02-02 ロシアから愛をこめて
宮城の運転するタクシーがエリスの家の前に止まったのは、エリスが気絶してから二十分後だった。
宮城に起こされたエリスは寝ぼけながらも家に入る。玄関の扉が閉まったことを確認したのち、宮城はタクシーを走らせて近くの駐車場まで移動する。呼吸を整えると携帯電話でミハイルに連絡をとり、さきほどの状況を説明する。冷静にかつ客観的に報告した宮城であったが、最後にどうしても感情を抑えきれず質問する。
「あれはなんだったのですか。」
しばしの沈黙、そして答え。
「それを調べるのが私の使命です。」
ミハイルの簡潔な返答と共に電話は切れた。携帯電話をしばらく見つめた宮城はそれをダッシュボードに放り込むと、タクシーを発進させた。
宮城からの電話を切ったミハイルは校舎の裏庭でしばし考える。
過去を知る条件が陶酔状態である可能性は否定できないが、その内容はあまりにも荒唐無稽で、ペテルブルクへ報告を行う前に整理する必要がある。
そう考えたミハイルはそのまま学園内にある寄宿舎の自室へ戻った。ミハイルはソファーに座ると、これまでの調査結果と先ほど聞いた尋問の内容を照らし合わせ、見落としは無いか確認を始める。
いま一度の尋問が必要か。
資料を二度三度と読み返し、考えをまとめようとしていると携帯電話が鳴る。手に取った携帯電話の画面に映る番号はペテルブルクから。通常は盗聴の可能性もあり携帯電話に連絡しないはず。つまりこれは緊急かつ重大な連絡を意味する。
ミハイルは携帯電話を持ち直して電話にでる。
「はい、私です。」
この番号から聞こえる声は一つしかない。
「緊急事態だ。」
そしてお互い名乗る必要もない。声の主は続ける。
「しかし、この回線での説明は危険なため秘匿回線の使用の許可する。」
「わかりました。準備します。」
そう答えるとミハイルはすぐさま上着を手に取り部屋を出た。
三十分後、某所の地下室に入るとミハイルは備え付けのヘッドセットを頭に付ける。ミハイルは相手と回線が繋がるとすぐに今回の尋問の結果を求められた。その性急さに驚きつつもミハイルは宮城から得た情報を説明する。
説明後、たっぷり五分の沈黙。ようやく破られた声は苦味を帯びている。
「今の内容に訂正の余地はないのか。」
予想以上の相手の反応に首をかしげるも、ミハイルの答えは一言しかない。
「はい。」
すると電話の向こうで溜息が聞こえる。そして吐き出されたのは驚愕の事実だった。
「先ほどの報告。それに関連してか、あるものが発見された。」
重々しい口調。
「どのような。」
問うミハイルの口調も固くなる。
「ヴェルヘルム二世からニコライ二世への手紙だ。」
そう言うと、相手は手紙の内容を語り始める。
「
親愛なるアレク。
あの時、君を連れて行かなかったことを今でも後悔している。君が頑なにドイツに来ることを拒むので僕も諦めたが、やはり奴らが君たちに礼を尽くすはずもなかった。
カチンの森で別れ際に見た君の笑顔を最後にはしたくない。君を助けるために力を尽くすよ。絶対に。だから待っていて欲しい。永遠の友 アルベルトより。
追伸
もし、神の許しを得ることができれば君がいるその地に飛んでいきたいよ。
」
聞き終えて驚きを隠せないミハイル。
「ヴェルヘルム二世の趣味とニコライ二世との交流から考えると、私的な手紙のやりとりがあるのは当然だ。だが。」
相手が言葉を区切る。その後を言いにくそうに。
「はい。」
ミハイルは促しつつ、返事をする。相手はためらいながら話しを続ける。
「表現方法に問題がある点は別として、革命後に二人が会ったというのは無理がある。」
「しかし、報告と手紙の酷似。これが何を意味するのか。」
そこで再び、沈黙が訪れる。結局、結論が得られないまま引き続き情報を集めるというかたちで会話は終了したのだった。
ミハイルが混迷の中にいる頃、エリスは妄想、ではなく空想の中にいた。その空想の元になるのがラスプーチンを題材にした小説で、ロシア皇帝ニコライ二世とドイツ皇帝ヴェルヘルム二世はライバルであり、親戚であり、XXXであるという設定だ。無論、そんな歴史資料は無いのだが、そんなことはエリスには関係ない。
ワールド・イズ・マイン。自分の中では自分が神。
お気に入りの小説に浸るエリスの至福の時間はまだまだ続くようであった。
