貧乏伯爵家の四女で持参金はありませんけど、それでもいいですか?
数多くの作品から目に留めていただき、ありがとうございます。
それはいつもと変わらぬ放課後のことだった。
柔らかい日差しが窓から差し込む図書館で、私は夢中になってページを捲っていた。手にしているのは恋愛小説、現実では縁が無いから、せめて本の中のヒロインと同化して疑似恋愛を楽しんでいた。
私はシモーヌ、コフィネット伯爵家の四女だ。ブルネットの髪に茶色の瞳の平凡な十七歳、王立学園に通う二年生だ。伯爵家とは名ばかりの貧乏な我が家に一台しかない馬車は、一歳年下の弟が使っている。朝は一緒に登校するが、帰りは置いて行かれることが多く、私はご近所さんにお願いして送ってもらっている。
一年の時から同じクラスの友人エマニエル・エルラン伯爵令嬢のタウンハウスは我が家から徒歩圏内なので、彼女の厚意によく甘えさせてもらっている。今日はエマの補習が終わるまでここで待っている。読書は大好きだから待つのは苦にならない。
もう一冊読み終えて、次の本を机に広げた。
その時、挟まっていた封筒がハラリと机上に落ちた。
可愛らしい花柄の封筒から女性の物だとわかるが、なぜこんなところに? いつから挟んであったのか? 故意か過失か? 疑問だらけ。中に便箋が入っているようだが封はしてなかった。そして、封筒に書いてある宛名は、
「アルトゥール・ファブリ様」
思わず口に出してしまった。
ファブリ侯爵令息アルトゥール様はちょっとした有名人だ。一学年上の三年生だから接点はないが、煌めく銀色の髪にアクアマリンの瞳、スラリとした長身で超美男子の彼は令嬢たちの人気者、身分違いだが私も密かに憧れていた。麗しい見た目だけでも有名だったが、最近は良くない噂で注目を浴びていた。
元婚約者のアセンサ伯爵令嬢ベアトリス様が亡くなられたからだ。
とある夜会の最中、バルコニーから転落死された。最初は事故死だと聞いていたが、いつの間にか、アルトゥール様から一方的に婚約を解消されてショックを受けたベアトリス様が自殺した、と言う噂に変わっていた。
それは瞬く間に広がり、真偽は定かじゃないのに、アルトゥール様は好奇の目に晒されている。
アルトゥール様は寡黙な方で一見冷たく見えるが、時折見せる眼差しが穏やかで優しそうだから――私は遠くから見ているだけで本当のところは知らないが――中身はきっと温かい人だと思いたい。婚約解消の理由は知らないけど、決して人を傷つけるような人ではないと隠れファンの私は信じている。
「宛名があるのなら、渡してしまえばいいじゃない」
補習が終わってやって来たエマにその手紙を見せるとアッサリそう言った。
エマのエルラン伯爵家はうちと違って裕福だ、富豪と言ってもいいだろう。彼女専用の馬車に護衛騎士までついている。エマはゴージャスな赤毛に少し釣り目の勝気そうな深緑の瞳の美少女だから、ご両親も心配なのだろう。ただ、お勉強の方は少し苦手で、時々補習を受ける羽目になっている。
ハッキリした性格のエマからすれば、私が手紙を見つけてアレコレ思案しているのがまどろっこしいようだ。
「宛名が書いてあるんだから出すつもりだったんでしょ、その人」
「でも書きかけみたいなの、封もしていないし、出すかどうか迷っていたんじゃないかしら」
「中身を確認したの?」
「まさか、人様の手紙を勝手に読むなんて出来ないわ、もしかしたら恋文かも知れないじゃない、想いを伝えるだけにしても、婚約者のいる方に出すのは勇気がいるでしょ、下手したら大問題になるし」
恋文ならなおのこと、書いたものの出す勇気がなくて、結局は没にしてしまうことはありがちだ。
「そうよね、今は時の人だから、事件の前に書いたとしたら出すのを躊躇うわよね」
「あれって事件だったの? 事故じゃなくて?」
「本当のところはまだ調査中らしいわよ。だからアルトゥール様もあれこれ酷い言われようでね。あの夜会、私も婚約者のドミニク様と参加していたけど、アルトゥール様は来られてなかったのよ。なのに、彼に酷いことを言われて発作的に飛び降りたなんて妙な噂が立って、いない人になにを言われるのよって話」
