学年別トーナメント〜予選〜
ついに始まった。今日は学年別トーナメント初日、予選を行う日だ。僕の朝は清々しかった。やれることはやれるだけやった。もはや憂いなし。自身の成長を試せることに胸を膨らませていた。
いつもの朝、いつもの彼。しかしいつものではない空気。僕は先生の説明に耳を傾ける。
「すでに知っていると思うが、もう一度説明するから聞けよ。お前らは生徒数が多いから、まず予選をしてもらうぞ。三人組みのグループを組んで戦ってもらう。ああ、誰と組むかはこっちでランダムに決めるから。各グループに一人、リーダーを決めるから、リーダーを倒せばそこでそのグループは脱落だ。逆に言えば、リーダーが倒されない限り脱落にはならない。脱落したからといって本戦に出られないわけではないから安心して全力を尽くせ。場所はグループと一緒に発表するから。じゃあ頑張ってな」
先生は淡白にそう言った、僕を一瞥して。そう、僕は一人ではない。僕には先生が付いている。
「行こうぜアンガス」
そして僕の名前を呼ぶ彼も。彼といれば何でも出来る気がした。彼に追いつこう、そして並び立とう。今は出来ずともいつか必ず。
「わかったよ、亮!」
今は形だけでも。そのいつかの日に向けて。
×××
あの教師は誰だったか。その程度の教師だが、このような場に立つのだ。ある程度は地位があるのだろう。その教師は生徒たちを闘技場に集め、グループの発表をしている。歓喜、安堵、落胆。メンバーによってこの予選の難易度は変わるのだ。他愛も無い組み合わせが次々と流れる。そして彼の番が来た。
「―――、第95組はエリナ・テルフォード、アンガス・シーカー、リリー・ピアーズ、第96組は―――」
エリナ・テルフォードは凜とした立ち振る舞いである。アンガス・シーカーと同じ組で、エリナ・テルフォードは少し運命を感じる。アンガス・シーカーは高揚を抑えられないのか、隣の吉川亮の戯言など聞いてもいない。そしてリリー・ピアーズは―――。チームが集まり次第、渡されるペンダント。このペンダントは致命傷を受けるだろう攻撃を感知した瞬間に、転移魔術が発動する優れもの。このペンダントを着け、森へ踏み込む。
完全なものなど無いように、このペンダントも不完全。死に至るということを覚悟しておくべきだ。
期限は三日。悔いなく、恥じなく、殉じろ。一度の出来事、無かったはずの未来。落ちこぼれに光あれ。そして願うことならば彼にも、彼女にも。怪物と蔑まれようと懸命に生きる哀れな者よ。変わりはじめた孤高なる心無きものよ。光はすぐそこに。
なんという確率であろう。学年でランダムなのに、同じクラスの人がいるなんて、とアンガスは驚いた。しかも彼女は三元帥のご息女のエリナ・テルフォードではないか。彼女の強さはいままで嫌というほど見てきた。まさに百人力というやつではないだろうか。
「まず自己紹介しましょう」
彼女はそう言った。こういうと誤解を招くが、彼女のことを考えていた矢先に声をかけられたので、アンガスはドキリとした。
「私はエリナ・テルフォード」
彼女の紹介は簡潔だった。名前のみ。確かに他の情報は要らないのかもしれないが、交友というと少し重いが、それを深めておいて損はないだろう。
「以上よ。何か質問でも?アンガス・シーカー」
自身が思うより彼女を見ていたらしい。アンガスは慌てて目を彼女からそらす。
「ぼ、僕はアンガス・シーカー。よろしく!三日間一緒に頑張ろう!」
もちろん返事なし。アンガスは笑って誤魔化すしかなかった。
「あなたは?」
エリナ・テルフォードはもう一人―――確か名前はリリー・ピアーズといったか―――に聞いた。
「リリー・ピアーズ」
返ってきた答えはこれのみ。最近は必要最低限の話しかしないのが流行なのか。そう錯覚するほど無駄な話はなかった。
そういった受け答えもつかの間、教師からの指示が発せられる。そろそろ始まりのようだ。三日間という長丁場のためか、留意点が多々ある。取り留めない、心の片隅に置いておくだけでよいことだ。この予選への心構えがうかがえる。誰も注意しない。その必要がないほど静かだった。
