04-01 君の名は
三種の神器とは八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣のことで、よく物語の題材に使われる。
その価値や意味は学問や政治の範囲だが、その力となるとオカルトやファンタジーの部類となる。物語の中では、まばゆい光と共に力が発揮され奇跡が起きる。もちろん現実では誰もが空想と思い、奇跡が本当にあると考えるのはごく一部の人たちだけ。
だけど、もし、その力が、本当に発揮されたとしたのなら。
内閣調査室の加茂大造は、現実的な処理能力と紳士的な交渉力で定評がある人物だ。加茂の仕事は大雑把に言えばスパイ対策、細かく言えば日本で公式・非公式に活動する外交官とその協力者の監視、追跡を指揮になる。もちろんその活動は非公式であり、表向きは総務課長として日々、事務処理にいそしんでいる。加茂の部下には五名の情報担当官がおり、彼らが指揮する三十名弱のオフィサーとその雇われ人からの情報を分析する。
その担当官の一人、川辺秀杜は奇妙な情報に困惑していた。それは川辺配下のオフィサーの一人が報告してきた情報だった。
ロシアの組織が日本国内で日本人に二十四時間体制で張り付いている。ただの大学生に。さらにアメリカ、フランスの同業者もその日本人を監視している。
すでに監視対象の一通りの身辺調査は済ませている。親兄弟や親族は特に問題はなく、特殊な事情も確認されていないが扱いはVIP状態。川辺はこれ以上の調査について、承諾をもらうため加茂に報告する。
「来栖エリスに関するレポートです。」
川辺は調査結果をまとめた資料を加茂に渡した。読み進める加茂の眉間にしわが寄る。良くない兆候でで、川辺の今までの経験からこの後にくるのは。
「肝心なものが無い。」
やはりこのセリフだ。
川辺は内心でため息をついた。加茂は情報不足のレポートを読んだときに必ずこの言い方をする。つまりこのレポートは不可。大学のレポートじゃないから採点されるわけではないが、川辺の気分はそんな感じになる。
「各機関の目的は依然。」
心境を隠して説明を始めた川辺の言葉を加茂はさえぎる。
「いや、そうではない。」
「はっ。」
「対象への接触情報が無い。」
加茂の指摘について川辺は反論する。
「しかしこの監視の中での接触は、他の組織にいらぬ行動を促す可能性があります。」
「いや、このケース。」
加茂がゆっくり説明する。
「対象の環境に問題なければ、対象自身に理由があるとの結論になる。」
川辺は再度の反論を試みる。
「しかし、身辺調査では何も浮かびませんでした。」
加茂は川辺をじっと見据える。川辺はスーツの下で大量の汗をかきつつも目をそらさない。やがて加茂は指示する。
「その身辺調査で何も出てこないのであれば、対象自身も知らない価値がある可能性を考
慮しろ。この場合はむしろ対象と接触するべきだ。」
川辺は思わずのけぞった。加茂は万事慎重を旨とする人間ではない。必要であれば虎穴に入る。しかし、この件については積極的過ぎる気がする。
「これは公安の仕事では。」
ロシアがらみのスパイ案件は情報を収集したら公安に渡すのが暗黙の了解。その指摘に対して加茂は沈黙している。耐え切れず川辺が何か言いかけようとして、加茂の口が開く。
「対象の価値が判るまで、稚拙な判断をするべきじゃない。」
価値とは。まさかどこかの御落胤でもあるまいし。
川辺はそう考えつつも返事をした。
「判りました。プランを検討します。」
翌朝、川辺は来栖エリスへの接触プランを加茂に提示する。加茂から二点の指摘をうけて修正の後、プランは決裁を得た。
プランの概要は、大学で幻想文学研究会というサークルに所属している来栖エリスに、大学のOGに偽装した調査員を接触させる。タイミングは三日後の文化祭。調査員は新聞社に勤める本物のOGの新井依子に偽装し、サークルを訪問する。加茂は川辺に念を押す。
「今回の調査では監視の目がある。接触後の行動には十分注意しろ。」
