表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
DORAGON創世記譚 邪黒の剣  作者: 陸王壱式
2/18

第1章 追跡者 ―1―

 ディレイが目を覚ましたのは、フェロールの森を発ってから三日後の事だった。

 ゾルは、ハシュレイに命じられた通り、駿馬でも半日はかかるクルカティスの主都・ルカまでの道程を、その半分の時間で走り抜けてみせた。

 ルカに着くやいなや、ハシュレイは明け残る頃であるにも関わらず、扉を叩いて回り、寝息をたてる治癒術師を叩き起こすと、眠気が吹き飛ぶ程の大金を使って、ディレイの治療にあたらせた。高価な薬草をふんだんに使い、精霊術の術式を組んでもらうことによって、擦り傷の回復や解熱するまでは何とかなった。だが、多数の裂傷や打撲に関しては、高度な術式を組まねばならず、それだけの技術と知識を持つ者が、ルカの街には居ないという。そこで、やむを得ず、ハシュレイは郊外にある仮寓に連れて来たのだった。

 ハシュレイには、こういった仮寓が大陸全土の随所に在った。仮寓と云っても、雨露さえしのげれば良かったので、荒ら屋のようなものが殆どである。水はおろか、寝床さえ用意していない所が多い。それに比べれば、幸いにして、ルカの仮寓は割と生活用品が整っていた。旅の拠点としていた訳ではなかったのだが、久しぶりに足を踏み入れてみて、最低限の家財道具が揃えてあったことに胸を撫で下ろし、改めてルカを選択した判断と偶然に等しい自らの管理能力を、ハシュレイは自讃したのであった。

 真っ白なシーツにくるまれたベッドの中で目を覚ましたディレイは、窓から差し込む暖かい陽射しを一瞥した後、ぼんやりと辺りを見渡した。一見したところ清潔感はあるが、人の匂いがしない。生活感はなく、新品の置物でも見ているような印象を受ける。

 意識が鮮明になるにつれ、ディレイは身体のあちこちに違和感を感じた。特に強く感じたのは、頭部だった。そっと、額に触れてみると、左瞼から頭部にかけて包帯が巻かれていた。包帯は、頭部だけにとどまらず、額に触れた右腕や首筋など、いたるところに巻かれていた。

「お目覚めか?」

 不意に聞こえた声に、一瞬 心臓が跳ねる。声がした方へ視線を巡らせると、壁際に据えられた腰掛に、あのむさくるしい恰好をした男が座っていた。伸び放題の黒髪は、脂と土や埃で、何本も垂れ下がっている細縄のよう。肌も汚れだけでなく、垢がたっぷりと盛られているようだ。服は、縫い目がほつれて、元の色が分からないほど汚れている。辛うじて見えた、組んだ左足に履いた靴も擦り切れて、ぼろぼろだった。

「……ハシュレイ…さん?」

「ハシュレイでいい。滋養のつくスープを用意してあるが……、食えそうか?」

 問われて、ディレイは食欲がない事を告げようとした。が、躰は正直で、それよりも先に腹の虫が盛大に騒いだ。ディレイは顔を赤らめつつ、空腹である事を自覚し、彼の厚意を素直に受ける事にした。

「待っていろ。」

 彼が微笑を浮かべながら席を立ち、部屋を出ていくまでを見届けると、ディレイはゆっくりと上体を起こし、改めて視線を巡らせた。

 陽光を溢れんばかりに取り込んだ室内は明るく、柔らかな温もりに満ちていた。調度品は極めて少なく、有る物と云ったらベッドが一つと、窓際に二人掛けの長椅子と円卓、ハシュレイが使っていた粗末な木製の腰掛くらいだ。実に殺風景で、面白みのない部屋であったが、それでも何故か心は安らいだ。

 暫くの間、ぼんやりと眺めていたディレイであったが、ふと あることを思い出し、胸に手を置いた。

「……良かった。」

 掌を当てて確かめてみたモノ。それは、母から手渡された家宝であり、お守りであり、形見でもあった。

 ディレイは首に掛けてあった細い皮紐を手繰って、胸元に隠していたそれを引っ張り出した。紐の先には小さな布袋が結び付けられていて、口を開くと、少しばかり欠けた、傷のある濃灰色の石が転がり出てきた。楕円の形をした、道端のどこにでも転がっていそうな何の変哲もない、丸い小さな石だ。母からは、それを人目に付かぬよう肌身離さず持っているようにと、強く言われていた。お前を護り、導くモノだから、と。

 掌に静かに横たわる小石をひとしきり眺めた後、元に戻したディレイは再びベッドに横臥した。一度、静かに瞬きをし、それから天井の木目の一点を何となしに見詰めた。やがて、しだいに口元が歪み始め、双眸はじわじわと潤んでいった。

 ディレイは上掛けのキルトを引き上げ、頭からすっぽり被ると、拳を強く口唇に当て、両眼をこれでもかという程、見開いた。泣くものかと、思い出してはならないと、言い聞かせた。けれど、無償の愛を以て、慈しんでくれた母や祖母は、もう居ないのだという現実は無情にもディレイを押しつぶしていく。目を閉じれば涙が溢れ、閉じた瞼の裏に、あの夜の惨劇が、ごうごうと燃え盛る炎が蘇った。連日に渡って迫り来る異教徒狩り共の怒号や醜く歪んだ顔、唸る鞭の音が鮮明に思い出された。居ても立っても居られず、ディレイはかっと見開いた。そこに見たのは、こと切れる寸前に見せられた、必死に微笑もうとする母の姿だった。