一方、別の神のおかげで信じる神に祈りをささげる時間もろくに取れないミハイルは、今日もエリスの監視を続ける。テラスで読書をするエリスには何もおかしな所は無い。もちろん、突然「フフッ」とか笑いながらニヤケる姿はおかしくないとはいえないが、それは些事。ただミハイルは自分の持つクロスの輝きが微かに鈍い事が気になっていた。ミハイルが肌身離さず持つこのクロスは数々の奇跡に立ち会ってきた。その時の記憶を探ると思い出す。ある奇跡の現場に立ち会った時、クロスの輝きが鈍ぶったことを。
ミハイルはもう一度エリスを見直す。変わりは無い、しかし。そこまで考えて急にミハイルはあることに気が付き、監視を止めてその場から姿を消した。三十分後、ミハイルは再び通信室を訪れていた。気になることを確認するためだ。
「何か起きておりませんか。」
挨拶もそこそこにミハイルは通信相手に確認する。
「何かとは。」
そう聞き返されてもミハイルの答えは決まっていた。
「何かです。」
しばしの沈黙とため息。
「また見つかったのだよ。」
「それは日記ですが、書簡ですか。」
ミハイルは無礼を承知で相手が答えきる前に問う。
「いや、遺書だ。」
「遺書?また皇帝のものですか。」
「赤い皇帝。」
その一言にミハイルは寒気が全身に走るのを感じた。
「その内容とは。」
「私の口からは言えん。察してくれ。ただ先の書簡よりも。」
相手はそれ以上語らない。 ミハイルの思考が目まぐるしく活動する。湧き出る疑念。導き出されようとする結論。
もしや原因と結果が逆ではないか。
「来栖エリスの力は。」
「どうした。」
ミハイルは意を決する。
「もしやと思いましたが。」
「なにか気がついたのか。」
「これは憶測にすぎませんが。」
「かまわぬ。」
ミハイルは一呼吸おいて答えた。
「彼女の力は過去を観る事ではなく、想像を現実にできるのです。」
虚をつかれたのか、相手からの返事が無い。ミハイルは続ける。
「来栖エリスの考えた内容が現実となるのです。その力が過去に及び結果、変更された当時の記録が現代になって資料として現れているのです。」
現実的ではない。しかし現実が想像を凌駕する事態が続いているのだ。
「いや、しかし、だが。」
相手の動揺が声に現れる。受け入れるには衝撃が大きい。話したミハイルも衝撃を受けているのだ。だが相手は長年このような責を負う人物であり、凡庸ではない。
「これはもう私達の範疇を超える。早々に会議を開く。君は監視を継続してくれたまえ。」
相手はミハイルの予想よりも早く決断を下す。
ミハイルは了承して通信回線を閉じた。
「由々しき問題ですな。」
長大なテーブルに座る司祭達の一人がミハイルの報告内容を読み、重々しく告げる。
ミハイルとの通信後、一時間も経たずに開かれた会議の雰囲気は重い。
「このままで終わらないとすれば、手を打つ必要があります。」
別の司祭は積極策を表明する。
「一人の少女とその他大勢を天秤にかけるのは好ましくありません。」
中央に座る司祭の発言は影響力が強く、慎重論に同意の意思表示が複数あがる。
「その少女がすでに別の天秤にのっている可能性があります。」
別の司祭が告げた意味深い言葉を理解できない面々ではない。
「ミハイルを助けるためにも、一人行ってもらうのはどうでしょうか。」
末席の司祭の発言だが他の司祭の賛成を得る。
「一人と言うからには司祭からか。」
その疑問に末席の司祭は答える。
「いいえ、ミハイルやその少女を荒事から守るためにです。」
その答えに中央に座る司祭は怪訝な表情を浮かべた。
「どうやら別の話が存在するようですね。」
末席の司祭は詳細を説明する。
「やはりそのようなことになりましたか。」
その司祭のもたらした情報は見過ごせない内容であった。司祭達の討議は続き、ある結論をもって会議は終了した。
ミハイルはメール経由で要員の派遣を知ると最初は喜び、続いて派遣者の名前を知ると体が固まった。
「よりにもよって。いや、それくらい切迫しているのか。」
メールに書かれた人物はKGBの元工作員で専門は言わずもがな。なにより戦闘力は掛け値なし。単独でミハイルや必要であればエリスを警護するにはうってつけだろう。
そう考えて落ち着いたミハイルだったが、今後の方針が記載されたメールを読み進めるうちに驚きの表情へと変わっていった。
※この物語はフィクションです。登場する人物、団体及び名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。