順々に生徒たちは森の中に消えていく。持ち物は私物少々に武器に学校からの支給品。たいていの生徒は剣を持っているが、ごくわずかに弓や槍を持っている者もいる。そしてただ一人、エリナ・テルフォードは剣と弓の二つの武器を所持していた。生徒の中では随一の弓の名手と言われている彼女だが、前衛が機能しなければ、その腕も意味を成さない。先生お墨付きのアンガス・シーカーだが、落ちこぼれと呼ばれていた彼を先生の言葉を鵜呑みにして信用するわけにはいかない。自身の目で見ないわけには信じられないのだ、彼の成長を。ましてもう一人は剣を持っているようだが、リリー・ピアーズと聞いたことのない生徒なのだ。安心しろというのが酷だろう。幸いリーダーはエリナ自身であるから、最悪は自身の身を守ればよいのだ。そうなったとき、もしくは二人が不甲斐ないときは、剣を取った方が賢明であるのだ。・・・そんなことは二人には言えるわけなく、アンガスの素朴な質問には、臨機応変に対応するため、と言っておいた。
道中でも無言なのは変わらなかった。周りを警戒しているのだろうが、とてもやりにくい。チームプレイこそがこの予選の肝であることは言うまでもない。アンガスを除く二人もわかっているはずだ。彼女らは自身でも戦っていけると思っているのだろうか。三元帥のご息女、エリナ・テルフォードは本気で思っているのかもしれない。リリー・ピアーズにいたっては何を考えているのかもわからない。これから三日間この二人と行動を共にすると思うと、アンガスは今から胃が痛くなった。
しかしというものの、このチームは個人技でも気を揉むことがなかった。エリナ・テルフォードは言うまでもなく、リリー・ピアーズも危ない場面はあっても決して傷を付けられることはなかった。アンガスも同じようなものだった。出会った生徒たちと戦闘し、少し休憩し、また歩き出す。
この繰り返しを数回したあと、あるチームと出会った。今までのようにエリナ・テルフォードが先陣を切る。切りかかりを向こうの一人が辛うじて受け止めたとき、彼女は口を開いた。
「ちょ、ちょっと待って!私リリーの友達なの!話を聞いてくれない!?」
どうやらエリナ・テルフォードは、その頼みを聞くらしい。剣は収めないが、少し後退して距離をとり、アンガスらの位置まで戻ってきた。
「で、話って?」
それは久しぶりに聞いた彼女の声だった。
「まず話を聞く気になってくれてありがとう。さっきも言ったけど私はリリーの友達のドッティ・ワーウィック。私たちのチームはあまり強くなくて、出来るだけ戦闘を避けたいの。出来れば、あなたのような強い方がいるチームなら手を組んで欲しいのだけれど、どうかしら?」
こちらは戦闘に困ったことはないが、好んで戦闘しているわけではない。こちらのメリットは少ないが、受けても支障がない話だ。少なくとも、アンガスはそう考えた。エリナ・テルフォードはアンガスの方を一瞥した。そして結論を出した。
「いいわ。もう少しで日も沈むし、手分けして安全な所を探しましょう」
彼ら六人は今日の寝床を探し出した。二人一組で探すのが効率の良い方法と判断し、アンガスとエリナ、リリーとドッティ、ドッティのチームメイト二人という妥当な分け方をした。なんてことのない探索だ。いいところなどすぐに見つかった。次に必要なのは食料である。学校からの支給品にも食料は入っているが、なくなる前に探しておくほうが良い。寝床を見つけてすぐだったが、彼らはまた二人一組で探索に出た。
「あの」
最初に口を開いたのはアンガスだった。
「エリナ・テルフォードさんはすごいね。本当に強くて―――」
「エリナでいいわ。そういうあなたこそ、落ちこぼれなんて呼ばれているわりには傷ひとつ負ってないじゃない」
「僕なんて全然駄目だよ。エリナ・・・さんは危ない時が一度もないじゃないか」
アンガスはそう言った。真意はどうかわからないが、アンガスは戦闘の際にエリナを見ていたのだ。よそ見するほどの余裕があったのだ。
「それって私をずっと見ていたってこと?」
エリナは確認したくてならなかった。先生が言ったことが本当かどうかを。
もしアンガスがエリナをずっと見ていたということは、剣術においてエリナの勝ち目はないということを物語っている。それほど相手を見ていないときがあるということは接近戦において重大なことなのである。しかしアンガスはエリナの予想とは大きく違う反応をした。
