何か伝わったようだ。
「そうか・・・。じゃあ勘違いの落ちこぼれ野郎はおとなしく地に這いつくばってな!」
その言葉を機に戦いが始まった。
ティーダの土球が僕を襲う。避けられない、そんな数だ。だからって諦めるなんてことはない。
僕は剣を振る。最小限の動きで自身に当たるもののみを切り落とす。剣は泥で汚れ、服はその残骸で汚れる。少しずつだが、僕の剣は重くなっていく。そして魔力を帯びる土球の重みは僕の腕に圧し掛かる。
しかし、―――。
「マネさんの剣の重みはこんな軽くなかった!!」
そう叫んだからか、身体が熱い。達成感に心が躍った。そう、すべてを防ぎきったのだ。
土煙から現れた僕の姿を見て、ティーダは驚いた顔をした。僕は立っていた、彼の魔術の攻撃を受けてもなお。
それは会場の皆も同じだった。予想もしない最弱の安静は、静寂を歓声に変えた。
勝てる、そう僕は確信していた。
×××
学年別トーナメント本戦は一回戦から会場を沸かせていた。
遠目から見つめることしかできない僕は、教師陣の席からは離れていた。彼らと共にいるのは少し息が詰まる。彼らの物腰は多少なりとも癪に障る。アンガスのことをまだ蔑んでいるからだ。
僕がいるのは一番後ろ。座って見ていることなど出来ないので、壁にもたれて立っていた。
しかしアンガスを見ているとそうゆったりもしていられなかった。
「まずいな」
それがティーダの土球を全て振り落としたアンガスを見た感想だった。
アンガスの顔が柄にもなく綻んでいる。
負け続けたものの性か。勝ちという餌の前で我慢できないのだ。お世辞にも自身の心を管理しているとはいえなかった。助言が出来る状況でもなく、教師として一生徒に肩入れするのも避けたい。今更何を言っているのかと、自分でも思うが。
ならば、剣戟の操者に頼むか。それはもってのほかである。彼には自身の判断で動いて欲しいからだ。時間がないのに、考えが思いつかない。
そんな中でも戦況は変化する。
「待て!」
アンガスにかけたそんな言葉も歓声に掻き消された。
僕は最前列まで階段を駆け下りる。生徒たちはそんな僕を見て、少しは驚きこそすれ、すぐに熱戦に視線が戻る。これ以上は近づけない、観客席の最前列で僕は足止めだ。
くそっ、そう悪態をつくも意味はない。
剣戟の操者が言ったことが不意に思い出される。マスターには何も出来ない、この言葉が僕の心に突き刺さった。少し違った気がしたが、さして意味は変わらない。
僕はもう一度静かに悪態をついた。
×××
ティーダの魔術はもう怖くない。
僕は駆け出す。さっきのように切り落としながら、近づき一太刀入れれば僕の勝ちだ。彼は僕の接近を阻むべく、土球を打ってくる。剣を振り、着々と近づいていく。あとすこし、もう少し。彼はもう目の前だった。僕は剣を振り上げる。
油断、という言葉が頭にちらついた。しかしそれはすぐに掻き消される。勝った、もうこれで終わりだからだが、これはまさしく油断に他ならなかった。
そう思った瞬間、彼の顔が目に入った。それは決して敗者の顔ではなく、よく見たことのあるものだった。
―――思い出した。いつも僕を虐めているときの顔だ。
それと同時に腹部には鈍痛が走った。身体が浮いて、後ろに引っ張られる。地面に擦れていた側の身体が痛む。しかしそれよりも腹部の痛みが僕を動けなく、喋れなくさせていた。
「いやー、惜しい!あと少しだった!」
そんな嫌味も耳には入ってこない。ティーダが近づいてきている気がする。そんな現状よりも疑問が頭をめぐる。しかし、息が上手くできない。考えがまとまらない―――。
そんなことを考えても負けは確定なのだろう。もうやめにしよう、何も変わらなかったのだ。何かは変わっていて欲しかったが、少しもそうではなかったのだ。
ティーダは僕を見下ろす。もう彼の足に手を伸ばせば届きそうだ。しかし武器がなければ、剣がなければ戦えない。ティーダを気にもせずに、上体を起こして周りを見渡す。どこにもない、剣がないとわかると僕は恐怖に苛まれる。何を頑張っていたのだろう。意識は闇に落ちる一歩手前だ。せめて安らかに負けよう。
上体は崩れ落ち、まぶたは石のように重い。重力と脱力によって目が閉じようとするのに抗えない。終わりだ、変わらずじまいだった。そんな考えは消え、目を閉じた。
が、しかし―――轟音が僕を覚醒させた。その轟音は僕の剣によるものだった。何処からともなく飛んできて、地に勢いよく突き刺さった。とても僕から近いところで、手を伸ばせば届く。
風圧が僕の顔を叩く。もちろんティーダも驚きから後退する。