 ディレイの泣き叫ぶ声を扉越しに聞いたハシュレイは、取っ手に手を掛けたまま立ち尽くした。愛しい者を失った哀しみと、胸に巨来する孤独と絶望は、幾多の出逢いと永遠の別れを繰り返した事のあるハシュレイにも、容易に共感できる。

 このまま暫くは、そっとしておくべきか。

 そう思い、取っ手から手を放しかけた、その時、突如 ディレイの悲痛な叫びが耳朶を打った。

「母さん!……母さん母さん! 僕も連れて行って! 独りにしないで! 祖母ちゃん行かないで!」

 ハシュレイは突き動かされるように扉を開け、部屋に飛び込むやいなや、足早にディレイの元へと近付いた。

「何もいらないから……、我が儘も言わないから! 連れて行ってよ!! 独りは………イヤだ!!」

「お前は独りじゃない!」

 そして、伏せたディレイをキルトごと抱き上げ、強く抱き締めた。

「独りになんて、させやしない! 俺が居てやる!! だから……俺の傍に居ろ!!」

 腕の中で錯乱し、胸が張り裂けんばかりに慟哭する少年を、ハシュレイはずっと抱き締め続けた。そして、彼の心に届くまで、()くことなく語り続けた。

「大丈夫だ。お前の母や祖母に代わってはやれないが、俺はお前を独りにはしない。俺を信じてくれ。」

「祖母ちゃん……手を……手を伸ばしてよ。……どうして……どうして連れて行ってくれないんだ。…母さん!!」

ディレイは抱き締められている事にすら気付かぬまま、二人を呼び求め続けた。止めどなく流れる涙をそのままに、声が枯れる程泣き叫んだ。母の手が優しく差し伸べられるのを信じた。祖母がそっと背中を押して導いてくれる事を願った。けれど、いくら待てども、どれほど求めようとも、母はおろか、祖母さえ迎えに来てはくれやしない。

 そうして、一体どれくらいの時間が流れたのだろう。長いようにも、短いようにも感じられる。陽は傾き、陽射しが心なしか弱々しくなった頃、ディレイの心は疲れ果ててしまっていた。二人の死を受け入れざるを得なくなった、そんな乾ききった心の底に、ふと優しい声音が谺した。

「俺が、お前の傍に居る。だから、孤独だと思うな。」

 何処で聴いた声だったか……。耳に柔らかく響く、優しい音だ。一筋の光明のように、真っ直ぐに差し込んでくるような。

 ……そうだ、思い出した。深く冷たい夜に見た、あの広く暖かい背。

「………ハシュ……レイ…?」

 キルトが静かに払い除けられると、この上なく穏やかな微笑を湛えた彼が居た。

 そっと顔を覗かせたディレイは放心に近い状態で、泣き腫らした目に彼が映っても、まるで夢見心地で眺めていた。

「孵化したばかりの雛か、お前は。」

 すすり泣くディレイの涙や鼻水を、キルトの端で拭いながら、ハシュレイは笑った。

「それにしても、ひどい顔だな。」

「……ハシュレイだって、」

 幾分放心状態から回復したディレイは、鼻を啜り、目頭を拭うと、しゃくり上げながら言った。

「ひどい臭いだ。」

「言うじゃないか。ま、ごもっともだがな。」

 ようやく落ち着きを取り戻したディレイの頭を捏ねくり回し、傍らに置いた木製の器をそっと差し出した。

「冷めてしまったが、味は悪くない筈だ。温めなおした方がいいか?」

 ディレイは、返事をする代わりに器を受け取り、無言のままハシュレイの袖を掴んだ。

「それを食ったら、もう一眠りして休めよ。ずっと傍に居てやるから。」

 もう一度、鼻を啜り、こくんと小さく頷く。そんなディレイを、ハシュレイは膝の間に座らせ、胸に凭れさせた。

 彼の温もりを背に感じながら、ディレイはおずおずとスープを啜った。仄かな塩味が口の中に広がり、香草の香りが鼻腔を抜けた。良い香りがする塩味のスープは、見たことのない薬草や野菜がふんだんに使われていて、驚く程美味かった。

「な? 美味いだろ?」

 ディレイは力強く頷き、夢中になって掻き込んだ。瞬く間に平らげ、最後の一滴まで飲み干すと、ディレイの胃袋は満たされ、恍惚となった。一見したところ、大した量があるようには思えなかったが、たった一杯だけで、これほどの満腹感が得られるのは不思議だった。しかも、何だか身体がほかほかと、温かくなっている気がする。

 暫くすると、心地よい睡魔がゆっくりと押し寄せてきた。瞼を開こうとしても、重くてどうにもならない。

「ゆっくり休みな。」

 ぼんやり聞こえた声に後押しされて、ディレイは抗うのをやめた。

 すると、全身の力が抜け、波に揺られるようにゆらゆらと眠りの淵に吸い込まれていった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

数年前に考えたものを、再度練り直して投稿させていただきました。

拙い文章ですが、少しでも楽しんでいただけたら、幸いに存じます。

まだまだ序盤ですが、下書きは最終章間近まで仕上がっております。

随時、更新していきますので、よろしければ、今後とも よろしくお願い申し上げます。


最後に、文中に 巨来する という言葉がありますが、実際には無い、陸王個人が作った造語になります。イメージにあった言葉が、思いつきませんでしたので、やむを得ず使用いたしました。……あしからず。


それでは、また。

陸王一式

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