「い、いや、違うんだよ!見とれていたわけじゃなくて、戦いを見て参考にしようと思っていただけで、
戦っている途中さえも綺麗だからとかは、思っていたけど・・・、あの・・・」
顔を赤らめ、あたふたしてアンガスはそう答えた。そんな答えにエリナの仏頂面は崩れてしまった。
「そうだったの。わかったわ、ありがとう」
エリナはくすくすと笑いながら言った。アンガスは驚いていたが、それ以上にエリナは心の中でもっと驚いた。こんな他愛のないことで自身が笑ったことに。あの先生に出会って何か変わってしまったようだった。
ところ替わってリリーとドッティ組。彼女らの雰囲気は友達などという和やかなものではなかった。今に始まったことではないが、リリーの表情は彼女らのチームと出会ってからというもの、曇り続けている。確かに彼女らと出会う前の顔も曇っているようにも見えなくなかった。アンガスとエリナは他人との付き合いの経験があまりないとしても、人の気鬱ぐらいわかる。しかし、気付かぬほどわずかな変化。きっとドッティも気付いていないだろう。
「ねぇ」
そう最初に問いかけたのはドッティの方だった。その言葉は鋭く、やはり友人に向けられるものではなかった。
「あのエリナって女、本当に癪に障るわね」
リリーはいつも通り無言を返す。ドッティはリリーと二人きりになってから終始、つまらなそうな顔をしていた。
「でも本当によかったわ、あなたがいて。そうでなければあのときに私たちは脱落していたわ」
ドッティの顔は陰悪に歪んでいた。さっきまでの気品はもうなくなっていた。
「わかっているとは思うけど、余計な真似はしないでね。ここで脱落させてあの女のプライドをズタズタにしてやるんだから。だからとりあえずあなたは先に脱落してね。もう用済みだから」
彼女らの良からぬ企みをリリーが聞いた瞬間、ドッティは剣を抜いた。リリーは無抵抗、そして無表情のまま脱落していった。そんな道理に反する行動を、毛ほども悪いと思わぬ顔つきで彼女はため息をつく。案外簡単だった、そうとでも思っているのだろうか。
リリーが消えたのを確認して、木の陰からドッティのチームメイトが現れ、どうやら準備が整ったようだ。
「さて、あとはおちこぼれを始末して、あの高慢ちきな女の鼻をへし折ってやろうじゃないの」
残りは三対一。落ちこぼれなど勘定にも入れてなかった。算段はついた、あとは実行のみ。前提の間違った失策は止まることなく順調に進んでいた。
アンガスとエリナの他愛のない会話は、ドッティの悲鳴によって遮られた。ここは森の中、どこから聞こえたのだろう。右か、それとも左か。反響する声は発生源の居場所を悟らせない。しかし、聞こえてからのアンガスの行動は早かった。エリナに自分の向かう逆方向を指示し、一心不乱に駆け出した。その勇気ある行動は、落ちこぼれと呼ばれた彼には似つかぬものだった。一方エリナはアンガスの向かった先を見つめて、そして周りを見渡した。
「出てきなさい、彼はもうどこかに行ったわ」
「なるほど、あんたは気付いていたのね」
その言葉は悲鳴なんかよりもずっと近くから聞こえてきた。そこの木の陰からでも発せられたようだ。というのは気のせいでもなんでもなく、その声の主はずいぶんと近くにいた。ドッティはまさにそこの木の陰から現れた。
彼女の悪名は貴族ならば、よく知っている話だ。しかし、エリナはあえて見逃した。それは、アンガスを見定めるためであり、また自身の強さへの驕りがあるからだ。
「じゃあ説明は不要よね。私の仲間がそのうちあの落ちこぼれを倒して、三対一よ。多勢に無勢よね、いくらあなたでも一度に相手できる量かしら?」
エリナは何も言わずに剣を構えた。エリナの方には一人、ということはアンガスの方は二人ということになる。アンガスを助けるためか、戦いをじっくり見るためか、どちらにせよ早く終わらせるつもりであろう。そんな気持ちを感じてか、ドッティも剣を構える。
「まったく、せっかちなんだから・・・」
これが皮切りになった。エリナはドッティに向かって駆け出し、剣を向ける。木々が邪魔をする森の中でもエリナはそれらの邪魔に意を解さない。エリナが一度剣を振るうと、ドッティはそれを避けることはかなわない。エリナの剣が空を切ることはなく、ドッティの剣と火花を散らす。
