二.一 執行! 核エネルギー制裁
――影のない真っ白な部屋。真っ白な円卓に、真っ白な椅子。そこは、真っ白な会議室。
あまりにも白すぎて、その部屋が広いのか、狭いのか、そんな感覚さえ麻痺してしまう空間に、色鮮やかな五色の人影がありました。
「……どうも最近、INPAの動きがきな臭い。それと、アキハバラの件はもう聞いているだろう?」
円卓の一席に、赤いコートの男が腰を下ろしています。赤いサンバイザーを目深にかぶっているため、表情は口元の動きでしかわかりません。
「僕は直接、現地で確認したよ。表向きは……原子炉の爆発事故ってことになっているね」
赤いコートの男の質問に、緑色の帽子をかぶった男が答えました。円卓へ背を向けて座っているため、彼の表情もまた窺い知る事はできません。
「他の旧型原子炉でも立て続けに、原因不明の爆発事故が起こっているわー。炉心内部からの爆発って言うことで、警察は事故と考えているらしいけど……」
一際目立つピンクスーツの女が、手鏡で化粧直しをしながら話を繋ぎます。
「何者かの破壊工作かもしれないな。事の起きたタイミングからして、INPAから新しく任命を受けた核融合親善大使……そいつが今回の事件に関わっているということは考えられないか?」
青いシャツを着た眼鏡の男が、口元の青いマスクを少しずらして、落ち着いた静かな声音で自分の意見を口にしました。
「マジカルオイラー……だったかしら? おかしなのが出てきたようねー」
薄桃色の唇を歪め、小ばかにしたような口調でピンクスーツの女が笑いました。女の発言が気に障ったのか、緑色の帽子をかぶった男がこれに反論します。
「ち、違うよ。今、巷で人気急上昇、核融合親善大使ヘリカルコイラー∞フューナちゃんだよ。ほ、ほら、これが彼女の販促用ポスター! か、かわいいな……フューナちゃん……。いいでしょ? INPAの広報部にいる友達が送ってくれたんだ。一枚あげるよ」
「……と、とにかく、事の真相がテロリストの破壊工作だとするなら、見過ごすわけにもいかない。その背景に、INPAのように大きな組織がいるとなれば尚更だ……」
赤いコートの男は、ヘリカルコイラー∞フューナのポスターを受け取りながら、難しい顔で呟きました。その呟きに、今まで部屋の隅でずっと黙っていた金髪の男が反応します。
「問題ないさ! いざとなったら、俺達でやっつければいい!」
金髪の男は、アウトドア用の偏光サングラスを指で押し上げながら、獣のように飢えた笑みを溢しました。
「いや、先手を打って、事が大きくなる前に対処できるならそれに越した事はない。ヘリカルコイラーの情報について、販促用ポスター以上の事は何か聞いているかい?」
赤いコートの男が、金髪の男を押し止めるようにして話を進めました。
「近々、フューナちゃんがソーラー・メガフロートの視察を行うという話は聞いたよ」
「メガフロートって、海上太陽光発電システムのことよね? 核融合とどう関係してくるの?」
「確かに、核融合親善大使がわざわざ視察する意味合いは、薄い」
「やっぱり臭うな……」
白い部屋に沈黙が訪れました。
誰もが思考をめぐらし、黙り込んでしまいます。
「いいじゃないか、視察なんて好きにやらせておけば。何かあればヘリカルコイラーの仕業、そういうことだろ?」
金髪の男が沈黙を破りました。あまりにも短絡的な発言に一同は絶句してしまいましたが、現状、有力な手掛かりがない以上は手を出せないことも事実でした。
「とりあえず、そのメガフロート視察の日程を詳しく調べよう。ヘリカルコイラーの今後の動きには要注意だ」
赤いコートの男は深い溜め息を吐きながら、会議の締めにかかりました。
「それじゃあ、僕はもう少しINPAに探りを入れてみるとするよ。フューナちゃんがメガフロートを視察する日がわかったら連絡するから」
