・・むなしい
もう一つ、寛容なる俺の許容範囲を超えて、抵抗感を抱くのである。この場所で、その行為によってみせるあからさまな姿。つまり、ケツ丸出し。言うまでもなくこの姿は、誰もが人前に曝したくない慙愧にたえないモロだしの格好である。牛、馬、犬などの動物達はそんなことはないだろうが、人は、衣服というものを纏うようになって、日頃、あらわにしていない身体の部分を見せることに異常に敏感になってしまった。むやみにその部分を露出することは、低劣なるものと捉えるようになる。そしてこのケツ出し姿には、極度の羞恥心を持つようになったのだ。元々衣服というものは、怪我をしないなどの体表を保護し、傷つけないための役割や防止や寒さを凌ぐなどの体温調節補助の役割など身体を保護・保温する為に着用するになったのだろう。それが、次第に人の世が富を産む時代に移り変わると共に、社会生活が向上していくに従って、衣服にはその人物の年齢、身分、職業など社会的価値を表現するようになった。逆を言えば、知られたくない恥ずかしい部分を被うことも出来るようになったのである。そうして現代の社会では、むやみにその羞恥を抱く部分を人前にさらしていると、変質者や犯罪者に問われるようにさえなった。文明人として当然の如く品格を失ったあられもない”あってはならない姿”として確立したのである。
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ここで言う品格を失うとは、別に難解な専門的な学術的な理解など求めているのではないもっと稚拙な意義に捉えて十分なものである。例えば、講堂に於いて、経済学史の教授が、第一次大戦に敗戦したドイツに多額の負債を課したことにより世界恐慌を引き起こす要因となったというテーマで講義を行っている最中、教卓から離れるとケツ丸出しだったと想像すれば簡単に理解出来るであろう。或いは、一泊何十万もする三ツ星老舗ホテルに滞在することになり、チェックインに応対したコンシェルジュが、受付カウンターから外れるとケツ丸出しだったでも良いだろう。何をまどろっこしく語っているのかと言われるだろうから・・・例えば、国会の代表・・・。
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『む、むなしい・・・』
いいおっさんが密室で、×ンコについて深く考察したところで、いったい何になるというのだろうか。もう時計は10時を回って深夜になった。でも、いつも適当な帰宅をしている俺に、この位じゃ誰も心配していることはないだろう。
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そして、何と無く室温が下がって来たかもしれない。こう言う時、デブのメリットは、体温が高いこと。この程度の空間なら、少々寒くなっても十分暖房機器として機能する。真冬のバスでどんなにスカスカでも、デブが居るとなんとなく暖かいと感じないかな?
『ジジイやババアだらけの寒々しい車内に、俺が入ってくると、ダウンジャケットを脱いだ奴を見たことがあるもんね。』
ここで改めて言わせていただくが、健康消費税なるデブ虐めの制度を作った奴の無能さを嘆いてしまう。見方を変えれば、デブの有効活用がいくらでもあるではないか。今言った発想なら、冬場のバスに煖房機代わりに座席を広めにしたデブ優先席を設け、車内に均等に配置すればいいじゃないだろうか。或いは、通勤電車に女性専用ならぬデブ専用車両を作れば、その車両は暖房無しで済む。もっと、スケールのある話をすると、この無駄に放出される熱量を使って、電力開発が出来るはずだ。地熱発電ならぬデブ熱発電、エネルギー源がデブ発熱という正に理想的なエコロジーではないか。さらに、銭湯のボイラーとして・・・
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『・・むなしい、余りにも虚しい。』
俺のデブ活用法の発想力は、極貧の極みだ。結局のところ、デブは体温が高い事を主張しているに過ぎない。体温が高いから凍死しない、脂肪が厚いから餓死しないという安直論に他ならない。高血圧、高血糖値体質であることを自慢しているようなものだ。
「でもデブは素晴らしい!俺はデブで幸せだ!」
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