01 開幕 朝
同居人の見送りを受けてマンションを出た来栖エリスは、早足でバス停を向かう。最寄のバス停から数えて四つ目、そこで降りて歩くこと五分。バス通りに面した一角に彼女の店がある。
「Ein Bruch」
ドイツ語で”一休み”を意味するその店はオフィス街と住宅街の狭間にある。
エリスは鍵を取り出すと、店の裏口を開けて中に入り照明をつける。昨日、店を閉めた時と様子が変わってないことを確認すると、カーテンを開けて換気をする。そしてメイド服に着替えると開店の準備を始めた。
準備の最中にバイトの子が現れた。彼女の名は森下ノア。エリスはノアを気に入っており、頭をなでてみたり、抱きついてみたり、仕事の合間に彼女の写真をとってみたりと、ちょっとアレ的な行為を繰り返している。
「ノアちゃん、おはよう。」
「おはようございます、エリスさん。」
ああ、かわいい。癒される。
そんなエリスの感想を知らずにノアは更衣室に消えた。
こっそり覗こうかしら。
なにかが違うエリスの思考は携帯の音でさえぎられる。
「あ、レイラさんだ。」
電話にでるエリス。
「はい、エリスです。」
「もしもしエリスさん、今から店に向かうけど昼のバイトの子は何人来るのかしら。」
「たった今、来たばかりのノアちゃんとジンさんの二人。」
「わかったわ。少し遅れるけど大丈夫ね。」
「うん、大丈夫。」
「それと。」
「はい?」
「ノアちゃんの着替え、覗いてはだめよ。」
「・・・」
「・・・」
「じゃ、じゃあ準備があるので。」
「・・・お願いね。」
エリスは電話を切り、更衣室を一瞥する。一瞬迷ったエリスは首を振って雑念を払うと開店の準備を再開した。
レイラは切れた電話を眺め、ため息をつくと出かける準備を再開する。髪を整え、道具一式を大きめのかばんに入れる。最後に、廊下にある大きな鏡で身だしなみを確認すると玄関に向かう。
「お留守番、お願いね。」
レイラは猫の置物に語りかけると、靴を履き家を出た。
「エリスさん。今日のお勧めは何ですか。」
メイド服に着替えたノアは更衣室からでると、メニューに”今日のお勧め”を書き加えるため、エリスに確認する。
「今日のお勧めは、かぼちゃの冷製スープよ。」
エリスから放たれる視線には気づかず、ノアは黒板に書き加える。
「かぼちゃのれいせいすうぷ」
そう呟くノアの背後で、エリスがポケットからゆっくりと携帯を取り出す。
この日のためにシャッター音を○○したのだよ。
エリスはピントを合わせボタンを押す。が、あろうことか自分の足を撮ってしまった。
「何奴。」
振り返るともう一人のバイト、真由羅ジンが立っていた。エリスはジンに背中を押されてチャンスを逃したのだ。
「また変態行為ですか。」
ジンの真面目な顔にエリスは冗談も言えない。
「そんな、ちょっと時間を確認してただけよ。」
ごまかすエリス。
「顔が崩れてましたよ。」
ジンは鋭い指摘に、エリスは慌てて自分の顔を押さえて否定する。
「そんなことないにょ。」
「あさっての方向を向いて言っても怪しいだけです。」
毎度の的確なツッコミに逃げ場を失うエリス。
「あ、おはようございますジンさん。」
ノアは二人のやり取りに気が付き、振り向いて挨拶をする。
「おはようノアちゃん。」
ジンはノアに挨拶を返しながらも、隙を見て逃げようとするエリスの肩を離さない。
「どうしたんですか。」
二人の妙な姿にノアは首を傾げる。
「エリスさんが。」
ジンはエリスを横目に見ながらノアに説明しかける。
「ちょっと足を滑らせただけ。なんでもないのよ。ね、ジンさん。」
エリスは間髪入れずごまかす。しばしエリスを眺めたあと、ジンは今回もあきらめる。
「えー、そういうことですかね。」
「うん?」
腑に落ちないノアが首を傾げる。
「じゃ、着替えてきますね、エリスさん。」
ジンはエリスが大人しくキッチンに向かうのを確認してから更衣室に向かい、ノアはよくわからないままテーブルの準備を始めた。
店は十一時に開店、五分もすれば最初の客がやって来る。
「いらっしゃいませ。」
客の常連Aは近くの会社に勤めるエンジニアだが、煮詰まると良くここへ来る。
「温かいのと、あとスコーンを。」
「はい、承りました。」
ノアは伝票に書き込み、キッチンに向かう。常連への気安さからジンが常連Aに話し掛ける。
「また抜け出したのですか。」
常連Aはため息をつきながら答える。
「朝の八時前から三時間も会議して結論が出せずに時間切れで終了。疲れた。」
「うわー、お疲れ様です。あ、いらっしゃいませ。」
続けて三組が来店する。一通り注文を受けて少し落ち着くと、この店名物の座談会が始まった。
「でもお客様、会議が三時間も続くと眠くなりませんか。」
先ほどの会話を思い出してジンが常連Aに話しかける。
「つまらない会議は大抵眠いよ。」
「私もそうでした。」
ジンは頷きながら同意する。その答えに別の客が意外そうにジンに問いかける。
「え、ジンさん会社勤めをやったことあるんですか。」
ジンはその反応にちょっと不満気味に答える。
「これでも私、社会人やってたんですよ。」
すると更に別の客が、興味深々でジンに問いかける。
「へー。で、ジンさんが寝た会議ってどんなのですか。」
ジンは少し目線をはずしながら呟いた。
「朝の全体会議。それも社長がいる席で・・・。」
店全体にうわーー的な空気が流れる。
「朝とか眠いですよね。私もよくお店のミーティングで寝ちゃいます。」
ノアがタイミングよく、対応に困るフォローを入れてきた。
「エリスさんは怒らないですか。」
女性の客がノアに問い掛けると、さきにジンが答える。
「そんなノアちゃんをみてエリスさんが萌えているので。」
エリスに客の視線が集中する。
「ちょっと口が半開きなところがいいの。」
エリスが平然とのたまうので、ジンと客たちは顔を見合わせヤレヤレ感を共有した。
「でも本当に眠たい時は、どんな場所でも寝ちゃいますよね。」
ノアのいつもの外した感のフォローに突っ込もうとしたジンは、エリスが少し遠くを見ながら何か考えているのに気が付く。
「どうしたんですか。エリスさん。」
「昔、学校で急に眠たくなって、気づいた時には家にいたことがあったの。」
ジンが微妙な顔をする。
「それって夢遊病。」
「違うの。」
エリスは声を強めて否定する。
「あー、私も家のコタツに入っていると、いつの間にかベットの中とかあります。」
ノアは不思議そうに話す。
「ノアちゃん、それはお兄さんが運んでくれるやつ。」
ジンにばっさり切られたノアが「そっかー」と納得している横で、エリスは腕組みをして話す。
「高校は電車で通学していたので、夢遊病とかじゃないのよね。」
そうエリスは答えながら、まだ高校生だった時のことを思い出す。
※この物語はフィクションです。登場する人物、団体及び名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。