僕の剣は有り得ない動きをした。僕の手から離れてからは、誰かの意思に従って。
考える必要もなく、あの方の意志に決まっていた。
ああ、そういうことか。
膝に手を当て、僕はふらふらと立ち上がる。彼らの応援を受けて、弱音になっていたとは情けない。僕は地に刺さった剣を取り、そして構える。
ティーダはもう体勢を立て直している。突然の進入者もとい進入物にも、もう気にしていない。これでも語弊があるが、不測の事態ということには変わりない。
さて仕切り直しだ。ティーダの周りには多数の土球が浮かび上がる。そして準備が整うと僕は手のひらを彼に向ける。
「おいおい、何だ?少し待ってほしいのか?それとも魔術でも使うのか?」
彼の質問には答えず、僕は手を下ろし、再度剣を構える。その態度が気に食わなかったのか、彼はこう言う。
「お前が何をしようが、さっきと結果は同じさ。巻き戻して、再生するだけだ。少し編集はするけどな。―――っ、なんだよ」
一瞬起きた静電気に気を取られ、彼の言葉は中断した。
しかしもう言葉は要らない。僕はティーダに向かってまた同じように駆け出した。
ここからはまさしく焼き増しだった。彼は僕の接近を阻むべく、土球を打ってくる。さっきよりさらに多い数を。それでも剣を振り、着々と近づいていく。あとすこし、もう少しで彼に剣が届く。そして僕は剣を振り上げた。
今度はしっかりと目に収めた。彼の土球が僕の意識の死角から僕を狙って飛んでくるのを。しかもさっきのように一つではない。何個も、僕が対応できないほどに。
ティーダの顔はまたもや負けることなど微塵も考えていない。そしてティーダは見逃さなかった、観客は見逃した。ティーダの土球が僕を撃てなかったことを。
僕は何の動作の変化もなく、彼に切りかかることが出来た。そしてティーダの首元に剣を当てる。
「これで僕の勝ちだ」
この言葉を皮切りに、観客は沸く。審判が決着の合図を出す。勝者はアンガス・シーカーだと、声高らかに宣言する。
ティーダの身体からは力が抜け、尻餅をつく。
「どうして、どうしてだ!何故俺の魔術が当たらなかった!?」
彼は疑問を僕に浴びせる。ティーダの計算は合っているはずだったのだろう。僕の成長など、色々な誤算はあったのだろうが、誤差の範囲だ。だけれども、それは僕だけを相手にしていたときの話だ。だから僕は知らないふりをする。
「ラッキーだったよ。君が外してくれて」
ティーダは決して弱くない。今回は僕の作戦勝ちだ。いや、僕たちの、か。
なんにせよ、彼には偶然を演出した。後のために取っておくために。先生にも気付かれないようにしたいが、それは無理だろう。そう、青山先生はなんでも知っているから。
×××
アンガスの快挙に亮は称賛の言葉をかけた。
亮の意外そうな発言を遠目から聞くエリナは、少し驚きつつも順当だと思っていた。
ティーダに少し後れを取ろうとも、実力はアンガスに軍配が上がる。アンガスの成長は凄まじい。これは成長ではあるが、実力発揮でもある。どちらの比重が大きいかは定かではないが。
そしてトーナメントは消化していく。半分は登り、もう半分は立ち止まる。
青山のクラスの大半の生徒たちは問題なく勝ち上がる。問題があろうとも、実力を疑われることはない。
だから亮もエリナも易々と初戦を通過する。彼彼女らだけではない、ルイもエリックも、そしてユーリアンも。
忘れてはいけない、予選では真価を見せなかったリリーも。
それだけでは終わらない。彼ら彼女らはどんどん上に進んでいく。日をまたごうとも快進撃は衰えることを知らない。
いくらほどの生徒と、アンガスは戦っただろうか。ティーダとの戦いほど苦戦することもなく、準決勝を迎える。
青山は改変による予定調和をアンガスに伝える。
「アンガス、準々決勝は不戦勝だ」
どうやらアンガスの相手になるはずだった生徒は、先の戦いで相打ちになったようだ。
本来ならティーダと戦うはずだった準々決勝。無茶な改変に打ち勝ったアンガスへのご褒美か。なんにせよ、アンガスには暫しの休息を。
そして興味の対象は次の試合へと移る。
残りは先に述べた七人のみ。
なんと悲しい運命だろうか。予選では仲間として戦った二人が相対するとは。だとしても、だからこそおもしろい。
エリナとリリーは、アンガスを挟まなければ会話も続かぬほどの関係だ。そんなことは関係なく、関係あるから対面したときエリナは口を開いた。
「あなたは何故そこに甘んじているのかしら?」
無駄のない会話、エリナらしい単刀直入なものの聞き方だった。少し曖昧な言い方をしているが、リリーには十分伝わった。
