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ハルシャギクの河原

由里が初めてシャッターの音を聴いたのは、彼女が16歳、高校一年生の初夏のことであった。

このころからすでに、彼女の朝は毎日あわただしかった。

彼女は朝、寝坊をするわけではない。

学校へ向かう目標出発時刻の一時間半前に起きるのが彼女の日課である。


冷たい水で顔を洗って、ご飯を食べて、歯を磨いて、制服を着る……

朝は嫌いというわけではなかった。

どちらかといえば好きだった。

とくに初夏の朝は、どこかすがすがしくて大好きだった。

目標出発時間には、すべての用意がいつも終わっていた。


「さあ、行くか。」


そう思って椅子から立ち上がるのだけど、なぜかまだ家からでたくない。

この時間に家を出れば、余裕で学校に間に合うことは知っている。

だけど、まだ出たくはないのだ。

とくに理由はないのだけれど。

もう一度、彼女は椅子に腰かけた。

この時間、彼女はいつも彼女の父のことを考えた。


彼女に父はいなかった。

見たこともなかった。

知っていることも少なかった。


母と父が結婚してすぐ、彼女の命が母に宿った。

父はとても喜んだそうだ。

けれど臨月になり、父は急に姿を消した。


彼女の父は、料理上手であった。

母は、料理があまり得意でない。

料理担当はいつも父か祖母であった。


由里の父は、カメラが好きであった。

父は自分の撮った写真を綺麗にアルバムにまとめていた。

家の倉庫には、父のアルバムがたくさん置いてある。


知っていることといったらこれぐらいだ。

全て、ほとんど彼女の祖母から聞いたお話。

彼女の母は、父のことを話してくれない。


彼女は鞄から一枚の写真を取り出した。

そこには川が写っている。

彼女がいつも通る、あの川の写真。

写真の中で、「ハルシャギク」という花が咲いている。

外側は黄色くて、中央には深紅の円が広がっている。

初夏、ちょうど今頃咲く花である。

今、この花で河原はいっぱいである。


時間が過ぎるのはあっという間だ。

我に返った由里は急いで家を出る。

自転車にまたがって、全速力で走り出した。


古臭いポストを越え、坂を下り、小学校を過ぎると、ハルシャギク満開の河原が見える。

最近いつも見る景色である。

綺麗だな、と思う余裕すらも由里にはなかった。

急がなければ。

汗が額をつたう。


川に架かった小さな橋。「桜小橋」

いつもの様に彼女は橋を渡ろうとした。


「カシャ、カシャ……」


彼女は自転車を急停車させた。


何の変哲もないただのシャッター音である。

シャッターを切る主の姿は河原に茂った、背の高い草のせいで見えなかった。


彼女は静かに、耳をその音に傾けていた。


ハルシャギクとシャッター音。


見たことのない父の姿を、どこかで見た気がした。

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