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Elice in Wonderland  作者: 無風の旅人
不思議の喫茶店
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02-03 ロシアから愛をこめて

 CIAのアジア局作戦第二課の課長という役職は要職でありながら、どこか本流から離れているところがある。

「課長。」

 そう呼ばれたグレーの髪の紳士風、にしては眼光が鋭い人物は書類から顔をあげた。

「なんだね。ヘンダース君。」

 ヘンダースと呼ばれた若い金髪の白人男性は課長と呼んだ人物に資料を差し出す。

「この件について。」

「ああ、それか。」

 欧州局第一課からの緊急情報はロシアから一人、大物要員が日本に入るという内容だ。

「しかし、すごいですね。」

 ヘンダースが要員の資料を見ながらため息をつく。笑顔のトラ、そんな二つ名が付くロシア産の凄腕が日本に入る。それもCIAの欧州局からは静観要請のおまけ付きで。

 つまり邪魔をするなということか。

 そう考えながらも課長はヘンダースに指示をだす。

「日本の公安への連絡ぐらいはしてやれ。」

 入国時の身分チェックで公安が監視を付けるかもしれない可能性を課長は指摘した。

 正体を告げる必要は無いが先走った公安が介入する事態は回避したほうが良く、何より事前にアジア局から公安に情報を流したほうが風通しも良くなる。

「その件で、実は妙な情報が。」

 ヘンダースが神妙な顔をして課長に申告する。

「なんだ。」

「ロシア正教会の司祭が女子高の教師として来日しております。」

「その件か。いまさら日本の訪問販売に力をいれてもな。」

 そう言ったものの、ヘンダースがいくらあれでも単なる民間交流の情報を報告はしないと課長は考える。

「どうやらロシア正教会の特使のようです。」

「その目的は。」

「わかりません。」

 ロシア正教会が日本に特使を派遣した上に、追加の要員と欧州局からの横槍まで入るとなると。

「相変わらずのエヴァンスだな。」

 なじみの欧州局第一課のエヴァンス課長は切れ者で曲者だ。課長はすでに欧州局のバイトがロシアの特使を監視している可能性が高いと考え、ヘンダースに命令する。

「鮭が子持ちかどうか確認しろ。それと日本へバカンスに来る要員には監視をつけろ。」

「了解しました。」

 ヘンダースが退出する姿を確認するとアジア局作戦第二課の責任者グーリマン課長は、端末の画面に目をむけキーボードを叩き始めた。


 ミハイルが情報を受け取ってから二日後、笑顔のトラが来日した。ただしミハイルが迎えに行ったのは、空港ではなく公園であった。

 深夜の二時、公園にたたずむミハイルは二度ほどペン型のライトを点灯する。予定時間に予定通りの行動。しかし、人影はない。ふとミハイルが見上げた夜空の星が一瞬消える。

 ミハイルは疑問に思う間もなく黒い何かが頭上を横切り、地面に降り立りのを目撃する。正体は黒い衣服に黒いパラシュート。すぐさまパラシュートを切り離し、銃を突きつける人影を唖然と見守るミハイル。

「ミハイル・ドニチェ?」

「そうです。アリア・ニベール」

 問いに答えながらミハイルはどうやってここまで来たか聞こうとして止めた。アリアはミハイルを確認すると銃を収めてバックを二つ、一つは素早く収納したバラシュートでもう一つはおそらく活動用の道具、を持ってミハイルに近づく。

「久しぶり~です。ミハイル。」

 さっきとは異なり、のんびりとした口調で笑う顔を見上げながらミハイルは改めて思った。なぜ神はこのような生き物を生み出したのかと。

 お互い初めてではなく何度も仕事を共にしている仲だった。最初の出会いは、ミハイルが中央アジアでの奇跡認定作業中にアリアの護衛を受けた時。そこでミハイルは、アリアがためらいをみせずにAK-47で異教徒の頭部を撃つ光景を何度も目にした。以来、ミハイルはアリアを苦手としている。

 そんなミハイルの心境にはお構いなく、アリアは事前確認を始める。

「えーと。今回の仕事は。」

 アリアが写真を取り出す。

「この人を守ることと、あと、えー、あ!他所の人を近づけないこと。」

 常に微笑みながら話すアリアは童顔でそしてなにより大きい。百七十五センチのミハイルが見下ろされるその体格は、素手でトラを仕留めた伝説を信じさせるものだ。

 もっとも今では本人がトラと呼ばれる存在だが。巨体でありながら重量を感じさせない均整のとれた体は、確かに猫科の生き物をイメージさせる。

「それでは。」

 そうアリアをうながし、ミハイルは公園の入り口に向かって歩き始める。

「もしかして、これ。」

 アリアが指差す先には自転車が二台。

「そうです。これで移動します。」

 目立たず静かに移動する最適な道具。

「了解~。」

 軽く答えて自転車をまたぐアリア。

「では行きます。」

 極力、アリアを見ないようにしているミハイルは、声のみをかけて自転車を漕ぎ出す。しばらくすると後ろから「ふ、ふっふ、ふん、ふん。」と鼻歌が聞こえてくるようになるが、ミハイルは気にしないようにする。