「頼む、そうしてくれ。こちらでもヘリカルコイラーの監視は強化しておく。何かあればすぐに対応できるよう、各自で出動の準備もしておいてくれ」
『了解』
五人揃ってばらばらに、白い部屋から五つの扉をくぐって解散します。後にはただ白い部屋だけが残されて、明かりの消えたその部屋は暗い闇で満たされました。
◇◆◇◆◇◆◇
暖かな陽と穏やかな凪に包まれた海上に、まるで太古からそこに存在した島の如く、海上太陽光発電施設は鎮座していました。
「天気は快晴、風はなし、波低し。実に発電日和だ、気持ちいいなあ……」
メガフロートの甲板を一人の老人が歩いていました。
メガフロートの管理を任されて三〇年、齢七八歳になる施設長さんです。
「定年まであと二年。こんなのどかな毎日が仕事として続いて、退職金を貰ったら悠々自適の隠遁生活……。私は幸せだなあ……」
いつもの巡回ルートをのんびりと歩きながら、施設長さんはこれまでの人生とこれからの人生に思いを馳せました。施設長さんが就任したばかりの頃は、メガフロートの管理も決して楽な仕事ではありませんでした。
絶海の孤島で、鉄の甲板を焼く太陽の光を疎ましく思うこともありました。それが発電に必要な光とわかっていても、砂漠の真ん中にいるような暑さに職場の同僚が倒れることもしばしばあったのです。
時には嵐の直撃を受け、施設の生活を維持するシステムが停止してしまうこともありました。荒れ狂う大波に、メガフロートが転覆するのではないかと恐怖に駆られながらも、逃げることは出来ず、ただ職務を全うすることだけ考えて必死でした。
そんな日々を乗り越えながら、増設、改造を繰り返し、今やメガフロートは台風の直撃にも揺るがない、磐石のバランス機能と安定したシステムを手に入れたのでした。
「異常はないかな? ん。よしよし、今日も一日、安全運転を心掛けてください。うん」
発電システムの統括制御室を覗くと、まだ年若い訓練生が、ベテランのエンジニアと一緒にシステムの監視を行っていました。
いずれ自分が職務を終えてメガフロートを去る日が来ても、これまでと変わらず施設は稼動し続けてくれる、そんな安心感を施設長さんは抱いていました。
――その矢先の出来事でした。
突然、メガフロート全体を揺るがすほどの振動が施設長さんの足元を伝わって行きました。その不気味な振動は、これまで三〇年間勤続してきた施設長さんにも初めての感覚でした。
すると、監視塔から施設長さんに直通の連絡が入りました。
『甲板にあ、穴が! 基礎の底板まで貫通しているようで! 空から降ってきました! 何だかわかりませんが、空から人が! 何? 人? 人です! 穴を開けて!』
「落ち着きなさい。穴の一つや二つ開いたところで、このメガフロートは沈みません。大丈夫。冷静に状況を報告して」
混乱する監視員を宥めながら、施設長さんは制御室を出て甲板へと上がりました。辺りを見回すと甲板の真ん中、ソーラーパネルが並べられている一場所から白煙が立ち昇っていました。
「これはいけない、火事のようですね! すぐに消火班を現場に急行させてください」
長年の経験から、すぐに現場の状況を察知し、適確な指示を各班に伝えます。
――大丈夫、この程度のことなら今までにも経験してきたことはある。
施設長さんは今回の危機もきっと無事に乗り切れる、という確信を持っていました。先程の振動も、きっと上空を飛んでいた小型の飛行機か何かが墜落したに違いない、と冷静な分析も出来ていました。
でも、施設長さんの冷静な分析は、今回に限っては役に立ちませんでした。
「案外、脆いものね……。海に浮かぶ為に、強度を犠牲に軽くしたのかしら」
常識や経験では計り知れない存在が、甲板に穿たれた穴から現れたのです。
――天使? ――魔法少女?