リリーは怒りをあらわにする。よほどエリナの言葉が気に障ったのか。今までこれ以上のぞんざいな扱いをされてきたに違いない彼女は、それに比べれば他愛もない質問に憤怒した。
それにはエリナも少々驚き、たじろいだ。まさかこんなことが彼女の地雷だったとは、と。
「あんたに何がわかるのよ!あのアンガスとかいう奴も同じよ!何故放っておいて、見逃してくれないの!?」
エリナは訳が分からなかった。見逃すとは、本来自身の悪い行いに対する言葉。ということは彼女が原因なのであろうか。エリナの思考は勝手にめぐり、無粋で無駄な因果を考える。想像とは恐ろしいもので、自分勝手に結果が出来てしまう。
今回もエリナは自分勝手に結論を出した。
「そう」
肯定でも、否定でもなく、エリナはリリーの叫びを流した。簡潔に、相槌一つで。
リリーにはこれが正解なのだ。放っておこう、そして見落とそう。
こうしてようやくエリナとリリーの戦いは始まった。
予選ではリリーのことなど気にしていなかった。アンガスのことばかり気にしていたからだ。エリナはそのことを今後悔していた。いやきっと彼女は予選では本気を出さなかったのだから、見逃したのを悔やむ必要はないのか。
なんにせよ、リリーの身体能力は並ではない。彼女の拙い剣術のおかげで、エリナは事なきを得ているが、状況は不利。
隙はあるのに、隙をなくす剣の振りの速さ。エリナは攻めあぐねていた。取るに足らない存在が、エリナの目の前に立ちふさがったのだ。
準々決勝まで来ているのだから、ほどほどには立ち回れるのかと思っていたら、思わぬ伏兵がいた。彼女は十分強い、しかもまだ余力を残していると感じた。
常人離れしたスピードに魅了された。エリナはただリリーの本気が見たかった。
「凄いわ。その人並み外れた戦闘能力は本当に素晴らしい」
その言葉でリリーは動きを止める。図星をつかれた驚きが手を止めさせる。
そして彼女も後悔する。一時の感情に身を任せて力を振るってしまった、と。そんな冷静な思考はすぐに遠い彼方に。リリーを止めたのは、驚きではなかったのだ。ただ単純なる怒り、そうこれは嵐の前の静けさである。
エリナもそれを感じ取った。これまでのことがお遊びにでも思えるほどのリリーからの圧力。気圧されずに剣を構えたのは、さすがなのかもしれない。
しかし、あろうことがリリーは剣を離したのだ。石と金属が当たり、乾いた音がする。エリナはリリーから目を離さなかった。
だからリリーが前傾姿勢をとり、手を地につけたのも見逃さなかった。それは一瞬で、獣のように前足と後ろ足で地を蹴った。次の瞬間、彼女はもう目の前に迫っていた。
辛うじてなのか、幸いなのか。リリーの渾身の一撃は、剣によってエリナに直接当たることは阻まれた。
だからといってエリナにダメージがないわけではない。エリナの華奢な身体は宙に浮き、後方に吹き飛んだ。もちろんリリーだって華奢なことには変わりないのに、力は桁違いだった。
エリナにとっては一瞬のことだった。気付くと仰向けで倒れていた。自身の剣はリリーの力に押され、エリナの額に傷を作っていた。正々堂々対峙して、エリナが血を流したのは、いつ以来だろうか。単純にリリーのことを認め、エリナは上体を起こした。
さっきまでエリナがいたところには、リリーが佇んでいる。しかし彼女はそこに立ってなどおらず、四足を地に着けていた。その姿は人間としては異形で、まさに獣の振る舞いだった。それは姿勢だけではなく、姿さえもそうだった。
リリーの頭には獣の耳があり、通常は顔の横にある耳はなく、臀部からは尻尾らしきものが生えていた。
それらはまさしく―――。
「あなた、獣人だったのね・・・」
―――そう、獣人だった。
半人半獣の雑種、それが獣人と呼ばれるものである。獣の穢れた血が、人間の中に流れているのだ。また人に似た容姿と格好だが、獣の力を有する。強靭な脚力や類まれなる動体視力がその身体に宿っているのだ。そんな稀有な存在を恐れ、蔑み、忌み嫌うのだ。
閑話休題、エリナの呟きにリリーは答えない。見ると聞くとは大違いで、エリナは答えなど要らなかった。噂程度の情報しかなく、それでも彼女はそうであると分かる。
それほどの存在感をリリーは放っていた。観客はざわめき、教師でさえうろたえる。どうしていいものかと、困り果てていた。
しかしエリナは彼女に感激していた。リリーは正しく強い、それだけで後のことは関係なかった。エリナは目を輝かせた、まるで新しい玩具を手に入れた子供のように。リリーが獣人だからということにエリナは関していなかった。エリナの目に映っているのは、ただ強い同年代に出会ったことだけだ。