「タラッタ、タッ、ターン。」

 どうしても射撃音に聞こえるミハイル。

「シュビットュ、ビテュ、シュー。」

 なにやら不明だが、何故か気に障るミハイル。そんなミハイルとご機嫌なアリアは二十分程で目的地に到着する。

「ここなのね。」

 アリアの視線の先にあるのは一軒の家。日本正教会を通じて借り上げた家だ。静かに門を開け、自転車ごと前庭に入る。玄関のドアを開けると当然、真っ暗な廊下が二人を出迎える。アリアは暗闇の中を平然と進み、突き当たりで屈みこむ。壁の縁を手でなぞると一部の壁が奥に凹み、人が通れる隙間が生まれた。

「それじゃあね。」

 そう言ってアリアは壁の奥に消えた。凹んだ壁が元に戻る。

 ミハイルは壁を少しの間だけ見つめると、ため息をつき、そして家を出た。


 エリスは朝起きると二階にある自分の部屋の窓を全開にする。そして自分の家の裏の木に止まる鳥を眺めたりして時間を過ごす。おかげで毎朝遅刻しそうになるのだが。

「だーだんーだー」

 突然、裏の木の向こうから声がした。住宅地なので家の裏も民家だが、空き家のためいつもは雨戸が閉まっている。はずだったが、今日はその二階の窓が開いており、耳と目に新鮮な刺激を吹き込んできた。

 白人の女性が歌?を歌いながら鳥を見ている。黒髪で色白で丸顔、目が大きくて愛らしい顔立ちの眺めているだけで幸せになる。そんな感じの子だ。

「おはようございます。」

 エリスは声をかけた。日本語を話せるかは判らないが朝の挨拶なら判るだろうと。

「ドーブラエ、ウートラ」

 エリスを少し見つめた後、白人の女性はそう返してきた。何語かわからないけど、たぶん「おはよう」のはず。

「私はエリス。あなたは。」

 すぐに自己紹介を始めるのは、少しテンションが上がっている証拠か。

 相手は小首を傾げる。

「エリス、エ・リ・ス。」

 エリスは自分を指差しながら、繰り返し名前を言う。すると相手は急に頷きながら叫ぶ。

「エリス!」

 そしてエリスと同じように自分を指差しながら言った。

「アリア。ア・リ・ア!」

 うーん、何かいい感じ。

 エリスはアリアの声の響きとその仕草を堪能しながら何度も頷いた。

 こうしてエリスとアリアはご近所さんとなる。その報告をアリアから受けたミハイルは眩暈を覚えた。

 監視すら危険なのに、すでに接触済みとか。どうするこれ。

 ミハイルの混迷は深い。


 エリスとアリアが出会ってから三日目、エリスは持ち前の無原則な行動力を発揮して、アリアが住む家の前で彼女を待っていた。今朝の挨拶から話の流れで散歩に行くことになったのだ。

 お互い言葉は完全には通じない(とエリスは思っている)中での意思疎通は身振り手振りのみ。そんな状況でエリスはなんとかアリアと近くの公園に行く約束を取り付けた。

 玄関のドアが開き、アリアが現れる。ロングスカートにチェックのブラウス。実は武装を隠すためのとは知らず、エリスは目から怪しい光でも出す勢いで凝視する。

「ドーブルイ、ジェ-ニ。」

「こんにちは。」

 挨拶は無難に、でもこれ以上は会話が続かない二人。で、エリスがカバンから取り出した一冊の本のタイトルは「ロシア語会話」。エリスはアリアと知り合ってから急いで見つけた本を開き、アリアに一つの構文を指し示す。

「ありがとう。会えてうれしいです。」

 アリアは笑みを浮かべて答える。

「ヤトーザ。」

 こうして身振り手振りに会話本で意思の疎通をはかりながら、公園へ向かうエリスとアリア。二人が行った公園は地元の名士が死後に公開した庭園で、美しい花壇を中心としたもの。その公園のベンチに腰をかけて二人は会話を続けた。