「アルトゥール様と知り合いなの?」
エマとは一年生の時から親しくしているけど、話をしているところは見たことがない。婚約者のドミニク・ベルタン侯爵令息が三年生だから、その関係で知り合いなのかも知れないわね。
「ベアトリス様のアセンサ伯爵家と我がエルラン家は、仕事上の付き合いがあるから、三年前の婚約式には招待されたわ。本人たちとは親しくないんだけどね」
「そうなんだ、エルラン伯爵家はいろいろな事業をされているから、交友関係も広いのね」
うちの両親にそんな商才が少しでもあれば、こんな貧乏じゃなかったのに。ああ、家を選んで生まれたかったわ。
「そっか、知り合いだったらアルトゥール様に相談してもらおうと思ったんだけど……。じゃあ、どうしようかしら、差出人がわかればお返しするんだけど」
「もう、元の本に挟んでおけば?」
「それも考えたけど、悪い人に中身を読まれたら書いた方が困ることになる恐れもあるでしょ。人に知られたくない内容かも知れないし」
「それもそうね、あなたみたいな善人ばかりじゃないし、心無い人に読まれれば悪意を持って広められるか、それをネタに恐喝されるなんてこともあるかも知れないわね」
私たちはそんな話をしながら図書館から出た。この会話を聞かれているなんて、この時は思いもよらなかった。
エマと並んで馬車回しに向かっていると、突然、後ろから鞄を引っ張られた。
「キャアッ!」
なんで私なんかの鞄を!
引っ手繰られそうになったが、私は鞄を放さなかったので転んで引き摺られた。
鞄を盗ろうとしているのは男性、学園の制服を着ているが、覆面をしているので顔は全くわからない。
「ギャァァァァ!!!」
エマが天を突き刺す悲鳴をあげた。
その声に周囲の人たちが注目する。
馬車で待機していたエマの護衛騎士も駆けつけたので、気付いた男はあきらめて逃げた。
「大丈夫?」
エマに被害はなかったようだ。倒れた私に心配そうな声をかけてくれた。
しかし、差し伸べられたのは男性の手だった。
エマの護衛騎士さんかな? と見上げると、そこにはアルトゥール様の美しい顔があった。
「えっ?」
ついさっき話題にしていた人物。
こんな偶然ってあるの?
唖然と見上げている私に、
「立てないのか?」
「いえ、大丈夫…………じゃないみたいです」
右足首に激痛が走った、倒れた拍子に捻挫したようだ。
私が痛みに目を潤ませると、アルトゥール様は察して、私をヒョイと横抱きにして持ち上げた。
「とりあえず医務室へ」
キャーッ! これって噂に聞くお姫様抱っこじゃないの! それも憧れの美男に。この先一生ないだろう幸運? に私は状況を忘れてドキドキした。
「信じられなーい! 王立学園内で引っ手繰り事件が発生するなんて! 市井じゃないのよ、身元が不確かな生徒なんかいないはずなのに! でも、あなたも鞄なんか放せばよかったのに、そしたら怪我をすることもなかったでしょ」
エマは大股で歩くアルトゥール様の横、小走りでついて来てくれた。
「それはお金持ちの発想よ、うちは貧乏なのよ、財布や教科書、刺繍道具、それらを盗られたら買い揃えるお金はないのよ、この先の学園生活をどう過ごしていけばいいか、死守するに決まっているでしょ」
お姫様抱っこされている令嬢の会話ではないだろうが、それが事実だ。思わずぼやいてしまったが、アルトゥール様が聞いているのを忘れていた。彼はこんな色気のない会話をどう思って聞いただろう。
「あなた、苦労しているのね」
知らなかったとは言わせないわよ、貧乏だからいつも送って貰うお願いをしているんでしょう。
「だからこんなに軽いのか」
アルトゥール様の呟きを聞き逃さなかったエマが、
「シモーヌ! ちゃんと食事はしてるの? 十分じゃないならうちで御馳走するわよ」
「いやいや、そこまで困ってないです!」
「ゴメン、冗談だよ」
アルトゥール様は悪戯っぽく笑った。
冗談も言うんだ。意外な一面を知ってなんか嬉しくなった。でも、私ってそんなに軽いのかしら?
