五.三 ミュータント ネプニム
――陽が沈み夕闇の訪れた荒野で、ネプニムは一匹、ギラギラと二つの瞳を輝かせていました。
「ちぃっ……ルミナちゃんてば。情に、ほだされちゃって……」
半眼になって舌打ちをするネプニムの視線の先には、ラジカルアトミッカーとしての武装を解除された留美菜ちゃんとヘリカルコイラー∞フューナ――と、犬一匹――がいました。
なんだかとても幸せそうで、遠くから眺めているだけでもネプニムは吐き気がしました。
「観念しろ、ネプニム! ラジカルアトミッカーは投降したぞ!」
不意に背後から聞こえた男の声。あちこち煤けてはいましたが、どうやらまだ生きていたらしいスカベンジャー=レッドがネプニムに向けて最後通告を言い渡します。
「なんだ、まだ生きていたのかい?」
ネプニムはレッドに一瞥をくれると、ふん! と傲慢に鼻を鳴らします。
「僕を甘く見るな……。彼女に力を与えたのは、誰だと思っているんだい?」
――それは僕だ! と主張するかのように、ネプニムは全身の毛を逆立てて真ん丸に膨れ上がりました。
「核転換能力全解放!!」
地を震わすような、あるいは盛りのついた猫のような鳴き声で、真ん丸に膨れ上がったネプニムが吼えました。
すると例えではなく大地が震え揺れ動き、あちらこちらで狂ったように隆起と陥没を起こし始めました。
「なんてでたらめな!? これが……ミュータントネプニムの真の力だというのか……!」
「あっははは、はははっは――!! 踊れ踊れ! スカベンジャー=レッド!」
「ぐっ……いったいどんな原理でこんな現象を!?」
「説明してあげようか!? 説明してあげよう! 僕の能力はね、物質の構成元素を変化させた上で、元素転換の余剰エネルギーを運動エネルギーにも変換しているんだ! どうだい、君達みたいな下等生物には到底理解できない現象だろう?」
圧倒的なネプニムの能力の前に、レッドは波に浮かぶ小枝の如く翻弄されます。揺れ動く大地に立つこともままならず、次第に抵抗を弱めていきました。
「もう限界のようだね。あっけない……。せめてもの情け、そのまま大地に埋葬してあげよう」
ネプニムがとどめの一手とばかりに、レッドの全方位から土石流をけしかけます。
「これまでか……! ……うぅ……!」
レッドは襲い来る土砂の圧力に身構え、体を強張らせました。
「…………、…………。……ん?」
しかし、いくら待っても予想していた衝撃はやってきません。
土石流は小高い蟻塚のように盛り上がり、レッドの周囲を覆い尽くしていました。ですが、そのままの形で固まっているだけで、それ以上何の変化も見せないのです。
レッドは、健在です。
蟻塚は間もなく自重に耐えられなくなって崩れ落ちました。ネプニムはその光景を信じられないといった表情で見つめています。
「どうしたと言うんだ……? 僕の能力は発動しているはず! あと一押しの所でどうして止まっている!? ええい、応えろ大地よ! 何で核転換が起こらない!!」
ネプニムは前足をぱふぱふ地面に叩きつけ、核転換能力を発動させようとします。ですが変化が起こるのはネプニムの足回りだけで、ごく限られた範囲にしか影響が及びません。
『そこまでだ!!』
聞き覚えのある複数の声が、ネプニムとレッドを囲う四方から聞こえてきます。
『ニュートロンジャマーゾル散布完了!!』
ゴールド、そしてブルー、グリーン、ピンク、四人のスカベンジャーが、再び戦いの地に舞い戻ってきました。
そう! これはネプニムを油断させる為の作戦だったのです! 決して、身勝手な理由で戦線離脱して、後からやっぱり罪の意識を感じて戻ってきたわけではないのです!
