一.三 変身は3秒で完了
「それで、具体的に核融合親善大使って言っても何するのよ? 言っておくけど、挨拶回りとかつまらないことなんてしないからね」
長いポニーテールの先っちょを指でいじくりながら、冬奈ちゃんは偉そうな態度でワンコロを見下しながら言いました。実際のところ、冬奈ちゃんはINPAが認めた核融合親善大使としてのライセンスを持っているので偉いのです。
そんな冬奈ちゃんに、INPAの末端構成員でしかないワンコロは逆らえません。ワンコロは何かをあきらめたかのように首をうなだれます。
「……具体的に何をするか決めるのは冬奈ちゃんの自由だよ。僕はあくまで、そのためのサポートが仕事だから」
「へえ、そうだったの? それなら初めからそうと言いなさいよ。それなら、私にも考えがあるんだから。まずはねぇ……」
「あ、ちょっと待って冬奈ちゃん。核融合親善大使のお仕事を始める前に、準備しておくことがあるんだ。はい、これ」
そう言ってワンコロが冬奈ちゃんに差し出してきたのは、一本のステッキでした。ワンコロが口に咥えていたので、唾液がべったりと付いています。
「何これ?」
そのステッキに対する質問と言うよりは、何故このステッキに唾液が付いているのかを咎めるような表情で冬奈ちゃんはワンコロを問い詰めます。
「これかい? 聞いて驚いてよ! これはなんと、某アニメをヒントにして考え出された、変身ステッキなんだ!」
「……は?」
眉をしかめる冬奈ちゃんの不機嫌もどこ吹く風、ワンコロは自信たっぷりにそのステッキの事を説明し始めました。
「これさえあれば、冬奈ちゃんも夢の変身ヒロイン! アニメに出てくる魔女っ娘みたいに変身できるんだ!」
「へえ? そうなの? それで準備って言うのは?」
「核融合親善大使のお仕事はね、冬奈ちゃんの為に特注で用意されたコスチュームに着替えてからやってもらうことになるんだ。その準備なんだけど、コスチュームは特注で作られていて普通に着替えると装着完了までに二時間もかかってしまうんだ。何しろ、特注だからね……」
「着付けに二時間……? 十二単でも着せるつもり……?」
「でも、大丈夫。このヘリカルステッキがあれば、コスチュームへの変身はたった三秒! どう、凄いでしょう!? よぉーし、冬奈ちゃん。早速、変身だ! このヘリカルステッキを回しながらメタモルフォーゼ、ヘリカルコイラー∞フューナ! と叫ぶんだ……!」
「いやよ、格好悪い」
冬奈ちゃんのお断りに、ワンコロは目を見開き、口をだらしなく開けて愕然とします。どうして拒絶されたのか、ワンコロには理解できませんでした。
「――そ。そんな! 変身ステッキだよ!? 変身できるんだよ!? 登録されたコスチュームをその場で物質化する、最新の核変換機構を搭載した画期的機能! これは音声認識と指紋認証、それから絶妙な重力バランスを検知して初めて起動する幾重もの安全装置までついた優れものなんだよ!? お願いだから、これを作ってくれた技術者の努力を無駄にしないで……!」
「無駄な努力だったのよ、初めから。そんなものに一体いくらの開発費を費やしたのかしら? 言ってみなさいよ笑ってあげるから」
「――ごっ……」
「五?」
「五〇億ドル……」
「あははははははは。って、笑えないわよ……!」
さすがの冬奈ちゃんも、目の前にある玩具のようなステッキが、五〇億ドルもかけて造られてしまった事には驚きを隠せません。
「お願いだよ! だから無駄にしないで! ね? 冬奈ちゃんがヘリカルコイラーって叫ぶだけで、これを作った技術者達は救われるんだ」
「い・や」
「冬奈ちゃ~ん! お願いだよ~。わがまま言わないでさー……」
「わがまま?」
「あ……」
ぴくり、と冬奈ちゃんの細い眉が神経質そうに跳ね上がります。
「そう、わがまま? これって私のわがままなんだ? だったら、この際だから本当にわがままを言ってあげようか?」
「ご、ごめん、冬奈ちゃん。今のは僕の失言……」
びくびくと震えるワンコロに、冬奈ちゃんは努めて冷静に、感情を押し殺した声で要求を伝えます。