 アリアの得意なこと。アリアの好きなもの。アリアの欲しいもの。話す時のアリアの無邪気さに和むエリス。そんな中で、ふとアリアが視線を遠くに移した。エリスはそちらを振り向いても何も無い。視線を戻すとアリアが急に立ち上がった。

「どうしたの。」

 エリスの問いかけ。

「ちょっとお花摘み。」(ロシア語)

 それだけ言って駆け出すアリア。

「あらあら。」

 何と言ったかわからなくてもその仕草で意味が通じる。エリスは少しお驚いたものの、この合間にと会話本を読みだした。


 自分がエリスの視界から消えたことを確認したアリアは、文字通り跳躍した。目標は自分とそしてエリスを監視する者。居場所は判る、そこが獲物を見張る絶好のポジションだから。

「見っけ。」

 口調はあくまで変わらない、表情も。しかし行動は獣。監視者はターゲットから離れたアリアを警戒しなかったわけではない。しかし、移動が早く過ぎて他の監視者からのフォローが間に合わなかった。

 監視者が懐から銃を取り出すより早く、アリアの左手が監視者の腕を掴む。

「うっ。」

 大声を控えただけでも、プロである証拠だろう。アリアに握られた腕は軋み、痛みのあまり抵抗すらできない。そのまま強引に引っ張られ、監視者が気づいた時は首にアリアの腕が巻きついている。アリアが動き出して監視者が首を絞められるまで十秒。そこから監視者の全身から力が抜けるまでが五秒。

 すでに他の監視者達の対応はケースB‐11へ移行している。速やかな退却。しかしそれを許すアリアではない。

 他の監視者はそれぞれの車両に乗り込むと、無線で指示を仰ぎながら車を発進させる。突然、大きな音と共に最後尾のセダンのフロントガラスが黒い影とひびで覆われる。アリアが歩道からボンネットに飛び乗り、フロントガラスに一撃を加えた。衝撃でゆれる車体の中で運転手は蛇行で振り落とすか急ブレーキか考える。その間にフロントガラスが砕け散る。判断が遅いのではない、相手が非常識なのだ。黒い手がハンドルを掴み、力任せに回す。車はガードレールに激突し、運転手は目の前に広がったエアバックで身動きが取れなくなった。助手席は既に意識を飛ばしている。後部席も沈黙したまま。

「今日はここまで。」

 耳元で突然聞こえた声は猛獣を想像させるのに十分であった。人じゃねえ、そう思ったか呟いたか。それがわからないまま、運転手の意識は遠くに旅立ってしまった。

 監視の目を排除したことを確認したアリアは元の場所に戻る。

「あ、アリアちゃん」

 手を振るエリス。

「ふふふ。」

 表情と仕草から相手の気持ちが感じ取れる。アリアは本当に楽しくなってきた自分に満足していた。


「化け物ですな。」

 ヘンダースがビデオを見ながらため息をつく。

「素手でこれだ。武装させたらワンマンアーミーだな。」

 グーリマンが面白くもなさそうに感想を言う。結局、欧州局のバイトは全員撤退、一部のメンバーは病院送りとなり、アジア局が面倒を見ることになった。

 欧州局のエヴァンス課長はあっさりバイトの件を認め、ついでに事後対応をアジア局に押し付けたのはさすがというべきか、呆れる変わり身というべきかグーリマンも言葉が無い。

「いやー、しかしまあ、トラと一緒にいるこの娘、結構美人ですね。」

 飄々と意味の無い発言をするヘンダースを一瞥してグーリマンは考える。

 状況は整理された。笑顔のトラが張り付いているのは、司祭が潜入する学校の生徒でこの生徒がキーマンなのは間違いない。欧州局のバイト達もミハイルが接近した人物の中で会う頻度や対応から、この生徒を重点監視していたと報告している。

 正教会がここまで拘るのはスキャンダルがらみか。しかし高位の司祭のスキャンダル程度なら奇跡認定者やあのエヴァンスが動くはずがない。やはり揺さぶるか。

 グーリマンは受話器を取ると、しばしの沈黙のあと英語以外の言葉で話しを始めた。


 一方、ミハイルはアリスの報告を聞くと大きくため息をつき考える。

 完全に情報が漏れている。報告の中で監視者はアリアではなく、エリスを監視の対象としていたようだ。エリスの力までは知られてはいないだろうが。もし知られていればこの程度のアクションでは済まないはずだ。だがロシアとアメリカ。この二カ国がエリスを巡って争っているという情報だけでも様々な組織がエリスの価値を知ろうとする。エリスの力が知られる前に決着をつけなければ。

 ミハイルはプランC、短期決着の策を実施すべく準備を始めた。

 ※この物語はフィクションです。登場する人物、団体及び名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

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