「それにしても、あの泥棒もおバカね、私の鞄だったらすんなり引っ手繰れたのにね」
「選択ミスだわ、泥棒の才能ないわよ」
「もしかしたら……」
エマが言いかけた時、医務室に到着した。
アルトゥール様は私をベッドに座らせると、
「じゃあ、俺はこれで」
とあっさり去ろうとしたが、
「ちょっと待ってください」
私がお礼を言う前にエマが止めた。
「シモーヌを送って下さらないかしら」
「なにを言うの、(家格が上の侯爵令息に!)これ以上のご迷惑はかけられないわ」
「ファブリ様のせいで襲われたんだから、護衛も兼ねてちゃんと家まで送ってもらわないと」
えっ? アルトゥール様のせい?
「えっ?」
アルトゥール様もキョトンとしておられるわ。彼はたまたま通りかかっただけだと思うけど。
「気付いたのよ、なぜ泥棒はお金を持っていそうな私ではなく、貧相なシモーヌを狙ったのか。身なりからして一目瞭然でしょ」
いやいや、二人とも制服だし、アクセサリーも付けてないでしょ。
「シモーヌに狙われる理由があるとしたら、アレよ」
エマは得意げに胸を張る。
「ほら、出しなさい」
〝アレ〟が何なのかわかった私は仕方なく、鞄から例の手紙を出した。
「これは?」
アルトゥール様は眉をひそめた。
「図書館で偶然見つけたんです、宛名がアルトゥール・ファブリ様になっているんですけど、差出人がわからなくて、どうしようかと思っていたんです」
アルトゥール様はそれを受け取り、宛名を見るとすぐに、
「ベアトリスの字だ」
ベアトリス様が亡くなったのは一週間前、その間ずっと挟まっていたのね。あの本って人気が無いのかしら?
「読んだのか?」
「いいえ、封筒の宛名を見ただけで中身は確認していません、人様の手紙を勝手に読むわけにはいかないし、できれば書いた方に届けたいと思っていたのですが」
「無理だな」
「そうですね」
「それじゃ、ベアトリス様のご両親にお届けすればいいじゃない、これは彼女の遺品ってことになるんだし」
エマが言った。
「俺が届けるよ」
アルトゥール様は手紙を内ポケットに仕舞おうとしたが、私は思わず取り返した。
「あ、あの、私がお届けします」
「なぜ? 俺が信用できないか? まあそうだよな、ベアトリスが転落死した原因は俺だと言われているものな」
「そうじゃなくて、見つけたのは私ですから、最後まで責任を持ちたいんです」
「この子ね、すごくお節介なんですよ」
エマが付け足した。
「いいだろう、今から一緒に行こう」
* * *
馬車の中では緊張した。だって家族以外の殿方と二人きりなんて初めてだったんだもの。それもすこぶる付きの美男、憧れの君の顔を直視できず目のやり場に困った。
「君が襲われたのは本当にその手紙のせいなのか?」
アルトゥール様に聞かれたが、
「この手紙のせいかはわかりません、エマニエルの思い過ごしかもしれないですし」
「犯人の顔は見てないのか?」
「覆面を頭からすっぽり被っていたので、髪色もわかりませんでした。ただ、この学園の制服を着ていたので生徒には違いありません、……あ、紫のネクタイでした」
目の前のアルトゥール様のネクタイを見て思い出した。紫は三年生のネクタイだ。
「そう言えば、君の名前も聞いていなかったな」
「私はコフィネット伯爵家の四女、シモーヌです。ちなみにさっき一緒だったエルラン伯爵令嬢エマニエルに馬車で送ってもらう予定だったんです」
「君の家の馬車は?」
