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星が見えていた窓から、今はもう太陽が空高くに昇っているのが見える。
疲れが完全に抜けたとはいえないがゆっくりもしていられない、起き上がった俺は身だしなみを整えて活動を始めた。
朝食はバルゴ家のご好意で一緒に摂らせて貰った、メニューはパンとスープ、それに小さなチーズの簡単なものだ。
スープは具材が少なめだしパンは堅いが俺は食べられさえすれば文句はない、作るのは好きなのだが食べるのにはさほど興味がない。
食べ終えた俺はエリスの具合を確認しに寝室へ向かう。
起こさないように注意して扉を開けたが、いらぬ気遣いだったようで、既にエリスは目を覚ましていた。
「調子はどうだ?」
「まだ眩暈はしてるけど昨日よりは元気です。ナオトさんのおかげです、ありがとう!」
「礼なんていいさ、俺もお前には助けられたからな」
「?」
助けた自覚は無いようで、頭に?を浮かべて困ったように笑っている。
「そういえばこれからミハイ様のところに行くんですよね、私も一緒に行きたいんですが……」
「駄目だな、今日は一日安静にしていろ。飯は昨日の残りがまだあるからそれを食べてくれ」
「そうですよね……わかりました。じゃあ代わりにお礼を言っておいてもらえますか?」
「任せておけ」
いってらっしゃいと手を振るエリスに返事をして、俺はミハイの屋敷へと向かう。
この町の正確な地理なんぞ把握していないが、屋敷までの行き方は事前に確認してある。
街の印象は教わったとおりに進んでいくにつれて段々と変わっていく。
言い方は悪いが、バルゴの家がある辺りが貧民層の街だとしたらここは富裕層の町だ。
道端にある屋台の商品も大きく変わっている、服の素材もいいし食品にも大量に香辛料が使われているようで、
香ばしい匂いを周囲に漂わせている。
それだけなら良い匂いなのだが、残念なことに隣には香水店があった。
香辛料と香水の香りが混ざり合って、ものすごい悪臭になってしまっている。
急いでそこを抜けて角を曲がると、正面に大きな屋敷が現れた。
入り口は鉄格子によって閉じられていたが、俺に気付いたメイドさんが門を開けて中へ案内してくれた。
ちなみにメイドさんとはいえフリルのついた長いスカートの黒いドレスなど着ていないし、客に対してご主人様などと言ったりもしない、
普通の家政婦の人といった感じだ。
「お嬢様、ナオト様がお尋ねになられましたよ」
『どうぞ、お入り下さい』
「失礼する」
メイドさんに礼を言ってからドアをくぐる、中では昨日とは違って貴族らしいドレスを身に着けたミハイが待っていた。
「お待ちしていましたわ、ナオト様……っあ、ナオトさん!」
「もう少し早く来ればよかったな、すまんなミハイ」
慣れないミハイと対照的に、俺は既に敬語を使わない事に慣れていた。
仕事をしていたときもそうなのだが敬語は使っても使われても疲れるのだ。
無論、社会人として使わなければいけない相手がいるというのは弁えてはいるのだが、相手が使わなくていいというならそれでいいだろう。
「何かお飲みになられますか?」
「コーヒーってこの世界にあるか?」
「御座いますよ、少々お待ち下さいね」
ミハイがベルを鳴らすと先程のメイドさんが現れる、二人分のコーヒーを頼むとまた引っ込んでいった。
「それで大事な話って何だ?」
「そうですね、いくつかあるのですが…… まずはナオトさん自身のお話からにしますね」
そういうとミハイは、机の上に置いてあった紙を一枚、俺に手渡してきた。
「そちらはこの街での簡単な身分証明書のような物です。それさえあればこの街で生活する分には問題ありません。
他の街でも使うときはもう少ししっかりとしたものが必要なのですが、お急ぎで用意できたのはそれだけで……」