次第にドッティの顔は歪んでいった。それもそのはず、彼女はまだ剣を一度も振らせてもらっていないのだ。エリナの攻撃を受け止めるので精一杯。それこそエリナの強さを示すものだ。しかしここまでエリナから決定打を受けていないドッティの腕前もなかなかのものだった。
だからだ、少しおかしい。エリナは自身に自信を持っている。だがドッティは一度も自分を攻撃出来ないだろうか。何かを狙っている、それが不安で仕方なかった。そんな邪心が、不注意が、エリナの集中をわずかに乱した。些細なことだ、剣が木の枝にかかった。
少しのタイムラグだったがドッティには十分だったようだ。初めてエリナの剣は空を切った。そしてこれも初めてドッティは剣を振り上げた。
ドッティの剣もまた空を切った。エリナにとっては剣が木の枝にかかったとしても、それはただ些細なことだったのだ。結果に変化を与えるほどのものではない。さて、この一撃をお見舞いしてアンガスの元へと向かおう。エリナの勝ちは確定していた。だからだろうか、もう次のことを考えていた。
昔ならチームであろうと人の元に向かうなど考えもしなかった。他愛のない変化なのか、必要な成長か。なんにせよ、エリナの胸には期待という気持ちがあった。久しく持ったことのないものだった。それもこれもあの先生のせいで、あの青山先生のおかげである。
責任を取ってもらおう、彼らに。この胸の高鳴りを。
エリナは剣を振り上げ、ドッティに向かって振り下ろした。そしてドッティに剣が届くころには、エリナは地に伏していた。
アンガスは木々の間を駆け抜けた。他の生徒に見つかることもお構いなしに、ドッティの名前を叫んだ。しかし返事なし。足を止め、周りを見渡す。あるのは見渡す限りの木、木、木。
「くそっ」
自身のせいではない失態に思わず口から漏れる。どうすればよいかわからない、アンガスは呆然とするしかなかった。しかし幸か不幸かアンガスはドッティのチームメイトを見つけたのだ。いや、正確にはドッティの一味がアンガスを見つけた。彼女はもう剣を鞘から抜いて笑っていた。アンガスもそのおかしさに気付いた。
「ねぇ、君たちのリーダーの悲鳴が聞こえたんだけど、知らない?」
「あぁ、今頃君たちのリーダーの悲鳴を聞いているころなんだけど、知らない?」
彼女はアンガスの言ったことを真似て、馬鹿にした。それでも大事なことは伝わった、はめられたのだ。
「リリーさんはどうしているの?」
この質問はアンガスにとっては大切なことだった。リリーがこの計画に参加していることは自身の利益など省みていない。ただ友達のために、そんな気持ちのはず。しかしそれは友情なのか、そんなわけない。亮ならアンガスとでも本気で戦うはずだ。それが友情というものではないか。
「あいつはもう脱落しているよ。思ったより役立ったわ」
なるほど、彼女らは友達ではなかったのだ。取り留めのない違和感の正体がやっとわかった。リリーの彼女らへの態度だ。はじめはただ無口だと思っていたがそうではないのだ。かつてのアンガスが同じだったように、彼女の世界は暗い。アンガスは決意する、リリーともう一度知り合おうと。助けるのではない、共にするのだ。
「まずはエリナのところに行かないと。まずそれからだ」
決意が口からこぼれる。それはアンガスの対峙する敵にも聞こえていたようだ。彼女は鼻でアンガスを笑う。
「無理に決まっているでしょ。ここで落ちこぼれは脱落よ」
そんな言葉はもうアンガスは聞いていなかった。自分のところに一人しか来ていないということは、エリナの方に二人いることになる。来た道を引き返す、アンガスは剣を抜いて駆け出す。その道中でアンガスは一度だけ剣を振った。
エリナには何が起こったかわからなかった。確実に決定打がドッティに入ったに違いなかった。しかし自分は地面に倒れている。その上、頭には鈍痛がある。
ふと頭を触ってみると、手には血が付いていた。ドッティは笑っていた、腹を抱える勢いだ。突然の頭の鈍痛、意識外からの攻撃。理解した、こちらが二人だったと。