「うちの馬車は弟が先に乗って帰りました。いつもそうなんです、難しい年頃で姉と行動を共にするのが嫌なんでしょうね」
美人でもない姉といるのが恥ずかしいのだろう。
「酷い弟だな、俺が先輩として一言言ってやろうか? 女性は大切に扱うものだと」
「ありがとうございます、弟は待望の男児だったから甘やかされて少々自分勝手に育ってしまったようなんです。貧乏なのに子沢山なのは、立て続けに女ばかり生まれたから、跡取りを産めないのかと祖母に嫌味を言われた母が意地になったからです。五人目にしてやっと男児に恵まれて打ち止めとなりました」
もうっ、私ってバカ! こんな余計な情報はアルトゥール様の耳に入れなくていいのに。つい妙なテンションになって喋りすぎてしまった。
「打ち止めか」
アルトゥール様はクスっと漏らした。クールなイケメンの貴重な笑顔をゲットした。
「俺は一人息子だから兄弟が多いのに憧れるな」
「お金持ちなら問題ないでしょうけど、うちのように貧乏伯爵家には無理がありましたね、さっきの話、聞いてらしたでしょ、ほんと貧乏なんです。でも食事はちゃんと摂っていますよ」
ちょっと貧乏を強調し過ぎたかしら、同情を買おうとしている訳じゃないのよ。
「では資産家へ嫁に行かねばならないな」
「いえいえ、結婚はあきらめています。うちの両親は社交界で顔が広い訳ではないし、うちみたいな貧乏伯爵家と縁を繋ぎたい家はないでしょう。この通り美人でもない平凡な女ですし、その上、持参金も無しでは、もうあきらめるしかないです。長女はまだ持参金を用意できたので子爵家へ嫁ぎましたが、次からは無くて、次女は王宮で侍女をしていますし、三女は同級生の騎士と結婚して平民になりました。幸い私は成績がいいので、次女のように上級侍女か文官の資格を取り、仕事に生きようと決めています」
「しっかり者だ、きっといいご縁があるよ」
そう言ってくださったアルトゥール様の微笑みが眩しすぎて、私は目が潰れるかと思った。
* * *
アセンサ伯爵家へ到着すると、伯爵夫人がわざわざ玄関まで出向き、鬼の形相でアルトゥール様を睨みつけた。
「なにをしに来たのです! その女は誰!」
家格が上の侯爵令息に向かってあまりに無礼な物言いに私は唖然とした。
「やはりあなたの浮気が原因だったのね! 今更謝りに来たところで許しませんよ!」
取り付く島もない。
アルトゥール様は伯爵夫人の反応を予想していたのか、立腹することもなく静かに対応した。
「コフィネット伯爵令嬢は、俺とベアトリスの婚約解消にはなんの関係もありません、あなたに渡す物があるのでお連れしたのです」
「そんなこと信じられますか! もっと早くわかっていれば解消じゃなくて、破棄で慰謝料も取れたのに、いいえ、今からでもファブリ侯爵家に訴えて」
私は聞いていられなくなって、夫人の鼻っ面に手紙を突き出した。
「これを読んでいただければ、誤解は解けると思います」
私は内容を知らない、もしかしたら、アルトゥール様の不利になることが書かれているかも知れない。でも賭けてみた。
「私が図書館で見つけました。宛名はアルトゥール様ですけど、もしかしたら投函するのを迷っておられたのかも知れないと思い、アルトゥール様にはお渡しするよりも、ご両親に確認していただこうと思ったのです」
遅れて出てきたアセンサ伯爵が夫人の肩を掴んで、
「こんなところではなんだから、入って頂こう」
私たちは応接室に通された。
夫人は収まらない憤怒の形相で、私を睨みながら向かいに座っている。ものすごく感じが悪い、私は彼女に睨まれる筋合いは一ミリも無いのだから。
