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DORAGON創世記譚 邪黒の剣  作者: 陸王壱式
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第2章 急  襲 ―1―

 甲板に勢いよく飛び出したハシュレイに、ごうっと強い海風が吹き付けた。重く長い黒髪が舞い上がり、翡翠色の瞳が垣間見える。その双眸は鋭い眼光を放ちつつも、焦燥の色を宿していた。嫌な胸騒ぎがする。まるで、戦の前夜のような感覚に似ている。

 ハシュレイは神経を研ぎ澄ませ、甲板を歩いた。晴天の下、くつろいでいた船客が、迷惑そうな顔をして、四方へ散っていく。そんなものに目もくれず、ゾルの囁きに従って、操舵室のある船尾へと向かった。

 階段を足早に駆け上がり、船員の警告もものともせず、突き進む。

 操舵室の横を通り過ぎる頃には、異変を察した船員に取り囲まれたが、大狼の姿で現れたゾルが割入った事で、道は難なく開かれた。

 何処からともなく出現した魔獣で、一帯は悲鳴が上がり、騒然となった。だが、ハシュレイには、その喧噪すら耳に届かなかった。

 船尾の最後部に辿り着くと、船縁に立って両目を凝らした。遥か彼方まで見渡せば、大陸の輪郭が水平線にかすんで見える。その間に広がる青い海原は、いたって平穏だ。

 身を乗り出し、波間をつぶさに探る。取り越し苦労であってほしい。そう願ってみるものの、幾多もの修羅場をくぐり抜け、培った猛者としての勘は、依然として警鐘を鳴らし続けている。

「ハシュレイ殿!」

 突如、ゾルが叫び、ハシュレイは示された先に視線を向けた。

 そこに見たもの。それは、遠方の波間に上がった、水飛沫だった。

 この距離で、しかも肉眼で捉えられた飛沫が、魚の仕業である筈がない。

 ハシュレイは目を見張り、息を呑んだ。そして、すぐさま踵を返し、船員の一人に詰め寄った。

 一人、また一人と異変を察した船員が、船側の通路から指を差し、あれは何だと訝しんだ。その一人を振り向かせ、ハシュレイは命じた。

「船長に船速を上げろと伝えろ」

 飛沫が上がる距離が近付く。高く上がった水柱の端に、白いものがちらりとよぎった。

「ま……魔獣だ」

 見た者の口から悲鳴が上がった。見間違いだろうと笑った者も、自身で確かめると蒼白になった。飛沫が上がる度、恐怖が生じ、皆に伝染してゆく。

 完全に浮足立った一同を見渡し、ハシュレイは舌打ちをした。

「あれは、竜蛇だ」

 小さく聞こえたゾルの声に、ハシュレイは衝撃を受けた。最悪だ、と思った。瞑目し、深い呼吸を繰り返した。脳裏にディレイの姿がよぎった。

 ハシュレイは両手に拳を握り、ゆっくりと目を見開いた。そこには、強い色があった。

「距離は、まだある! 鎮まれ!」

 張り上げた声は、皆を振り向かせた。視線が一つ残らずハシュレイへと注がれる。一見したところ、風采があがらぬただの乗船客だというのに、殆どの船員が覇気に呑まれていた。

「逃げ場は元よりない! 動揺しても始まらん。屈すれば生きて帰れはしない。腹をくくれ!!」

 数人の船員が、不安気に顔を見合わせ、ざわついた。しかし、次の一言が、ここに居る全ての者達に火を付けた。

「船乗りというのなら、その意地を見せてみろ!」

 ざわめく船員達の中、どこからともなく、そうだそうだと声が上がり始める。互いが互いに鼓舞しあい、やがては大きな渦となり、鬨の声となって辺りに響き渡った。

「奴を斃して、(おか)の奴らに自慢してやろうぜ!」

「酒の肴にしてやらぁ!」

 時折、笑い声が起こる程、軽口を叩きあう。そんな船員達を、ハシュレイは薄い笑みを浮かべながら眺めた。

 そして、これを皮切りに、ハシュレイは次々と指示を出した。それが、あまりにも適確で、船員達は誰一人として不満を述べることなく、即座に従った。

「戦いに不向きな者を船室に避難させろ。長艇があるだろう。念のため、船外避難の準備を怠るな。―――この船に大砲はあるか?」

「あるぜ。対海賊船用だがな」

「上等だ。砲手を集って用意させるんだ。あと、弓矢があるなら全て出せ」

 これには数名の手が上がった。命じると、武器庫へ一斉に駆けて行く。

「俺は何を?」

 進み出てきた男が言う。

「操舵士に高波に備えて、舵に集中しろと伝えてくれ。目と勘が良い者を探して、補佐させるんだ」

「なら、その役目は儂がやろう」

 初老の男が手を上げ、若い男を連れて背を向けた。が、途端に歩みを止め、戸惑いながらハシュレイを振り返り、ばつが悪そうに項垂れた。すごすごと、通路の端へと身を寄せて、縮こまる。それは、二人だけに止まらなかった。皆が首を竦めて、通路の両側に散り、道を開けた。