「いい? まずねえ、音声認識のコードを書き換えなさい。メタモルフォーゼに、ヘリカルコイラー∞フューナ? ……冗長よ。チェンジ、その一言でいいわ。それから重力検知のプログラムは杖を一振りで認識、これだけよ。音声認識との同期時間には八秒の幅を持たせて。それから……そうね、杖の外観をどうにかして。こんなプラスチック製の玩具みたいなのじゃなくて、もっと硬質で軽いジュラルミン製にして、形状は細長くシンプルに……」
次々と出される難しい要求に戦慄しながら、ワンコロはしかし、全く別の問題に気が付いたようでした。
「……冬奈ちゃん。それだと正義の魔法少女というより、悪の女魔導士みたいになっちゃうけどいいの?」
「余計なお世話よ!! いいから、作り直しなさい!!」
◇◆◇◆◇◆◇
――二週間後。
『フユナチャン、宅配便が届いていますよ』
自宅で冬奈ちゃんが寛いでいると、妙に細長い箱に入った荷物が届いていました。家の家事マシンが荷物を両手に抱えて持ってきます。
『それから、お客様がお見えです。一五六号様です』
「こんにちは、冬奈ちゃん。例のヘリカルステッキ、冬奈ちゃんの要望通りに改造してきたよ」
「……ああ、そんなのもあったわねー。核融合親善大使なんて、もう仕事を終えた気でいたわ」
ソファに横になっていた冬奈ちゃんは、横目でちらりと細長い荷物を見やると、面倒くさそうに梱包を解いて中身を取り出します。
中には、銀色の重厚な金属光沢を持つ細長い杖が一本入っていました。杖全体に螺旋状のコイルが巻きつけられ、先端には円周の大きいコイルが磁場に絡め取られてふわふわと浮遊しています。
「デザインは……悪くないわね。機能はどうかしら……。チェンジ!」
冬奈ちゃんが杖を一振りすると、杖の先端から螺旋を描いて光が迸り、冬奈ちゃんの全身を包み込むと僅か三秒で変身コスチュームに早変わりします。
「やっぱり……盛り上がりに欠けるなー……。ヘリカルコイラー∞フューナ参上! ……くらいは言った方が……」
「うるさい、黙れ。アニオタドッグ」
硬質ジュラルミン製の杖で、ぼかり、とワンコロの脳天を殴りつけます。言葉も出ないほど痛かったのか、ワンコロは舌をでろんと出して白眼を剥いてしまいました。
……脳震盪はその後数秒で回復しましたが、ワンコロは一瞬前に自分が殴られた事を忘れ、改めて感嘆の声を上げました。
「ああ! よく似合うじゃない、冬奈ちゃん! いや、これからはもう、核融合親善大使ヘリカルコイラー∞フューナだね! 如何かな、フューナちゃん! 現代の最先端技術と五〇億ドルの開発費を投じて製作されたヘリカルステッキの使い勝手! それにヘリカルコイラー専用の特注エナジースーツの着心地は?」
ヘリカルコイラー∞フューナは、姿見の鏡の前に立ち、自分の変身した姿をしげしげと眺めます。
「センスないわね……。何? この腹巻みたいなのは?」
「ああ!? 大事に扱ってよ! それが核融合炉の心臓部、ヘリカルコイルなんだから!」
だぶだぶと余裕のあるコスチュームのお腹周りには、ねじくれたコイルが輪を作っていました。核融合炉の心臓部というヘリカルコイルを、乱暴に扱うフューナちゃんにワンコロは気が気ではありません。
「ふぅん……ま、それ以外の所は可愛いんじゃない? 悪くないわ」
ヘリカルコイラーの頭上には円形の超伝導コイルが浮遊し、手足にも幾つか筒状のコイルがアクセサリとして付属していました。
見た目には、白い羽衣を纏った、頭に輪のある天使。
――を、手枷足枷で捕らえている様な……少し背徳的なデザインです。銀色の杖を持ったフューナちゃんは、地上に天罰を下しに来た天界の使者、と言ったところでしょうか。
「で、この格好には何か意味があるの? 変身して出来るようになることがあるのよね?」
「うん。それは勿論、変身したことで格好だけじゃなく、色々な特殊技能を行使することが出来るようになっているよ」
「例えば?」
「例えば……そうだねえ、必殺技とかあるけど……。ちょっと試してみる? 表に出ようか、どこか広い場所で試してみるといいよ」
フューナちゃんとワンコロは必殺技を試す為に、アキハバラの電気街へと出かけます。