「ぐううぅ!! このエアロゾル……中性子による核転換を阻害しているのか!? くそっ、よくも……よくも僕の邪魔をしてくれたな! スカベンジャぁぁー!!」
顎が外れそうなほど大きく開いたネプニムのお口から、怪しげな光が漏れ始めます。
ネプニムの体内で高密度に圧縮された荷電粒子の渦は、凝集エアロゾルの減衰効果さえものともしません。
「させるな! 遮蔽だ、グリーン!」
「よっし、僕の出番だね。それっ」
怪光線を吐き出そうとするネプニムに対し、スカベンジャーはすぐさま防衛行動に移りました。ブルーの指示に従い、グリーンが半透明な灰色のガラス板を、ネプニムの周りにぶん投げていきます。
灰色のガラス壁がネプニムを取り囲むと同時に、ネプニムのお口から怪光線が吐き出されました。ところが、放射された怪光線はガラス壁に吸収され、壁を透過することなく消滅してしまいました。
「くはっ……!? な、鉛ガラス? ……光線の威力が減衰する! 邪魔だよ!」
ネプニムは怒りと焦りに身を任せてやけくそで体当たりをしましたが、分厚いガラスの壁は崩せません。
「今こそ、封印のチャンスよ! レッド! これを!」
「! よし、これで……!」
ピンクが投げてきたのは、人間一人が入れそうな大きさのステンレス缶でした。レッドはそれを手にして、ネプニムに駆け寄ります。
「大人しく封印されろ! ネプニム!」
鉛ガラスに囲まれて身動きの取れなくなっていたネプニムを、レッドは尻尾から掴んでステンレス缶の中に放り込みました。
『うおお! やめろやめろ! スカベンジャーどもぉ!! おおいっ、ルミナちゃぁん……! …………おい、こらぁ! フューナといちゃついている場合か、ルミナぁ!! 僕を助けろぉ!!』
狭くて暗いステンレス缶の中に放り込まれ、ネプニムは錯乱して暴れます。喚き散らす罵声がステンレス缶の中から反響して聞こえてきました。
「これよりガラス固化によるネプニム封印を行う!」
『ガラス固化だとっ……!? ふざけんなっ! や、やめろ! やめて! ルミナ! ルミナちゃ~ん!! 助けて――!!』
騒ぎ立てるネプニムを無視して、レッドはステンレス缶の口から赤熱する液状の物質を注ぎこみます。
『ぶべぼごがぶ……!! あ、熱っ! あっつぅぃい!! ふざけんな、って言ってんだろ、こら! 融けたガラスなんか流し込みやがって! べぼっ……! うぎゃぎゃっ……!』
動物愛護団体から苦情が来そうな虐待行為に、スカベンジャー達も身を切るような思いで固化作業を続行します。
「レ……レッド……。私、もう限界……。いくら極悪非道なミュータントでも、見た目は可愛い子猫なのよ! こんな惨い仕打ちをしなければならないなんて……」
「弱音を吐くな、ピンク! ……いや、そもそもこのステンレス缶は君が持って来たんじゃなかったか? これで封印しろって……」
「やだ、も~。ガラス固化なんて、私そんなつもりはなかったのよ? でも、仕方ないのよ。これも世界の平和を守るため!」
融けたガラスを注ぎ込んだステンレス缶に、更に充填材の鉛を流し込んだ後、ピンクが溶接で蓋をして完全密封していきます。一切の迷いも感じられない、職人の技でした。
「密封完了!」
『にぎゃぎゃ~! 出しやがれー……。畜生め~……』
ガラス固化体として封印が完了し、ネプニムの野望はついにスカベンジャーによって封じられたのです。
◇◆◇◆◇◆◇
スカベンジャーとネプニムの死闘が終わってすぐ、ヘリカルコイラー∞フューナが留美菜ちゃんを背負って、ぽよんぽよんとヘリカルスプリングで跳ねながら、様子を見に来ました。
「どうやらこっちも方がついちゃったみたいね」
スカベンジャー達は全員、満身創痍といった姿で思い思いに体を休めていました。フューナちゃんが司法取引で味方になったことは彼らも知っています。レッドは黙って、彼らが囲む中心にある物体を指差すと、疲れた様子で地面に大の字になって寝転がります。