彼女と戦いたい、エリナは立ち上がる。傍らに転がる剣を拾い、エリナは剣を構えると、不思議と口角が上がる。魔術は使わない、それがエリナの決意。圧倒的な不利な状況に、その状況だからこそエリナは高揚していた。
「さて続けましょうか」
エリナはこの戦いを早く再開したかった。
リリーはその言葉に目を丸くした。戦意を折るための渾身の一撃だったのに、エリナはまだ折れていなかった。それどころか、彼女はその行動に喜んだ。
リリーが二本の足で立つと、彼女の耳と尻尾は元に戻っていった。
そしてエリナはこの行動に目を丸くする。その彼女を見ていると、自然と笑いがこみ上げてくるのだった。
「あなたも馬鹿なのね」
そしてため息一つ。
予選で組んだ彼女らは、リリーは自身には勿体無いと思った。だとしたらなおさら、他のものよりも遠ざけるべきなのに。リリーは不覚にも、少し気を許してしまった。
獣人なのに、これは少なくとも彼女は関していなかった。そして彼もしないだろう。
リリーはエリナに背を向ける。
「私の負けよ。降参だわ」
エリナは何か言いたそうだったが、それは叶わず。事実リリーは、渾身の一撃でエリナを倒せなかった。なんとも潔い、強者たる敗者の姿だった。
エリナは不満ではあるが、リリーの行動は概ね正しい。
どよめく観衆の中、これ以上続けるのは得策ではない。ある生徒はこう呟く、獣人ごときが何を調子に乗っているのか、と。これを皮切りに、静寂から一転、リリーは四面楚歌になってしまった。
リリーは退場途中エリナの方を振り返る。これがあなたを馬鹿と言った理由である、そう言いたげな顔だった。そしてエリナにリリーが背を向けると、今度は振り返ることはなかった。
彼女を待つのは、きっと冷遇。今までよりもはっきりとした、加えて悪意に満ちた。彼女が獣人であるがために、片親が獣であるがために。何度も自身の境遇を呪った、その後諦めた。それは変えられるものではないので、仕方なく受け入れ、隠した。
なのに、自身が未熟だった。冷静さを欠いた、一時の感情に流された。獣人であるリリーの本当の姿を顕にしてしまったことを後悔していた。
そして、彼女を待っていたのは一人の青年だった。
「凄いよ!リリーさん、やっぱり強かったんだね!」
彼も彼女と同じだった。リリーを獣人と見ずに、実力者と見る。彼ら二人の精神はきっと健全なのだろう。リリーの身体が健全ならば、きっと二人に会えなかった。
彼女の後悔の念はアンガスと話しているとき、今だけは忘却していた。
獣人が姿を現し、その衝撃も冷めやらぬまま、彼らの戦いが始まる。因縁の対決とでもいうのだろうか、教師が言った通りになった。
実力確かな五大貴族と未知なる転校生。観衆の興味はすでに次のこの戦いに向いていた。噂によると彼らは二人とも魔術を使えるそうじゃないか。ならば魔術の打ち合いになることは必至。それを他生徒たちは希望し、羨望する。
彼ら――特にユーリアン――は、この瞬間を待ち焦がれたことだろう。彼のプライドを傷つけた新参者に、制裁を与えることが出来るのだから。
彼には自身こそ最上級だという自信がある。最強とは思わない、些細な謙虚さが実力の証か。しかしほんの少しの些細さだ。意味もなさぬほど、誰にも気付かぬほど。
彼らは睨み合い、始まった瞬間に同時に後ろに飛び下がった。
ユーリアンは電気を使う。彼の魔術は何も珍しくない。彼は魔力のこもった雷を生成し、操作し、形を変えるだけだ。何の変哲もない、電気を使うものならば、ほとんどのものが出来ることだ。
しかし、彼の強さは周知の事実である。何故、そう聞かれると答えに困るが、彼の矜持はこの事実によっても支えられている。
対する亮の魔術は、得体が知れない。ユーリアンの魔術をかき消したが、彼の魔術なのかも疑わしい。何も情報が無い、そう―――何も無いのである。
まず仕掛けたのは、ユーリアンの方だった。こんなときでさえ、彼の口は雄弁に彼の自信を語っていた。
「前は少し油断をしましたが、今回はそうはいきませんよ」
余程自身の魔術を止められたことが、気に障ったのだろう。最初から彼は自身を雷神と呼ぶ所以を使用する。
雷のように、鋭く、激しく、ユーリアンはその銘を叫ぶ。
「雷神たる我が双手には双槍を携え、我が敵を貫き給え!『雷神たる我が槍』!!」
ユーリアンがそれを言い放つと、亮に向かう雷球が二つ。その雷球はまるで槍先のように鋭くなり亮を襲う。しかしその槍はただ亮に一直線に向かうのみ。いとも簡単に亮はその双槍を避けた。