歩行者天国でコスプレしている人達に混ざり、広い大通りへと出てきたフューナちゃん。
数いるコスプレイヤーの衣装の中でも、ヘリカルコイラーの装備はリアルな質感でレベルの高さを見せつけます。何しろヘリカルコイラーの装備は紛れもない『本物』なわけですから、それ以上に完璧なコスプレなどありえません。
「あの、ちょっといいですか? 写真一枚撮らせてもらっても……」
「へぇー、あなた可愛いねー? 衣装、よくできてるしー。これ何のコスプレ?」
ヘリカルコイラーのコスチュームに加え、フューナちゃんの容姿も際立って、道行く人の視線は自然とそちらへ集まっていました。
「ちょっと予定外ね……人が集まってきちゃったわ」
「どこか別の場所に移動しようか? ここで必殺技を試すわけにもいかないから――」
フューナちゃんとワンコロがその場から移動しようとしたとき、少し離れた場所から女の人の悲鳴が聞こえました。立て続けに複数の人の悲鳴が上がりましたが、それも全て女性の悲鳴です。
「きゃー! 変態――!」
「こいつ痴漢よ! 露出狂よ!」
「やだ、こっち来ないで! いやあぁ! 『そんなもの』見せないでー!」
……どうやら、コスプレイヤーの中に変態さんが混じっていたようです。
「大変だ! フューナちゃん! 公共の秩序を乱す輩がいるみたいだよ!」
「あ~。そうみたいね。迷惑な話よね~」
「呑気なこと言ってないで、早く止めよう! ヘリカルコイラー出動だよ!」
「どうして? 核融合と関係ないじゃない。それに、すぐ警察が来て逮捕するでしょ……。どうしても、止めたければあんたが行きなさいよ、ワンコロ」
「僕は正当防衛でしか、人間に攻撃は出来ないんだよ。僕が出て行っても『何だ、ただの犬か』って無視されたら何も出来ないんだ! …………。……うう、僕はただの犬なんかじゃない、ただの犬なんかじゃないのに……。自分で言って悲しくなってきた……」
自分で勝手に落ち込むワンコロに、フューナちゃんは冷たい一瞥をくれるだけで、変態逮捕に動こうとはしませんでした。ヘリカルコイラーに変身していると言っても、フューナちゃんは小学五年生の可愛い女の子。
変態の前に立ったりしたら、何をされるかわかりません!
格好の餌食になってしまいます。
「頼むよ、フューナちゃん! これはいい機会なんだ! 核融合は身近で、変態も退治できるって宣伝すれば、国民好感度もアップだよ!?」
「まあ、宣伝はともかくとして……、変態を一秒でも長く野放しにしておくのは、確かに許せないかも。いいわ、必殺技を試してみましょう。どうすればいい?」
ようやくやる気になってくれたフューナちゃんに、ワンコロは尻尾を振って喜びます。ついに強力な助けを得たり、とばかりにワンコロは変態のいる方に力強く向き直りました。
「よしフューナちゃん! 必殺技の名前を大きな声で叫ぶんだ! 僕の後に続いて! せーの、ヘリカルスプリング!!」
「なにそれ、ばっかじゃないの? やーめた。付き合いきれないわよ」
あっさりと戦線離脱を宣言するフューナちゃん。
飛び出そうとした瞬間にいきなり裏切られ、ワンコロは無様に路面の上で転んでしまいました。
「フューナちゃーん……。お願いだよー。それが必殺技発動のキーワードになっているんだからー……」
「誰よ、そんな恥ずかしい設定にしたのは……。今すぐ変えなさい!」
「無理だってば~。そんなこと言ったら、もう一度ヘリカルステッキを初期化して、工場出荷前の状態に戻さないといけないんだ。再設定には特別な専用機器と、一週間以上の調整時間が掛かるんだよ?」
「何で今回の改造の時に直さなかったの!」
「そんなこと言ったって……あ! フューナちゃん、急がないと! 警察が捕まえる前に、変態が逃げるよ!」
充分に自己顕示欲を満たしたらしい変態さんは、コートの前をひらひらさせながら逃走を始めていました。関わり合いになりたくない一般市民が道をあけるので、変態さんは悠々と逃げおおせてしまいそうです。
ここで逃がせば、いつまたどこで出没するかわかりません。ひょっとするとそれは、フューナちゃんの通う小学校の通学路という可能性もあります。そんな不快な事件には、フューナちゃんだって万が一にも遭遇したくない筈です。