何にしてもその存在は、三〇年も陸から離れて生活していた施設長さんには、到底理解できない概念でした。
その理解できない存在……見た目愛らしい少女が甲板の穴から現れ、施設長さんを見下ろすことが出来るくらいの高さで、空中に静止しているのです。
よく見れば彼女を取り巻くように、無数のコイルも浮遊していました。
しかし、施設長さんにはまさかそれが、強力な電磁場を発生させて少女を浮遊させているのだとは考えも及びません。
種のわからない手品を目の前で見せられているような、そんな間の抜けた表情で少女を見上げる他、施設長さんにできることはありませんでした。
「ヘリカルコイラー∞フューナ、INPAの大使権限で、核エネルギー制裁を執行するわ」
少女は事務的な口調でそれだけ告げると、杖の先端から超高速で弾丸のようなものを飛ばし、甲板に並べられていたソーラーパネルを次々に撃ち抜いていきます。
「い、いったいこれは……なんだ?」
――超電磁誘導加速砲、今更断るまでもないヘリカルコイラーの標準装備、いわゆる普通のレールガンです。
弾丸として撃ち出しているのは、メガフロートの施設から引き剥がした鉄製部品。それを弾丸として撃ち出し、壊した施設の部品から鉄くずを集めては、また弾丸として利用しているのです。
更に、ヘリカルコイラー∞フューナは、自律可動式のモビルコイルに無差別攻撃の命令を与えて散開させると、メガフロートを瞬く間に蜂の巣へと変えてしまいます。
甲板には、無残に砕け散ったソーラーパネルの破片が積み重なっていきました。
「ば、馬鹿な!? INPAの核エネルギー制裁? こ、こんな理不尽が許されるのか!?」
破壊されていくメガフロートを前に、施設長さんはようやく我に返りましたが、口から出たのは理不尽を嘆く言葉だけでした。
「何故、こんな真似をするんです! 私達は環境に配慮しながら、自然の力を使ったクリーンなエネルギーを懸命に作ってきたのに! それなのに何故!?」
施設長さんの悲痛な叫びに、ヘリカルコイラー∞フューナは、冷たい視線と辛辣な言葉を浴びせかけます。
「何故、ですって? それは当然、『対費用効果が小さい』からよ」
「こ……? 対費用効果……? が、小さい? は、ははは……」
あまりといえば、あまりにも合理的な理由に施設長さんは言葉もありません。
それでも、三〇年間、真面目に発電を行ってきたメガフロートの施設長としては、黙っているわけにはいきません。
「……何を、言っているんですか? メガフロートはこれまでも、むしろ充分なくらいの電力を本国に送り続けてきたはず! 太陽光発電の効率も、研究者の努力で四〇%の壁を突破しています……。それ以上に何を求めると……?」
怒りに声を震わせて抗議を行う施設長さんに対して、ヘリカルコイラーはお腹周りのヘリカル型核融合炉をぽんぽんっ、と叩いて見せました。
「ふん、高が知れているわ。そんなものを作る予算があるなら、核融合炉の開発に注ぎ込めばいいのよ。そういうわけだから、予算配分を核融合炉開発に回す為にも、この施設には沈んでもらうわ。メガフロート計画は今日を持って永久凍結よ。あ、永久沈没の間違いかしら? なんでもいいわ、沈みなさい!」
ヘリカルコイラーの号令と共に、無数のモビルコイルが上空で規則正しく整列を始めました。モビルコイルは球状に配列すると、電磁波の渦を発生させて、何もない空間に巨大な火の玉を作り出しました。
「ひ、火の球……? ああ、やめろ、やめてくれ……。そんなもの、私のメガフロートに近づけてくれるな……」
火の玉は周囲の空気を巻き込みながら益々膨れ上がり、プラズマとしての密度も高まって、極めて高温度の光球へと成長しました。真昼だというのに、天上の太陽光よりもなお強烈な光が辺りを照らして影を作っています。
そして、ヘリカルコイラーは懇願して許しを請う施設長さんを鼻で笑うと、最凶必殺技の名前を声高に唱えました。
「何もかも、溶かし尽くしてしまいなさい! 爆ぜる陽光……バーストフレア――!!」
巨大な光球がゆっくりとメガフロートの甲板に沈み、見る見る内に構造材を溶かして、大きな穴を広げていきます。やがて光球がメガフロートの底板にまで到達すると、穴から侵入してきた海水と高温度のプラズマが反応して、派手に水蒸気爆発を起こしました。
――――!!