「こんなにうまくいくなんて!三元帥のご息女様は、戦闘能力はすごいかもしれませんが、頭の方はよろしくないようですね!」
ドッティはとてもはしゃいでいる。計画が完遂しそうなのだ、無理もない。
「いつも調子乗りやがって!この!この!」
そう言ってエリナを蹴り、踏みつける。エリナは抵抗などなく、彼女の起き上がろうという試みは幾度も失敗に終わっている。このドッティのすごいところは、生徒のしているペンダントにぎりぎり感知されない程度で苦痛を与え続けていることだ。万能でないこのペンダントは、このようにすれば最悪相手を殺すことも出来るのだ。
「そろそろ終わらせましょうか。死んでもらっても困るから」
ドッティの振り上げた剣が振り下ろされたとき、リーダーの脱落によりエリナ、アンガス、リリー組は予選敗退である。それもエリナの大敗によって。それはこの学園史上初のことである。三元帥の家のものがこんなところで、こんな負け方。エリナの矜持を折るには最高の策だった。だとしても最良の策ではなかったようだ。
「待て!」
アンガスの声で、ドッティの手が止まる。彼女らは驚いている、何故落ちこぼれが。アンガスにあてがった彼女は、見失ったかなにかでしくじったのだ。だとしても死にかけと落ちこぼれが相手だ。心配など微塵もなく、もっと楽しいことを思いついたようだ。
「せっかくだから全滅させてあげる。そのほうが長く楽しめるでしょ」
ドッティともう一人は次にアンガスに狙いを定めた。彼女らからは余裕さえ感じられる。
「あんたに譲ってあげる。せいぜい楽しみなさい」
ドッティはもう一人、彼にアンガスを任せた。そして彼女は高みの見物でもするようだ。方のアンガスにはそんな余裕はない。すでにアンガスは走り出していた。一直線に向かってくる落ちこぼれに、笑みがこぼれる。これが落ちこぼれたる所以か、と。剣を振り上げる、ペンダントが反応しないように加減して。
同じだった、アンガスが通過してきた彼女と。そして今度はちゃんと見ていた。アンガスに向けて振り下ろされた剣は、いとも容易く避けられた。そしてがら空きの胴に一振り。これだけでペンダントはアンガスの敵を排除するのであった。
「な、なんなのよ!あなた誰よ!?」
ドッティは計画外の登場人物に喚く。しかし彼はれっきとした登場人物、アンガス・シーカーだ。落ちこぼれを侮ったドッティの負け。そろそろ幕引きの時間だった。
「僕は君たちが落ちこぼれと呼ぶアンガス・シーカーだよ」
そんなこと聞いてもいない。ドッティはアンガスに向かって駆け出した。剣を振り回すが、アンガスには当たらない。見事にいなし、完全に避ける。勝ち目などとうになかった。勝負はまた一瞬だった。アンガスはドッティの剣に合わせ、剣を振る。それだけでドッティの手から剣はなくなっていた。そこで剣が落ちる音がする。それでドッティは自身の手から剣がなくなったのを理解した。
「終わりだね」
その一言とアンガスの一振りによってこの危機はあっさりと幕を閉じた。アンガスは一息つき、剣を鞘に戻す。少々落ち着きすぎている行動をして、はっとして何かに気付いたようだ。そしてエリナに急いで駆け寄った。彼は自身に酔っていたのだろうか、だとしてもおかしくないほどに彼の剣の腕前は相当のものだった。
「大丈夫!?一旦安全なところで休もう!」
そう言い終わらぬうちにアンガスはエリナを背負う。その突然の行動にエリナはうろたえたわけだが、背負うという行為をエリナの協力なしに出来るわけない。自然に、反射的に、気付かぬうちに、エリナはアンガスを頼ったのだ。それもエリナには驚きだった。
「何をしているの?」
さすがというか、エリナが発した言葉には落ち着きしかなかった。アンガスからしてみれば背負うという行為を拒否しなかった時点で、やっている行為は合意の下であるのだ。少々この質問はお門違いではないのだろうか。感情を隠すのが上手いのか、下手なのか。どうやらアンガスはそんなこと気にしていなかったようだ。
「エリナさんは怪我をしているんだ。だから少し休もうと―――」
「それはわかっているわ。私が聞いているのは、何故私を背負っているのかということよ」
こんな中でもアンガスは歩みを止めない。ゆるぎない気持ちは、進む一歩一歩に反映し、しっかりと力強い。そしてアンガスは口を開く。