亮はため息をつく、名づけるほどの技か、と。もう勝敗を決してしまおう、そう思うほど亮は落胆していた。そして勘違いしていた、双槍の真骨頂はその連続的な攻撃にあったことを。
亮の目の前には次の槍が襲い掛かっていた。たまらず剣ではじく、すると亮の身体を守るものがなくなった。亮をもう一振りの槍が襲う。
ユーリアンの槍が亮を貫いた―――そうなるはずだった。槍が刺さっただろう所には、剣を持たぬもう一方の手が。ユーリアンの槍は、あの時と同じように消え去ったのだった。
「ふう、危ない。なかなかやるじゃないか」
亮はユーリアンを認めた。彼は口だけではない、自身が戦うにたる存在であることを。
ユーリアンは槍が止められることがわかっていたようだ。どちらも様子見だった、ここからが本番の始まりだった。
ユーリアンが放った技、『雷神たる我が槍』は、休みなく亮を襲う。時間が経てば経つほど、亮が槍を止めれば止めるほど、ユーリアンの槍は鋭さを増す。亮は手に携える剣によって槍を凌ぐが、段々と顔を歪める。現実の双槍であれば、二つともが同時に襲ってくることはありえない。しかしユーリアンの双槍は独立した雷。徐々にもう一方が亮を襲う間隔が狭まり、そして今、亮は完全に二本の槍に同時に貫かれようとしていた。
またしても。誰が見ても、剣で弾かなかった方の槍は、亮を貫くはずだった。その槍の道筋にあるのは、身体の傷ではなく、亮の手。ユーリアンの槍は、亮の手に当たる瞬間に消え去ったのだった。
ユーリアンは思い出した、そして思い直した。亮の何かしらで、ユーリアンの武器は消滅する。雷球然り、『雷神たる我が槍』然り。亮にはたった二つでは攻撃は通らないのだった。
この戦いで初めて見せた亮の真剣な顔。それだけでユーリアンは何を思っているか推測した。そしてそれは、ユーリアンを調子づかせるにはもってこいだった。
再度叫ぶ、今度はまた違った技を見せ付ける。
「この手に余る稲妻よ、その名の轟きで鉄槌を!『雷神たる我が鎚』!!」
亮の頭上には雷球の群が。雲のように、ただゆらゆらと浮いている。ユーリアンと亮を隔てるものはなくなった。だから敵を見据えるのではなく、亮は雷球を見上げる。何が起こるのだろう、上から落ちてくるのだろうか。未知なる攻撃に、亮の心は躍った。
あれらは鎚だ、ユーリアンの鎚。敵を上から押しつぶす、それは正しく天から落ちる雷だ。
「―――堕ちろ」
その言葉を皮切りに、亮に向かい雷が発生する。といってもそれは雷球であり、亮にとっては剣を使うまでもなかった。亮が華麗な足捌きで左右にユーリアンに向かうだけで、鎚は亮のいない場所を叩く。そしてがら空きのユーリアンの身体へと一太刀入れるべく、剣を振り上げる。そうして亮は、ユーリアンの罠にまんまとかかったのである。
「上を見る者には脚を、下を見る者には頭を、教え罰し刈り取れ。『雷神たる我が鎌』!!」
鎚を見上げ、それを見下ろした亮に、その鎌は罰だ。雷神たるユーリアンに油断した、そのことを教えるために。刈り取ろう、その薄く鋭利に――そう、まるで鎌のように――変化した雷球で。これで最後で、やっと彼は呟いた。
「素晴らしいほどに雷神だった。信仰したくなるのも頷ける。だけどな、俺には何も無い。―――そう、何も無いのだ。俺の世界には神さえも、い無い。」
そして彼の周りには何も無くなった。彼を罰する鎌も、彼を律する鎚も、そして彼を負かすはずであった罠も。
終わりは実に呆気ないもので、勝敗はいとも簡単に決してしまった。
ユーリアンは諦めなかった、諦めることが出来なかった。どれほどの差を見せられようとも、彼の心は折れなかった。いや、折れてはいない振りをした。
だから叫んだ、叫ばざるを得なかった。
「風に対、雨に類。日出づる最果てで、その御身、鳴らし響かせ!『雷神たる我が・・・』―――」
「やめろ、もう終わりだ」
剣先はユーリアンに向けられている。ユーリアンの負けは、周知の動かざる事実だった。
終わってみたらなんてことはない、達成感も何も無かった。・・・というのは詭弁であり、亮は楽しんでいた。久しぶりの好敵手に血が沸き立った。ここはそういう場所だ、必ず退屈はさせない。
また、この言葉で亮はユーリアンとの戦いを締めくくった。
三元帥の子息同士の対決となった、ルイ・ハーネス対エリック・ボートンは早々に決着した。槍を携えるルイに対し、エリックは素手で立ち向かったのだ。互いに魔術は使わず、接近戦のみ。巧みなルイの槍さばきを、軽い身のこなしで避けるエリック。だがリーチの差だろうか、軍配はルイに上がった。