「今頃になって、ご登場か」

 ハシュレイは低く唸り、近づいてくる一人の男を見た。無精髭を生やし、左目から顎にかけて傷がある。恰幅の良い、筋肉質の男で、脛に傷を持つ者と容易に知れる。―――船長だ。

「お前か、魔獣を連れた変な野郎ってのは」

 ハシュレイの前に立ちはだかるゾルが、身を低くして、鼻面に皺を寄せた。ハシュレイはゾルを背後に押しやり、一歩を踏み出した。

 船長は顎に手を当て、ハシュレイの頭から爪先まで値踏みするようにじろじろと見た。

胡散臭(うさんくせ)ぇ野郎だな。……俺の手下をいいように使ったのもお前か」

「そうだ」

 暫し、睨みあう。船員達は、黙って二人を見比べた。

「……普段は、こんなに働きゃしねぇのによ。おもしろくねぇ。……おい! お前!」

 どかどかと歩み寄り、人差し指をハシュレイの胸に突き立てる。

「これ以上、俺様の船で勝手な真似をしやがったら、客といえども容赦しねぇ」

 いいな、と念を押す船長に、ハシュレイは両手を上げて見せた。

 船長は唾を吐き捨て、ハシュレイを睨み付けると、振り返りざま近くに居た手下の尻を蹴りあげた。

「何をぼさっとしてやがる! さっさと働け! 死にてぇのか!!」

 それで、皆が動いた。気合の入った掛け声と共に、甲板へと散っていく。

 彼らの背を見送りながら、ハシュレイは内心で胸を撫で下ろした。ハシュレイが掌握した指揮系統を取戻し、魔獣を目の当たりにしても動じぬ豪胆さが、船長にはあった。どうやら、思った程、ぼんくらではないようだ。これなら、いくらかは時間稼ぎをしてくれるだろう。

 ハシュレイは、ゾルの耳に顔を寄せた。丁度、その時、階段を下り始めていた船長が、ハシュレイに向かって声を張り上げた。

「おい! お前! 腰にぶら下げてるもんはお飾りか? お前もちんたらしてるんじゃねぇ!! それと、その犬っころの船賃も払いやがれ!」

 人族より知性の高い、高位格の魔獣を前にして犬と言い放つ。その豪快ぶりに、ハシュレイは思わず吹き出した。激怒したのは、ゾルだ。

「おのれ! 人族如きが愚弄するか!」

 猛るゾルを全身で抑え込みつつ、ハシュレイは笑った。

「放っておけ。無知なだけだ」

 それよりも、と言って、一段声を落とす。

「ゾル、ディレイを頼んだぞ。」

「所詮は烏合の衆。竜蛇相手に勝機など無い」

「だから頼んでるんだ。ここの連中がどうなろうと、お前はディレイを連れて、クィントローに渡れ。何としても、ファルグロードまで連れて行くんだ。」

 ゾルは唸るのを止め、そっとハシュレイから離れた。ハシュレイが、両手でゾルの顔を包み込む。

「あれは竜蛇だ。負属性のハシュレイ殿では不利であろう」

「そうだ。だが、俺は、どうなろうと耐えられる。いざとなれば、俺やここの連中を盾にしてでもディレイは、……ディレイだけは守らねばならない。いいな、ゾル」

 包み込む彼の手を、ゾルは首を捻じって振りほどいた。真っ直ぐにハシュレイを見た。ハシュレイもまた、ゾルを見詰める。その時、再び、どこかで水飛沫が上がる音がした。船が大きくゆっくりと揺れる。