「怪我人なんだから安静にしないと」
邪心は感じられなかった。アンガスはただチームメイトのために。それはエリナにも伝わった。しかしこんなところ誰かに見られたら、エリナは恥ずかしさのあまり、顔を手で覆ってうずくまるに違いない。自分で歩けるから大丈夫、そう言えばアンガスは離してくれる。それが言えなかったのは、アンガスの背中が妙に心地よかったからである。
さっき見つけた寝床に付く頃にはエリナは軽くなら戦えるほど回復していた。二人には広いここを見て、アンガスは顔をしかめる。きっと今頃6人で楽しく過ごしていたに違いないと思っているのだろう。もう過ぎたことをとやかく言っている暇はない。リリーが脱落して残り二人。リリーのその後も気になるところではあるが、まずは自分たち自身のことを考える。
その際、エリナは先のドッティたちとのアンガスの戦いを思い出していた。負けが頭にちらついたとき、彼は颯爽とやってきた。エリナの敵を快刀乱麻でなぎ倒し、エリナにはそっと優しく助けた。まさにおとぎ話のヒーロー、もしくは王子様であろうか。エリナはそんな幻想をかき消すため、ぶんぶんと首を横に振る。考えるまでもなく、剣の腕前はエリナよりアンガスのほうが上だった。青山先生の言う通り、エリナにはアンガスの剣術は見るに値する。この短期間でここまでにする彼の手腕はたいしたものだ。
そうしてエリナは結論を出した。
「あなたが前衛、私が後衛なんてどうかしら?」
アンガスはきょとんとしている。それもそのはず、エリナは一人、自分の頭の中で考えていたのだから。それまで呆けていたアンガスには寝耳に水だ。しかしエリナの自信溢れる輝く顔に、アンガスは肯定の頷きしか出来なかった。エリナは弓を手にし、弦を張る。
弓矢を確認し、準備は万端のようだ。これでようやくアンガスはエリナの言った前衛と後衛の意味を理解出来た。それは新たな驚きがアンガスを襲うことを意味する。
「何でエリナさんは後ろに下がるの?前が僕だけじゃすぐに破られるよ」
「気にしなくてもいいわよ。あなたは前だけ見ていればいいの。後のことは任せなさい」
アンガスの心配はエリナの笑顔によって掻き消された。エリナの自由奔放、天真爛漫な振る舞いにアンガスの不安など疾うになくなっていた。
アンガスが油断する相手を蹴散らし、残党をエリナが射抜く。相手はアンガスの初撃でぎょっとする。アンガスに注意が集中すれば、エリナは易々と相手の急所に矢を放った。
そんな彼らは順調そのもの。そして物語の改変も順調そのもの。まだ出会うはずではなかった者、戦わないはずだった者。ほら、そこにも決して現れてはいけない者が。僕は相当焦っていた。剣戟の操者の報告によると、有り得ない侵入者のようだ。勝手に物語を侵してもらっては困るので、まだ出番ではない彼の元へ急ぐ。森の中というものは存外走りにくいものであった。
剣戟の操者は何度も僕を気にしている。今も、僕が書いた描写でも、彼は森の中を颯爽と駆ける。そんな彼には、僕の遅いペースでは足手まといにしかならなかった。
「先に行ってくれ」
そして足止めをしてくれ、そう彼に言ったつもりだった。剣戟の操者は立ち止まる。彼は一息つき、こう言い放った。
「マスター、君がいないと意味がないのではないか?」
その瞬間、僕の身体は浮いた。剣戟の操者と一定の距離を開け、僕は宙を駆ける。木々を避け、僕の視界に映る景色は目まぐるしく動く。変化はさほどないが、顔にあたる風はそのスピードを物語る。
剣戟の操者は僕の方を横目で一瞥し、にやりとする。最初からこれをすれば良かったのに。さっきまで息を乱していたのが、少し気恥ずかしくなった。
「彼だ」
剣戟の操者はそう言うと、僕はやっと地に足が付いた。堅実に落ち着き、お呼びでない登場人物に目を向ける。彼は僕らのことに気付いているが見もせずに、木の上から遠くを見ている。彼が何を見ているのか、僕は確認せずともわかっていた。通常なら目視できぬほど遠くで行われているのは、学年別トーナメント予選。戦っている生徒らは必死だろうが、彼には羨ましいに違いない。
「羨ましいか?」