彼らの実力は誰しもが知っている。しかし彼らの奥の手は、誰も知らないのだ。脳ある鷹は爪を隠すというように、彼らは大人数が見ている前で真価を発揮するわけにはいかなかった。それは友人である、今戦った彼に対しても。
今回は勝ちを譲ろう、本気を出せるそのときまで。
今日も無事に終わった。青山は安堵する、そして心配する。アンガスとティーダの戦いは、剣戟の操者によって修正された。次はそんな暇があるだろうか、相手はエリナである。
剣さばきはアンガスに分がある、したがって次も、いや次こそは本当の魔術勝負だ。剣一つでは対応できぬ、幻想の戦いになる。
それはきっと熱く、美しい。今まで皆が恋焦がれ、焦がされてきただろう。そしてこれからも、彼らのように。しかしアンガスはきっと退ける、自然で不自然に。
戦おう、明日は必ず二試合だ。しっかり見守ろう、これが君の生き様だ。
もう頂は見えている。だが彼はきっと立ち止まり、そして道を譲るだろう。力を手に入れ、上ばかり見ていた自分とは違う。自信を手放し、下ばかり見ていた自分とも違う。君はしっかり前を見ている、現実を見ている。
上を見る者には脚を、下を見る者には頭を、教え罰し刈り取れ。こう誰かが言った。もっと早く教えてほしかった、悲痛な景色を見てしまう前に。もっと早く罰してほしかった、後戻り出来ぬようになる前に。もっと早く刈り取ってほしかった、力を持たぬその前に―――。
彼は前を向いて剣を振る。虚構の銘にも、無価値の頂にも、踊らされることはない。
彼も見え無い世界に生きるもの。だけどそこでは、引かれ、離され、熱をもつ。そして暗闇を照らす光も―――きっとあるはずだ。
ああ、そうだったのか。彼彼女らは、本戦に出るべきして勝ち上がったのだ、と。
アンガスとエリナはこの日に入って、一度も言葉を交わしていなかった。それはアンガスの声かけに、エリナが一度も答えなかったからだ。
エリナは緊張しているのか、そんな訳はない。彼女はこういう場を踏んだことは一度や二度ではない。だとしても、今回は少し違うのかもしれない。
エリナとアンガスが対面しても、それが変わることがなかった。しかしアンガスはお構いなしに、こう呟く。
「何でだろう、高揚しているんだ。僕はまだまだ弱い、だけどエリナさんと戦えることがこの上なく幸せだよ」
エリナも同じだった、自身では何と言おうと彼は強い。アンガスと戦えることが、彼女にとっても有益なことであった。
きっと楽しいものになる、そう予感してならなかった。
始めは様子見だ、エリナはアンガスを見据えて魔術を放つ。エリナが放った火球はアンガスへ向かう。
負けじと、アンガスも雷球を放った。ユーリアンのものとは比べ物にならないものだった。それよりも彼は魔術を使えた、この事実に驚きだった。
さておき、二人の魔術の威力の差は、周りから見ても歴然だった。ちょうど二人の真ん中あたりだろうか、そこで双方の魔術は直撃した。やはりというか、当然というか、雷球は火球の威力を下げることさえも叶わなかった。
しかしアンガスは何を思ったのか、その場を動いていなかった。まさか勝てると思ったのだろうか。愚かしい、身の程を知らぬ落ちこぼれよ。ここまで登ってなお固定観念は塗り変わらない。
アンガスの目の前には火球。決した、たまたまの運もここまでだ。誰もが思った、―――ただ一部を除いては。
火球の着弾地からは爆音が。アンガスのいる場所ではなく、その後方で。皆が目を丸くする。無理もない、アンガスが避けたのではなく、火球の方が避けたのだから。
エリナは驚きに満ちた顔をする、そしてアンガスは喜びに満ちた顔をする。やってやった、もう隠す必要も残しておく必要もない。正真正銘、彼は全力で彼女に挑むのであった。
あれがティーダの魔術を退けたからくりか。彼は物を動かす魔術を使うようだ。雷球の方は特に問題はないが、もう一方は厄介だ。成る程、彼に魔術を使っても意味がない。接近戦をするしかない、剣術の巧みな彼と。・・・と、普通なら思うであろう。だが生憎にも、エリナは少し普通ではなかった。
「なら、これならどうかしら?」
そう言って、エリナは火球の量を増やす。アンガスはやっとエリナに声をかけられた。
一筋縄ではいかないエリナは相手にとって不足なし。さてここからだ、アンガスに多数の火球が襲う。要所では魔術を使って火球を退けるが、ほとんどは足と剣で火球の猛攻を避ける。そして結果は見るに堪えない、アンガスは満身創痍だった。
傷だらけでも彼の目はエリナを据えている。
エリナはぎょっとする、彼が相手に向ける目はこんなに脅威なのかと。アンガスが予選でエリナを助けた時とは、こんなにも大違いなのかと。