レッドが指差した大きなステンレス缶の中からは、怨嗟の声が漏れ出していました。
それは随分と弱弱しい声で、ほんの数時間前までラジカルアトミッカーと共に破壊の限りを尽くしていたネプニムのものとは思えないものでした。
ネプニムは淡々とした口調で、誰とはなしに語りかけます。
『……僕はこれから長い眠りにつくだろうさ。けどそれも永遠じゃない。どんなに長くても安定でいられるのは、せいぜい十万年ぐらいだ。人間のやることだもの、どうしたって綻びは出るんだよ……。いつかこの鋼鉄の缶にも罅が入る。僕は待つとするよ、その瞬間を。復活の時をね――』
「……ふん、アホらしい。そーんな先のこと、私の知ったことじゃないわよ」
そして、ガラス固化体に封じられたネプニムは十万年後の復活を予言しながら、地下深くの放射性廃棄物処分場で永い眠りに着くのでした。
◇◆◇◆◇◆◇
「終わった……」
破壊された原子力関連施設。ヘリカルコイラーの核エネルギー制裁、そしてラジカルアトミッカーとの交戦で、何処よりも被害を受けていたのは――。
「もう、終わりだ……。この街は汚されてしまった……」
「ああ……とても一昼夜の内に起きた事とは思えない……」
「私達の電気街が……」
アキハバラの街は壊滅的な被害を受けていました。
ラジカルアトミッカー、そしてネプニムとの戦闘における中心地となったアキハバラは、他のどの地域よりも大きな損害を被ったのです。
「核融合炉は辛うじて被害を免れたらしいですな……」
「そんなこと何の慰めにもならない。この街は放射能汚染が激しくて人が住めない土地になってしまった……。皆、この住み慣れたアキハバラを出て行かなくちゃならない」
「復興には、一体どれだけの年月がかかるんでしょう……?」
ばら撒かれた高レベル放射性廃棄物や、荷電粒子砲による深刻な放射能汚染が、アキハバラを人の住めない死の街に変えてしまったのです。
ネプニムの目論んだ『殲滅のフォールアウト』が発動していれば、被害はアキハバラに留まらず、関東地方全域に拡大していたかもしれません。その最悪の事態こそ防いだものの、アキハバラの区域だけは、どうしても犠牲になってしまったのです。
「あきらめるな! アキハバラに住む諸君!」
歩行者天国の真ん中で、五色のタイツ姿が声を張り上げて、秋葉区民を鼓舞していました。荒廃した街中をタイツ姿で歩く姿は滑稽なものでしたが、誰もそのことを非難しようとはしません。アキハバラの終末的な現状を前にしては、むしろ自分もタイツ姿で練り歩きたいとさえ思ったかもしれません。
たった一日で、それほどまでに秋葉区民の心は病んでしまったのです。
「この土地の浄化は我々が必ず成し遂げる。心配ない、未来への希望はこの手にある!」
土地の浄化、という希望の言葉に、わずかではありますが人々の眼に光が戻ります。しかし、五色のタイツ姿を直視してしまうと、途端にその希望は萎えてしまうのでした。
『ファイトレメディエーション!!』
あきらめの表情でスカベンジャーを見つめる大衆に、五人のスカベンジャーはそれぞれ勝手なポーズを取りながら、声だけは揃えて、土壌汚染物質浄化のスローガンを叫びます。
その掲げられた両手には向日葵の種が一山乗せられていました。
「これは遺伝子組み換えによって開発された、放射性物質を取り込む特殊な向日葵の種。放射能の夏を乗り越え、このアキハバラ全域に向日葵の花が咲いたなら、夏の終わりと共にこの地の放射能は減衰する。向日葵の種を植えてほしい。そして、夏の終わりにその向日葵を回収しよう。そうすれば、放射性物質は向日葵の種に濃縮され、この地から取り除く事ができるだろう」
スカベンジャーは約束しました。果たして、それはアキハバラで希望の光となったのでしょうか?