「必殺技の名前を大声で叫ぶなんて……。こんな恥ずかしい真似、見られたからにはこの場の誰も生かしてはおけないわ。目撃者も含めて本当に必殺ね」
物騒な思考を口に漏らしながらも、フューナちゃんはようやく決意を固めました。
すうっ、と深く息を吸い込み、フューナちゃんは必殺技を叫びました。
「ヘリカルスプリング!」
足のスプリングコイルが伸縮して、フューナちゃんは、ぽよーん、と空高く飛び上がりました。そして、遠く離れた場所まで逃走を続けていた変態さんの上に、着地。
変態さんから距離を取っていた周囲の人達が歓声を上げます。変態さんはフューナちゃんのヒップアタックで潰され、完全に気絶してしまいました。
「…………」
フューナちゃんは変態さんの上から無言で立ち上がると、お尻を丁寧に叩いて埃を落とし、離れて見守っていたワンコロの元に走って戻ります。
「これだけ?」
「うん、これは本来、移動用の技だからね」
言った瞬間にワンコロは杖でぶっ叩かれました。
「ふ……ふっざけんじゃねー! 恥ずかしいの我慢して技の名前まで叫んだのに! これのどこが必殺技なのよ!! スカートの中だって丸見えじゃない!?」
先程の歓声はそれが理由でした。
「で、でも! 一般人相手に本当の必殺技は危険だよ? 死んじゃうじゃない!」
「ヘ・リ・カ・ル・スプリング~!!」
フューナちゃんは怒りの形相でワンコロを壁際に追い詰め、どかどかどか! と、ヘリカルスプリングのバネ仕掛けで連続飛び膝蹴りを食らわします。
「ご、ごめん! フューナちゃん! 悪かったよ! 許して……! し、死むぅー……!」
時間にしてほんの十秒ほど、しかし一秒間に三連発という高速の膝蹴りで、ワンコロは既にボロ雑巾の様相です。
「ふん! まあ、必殺とまではいかなくても、使い方次第で殺人級の技にはなりそうね」
ぴくん、ぴくん、と断続的に痙攣を繰り返すワンコロを足蹴に、フューナちゃんはどうにか怒りを抑えました。何と言ってもフューナちゃんはもう小学五年生です。感情のコントロールだって自分で出来るお年頃です。
「こら、寝るな、ワンコロ! あんたにはまだ聞きたいことがあるのよ。ヘリカルコイラーが使える他の必殺技について教えなさい。口が利けないならそれでもいいわ、ヘリカルステッキの取り扱い説明書を出すのよ! 私が知りたいのは本当の必殺技なんだから。もしもまた、くだらないことを私にやらせるようなら、その時はあんたが必殺技の実験台よ。本当に必殺なのか、一撃で死ぬまで試すんだから……」
移動用の技でさえ殺人級の攻撃手段となる、ヘリカルコイラーの脅威的な戦闘力の前にワンコロが抗う術はありませんでした。
◇◆◇◆◇◆◇
……歩行者天国でちょっとした事件のあった数時間後、アキハバラの街を緑色の帽子をかぶった年齢不詳の男性が歩いていました。
「ふふふ……ついに手に入れてしまったんだな。武装少女ラジカルアトミッカーのフルアクションフィギュア、限定放射性モデル! ……二〇三〇年度版の禁制品が売りに出ているなんて、幸運なんだな~」
彼は今日、新作のパソコンゲームを買いに来ていたのですが、以前より手に入れたかった武装少女ラジカルアトミッカーのフィギュアを見つけ、つい衝動買いしてしまったようです。
武装少女ラジカルアトミッカーと言えば、子供から大きなお兄さん達まで広く人気のある美少女キャラクター。モデルは二〇三〇年に史上最悪の原子力テロを引き起こした武装集団、ラジカルアトミッカーズの女リーダーという話です。
思わぬ掘り出し物を手に入れた彼は、ほくほく顔でふと視線を空に向けました。
「やや! あれは……」
彼の視界を、一瞬何かがよぎりました。
それは少女のようでした。さらに詳しく言うならば、魔法少女のようでもありました。
「見たこともないデザインのコスチューム……それにあのハイスペックな機動力……」
飛び去っていく後ろ姿に、ちらりと垣間見えるふわふわスカートの中の純白。
「あ……ああっ、来たー! 来ましたよー! 神降臨! 新たなヴームの予感……! 早速、あのキャラクターについてリサーチをかけなければ!」