私は手紙をアセンサ伯爵に渡した。
「これが図書館にあったのですか?」
受け取った伯爵は紳士的に尋ねた。
「はい、本の間に挟まっていたものを偶然見つけました。どうしたものか思案していたところ、ファブリ侯爵令息にお会いして、ベアトリス様の筆跡だとおっしゃったので、こちらにお届けするべきだと思いました」
「アルトゥール殿は読まれたのか?」
「いいえ、コフィネット嬢がベアトリス嬢は投函するか迷っていたのかも知れないから、遺品としてご両親にお渡しするべきだと言ったので」
正確にはエマが言ったんだけどね。
「そうですか」
伯爵が中から便箋を取り出すと、夫人がいきなり引っ手繰るように取り上げた。
そして読み始めた。
とたん、見る見る顔色が変わる。
夫人の目から涙が零れた。
読み終わり、渡された便箋に伯爵も目を通した。
伯爵は大きなため息を漏らし、
「確かに娘が書いたもののようです。こちらで預からせてもらいます。娘の名誉にかかわる内容ですから、アルトゥール殿に渡すかは少し考えさせてください」
便箋を封筒に戻した。
夫人は俯いたまま、目元をハンカチで押さえている。
「取り乱して申し訳ございませんでした、アルトゥール様。噂を鵜呑みにして一方的に責めて本当に申し訳ございません」
蚊の鳴くような声で言った。
どうやらアルトゥール様の不利になる内容ではなかったようだ。そもそも、二人がなぜ婚約解消に至ったかなんて、私はなにも知らなかったんだけどね。
私たちはそのままアセンサ伯爵邸を後にして、アルトゥール様に送って頂いた。
もう、彼と関わることはないだろう。
なんだか長い一日だった。
* * *
翌日はエマが休みだった。
帰りは誰に頼もうかと思案しながら馬車回しに向かっていた。同じ方向の人がいたら途中まででも乗せてもらおうと思っていた。
その時、突然、私の前にドミニク様が現れて立ちはだかった。
なんだか様子が変だ、激昂しているように見えるので、少し恐怖を感じた。しかし彼とはほとんど話をしたことがないので用があるとしたらエマだ。
「エマは今日休みですけど」
「お前のせいだ!」
「えっ?」
突然浴びせられた言葉に、いったい何? などと考えている暇はなかった。ドミニク様は拳を振り上げながら突進してきた。
殴られるの? なぜ?
避ける間もない。私は目を閉じながら顔を腕で庇った。
しかし、拳は私に届かなかった。
ドスン! と鈍い音がした。
「大丈夫か?」
腰を抜かしてへたり込んだ私に手を差し伸べてくれたのは、アルトゥール様だった。
視線をずらすと、彼の後方にドミニク様が倒れている。どうやらアルトゥール様が殴り倒してくれたようだ。
それにしてもなぜ? なぜドミニク様は私を殴ろうとしたの?
「立てないのか?」
デジャヴ。
昨日痛めた足首を、さらに捻ってしまったようだ。
痛みに目を潤ませている私を、アルトゥール様はヒョイと横抱きにして持ち上げた。
たちまち野次馬が集まり大騒ぎになった。
ドミニク様は学園の護衛騎士に運ばれていった。
アルトゥール様にお姫様抱っこされながら見送る私たちは注目の的、運ばれるドミニク様よりも、周囲の視線を集めているかも知れない。
「シモーヌ!!」
そこへ大声をあげながら駆け寄ったのはエマだった。
「よかった、無事だったのね、ドミニク様が飛び出して行ったから、嫌な予感がしたのよ」
私にはエマの言葉が理解できなかった。
いったいどうなっているの?
