三.一 原子力の素朴な疑問
時はちょっとだけ遡り、柏崎冬奈ちゃんの街頭インタビュー放映直後に戻ります。
その日、小学五年生の苔浜留美菜ちゃんは、同級生でお友達の冬奈ちゃんと仲良く学校から帰宅している途中でした。
「ねー冬奈ちゃん。インタビューで言っていた、かくゆーごー、って、なんなんだろ?」
「留美菜あんたねぇ……。教えたでしょ。軽い原子核がくっついて、重い原子核になって、その時に余ったエネルギーが出てくるの!」
「げんしかく、って何?」
「くぁー!! 原子は物を作っているちっちゃい粒! 核は原子を作る更にちっちゃい粒! その核も更にちっちゃい粒でできているの! もー、後は自分で勉強しなさい! 月刊ナチュラルサイエンス読んでいれば全部載っていることよ!」
「え~、小学生でそんな本を読んでるの冬奈ちゃんだけだよー」
おませな冬奈ちゃんは毎月、最新科学の話題が満載の専門誌を読んでいるのでした。大人でも理解の難しい内容ですが、並々ならぬ興味を持って読むうちに冬奈ちゃんは、いつしか高校生レベルの科学知識を身に着けてしまったのです。正直、普通の小学五年生の留美菜ちゃんでは話についていけません。
そんな他愛もないお喋りを続けながら歩く放課後の通学路、他の多くの小学生達もはしゃぎながら下校する姿が見られます。
「あー!! 冬奈だー!」
「おー!? 本当だー! かくゆーごーの冬奈だー!」
ちょうど交差点の信号で立ち止まった時でした。留美菜ちゃんと冬奈ちゃん、二人と同じクラスの同級生が後ろから駆けてきました。
小学生特有の、何故だかとてもわざとらしく聞こえる高い声で、男の子達が囃し立てます。冬奈ちゃんはそんな男子達が目障りで、耳障りで仕方ありませんでした。
でも冬奈ちゃんはもう小学五年生。
子供じみた挑発には乗らず、大人の対応として無視します。
「ばっかみたい。これだから男子はいつまでも餓鬼なのよ」
「何でこんなとこにいるんだよ、冬奈ー! あ~さてはあれだな~。お子様趣味のお買い物ぉ~?」
そう言って、近くの店頭を指差します。そこにはアニメやフィギュアの専門店が……。
「武装少女ラジカルアトミッカー! 見参! なんつって……冬奈、こっどもぉ~!!」
「しばき倒すわよ、伊藤」
「あ、冬奈がマジになってる。やっぱ買いに来たんだぜ……ラジカルワッペンとか」
「山本、あんたも吊るす」
大人の対応を貫こうとした冬奈ちゃんでしたが、やっぱり小学五年生。つい、頭にきて本気で怒ってしまいます。逃げていく男子を走って追いかけようとした冬奈ちゃんを、留美菜ちゃんが「まあまあ……」と笑いながら声をかけ、やんわり押し止めます。
「でも、可愛いし、格好いいよねー、ラジカルアトミッカー……」
「留美菜、本気で言っているの? 子供っぽいから、そういうの卒業しなさいよ」
「なりきりコスチューム、もうちょっと安くならないかな~」
「私ならそんなコスチューム、恥ずかしくて着てられないわね。恥ずかしさでメルトダウンが起きるわよ」
「そお? 残念だなぁ……冬奈ちゃん、似合うと思ったんだけど……」
「私に着せるつもりだったの!?」
「うん! 核とか原子力に詳しい冬奈ちゃんにぴったりだと思って!」
留美菜ちゃんのすてきな提案に、冬奈ちゃんは何故かげんなりとした表情を見せます。
「あのね、留美菜。言っておくけど、私、ラジカルアトミッカー大嫌いなの。今度、その話題を出したら絶交するから」
「えぇー!? そ、そんなの嫌だよー。もうコスプレさせようなんて考えないから、絶交なんて言わないで……」
大好きな冬奈ちゃんに絶交宣言された留美菜ちゃんは涙目です。
「……留美菜はもう少し、原子力のこと勉強した方がいいわ。そうすれば、ラジカルアトミッカーなんてものに惑わされることもなくなるでしょうから……!」
留美菜ちゃんから視線を逸らし、冬奈ちゃんは大きく溜め息を吐くと、一人だけ黄色信号の横断歩道を渡って先に帰ってしまいました。
冬奈ちゃんを怒らせてしまったと感じた留美菜ちゃんは、冬奈ちゃんの存在が急に遠くに感じられ、とても哀しくなりました。
冬奈ちゃんともっともっと仲良くなりたかっただけの留美菜ちゃん。彼女と仲直りする為にも、原子力について真剣に学ぶことを密かに決意するのでした。
◇◆◇◆◇◆◇
「原子力……って何?」
彼女は疑問に思った事を、家に帰ってお母さんに尋ねました。でも夕食の準備に掛かりきりのお母さんは真面目に取り合ってくれません。
「ああ、そういえば……ほら、隣に住んでいるお兄さん。確か大学で原子力のお勉強をしている、って言っていたわ。聞いてみればいいじゃないの。きっと何でも教えてくれるわよ」
何でも教えてくれる、というお母さんの言葉に留美菜ちゃんは目を輝かせました。
――隣のお兄さんは大学生。
小学校、中学校、高校のさらにそのまた上の学校で勉強しているお兄さんです。知らないことなどあるはずありません。