調査員もプロであり素人に見破られる事はないが、張り付いている監視者が新井の身辺を調査するケースを考えると、初回の接触のみで情報収集を済ませなければならない。川辺は加茂から正式な指令を受けると、来栖エリスへの接触調査の準備のため部屋をでた。
しばらくして加茂は一本の電話をかける。
「ご無沙汰しております。加茂です。」
電話の相手は気さくに返す。
「おお、加茂ちゃんか。久しぶり。この電話番号からとは大事かね?」
「第二百五十二号案件の件でご連絡を。」
電話先の声がかわる。
「これはまたえらいこちゃな。」
その声に加茂は確信する。
「水野さん。この件は特異ですか。」
少しの間のあと、水野と呼ばれた男性は声をひそめる。
「おいおい加茂ちゃん。私の口から言えんよ。」
加茂は水野に現状と接触調査について説明する
「わかった。宮様にはちゃんと連絡しとく。」
加茂は支援の約束をもらい電話を切った。PCのキーボードを叩いて、ディスプレイに表示された情報を読む。課長クラス以上しか見ることができないその情報は、数年前に発生したある町での各国の非合法活動とその顛末の記録だ。この第二百五十二号案件は日本で発生した事件なのに、それに至った経緯が内調や公安ではどうしても調べきれなかった。
その関係者リストに来栖エリスの名前がある。加茂は川辺の報告から事件を思い出し、エリスを「特異」ではないかと考えたのだ。
「特異」と特別異能力保持者のことである。
異能力保持者とは、身近から例として瞬間記憶保持者や毒物耐性者、超音波感知者など特殊な体質や能力を持つものが挙げられる。医学が進みそれらの能力の解明が進んでいるが不明な点も多い。特に超常現象の類まで引き起こす存在を「特異」と認定し、通常は国の保護下に置く。加茂はその確証を得るために日本のその手の権威であるに宮内庁に連絡したのだ。
実際のところ加茂自身は「特異」やその能力に興味も無く、内調もそういった人材を活用する組織ではない。ただ特異を獲得するために、各国の研究機関は世界中にスカウトを派遣している。第二百五十二号案件で暗躍したロシアは旧ソ連時代から特に力をいれており、確保するために強引な手も使う。
興味は無いとは言えど、スカウトの方法が強引となれば話は別で、勝手に日本人を誘拐するとは言語道断だと考える加茂は、今回はほぼそのケースだと判断した。
ならば公安経由で各組織の監視員には退去願おう。
加茂はそこまで考えると、頭を切り替えて次の案件に取り掛かった。
「水野でございます。」
スーツ姿の初老の男は、板の間に正座して礼をする。彼が加茂と話した時の口ぶりとはまったく異なる。
「この儀、何卒お願い申しあげます。」
なにかとは言わない。いう必要もない。言うべきでもない。
「そうですね。今度は必要ですね。」
唐突にそう答える中性的なやわらかい声。几帳に隔たれているため水野から姿は見えない。しかし水野は礼を欠かさず、几帳を通してすら直接は見ないように視線を外している。
「この儀、私が預かります。」
水野は深く礼をすると、音も無く退出する。
「藤乃。」
部屋の主からの呼びかけに明確な女性の声が返される。
「はい、ここに。」
水野が使用した入り口とは異なる場所で戸が開くと、こちらは20代前半の女性が座している。
「出雲の姫がまた一騒ぎ起こすかもしれません。これを。」
藤乃は一礼をすると部屋に入る。几帳を回り込み、姿勢を低くして部屋の主の背後に座る。頭を垂れると主から声がかかる。
「この勾玉を出雲の姫に授けます。」
差し出された木箱を受け取る藤乃。その瞬間だけ拝顔を許される。切れ長の目と薄い唇を持つ主、その儚げな美顔は見た者全てが心を奪われる。
「藤乃。」
藤乃はその声に我を取り戻し、心を落ちつける。
「はい。」
短い返事が精一杯。
「頼みます。」
この一言に含まれる意味を噛みしめ、藤乃は部屋を去る。静まりかえった部屋の中で主は呟く。
姫の言霊は呪い。そしてその力は世界を縛る。
※この物語はフィクションです。登場する人物、団体及び名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。