第六話 選ばれた二人
第六話 選ばれた二人
それは、ある日の放課後だった。
音楽室でいつものように練習していると、駿介のスマホが震えた。
駿介は画面を見て、少し眉をひそめた。
「どうしたの?」
「あー、んっと、DMが来た」
「ファン? 駿介までモテたら、さすがに僕だって怒っちゃうんだけど」
私と大輔の問いに駿介はゆっくりと首を横に振った。
「黒覇プロデューサー」
「……え?」
「マジ? 黒覇って、マジであの? 覇王さまから? 何って?」
静まり返った部屋で、啓太が身を乗り出す。
駿介が掲げたスマホ画面には、有名な音楽プロデューサーの名前が書かれていた。
彼が触った音楽は必ず100%当たると言われている人だ。
結愛が目を丸くする。
「すごい有名な人だよね? 会いたいって書いてあるよ。駿ちゃん会うの?」
「僕は賛成、ね、駿介、会おうよ!」
数日後、私たちは高速バスに乗って東京へ、その人の事務所に会いに行った。
大きなビルだった。ガラス張りのビルに光が反射してキラキラと眩しい。
エントランスは吹き抜けで、受付の女性は田舎者の私たちにも丁寧すぎる応対をしてくれた。
しどろもどろの私たちの中で唯一駿介だけが堂々と受け答えをしていた。さすがリーダー。
黒と焦茶色で統一された高級感あふれる応接室に通される。静まり返った空間に緊張しちゃう。お腹なんか鳴りませんように。
程なくして、黒覇プロデューサーが入ってきた。年齢は四十代くらい。テレビや雑誌で見るよりも細身で、そしてとても落ち着いた雰囲気の人だった。
「君たちの動画を見たよ」
大輔が上げてくれた動画がこんなところにまで届いたのか、嬉しいよりも、どっちかっていうと恐れ多い気もする。
黒覇プロデューサーは、私たちを一人一人ゆっくりと順番に見つめた。
その視線だけで人が殺せそうなほど厳しい目だった。さっきまで普通の大人みたいに落ち着いていたのに、突然オーラが吹き出したみたいな感じだ。
なんだか嫌な予感がする。
戸惑っている私たちのことなど意にも介さぬように、黒覇プロデューサーは、あっさりと口にした。
「正直に言うね。欲しいのは麻紀ちゃんと駿介くんだけ」
その場の空気が凍る。私は言葉を失った。なんてひどいことを平気な顔して言うんだろう。四人は幼稚園からの幼なじみで、ずっと一緒で、私は高校へ入学してからだけど、すごく仲良くて今まで一緒にやってきたのに。……私と駿介だけって……。
私たちの戸惑いなんてお構いなしに黒覇プロデューサーは続ける。
「麻紀ちゃんの声は売れる、間違いなく。透明感があって伸びる声は今の時代に合う。ビジュアルもいい、アイドルでもイケるんじゃないか、でもまぁ下手に媚びて笑ったりしない方がいいか。うん、シンガーだな」
私は何も言えなかった。世界にも認められているような敏腕プロデューサーに褒められているのに、どこか遠い国の出来事をテレビか何かでただ眺めているような、そんな感覚。
黒覇プロデューサーは、次に駿介をじっと見た。
「駿介くん、君の曲はいい。音楽センスがあるし、ワードチョイスも抜群だと思う。高校生でここまでってのは間違いなく、天から与えられた才だ」
駿介は何も言わず、黙ってその言葉を聞いていた。
そして黒覇プロデューサーは、啓太、大輔、結愛の三人を順番に見比べた。
「言っちゃ悪いけど、他の三人程度ならどこにでもいる。普通の高校生だ。演奏技術はお遊戯会レベル。まぁ音楽は趣味にしておけばいい。一瞬でもこの二人とバンド組めたって、思い出で十分だろ」
啓太の拳が固く握られたのが見えた。大輔の顔は青ざめ、結愛の目に涙が浮かぶ。
私は息ができなかった。自分が褒められたとか認められたとかよりも、大切な大好きな仲間が傷つけられたことが、ただただ悲しかった。
「よく考えて返事をくれ、本格的に目指すなら、東京に来てもらうことになる。転校の手続きや住処は事務所の人間にやらせるから心配は要らない。身体だけで来てくれればいいから」
黒覇プロデューサーが部屋を出たあと、誰も喋らなかった。部屋の空気が重い。
大輔は持っていたドラムスティックを指で回しながら、困った顔で天井を見ている。
結愛は黙ったまま尖らせた唇を指で撫でている。
最初に口を開いたのは駿介だった。
「……断る」
「はっ?」
啓太が怪訝な顔をして咎めるような声を出した。私は思わず顔を上げた。
駿介は立ち上がりベースケースを肩にかけながら、いつもの調子で言った。
「俺と麻紀、二人だけって条件だろ。そんなの受けるわけない」
「なんでだよ」
啓太の声が低くなる。啓太のこんな声、初めて聞いた。
駿介は肩をすくめて言った。
「だってさ、俺、このバンドでやりたいし」
一瞬、空気が凍った。
次の瞬間、啓太が立ち上がる。