違いないのに聞いてしまう。彼は僕たちに目を向けることは無い。敵意が無いのがわかっているため、夢中で見ている。まさに夢を見ている、決して叶わぬ中で。
「それで本気で聞いているのか?」
質問を質問で返される。そんなことを咎められる訳は無く、僕は目を伏せる。
「すまない」
謝罪。もっとも無駄で、もっとも必要な言葉だ。助けてやれない、救えない。彼は怒りを押し殺していた。
「謝るなよ、人間。そんなものでは何も変わらないし、何も変えない」
終極は変わっていなかった。彼は僕を人間と呼んだ。さも自身が人間ではないかのように。
「すまない」
僕はまた同じ言葉が口から出た。そうして彼は初めて僕の方を向いた。
「だから謝るなよ!その言葉を使われる度に、俺は怪物になっていく!!その言葉が使い終わったら、俺は誰に、何に怒りをぶつければいいんだ!?」
鋭い眼光に僕は思わずあとずさる。彼の向ける殺気に気圧された。剣戟の操者は僕を庇うように、僕と彼の間に入る。僕は卑怯だ、安全地帯で許すしかない言葉を吐く。
魔術とは総じてずるいものである。
彼は僕を見るのをやめた。次の興味は僕の護衛へと移ったのだ。
「剣戟の操者、だったか?どうだ、その銘は重いか?」
表情は見えないが、こんな質問ではきっと変化していない。自身の中で、もしかすると自身さえも知らぬ奥底で葛藤しているのかもしれない。銘で固めた塊は徐々に磨耗したのだ。
「重い、重すぎる。こんなことなら、あの時負けておけばよかった」
「呵呵。そんなこと出来ないくせに」
彼らは笑いあう。まるで知己のように、そして何かを清算するように。正直な答えは、真の友情の証。さっきまでの険悪な雰囲気が嘘のようだった。笑いが収まり、彼は一息つきこう言った。
「さて、そろそろ退散しよう。剣戟の操者に見つかっては仕方あるまい。自由に向かい殉じよう。神は、耐えることの出来ない試練は与えないからな」
彼は撤退する。何もせずに、改変して。彼の画策には悪意なんてものは微塵も無かった。
亮やアンガスたちのように無邪気そのもの。その姿に見合うそれは、今までの威圧的な口調とは違い、初めて違和感がなかった。年相応の青年が、そこに少しの間現れたのだった。
去り際、彼は僕にこんなことを言った。それはとても柔らかい質問だった。
「なあ、神は本当にいるのか?」
「ああ、きっといる。信じるものは救われるよ」
こんな月並みな言葉を使ってしまった。しかし彼は確かにこう呟いた。きっと、か。ちらりと見えた横顔は、満足そうに笑っていた。
そして彼は森の奥に消えていった。誰にも知られずに侵入者は去る。剣戟の操者と青山英次もその場を去る。
その中でも、学年別トーナメント予選は進んでいく。本戦を目指し、予選に現存する生徒たちは数を減らしている。
あるものは諦めていた、やっぱり駄目だった、と。あるものは悔しがっていた、あいつに出会わなければ、と。あるものは安らいでいた、運が良かった、と。そしてあるものも悔しがっていた、なんて無様だ、と。
一人一人思うことは違えど、始まりと終わりは同じ。
アンガスとエリナは順風な戦闘に勤しんでいた。
剣戟が軽快に鳴り響く。剣術を操る者としては、アンガスは生徒の中でも上位に入るであろう。それを相手取るのでは、並みの心持ちでは足りない。だというのに、アンガスを一目見た生徒たちは油断を禁じえない。ならば結果は必然、出会った相手は全て脱落していた。
これはアンガスだけの功績ではない。もちろん逃げるもの、逃がすものもいる。しかしアンガスの後ろに控えるのは、あのエリナである。遠くから矢を射る技術は確かなものである。
そうしてアンガスとエリナは幾度となく戦闘を切り抜けた。いや、それほど苦労せずに終わらせていた。
さて他の生徒は、どうだろうか。
亮はなんてことはない、チームメイトを仲良くし、順々にこなしていた。わからないが、それが嘘のように、上辺の関係のように感じた。
他の三元帥の子息たちも何も憂いなし。決して協力せずとも、その戦闘能力はたいしたものだ。目の前の敵を薙ぎ倒し、自分のみを守る。リーダーである彼らの行動は間違ってはいないが、少しさびしく感じる。
実力のあるものは順当に、そうでなければそのように。こうして学年別トーナメント予選は終わりを告げた。