 ハシュレイは立ち上がり、ゾルの額に手を置いた。

「ディレイには、必ず戻るから心配するなと伝えてくれ」

「承知した」

 項垂れて、ハシュレイの影に鼻先を付ける。そして、そのまま、するりと影に潜り、姿を消した。

 一陣の風が吹き、ハシュレイの髪を揺らした。伏し目がちになって、足元を見詰めていた顔を上げる。穏やかな青い海原が、目に飛び込んでくる。背後では、またもや高い水柱が上がったようだ。無数の水滴が、海面を打つ音が届く。鞘を掴む手に力が籠もる。

 そして、平穏な海に背を向け、甲板へと歩き出した。


 一方、その頃、リアーナと共に居たディレイは、すっかりカナンに(ほだ)されて、夢中になっていた。荷物と共に置き去りにされていたと気付いたのは、採光窓から届く悲鳴やら騒がしい物音がきっかけだった。

 ディレイとリアーナは顔を見合わせ、採光窓を見た。

「……何かあったのかな?」

「……さぁ?」

 言いながら、リアーナは、床で遊ばせていた息子を抱え上げた。

 ディレイは室内を振り返った。心なしか、揺れが激しくなっている気がする。皆が顔を見合わせ、何人かは採光窓から様子を窺っていた。

 と、その時、船が大きく揺れた。今までにない揺れだった。荷物が床を滑り、立ち上がっていた者達もたたらを踏んだ。

 両舷側の通路を行きかう足音が(あわ)ただしくなる。窓を横切る人影を見詰めていたリアーナは、いくらか蒼褪めてカナンを抱き締めた。

 再び、船が揺れた。突き上げるような揺れだった。所々で悲鳴が上がり、同時にドオォンというくぐもった重い音が響いた。壁が震え、天井から埃がぱらぱらと落ちてくる。

「…ハシュレイが居ない」

 揺れと音が止み、辺りをつぶさに見渡してみて、気付いた。

「どこに行ったか知らない?」

 リアーナは困ったように首を横に振る。

 ディレイの胸がざわついた。母が連れ去られた、あの夜が蘇る。

「ディレイ君」

「……僕、ハシュレイを捜してくる」

 殆ど、無意識に立ち上がっていた。リアーナの伸ばされた手が、空しく宙を掴む。

 ディレイは、まるで憑き物に憑かれたように歩き出した。耳に届くのは、リアーナの制止ではなく、祖母や母の悲痛なまでの絶叫だった。

「……一人にしないって言ったのに」

 不意に泣きたくなった。唇を噛みしめ、一気に息を吐き出す。

「ずっと傍に居てくれるって言ったのに。」

 呟きながら、一歩ずつ踏みしめるように進んだ。船体がゆっくりと上昇を始める。かと思うと、どおぉんと叩きつけられるように下降した。ディレイの身体は投げ出され、全身を床に打ち付けた。次の瞬間には、船体ごと引きずられるように、床が傾いだ。ディレイは、咄嗟に床板の隙間に爪を立て、必死に耐えた。

 悲鳴が上がる。子どもの狂ったように泣く声が響く。船外からの断末魔の絶叫も、それに混じった。

 揺れが収まった隙を見て、ディレイは起き上がり、走り出した。今度は、ゆうっくりと反対側に床が傾く。支えきれず転倒し、壁際にまで流された。肩を打ち、顔をしかめた。荷物ばかりか、投げ出された人が押し迫る。ディレイはハッとして、這いずりながら間一髪その場を逃れた。一斉に、荷物と共に人が塊となって壁を打つ。鈍い音が耳朶に響く。それを背後に聞きながら、ディレイは壁を伝って立ち上がった。

 船室の出口を見る。人が殺到し、階段を埋め尽くしていた。

「……っわっ!!」

 進んでいた方向が急速に沈み、背を強く押されるように転がった。そのまま、階段脇の壁にまで床を滑る。揺れが鎮まる。と突然、胃液がこみ上げ、ディレイは口を覆った。それを何とか飲み込み、肩で息をしながら、扉口を仰いだ。

「……ハシュレイ」

 ようやく階段の袂まで辿り着くと、数人の客が、取っ手に手を掛け、今、まさに開かんとしているのが見えた。階段の手摺りに掴まり、立ち上がろうとした。

 瞬間、外側から加わえられた力で扉が勢いよく開いた。泣き叫び、蒼白になりながら、甲板に居た船客が押し寄せた。中には、血だらけの者も居た。どっと溢れた人で、階段が軋みを上げる。我先にと押し合う人に倒され、数人が階段から転がり落ちた。