台風や地震の津波にも、決して揺るがず耐え忍んできたメガフロート。
それが今や中心部に大穴を開けられて、底から溢れ出る海水に浸食されながら全体を大きく傾けていきます。
「あああ……沈んでいく……。私の夢が……メガフロートと共に……」
避難ボートで他の施設作業員に救助されながら、施設長さんは呆然とメガフロートが沈んでいく光景を見守っていました。
メガフロート轟沈。
二〇五〇年、暖かな初夏の日の出来事でした。
◇◆◇◆◇◆◇
沈没したメガフロートの残骸の上で、真剣な表情をしたフューナちゃんがヘリカルステッキを構えています。
「加速!」
超電磁誘導で加速された鉄片が、海上に漂うソーラーパネルの一枚を見事に撃ち抜き破砕します。ですが、完璧な命中であったにも拘らず、フューナちゃんは不満気な表情を浮かべていました。
「地味なのよね……この技。どうしてヘリカルコイラーには派手な技が少ないのかしら? ほら高エネルギー電子砲や荷電粒子砲なんか、よくアニメにも出てくるじゃない? 青白く光って格好いいのに」
「技術的に実現は可能だけど、あれは環境汚染が激しいから、戦時国際法で禁止されているんだよ……」
あれだけ派手にメガフロートを破壊しておきながら、フューナちゃんはそれでもまだ核融合親善大使としては活動が地味、と感じているようでした。
「あ、そうだ。フューナちゃん、そろそろエネルギー残量が乏しくなってきたんじゃない?」
「言われてみればそうね。補給はいつ貰えるのかしら」
「前以って連絡しておいたから、もうすぐ来ると思う……と。どうやら、来たみたいだよ」
ワンコロは鼻先を突き上げるようにして、上空から降ってくる物体を指し示しました。
――ズゥ……ン。と、重量感ある低音を響かせて、一抱えほどもある巨大なタンクがフューナちゃんの目の前に降って来ました。
「何よこれ?」
「これが例の補給物資だよ、フューナちゃん」
「補給? このタンクが?」
「核融合炉の燃料になる重水素が詰まった、『ウラン系重水素吸蔵合金タンク』だよ。これだけあれば二〇〇〇GJ分の仕事は可能だね」
フューナちゃんは『ウラン系重水素吸蔵合金タンク』なるものを、じぃっ、と見つめながらワンコロに言いました。
「……。重すぎるわ、あんたが背負って歩きなさい、犬」
「ええ!? どうして!? フューナちゃんはエナジースーツを着ているから、こんなの全然重くないはずでしょ!?」
フューナちゃんの理不尽な命令にワンコロは困惑してしまいます。
「うるさい。邪魔なのよ。というか格好悪いから、私背負いたくない」
「えええ~……?」
「大体、何よ重水素……吸蔵合金? 怪しいわね、どうして金属が水素を吸えるのよ?」
フューナちゃんが謎の補給物資について言及すると、理不尽な命令に困っていたワンコロは一転して得意満面の表情になり、嬉しそうに説明を始めました。
「ふっふーん、フューナちゃん? 水素吸蔵合金っていうのはね、とっても優れた機能性材料なんだよ! 重水素を液体水素以上の高密度で貯めるだけでなく、原子炉の中性子減速材なんかにも使われているんだ。それに水素を出し入れするときに吸熱や発熱の反応が起こるから、ヒートポンプとして熱移動システムに利用することも可能なのさ! フューナちゃんの着ているエナジースーツの排熱機構にも、この水素吸蔵合金が使われているんだよ。どう? 凄い材料でしょ?」
興奮して話すワンコロとは対照的にフューナちゃんは冷めた様子で口を開きます。
「……は? あんた何言っているの? 自慢たらたら喋られても、意味わかんないんだけど。難しい単語並べて文章構成したからって、わかりにくいだけでちっとも頭良さそうに見えないわよ? 他人に説明するなら小学生にでも理解できるように話しなさい。で? 水素吸蔵合金って何? もう一回説明してみなさいよ。小学生にもわかるように、ほら」
「…………」
散々、嫌味を言いながらも、謎の補給物資の正体だけは気になるのか、好奇心は隠しきれない様子のフューナちゃんでした。