「いや助かるよ、これで大手を振って街を歩けるよ」
確かに簡単なもので、内容は本人直筆の名前と領主のサイン、それと判子だけだ。
「お名前を書いて頂かなければならないんですけど、ナオト様はこちらの字お書きになれませんよね? 宜しければお教え致しましょうか?」
「いや心配は要らない、何故だかはわからないが字は同じなんだ。言葉もわかったし、なんでだろうな」
こちらの世界の文字は全て英語に見えるのだ、正直、英語もそんなには知らないが。
ペンを渡されたのでローマ字でナオトと書く、書き終えた紙を懐に入れると今度は袋を渡された。
「それは服になります、ナオトさんの格好ここでは目立ってしまいますから。サイズが合ってるか確かめるためにも一度着てみてください」
「わかった」
とりあえずTシャツを脱いで半裸になる、着替えは上からが俺のポリシーだ。
脱いでから気付いた、今目の前にいるミハイは箱入りの女の子だった。何せ誰かの目の前で着替えるの何て中学時代の体育以来で、その辺への配慮がすっかり抜けていた。
案の定、ミハイは顔を真っ赤にして茹でタコのようになっていた。
「すまん! どっか別の部屋を借りるな」
「い、いえ、私が後ろを向いていますので!」
一応離れたところにいようと思い、ミハイのいる場所とは正反対の扉の前で着替え始めた。
ここで話しかけてもミハイが緊張するだけだろうと思い話しかけない。
ミハイもそう思っているようで大きな窓から目を離さず、凝視し続けていた。
※※※※※※
「よくお似合いですわ、ナオトさん」
褒めてくれるのは嬉しいのだが、俺は未だに顔が真っ赤なミハイの事が気になる。
窓の方を見ていたのに何でまだ赤いんだ……初心すぎるだろう。
だがいつまでも彼女の顔を見ていても失礼だ、俺は切り替えて自分の服を上から見ていく。
いたって普通な平民の服装、と言った感じだ、全体的にシンプルなデザインで無駄な装飾は一切無く、動きやすい。
サイズはあつらえたかのようにピッタリだ、うん、文句のつけようがない。
というか悪目立ちしないなら何でもいいし、用意してくれただけでもありがたいのだ。
「ありがとうな、ミハイ」
「その……お友達ですし、当然です」
本当に嬉しいんだな、そこまで嬉しがられると友達冥利に尽きると言うものだ。
思えばこの世界に来てからは誰かに何かをして貰ってばかりだ、いい加減自分の力で何かしなければ。
メイドさんに持ってきてもらったコーヒーを飲みながらではまったく説得力がないが。
「それでは次のお話に移りたいのですが、その前にナオトさんにお聞きしたいことがあるのです」
「何だ?」
「ナオトさんはエリスが倒れたのを見て"エイヨウシッチョウ"だと言ったそうですが、それは前いた世界での病気の名前、ということで宜しいでしょうか?」
「ああ、その通りだ。詳しい説明は必要か?」
「いえ、バルゴさん達が受けた説明を私にも教えてくださったので大丈夫です。あともう一つ、ナオトは元の世界では料理人のようなお仕事をなさっていたのでしょうか?」
「料理人とはちょっと違うかな。確かに料理は好きだし、結構自信もあるけど仕事で培った能力ってわけではないんだ。仕事のは手早く食べれる料理をすぐに出すための場所っていうか…… ごめん、上手く説明できない」
「いえ、私達の世界では伝えにくいことなのでしょう。それに実力と自信がある、ということがわかれば十分です」
ここからが本題なのですが、とミハイは一呼吸置いた後に告げてくる。
「ナオトさんにこの世界でお店を開いていただきたいのです。私達とは違う世界の知識を持つあなたの力をお借りして、その店で私達の事を助けてはいただきたいのです」
「へっ……?」
唐突な誘い、こんがらがった思考を解くために、とりあえず俺はコーヒーを啜るのだった。