 再び、船が左右に揺れる。ディレイは、壁に背を叩きつけられ、(うめ)く間もなく顔面が手摺りへと迫る。反射的に目を(つむ)る。激痛を覚悟した。

 だが、痛み感じるよりも早く、手摺りが砕ける音が聞こえた。恐る恐る目を開くと、どういう訳か、手摺りは目と鼻の先にあった。痛みも、感じられない。震える手で、顔に触れる。掌を見ても、血が付く事はなかった。

 階段上を見る。あれほど居た人影が少なくなっている。反対側に落ちた様だった。

 ディレイは、服の上から胸元に隠した、母の形見を握りしめた。ほっと息を付くと、腕を掴まれ、階段脇の隙間へと引き摺り込まれた。三方が壁に囲まれた、薄暗い場所だ。辺りを見回すが、人の気配は無い。

 あまりに突然の出来事に驚き、茫然としていると、不意に耳元で声が聞こえた。

「怪我は無いか?」

 重く、低い声だった。

「……誰? さっき、僕を助けてくれた人?」

 見上げてみても、やはり人影はない。気のせいかと思い、立ち上がろうとすると、獣の息遣いが闇に紛れて、微かに聞こえる。

「我は、獄炎の魔神・イグニードが眷属、黒焔(こくえん)の明主・ヘグナートに属し、ハシュレイに組する、ゾルと名付けられた者。ハシュレイ殿より、汝を護衛せよとの命を受け、馳せ参じた。只今より、闇から出でて、我が一部を具象化するが、無用な騒ぎは避けたい。よいか?」

「! ……ハシュレイ?! 魔法を使ったの?」

 ディレイは出鱈目に辺りを見渡した。船外で轟音が響き、ディレイの肩が跳ね上がる。その時、視界の端に、二つの紅い光を捉えた。傍らの、影がより濃い場所だ。

 ディレイは弾かれるように飛び退き、悲鳴をあげた。が、声になるよりも先に、濃度の濃い黒煙のようなものが口許に纏わりついた。呻きながら、首を激しく振って振り払う。

丁度、その時、またもや床が揺れ始めた。揺れを利用して、立ち上がり、壁を伝いながら後ずさる。

 ふと、見上げると、扉が開いていた。船外の音が鮮明に流れてくる。重く響いていたのは大砲の音なのだと気付いた。木が砕ける轟音や、無数の怒号、耳を塞ぎたくなるような絶叫が、いてもたってもいられない気持ちにさせた。

 暗がりを見る。紅い光を中心に、闇が濃くなってゆく。板の隙間から、恐ろしいほどの小蜘蛛が湧き出るように、インクが滲むかのように膨れ上がっていく。

 二つを見比べ、ディレイは意を決した。じりじりと後退し、隙を見て脱兎の如く駆けだした。呻く人を掻き分け、一気に階段を駆け上がる。見知らぬ者が、行くなと言った。ディレイは振り返らなかった。

 甲板に出ようとした瞬間、船が小刻みに激しく揺れた。扉にしがみ付く。大きく傾ぐ中、よろめきながらも、どうにかこうにか扉を閉める。肩で息をしながら、ホッと胸を撫で下ろす。

 矢先、不意に陽が翳り、滝に打たれるかのような雨に見舞われた。近くで、木材の裂ける音や、悲痛な絶叫が轟き、ディレイの耳を(つんざ)く。

 扉を押す手が震える。指先も血の気を失い、温度も感じぬほど冷たい。心臓が早鐘を打ち、まるで耳元にあるかのように脈打つ。ディレイは震えながら、両目を固く閉じた。

「……ハシュレイ。ハシュレイハシュレイ」

 呪文のように繰り返し、生唾を飲み込む。そして……、振り向いた。

「うわぁぁぁぁっ!!!。」

 彼が、その目に映した光景(もの)。それは、まさに地獄絵図そのものだった。

第二章に入りました。

いつも、読んで下さる方、また、初めて読んで下さった方、本当にありがとうございました。


さて、今回は、少々文体を変えてみました。あんまり、変わってないかもですが、自分なりに努力してみました。

いかがでしょう? 少しは、読みやすくなっていますでしょうか?


二節は、6月13日から16日の間に更新できるよう進めていく予定です。これに懲りず、どうか、最後までお付き合いいただけると嬉しく思います。

尚、進行状況を活動報告にて記載するようしておりますので、お気に止めて下さる方がいらっしゃいましたら、そちらもご覧ください。


それでは、皆様。日々、熱さがましていきますが、体調など崩されませんようご自愛ください。


陸王一式

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