エリナの連撃が少し休止すると、アンガスは一息つく。流石三元帥の息女、ティーダとは少し具合が違う。身体を動かさずとも、火傷がひりひりと痛む。
「さて、次は僕の番だね」
そう言ってアンガスは切り替える、攻撃に転じる。剣を一振り火球を落とす、剣を二振り火球が反れる。そして剣を三振り、まだまだエリナには届かない。そんなことは関係ない、アンガスは剣を振り続ける。そして何度剣を振り、エリナの魔術を退けた頃だろうか。やっとだ、やっとエリナへ辿り着いた。アンガスはここぞとばかりに、エリナに剣技を披露する。エリナも掌中の剣を使うが、攻防一線である。アンガスの剣を捌くのに必死なエリナにはもう火球を作り出すことは出来なかった。剣術でエリナには勝ち目はなかった、それはわかっていたことだった。
誰かが言ったのだろうか、それとも空耳か。彼女の負けか、エリナの脳にその言葉が入ってきた。
「私は負けるわけにはいかない・・・っ!」
彼女は変わった、少なくともそう見える。だけれども彼女が負けられない理由は、根強く根深い問題。未来の三元帥という事実は、彼女の思いより重い枷なのだ。
アンガスが眉をひそめると、二人の剣は弾き合う。二人が仰け反っても、エリナは集中を切らさなかった。またアンガスを火球が襲う、エリナとの距離が十分開くと、エリナは火球を出すのを止めた。何かが起こる、エリナが何かをすることは誰でもわかる。それほど物々しい雰囲気だった。アンガスは特に気にしていなかったが、エリナは予選と同じように弓を携えていた。
背中の弓に手をかけ、アンガスははっと思い出す。彼女は弓を多用した、その方が剣を使っていたときよりも彼女も生き生きしていた。剣術よりも弓術の方が得意なのは火を見るより明らかであった。しまった、アンガスは引いてしまったことを後悔した。エリナに向かい、アンガスは走り出すが、時すでに遅し。エリナの魔術は完全に、そして完璧にアンガスの接近を阻んだ。
「我に仇なす者に侵入出来ざる障壁を!」
アンガスとエリナの間には、下から火の壁が現れた。その熱さにアンガスはたじろぎ、思わず距離をとる。それはエリナが安全で正確に矢を射ることの出来る距離があった。エリナの姿はアンガスからは火の壁に遮られて見えない。直線では無理ならば迂回すればよい、そんな簡単ことも出来なかった。アンガスが右へ行っても左へ行っても、エリナとの直線上には壁が出現した。一度足を止め、相手の出方を伺うとしよう。…というのは、あまり得策ではなかったようだ。アンガスが足を止めた瞬間、矢が頬を掠めた。何ということだろう、アンガスには攻撃手段はないというのにエリナには有効な手段がある。加えて出所がわからない、突然火の壁を越えてアンガスを射抜こうとする。見えざる敵からの攻撃は、存外厄介なものだった。
アンガスは壁に意識を集中する。矢は忽然と姿を現し、アンガスはそれを剣で弾く。足を止めているのは、具合が悪いので動かすが、矢を受けてしまうのは時間の問題だ。負けてしまう、そのことはアンガスの身をこわばらせた。すると必然、エリナはそんな隙を見逃さなかった。辛うじて致命傷にならず、矢はアンガスの左肩に突き刺さる。そして痛みに顔を歪め、声が漏れた。
「・・・くそっ!流石はエリナさんだね」
その技術を、その才能を、アンガスは称える。
左肩の傷は、違和感はあるものの、もう痛みはない。違和感どころではなかった、もうこの戦いではアンガスの左腕はもう使えない。アンガスの士気は高揚し、この状況に興奮している。片腕の使えないことを不利とは考えず、この逆境こそアンガスの戦う糧になっていた。
アンガスは再度剣を構え直す。これは一種の切り替えであろう、剣を構えることにさほど意味などないのだから。次にアンガスは走った、今度は意志を持っているようだった。アンガスがエリナの周りを回ると、もちろん火の手は回る。ついに火の壁はエリナを覆いつくした。
そしてエリナは気付く、アンガスはエリナの周りを回れたのである。失策だった、エリナは闘技場の端を陣取ってはいなかった。あろうことか、気がついたら中心に立っていたのだった。攻撃方向が特定できない、弓を武器にする者としては有り得ないミスだ。こうしてアンガスは立ち止まる、鋭い目付きで火の壁を、障害を見据えた。エリナはアンガスの突然の行動に身構えた。
そう、身構えてしまったのだ、その必要はなかったのに。彼女はその隙をつくべきで、そこで矢を放つべきだった。アンガスが決心する前に。
「さあ、終わりにしよう。これこそが僕だったんだね」
アンガスは戦いの最中でさえ、上を探し求めた。結果ではない、過程こそが一番重要な事柄だった。