「バカかお前、プロだぞ、世界の黒覇からのスカウトだぞ、こんなチャンス、普通来ねーんだよ」
啓太は駿介を真っ直ぐに睨んでいた。
「オレたちと一緒にやりたい、そんな綺麗事で食っていける世界じゃねーだろ」
啓太が駿介のシャツの胸元を掴む。駿介は何も言わない。ただ黙って床を見ている。
──沈黙。
大輔も立ち上がったけれども、二人の間に割って入る事はできず、小さく息を吐く。
結愛が不安そうに二人を見ている。目には涙が浮かんでいる。
そして啓太は、少しだけ顔を背けた。
「帰るぞ、バスの時間だ」
啓太はそれだけ言って部屋を出た。誰も引き止めなかった。
帰りのバスの中で、五人とも口を開かなかった。ただ黙ってバスに揺られた。
行きのバスではああでもないこうでもないと夢を語っていたのに。
地元について、夕焼けの公園で、赤く染まった啓太がようやくといった感じで口を開いた。
あの時、告白してくれた時の啓太みたいだ、と思った。
「行けよ」
「え?」
私は顔を上げて啓太を見た。
啓太は笑っていて、でも少しだけ、寂しそうだった。
「お前の歌、世界に出せよ」
「でも……」
「オレさ……」
啓太は空を見上げた。こんなこと言うのはおかしいかもしれないけれども、キレイだと感じた。
カッコいいとかじゃなく、キレイだなって思った。
「マジで悔しいけどさ、お前の歌、好きなんだよ、本当にマジですごいんだよ、それは間近で見てきたオレが保証する、ってか覇王様に認められた後、オレからのお墨付きってのも変なんだけど」
私は涙が出た。なんの涙なのか分からない。悲しいじゃない、嬉しいでもない。ただ涙が溢れて頬を伝った。
「お前が三十歳になってさ、押しも押されもせぬアーティストになったら迎えに行く。この間の写真週刊誌みたいなこともあるし、今から、人生賭けるって正念場に、男の影なんて、ねー方がいいだろ、アイドルじゃなくても」
「……でも……」
「それまでにオレもギター頑張る。お遊戯会レベルなんて言わせねー。絶対見返してやる。あのクソプロデューサー」
私は泣きながら笑った。
啓太が私を好きだって思ってくれている気持ちが痛いほど伝わってきた。
その横で、結愛が駿介に抱きついていた。
「結愛は絶対別れない、別れたくないよ、えーん、駿ちゃんが大好きなんだもん」
駿介がため息をつきながら結愛の頭を撫でた。
「はいはい、お前ならそう言うと思ったよ」
「駿くんは?」
「俺も別れたくないよ」
「ほんと? 本当にほんと?」
「大丈夫だ」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの結愛を見ながら、駿介が少しだけ笑う。
「俺は麻紀みたいに顔バレしてない、所詮ベーシストなんて裏方だしな。アイドルじゃないんだし、女と付き合ってるくらいなら問題ない。まぁ一緒にお出掛けるんるんるんみたいなことはできないかもだけど」
「お出掛けなんてできなくてもいい! どうせ今までだって、駿くんお家から滅多に出ないし」
「まあな。家でベース弾いてるか、曲作ってるか、歌詞書いてるか、お前とセックスしてるかだし」
結愛の顔がみるみるうちに真っ赤っかになる。
「うわぁん! 駿ちゃんのバカァ、そゆこと言っちゃダメ!」
「まあまあ、結愛ちゃん、僕たちそれ知ってるから」
「大ちゃんまでっ、……そゆのは知らなくていいの!」
私たちは笑った。
泣きながら、笑った。
そして高校二年生になる春。
私は転校した。駿介と一緒に、芸能コースのある東京の高校へ。
もちろん不安はある。基礎から徹底的に鍛え直すという黒覇プロデューサーの意向で学校が終わったらそのままレッスンレッスンだ、毎日レッスンだ。
ボイトレはもちろん、ダンスや表現力のレッスンもある、発声、滑舌、話し方、英語や韓国語も学ぶらしい。同時にメイクやダイエットなんかも当たり前みたいにある。
マネージャーさんの説明を聞きながら駿介は『すげーな麻紀、アイドルでも目指すの?』と笑った。
せっかく一緒に転校するのに駿介はほとんど学校にも行かないと言う。
オンラインで授業を受けた後は、自室にこもってとにかく曲を信じられないくらいたくさん作るらしい。「麻紀とのユニットもだし、それ以外にもな、将来の持ち駒は多い方がいいし」と笑った。
駿介の目が遠い未来を見ている。
事務所が借りてくれたマンション。
玄関の前、鏡に向かって深呼吸を一つして、笑顔を作る。
少しくたびれたローファーを履いて、駅までの道を走る。
新生活へのドキドキと、ワクワクが止まらない。
今度の新生活は、どんな未来に繋がっているんだろう。
不安はあってもきっと大丈夫。
だって私は知っている。
遠くにいても、応援してくれる仲間がいることを。
新しい春の風の中で、私は前を向いて走った。




