プロローグ
何かから逃げるように。故郷を出て、ずっとずっと旅をした。
東から西へ、南から北へ、目指す場所もなく。
なんで、こんなことを思い出しているのだろう。
暗い。思考はぼやけていて、視界もぼやけていて。足だけが定められているように前に動いて、どこかに進んでいる。
不意に重力感が消失して、全身に衝撃。倒れたようだ。身体の全てが借り物のように遠い。
左頬が地面の水に触れる感覚に、意識が鮮明になる。
そうだ、さっき俺は山賊と斬り合って、斬って、殺して、斬られて、斬って。
笑みが溢れる。やっと、終われるのか。
そう思った時、眩しさを感じた。雨の雲間に覗いた満月が、森の街道にまばゆい光を降らす。
片目だけで睨むように月を見上げる。
照らさないでくれ。
それだけを指一本動かせない負傷と疲労の中で、強く願った。
願いが通じたか、目が閉じたのか。暗闇に意識が落ちてゆく。
最後に頭に浮かんだのは、嫌で嫌で仕方がなかった、故郷の変わらない景色だった。
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「……ッ」
どこが痛いとかいう判別がつかない。全身の神経から痛み、というより熱さに近い信号が送られてくる。
顔をしかめながら瞼を開く。柔らかな橙色の明かりと、照らされている木の天井。
どうやら、死に損なったらしい。
目を動かすと、すぐ横の壁に自分の刀が立てかけてあった。
体を起こそうとして、胸部の傷に強烈な痛み。呻き声が漏れる。
ゆっくりと体を起こしていく途中で、近付いて来る足音がした。
弾かれるように、痛みを無視して刀に飛びつく。思うように動かない体が壁に激突し、壁に背をもたせ崩れ落ちる。
その姿勢のまま何とか抜刀、扉に目を向ける。足音がゆっくり近づいてきて、止まった。
キィ、と音をと共にゆっくりと扉が開く。華奢な足と肩が覗く。
音を立てないように入ってきた赤毛の少女と目が合う。驚いたような赤の瞳に、肩までの髪も宝石のように輝いて赤い。
整った顔立ちの場違いな美しさに呆けていると、相手が先に驚きから解放され、駆け寄ってくる。
「駄目じゃない! 動いたら!!」
「よる…な!」
牽制するように刃を相手に向ける。思っていたよりも接近されていて、刃先には相手の顔。
言葉さえも上手く紡げない。手の感覚も希薄で、今にも刀が零れそうだ。
震える刃越しに視線が激突する。赤い瞳からは感情が上手く読み取れない。怒っている、のか?
彼女の手が上がって、そっと払うように刀を押しのける。
簡単に力を失って、右腕が落ちる。睨むぐらいしか出来ず、そうしている俺の頭を、少女はそっと抱きしめた。
驚いて声が出せないでいると、ポンポンとあやすように頭をなでられる。
「大丈夫、大丈夫だから。安心して。」
幾度も繰り返される優しい言葉に、張り詰めていた力が抜けていく。
いい匂いだな、とか妙なことを考えているうちに、柔らかな眠気に誘われていった。