彼は答えに出会う、それが答えだった。戦いはもう終盤で、極めて終わりは近かった。
エリナの目の前には剣が。アンガスが自身の剣を火の壁に向かって投げたのだ。彼の剣は易々と障害を越えていった。エリナは素早く矢を放つ、そうするだけで力なき剣は地へ落ちる。
疑問に思う、唯一の武器を何故手放したのか。その問いの答えを出す暇は与えぬ。剣に続き、アンガスさえも火の壁の内部に侵入してきたのだ。彼の皮膚は少し焦げ付いているところがある。そんな無理をしてきたのだ、エリナも驚きを隠せない。
それを余所にアンガスはエリナに向かい走り出す。何を血迷ったのか、アンガスは何も持たずに行く。エリナは気持ちを立て直す、そして矢を放った。それに応えるように、アンガスは雷球を。またも弱々しい雷球は消滅する。しかしアンガスは止まることはない、そしてそれを矢が妨げることはない。そうしてようやく、エリナはアンガスを追撃すべく、剣に持ち替えるのだった。
エリナは丸腰の敵に剣を振り上げた。アンガスは右腕を伸ばす、自身の剣が転がっているほうに向けて。彼女が振り下ろした剣は空を切った。
彼はもう隣にいて、右腕を振るう。横目で見る彼の右手には、確かに剣が握られていた。
こうしてアンガスとエリナの戦いは終わりを告げた。
火の壁はようやく観客が二人を見ることを許した。火が根元から消え去るのと同時に、アンガスも地に崩れ落ちたのだった。
エリナの傍らには尻餅を付くアンガス。そして彼はこう申告するのである。
「参りました」
それは静まった場内に響き渡る。華麗な戦いを見せた二人に歓声が沸く。
脱力していたエリナはその発言に驚いていた。勝ちを譲られたのだ、それを知覚してやっと怒りがこみ上げる。声を大にして言いたかった、馬鹿にするな、と。ひれ伏させてやりたかった、舐めるな、と。皆に分からせてやりたかった、自身が敗者だ、と。けれど出来ない、負けるわけにはいかなかった。後ろめたさとは裏腹に、欲はその気持ちを停止させる。彼は聞いていたはずだ、彼女が呟いたその願望を。矜持というものは時として物凄い力を発揮する。勝ちを譲られたことは、エリナのプライドをひどく傷つけた。身体は動く、アンガスに一言でも言わなければ。それより早く、アンガスはエリナに向かい、こう言ったのだった。
「僕は反則をした。これはそれの罰だよ」
彼はそれを捨て台詞とした。この思いをぶつける相手のいないエリナは、ただ立ち尽くしていた。大歓声を一身に受けながら、自身の未熟さを思い返しながら。きっとそこはばつの悪い思いをするに違いない場所だった。
アンガスは負けたのだ、それでも彼の戦いは続く。彼には第三位を奪い合わなければならない。それはエリナも同じである、彼女は頂を目指すわけだが。
闘技場では亮とルイが戦い始めている頃だろう。何故不確定なのかというと、アンガスはそこにいないからである。何をしているのかというと、アンガスは何処かに向けて走っていた。
学年一つが闘技場に集まっているだけあって、学園はいつもより静かである。
アンガスの切れた息が周りに響く。周りを見渡しているのは何かを探しているのだろうか。きっと求めているのである、彼は解答を。
アンガスにはその資格がある。
進め、引き寄せられる方向に。
「ああ、ここだったんですね」
そこは何の変哲もない場所で、誰もいない場所で。彼らにはそこはもってこいの場所だった。
充足感にアンガスからは息が漏れた。探し求めていたのはアンガスがマネと呼ぶ、剣戟の操者だった。剣戟の操者はただ佇んでいる、そして顔を上げてアンガスを見る。やっと来たか、そのような顔をする。やはり彼らは出会うべきして、引かれ合うべきして対面しているのだ。
「ティーダとの戦いのときはありがとうございました。貴方がいなければ、僕は挫けていました」
「何、気まぐれさ。お前が弱いから手を貸してしまっただけだ」
そのような会話さえも必要ない、それほど彼らは互いを理解していた。
彼らの魔術は似ている、どちらも物を操る。アンガスは魔術を自身の身体から退けた、剣戟の操者は剣を自在に動かした。そしてアンガスは剣を自身の掌中に引き寄せた。
「そう、僕は弱い。だから貴方にいてもらっては困ります。貴方を僕は越えなければならない」
「ならば来い。―――我、剣戟の操者なり。お前の相手には相応しい傀儡だよ」
互いに剣を構える。
剣戟の操者の剣は凡庸で、ただ少しだけ柄には煌びやかな装飾が施されていた。その輝きが痛々しくて、それでもアンガスは目を背けなかった。
彼らは地を蹴り―――二人は引き合う、そして斥け合う。