浅はかさなデブ
昭和の30年代に建てられたこういう古びたオフィスビルは、どうしてこうも陰気臭いというか、侘しいというか、ただただ時代遅れ感だけのものになってしまうのか。それにひきかえ、戦前から残っているビルディングは、実に味わいのある造りをしている。欧州西洋文化を取り入れ、しかも日本人に好まれるよう、両者の趣を絶妙に融合させている。この時代の物作りは、芸術的な要素が加わっているということである。それが古きよき時代を偲ばれるってことになるのに。ところが戦後なって建てられるビルディングは、アメリカの物量経済主義の影響で、文化的風合いなど微塵も感じられなくなってしまったのだ。
その薄暗い、無機質で、辛気臭い屋内を更に奥へ進むと、右手に折れて通路が続いて、その先にエレベーターがあるのが見えた。超レトロな鈍い緑色の扉である。
『新たなダンジョンへの入口か・・・。』
例によって、気持ちを冒険ロールプレイングゲームのメインキャラのノリに切り替えるのである。その方が、少しは前向きに事が進められるってことにならないかい?そういつも自分自身に問い掛けているのは、淋しい限りである。、とにかく意味なく意欲を沸かせて行くことが、こういう時には必要である。
# ツカツカツカ
西の窓から、壁に一筋書き込まれたように、赤い陽射しが映っていた。殆ど、人の訪れから見放された古いビル屋内は、朝昼夕の移り変わりを感じられないくらいの静寂が巣くって、靴音も良く聞こえる。
そしてネズミ色のセメント吹付けタイルの壁に、無理矢理ネジ留めしたような錆びかけたエレベーターの操作板があった。
『これ、マジ動いてるのか?』
各階、上り下り等の表示は、白いプラスチックの丸い埋め込みボタン型で、ひょっこりと飛び出ているのが呼び出しボタンである。
「相当使い込んでるなあ。」
ボタンの一部が欠けている。そして、おもむろに親指でボタンを押してみる。
『ポチっとな。』
孤独なおじさんは、誰も聞いていなくとも、風化したギャグ語を呟くのである。
すると、6階の表示がピコッと点灯した。
『お、ちゃんと動いてる、おおお。』
どんなにつまらないものでも、予想外の展開が起こると、妙な感動と共に興奮してしまうのは何故だろうか。小市民と言って片付ければそれまでである。
人は、どんな時でも予想外の展開を期待しているのかもしれない。それも自分に都合が良いようにである。災いから逃れたい、不遇な状態から救われたい、誰でも精神的な、肉体的な苦痛は受けたくない。そんな時は大抵、何の努力も無しに奇跡的な救済を願うのである。
点灯した表示が、じっくりとであるが、5階に変わった。
『すげえ遅いエレベーターだな。』
そう言えば、朝一から自分が仕切る会議がある日、ギリギリ出勤時刻に間に合う電車に乗るためには、向かいのホームまでの階段を駆け上がらないといけない場面になってしまったことがある。このデブの巨体では、到底不可能な仕業である。そこでどう考えるか。どうせ間に合わないからと諦め、恥をかくのを受け入れるか、ひょっとすれば間に合うかもと駆け上がってみるか、人間の資質を問われるところである。
ここでデブは当然の如く、諦めを選択してしまう。それでも自分に都合の良い言い訳で凌ぐことを考えるのである。自分が遅れても、会議は誰かが進めてくれて、何とかなるだろう。懸命に努力をしてみたが、途中、思わぬ出来事が起こって間に合わなかったと言えば、咎められないだろうと。人にぶつかって転んだとかの理由じゃありきたりである。昔、ゲーハーであることが周囲にばれている職員が居た。しかしそいつは、皆には気付かれていないと信じているようだった。それが、風の強い日には必ず朝、電話を掛けて来て、公園で転んで服が汚れてしまったとのことで休暇を取るのを繰り返すのだ。第一、風が吹けば必ず転ぶなんて余りにも馬鹿げていて、そんなバレバレの言い訳は自分はアホですと言ってるようなものである。俺は取り敢えず、カミさんから子供のことで緊急の電話があったと言ったのだが、それも怪しまれるレベルである。話が若干逸れてしまったが、”俺は頭で勝負するのさ”と自慢げに言うデブが周りに結構いると思う。物は言いようで、結局のところ、口先で労力から逃れようとする意識が丸見えである。デブは、浅はかさものである。