そう、思い込んだ留美菜ちゃんはすぐに家を飛び出して、隣のお兄さんの家へ行きました。お兄さんは毎週水曜日、大学でのお勉強がなく、いつも自宅にいるのでした。
「ねえ、原子力って何!? すごいの? 格好いいの!? 教えて! 原子力のお兄さん!」
突然の訪問者に隣のお兄さんは驚いていました。青いシャツと四角い眼鏡がとってもク~ルなお兄さんです。ただ、今は寝起きなのか、ちょっと眼鏡がずれてシャツがはだけ、頭の後ろでは寝癖が立っていました。
「ううん、うん? 原子力? 原子力について知りたいの?」
「そうなの! 原子力! 原子とか、核とか! そのエネルギーで発電できるとか!」
寝惚け眼のお兄さんでしたが、留美菜ちゃんが原子力について質問に来たのだとわかると、途端にお兄さんは寝癖を直し、四角い眼鏡もかけ直します。
「うん! いいかい、留美菜ちゃん? 原子力、特に原子力発電というのはだね、物質の構成単位である原子の核が分裂する際に、欠損した質量分のエネルギーが光や熱、それに原子核を構成する粒子の運動エネルギーとして飛び出す核分裂現象を発電に利用したものなんだ! 核分裂を起こす原子の種類は多種多様だけど、その中でも発電に利用できるのは連鎖反応を起こして継続的にエネルギーを取り出せる幾種類かの核種に限られていて、反応を制御するシステムにしても原子炉物理の理論に基づいた厳密な計算が必要に……」
お兄さんはとてもとても丁寧に原子力の事を教えてくれました。
でも、留美菜ちゃんはまだ小学五年生。
放射性核種とか核反応断面積なんて言われても何のことだかわかりません。
「全然わかんないよ! お兄さんの馬鹿! もういい!!」
留美菜ちゃんはお兄さんに捨て台詞を残し、走り去ってしまいました。
◇◆◇◆◇◆◇
お兄さんに「もういい!!」と、啖呵を切ってしまった留美菜ちゃん。
すぐ次の日には後悔の念に駆られたものの、もう一度お兄さんに原子力の質問をしに行くことは躊躇われました。
そこで、留美菜ちゃんは他に頼れそうな人を探すことにしました。
頼れそうな人は、すぐに見つかりました。
既に大学を卒業していて、留美菜ちゃんには及びもつかない程の知識を持つ人、それは……学校の先生です。
「ねえ、先生。留美菜、質問があるの。とっても気になって夜も眠れないくらい疑問なの」
上目遣いに、甘えるような声で先生に質問する留美菜ちゃん。
留美菜ちゃんのクラス担任の先生は、まだ若い、大学を卒業して間もない新人さんでした。
それでも留美菜ちゃんから見れば立派な大人。きっとどんな難しい質問にも答えてくれる、そんな期待に満ちた視線を向けられます。
頼られる方としては、その期待に応えたいと思うのが当然です。子供達から常に尊敬される存在であろうと、先生は日々涙ぐましい努力をしています。
そんな先生に試練の時がやってきたのです。先生としては、彼女の質問に何としても答えてあげなければなりません。
「原子力発電ってなーに? 原子炉って一体何を燃やしているの?」
「え、原子力……発電? な、なんでまたそんなことを……?」
留美菜ちゃんの質問は先生にとってまさに試練でした。
先生は大学を出ているとは言え、専門は西洋の歴史でした。原子力は専門外、と言ってしまえれば楽なのでしょうが、留美菜ちゃんの無垢な視線の前で、そんな無責任な発言はできません。
「――ええと、それはね……。原子力による発電……つまり、そう! 原子炉! 原子炉に燃料を入れる! ウランという特別な燃料をね! これを燃やすことでエネルギーを生み出し、発電に利用するというわけ!」
「そうかー! そうなんだー!」
留美菜ちゃんが納得の声を上げます。
先生は試練を何とか切り抜けることができました。教師としての体面をどうにか保つことができたのです。
だって、留美菜ちゃんはまだ小学五年生。こんな小さな子供にされた質問に、答の一つも返せないようでは大人の面子が立ちません。
「じゃあ、じゃあ、こーそくぞーしょく炉は? 普通の原子炉と何がどう違うの? 核燃料のしつりょー数が重要だって言うのはどうしてなの?」
先生への試練はまだ続くようでした。
「うん、うん……高速、増殖炉のこと? それはね、何と言えばわかってもらえるか……」
先生は高速増殖炉という名前だけは知っていました。ですが、それの説明はできません。
留美菜ちゃんの期待に満ちた視線の前で、先生は胃の辺りを押さえながら、内線電話の受話器を手に取りました。
「あ、教頭先生……。実は、来週の社会見学の件なんですが、どうにか予定の変更を……。ええ。ええ、わかっています。ただ、生徒の希望もありまして……」
先生は大人の対応でこの危機を切り抜けます。
原子力の事をもっとよく知りたい留美菜ちゃんの為に、担任の先生は教頭先生に掛け合い、急遽、来週の社会見学を原子力発電所の見学にしてもらったのでした。