シュレディンガーの恋
私は恋をした。
私にとってそれは初めての恋で、とても混乱した。
それが恋と自覚したのは些細なきっかけで、彼が同じ高校の女の先輩に恋してからだ。あの日から私の頭の中は少しずつ「好き」という気持ちが積み重なって爆発しそうになった。
いや、どちらかといえば元々好きという気持ちは積み重なっていたのかもしれない。
それほどまでに彼の事を考えるたび、急に頬の熱が熱くなった。
彼の嬉しそうな笑顔を見る度に、私も口元が緩んだ。
彼が悲しそうな表情をする度に、私も心が痛んだ。
彼は今にも怒りそうな感情を剥き出しにする度に、私も頭に血がのぼった。
楽しいことも苦しいことも、一緒の時間をずっと過ごしてきた。
幼馴染なんだから一緒にいて当然と、私は自分にそう言い聞かせてくる。
「ねえ、私」
目の前にはもう一人の私がいた。もう一人の私は私に問いかける。
「幼馴染だからいつかこの気持ちが彼に伝わると思う? 残念、そうならないわ。だって、彼が好きなのはあなたではないもの」
クスクスともう一人の私が笑う。哀れみと軽蔑の眼差しを私に向け、愉快そうにせせら笑っていた。
「あなたの恋は報われないわ。ええ、絶対に。想いを伝えてもそれはきっと、桜のように儚く散るわ」
私の耳元にそっと囁く。もう一人の私の言葉に私は黙ったまま俯いた。
「ああ、なんて可哀そうな私、なんて哀れなの。今更になって好きなことに気づいて、今更恋をして、これでは彼にとってもとても迷惑な話で残酷だと思わない?」
もう一人の私はわざとらしく一人芝居をするように両手で顔を覆い、泣いている仕草をする。
両手の間の隙間からチロリと舌を出し、再びケラケラと笑う。
「うふふふふふ。冗談、冗談。本当に泣いていると思った? ねえ? ねえってば?」
心底おかしそうに腹を抱えて微笑みを浮かべるもう一人の私。
私は特に反応することもなく、口を閉ざす。私が何も反応しないことで退屈したのか、もう一人の私は溜息を吐いた。
「つまらないわね。もう少し、会話をしてほしいものだわ」
「会話する必要がないから」
私は初めて口を開いた。もう一人の私は意外そうに首を傾げる。
「あら、ようやく話してくれたわね。それより今のどういう意味? もしかして、この恋から逃げる気かしら。うふふ、それはそれで面白そうだわ」
ニヤニヤと口元を吊り上げ、興味津々に聞いてくる。
「それともあれかしら。思い通りにならないならあなたも殺して私も死ぬーみたいな感じかしら。それはそれでロマンチックではあるけれど、典型的過ぎない?」
もう一人の私は少し悩んだ素振りを見せてから、
「でもでもやっぱりやっぱり、ここはあの女の先輩を潰しとくのも手よ。なんだったら、私も知恵を貸すわよ」
「……」
「あら、無言。ご不満ってことかしら? やっぱり王道として悲劇のヒロインぶるのがお好き?」
私は首を横に振る。
「もう我儘ねー。それじゃあ―――」
私はもう一人の私の口をそっと人差し指で添えた。もう何も言わなくていい。私の気持ちはすぐにもう一人の私に伝わった。
「大丈夫。私の中の結論はもう出てるから」
もう一人の私は唇を震わせて、でも泣かないように必死だった。
私がわざとらしく笑っていたのはただの見栄っ張りだったということを私は知っている。だって、彼女も私自身なのだから、当然だ。
「本当にいいの? その結論を選ぶと後悔するのかもしれないわよ」
私は真面目な表情になり、私に問いかける。
そして、私は顔を上げて私に言う。
「私が決めたことだから、後悔なんてないよ」
「そう……。なら、後は頼むわね」
名残惜しそうに私は私に手を振り、消失した。
私は、目を覚ます。いつの間にか寝ていたらしい。昨日、緊張しすぎて寝れなかったのが原因だ。
私の手元には一つの箱。赤いリボンでラッピングされた綺麗な桜柄の小包。
今日は2月14日。バレンタインデー。
この小包の中身は当然の如く、チョコレート。
そのチョコレートの中身が本命なのか義理なのかは私にすらわからない。
私は本命チョコと義理チョコの二つを作り、目を瞑って一つを取ってきた。中身はまさに神のみぞ知る。
結局のところ、私は彼に想いを伝えるかどうか選べなかった。だからこそ、私は天に任せてみることにしたのだ。
これで義理チョコが出るようなら私は告白をしない。
でも、もし本命チョコが出るようなら、その時は私の気持ちをきちんと伝えよう。
「おーい、そこにいるのか?」
私はビクッとなった。彼の声だ。咄嗟に私は小包を後ろへ隠してしまう。
放課後。高校の体育館の裏側。想いを伝えるなら最高のシチュエーション。
その場所に好きである彼が現れた。
「わ、悪いわね。こんな所に呼び出して」
昨日、あんなに練習したのに心臓の鼓動が早くなってる。どうしよう、いろいろ考えていたのに頭が真っ白だ。若干、眩暈もしてきた。
「いや、いいよ。それで用事ってなにかな?」
「え、ええと。その。あの」
こんなはずではなかったのに。
きっと今の私は頬を真っ赤になりながら、挙動不審になっているに違いない。
私は勇気を出して、後ろに隠してあった小包を彼に差し出す。
「こ、これ!」
「これ、俺に? もらっていいの?」
緊張してもう声も出ない私は、コクコクと勢いよく首を縦に振る。
彼は私の小包を受け取る。
「えっと、開けていい?」
「ど、どうぞ」
彼は手際よく赤いリボンを引っ張り、上手にほどく。桜柄をした包装紙を丁寧に開けていった。包装紙を取るとそこには白い箱があった。
その白い箱にはチョコレートがある。それは本命なのか義理なのか開けてみなければわからない。
突然だが、シュレディンガーの猫というのを知っているだろうか。
猫を毒ガスの出る箱に閉じ込めて、その猫が生きている可能性と死んでいる可能性の二種類が存在している思考実験のことらしい。
今のこの状況はまさしくその現象のことではないだろうか。
きっとこの白い箱を開けてしまうと結果が出てしまう。
仮にもし、中身が義理チョコだったら? 本命チョコだったら?
いや、現実にイフなんて都合の良いことなんて存在しない。観測をしてしまったら、それが事実になる。
それに私はどんな結果になっても後悔しないって決めている。少なくても、彼の好きという気持ちはイフじゃないし、シュレディンガーの猫みたいに箱を開けてたって気持ちだけはねじ曲がったりしない。
「お、おい。お前、これって」
白い箱を開けて、彼は驚愕してる。そもそもチョコレートをあげるのが今日が初めてなので、彼がどんなチョコを引いたのかはわからない。
できれば、中身を見ずに立ち去りたいがそうもいかない。
―――後は頼むわね。
チョコレートを渡す別の可能性があった『シュレディンガーの私』
私にチョコレートを渡す可能性を託してくれたもう一人の私の為にも、この選択を否定してはいけない。
(よし!)
私は心の中で覚悟を決めて、彼の持つ白い箱の中を覗き込んだ。
その箱の中身は―――――――