エマの提案で、私とアルトゥール様はエルラン伯爵家のタウンハウスに赴いた。
我が家とは大違いの豪華な応接室、フカフカのソファーに座ると、エマは堰を切ったように話し始めた。
「あの手紙を読んでわかったことなんだけど、まさか、ドミニク様がベアトリス様と浮気していたなんて」
しかしエマは憤慨していたので話の筋道が通っていない。あの手紙とは昨日私が発見した手紙のことよね。でもなぜエマがあの手紙を読むことになったの? いきなり浮気の話をされても……。
「ドミニク様って最初からなーんか胡散臭いと思っていたけど、彼、私の両親に対しては猫を被っていたから印象は良かったのよね。本来は女たらしの遊び人だけど、必死で隠していたんでしょう。婿養子に入るとしたら我が家以上の好条件はなかなかないもの」
エマが手紙を読むことになった経緯を聞く前に、どんどん話を続けた。
確かに、婚約者と紹介されたものの、お惚気なんかは一度も聞いたことがない。エマがこの婚約に乗り気じゃなかったことは察していた。しかし貴族令嬢として生まれた以上、家の方針には正当な理由もなく逆らうことは出来ない。
「でもオイタが過ぎたようで、ベアトリス様を本気させてしまったのよ。まさかドミニク様とベアトリス様が密かに付き合っていたなんて全く気付かなかったわ、噂にも上らなかったでしょ。そうとう用心して逢瀬を重ねていたのね。ベアトリス様はドミニク様こそが真実の愛と思い込んで、ドミニク様に相談もなくアルトゥール様との婚約を解消してしまったのよ」
「婚約を解消してほしいと言い出したのはベアトリスだった、彼女は〝運命の出逢いをした〟とか、〝真実の愛を見つけた〟とか言ってたな。その人と結婚したいから別れてくれと言われたんだ。相手が誰かまでは聞かなかったけど、婚約解消がスムーズに運ぶように俺からの申し出にしてほしいと頼まれたからそうしただけだ」
アルトゥール様が口を挟んだ。
運命の出逢いか……確かあの恋愛小説のテーマだったわね、ベアトリス様はロマンチストだったのね、夢と現実の区別がつかないくらい。
「浮気だと知っていて、破棄じゃなくて解消にしてあげるなんて、アルトゥール様もお人好しね」
エマは呆れた目を向けたが、私は彼が思っていたように優しい人だとわかって嬉しかった。
「これで自分たちは結ばれるとドミニク様に報告したけど、遊びのつもりだったドミニク様は彼女を突き放した」
「それで絶望して自殺したの?」
「いいえ、違うわ」
「手紙にはなんと書いてあったの?」
「ドミニク様に騙されていた、真実の愛なんてなかった、捨てられたから婚約を元に戻してほしい、なんて勝手なことが書いてあったわ、そんな図々しい人が自殺すると思う?」
エマの話を聞いて、アルトゥール様はなんとも言えない渋い顔をした。
じゃあ、事故だったのだろうか?
「アセンサ伯爵夫妻にとってはショックな内容だったでしょうけど、それでも昨夜、手紙を我が家にお持ちくださったの。両家は昔から事業提携で懇意にしていたから、手紙にあったドミニク様が私の婚約者とわかり、知らせてくださったのよ。まあ、エルラン伯爵家へ恩を売るためだったとも考えられるけどね」
やっと彼女が手紙を読むことなったわけがわかったわ。あの後、アセンサ伯爵夫妻が届けたのね。
「あの手紙一つではドミニク様の浮気の証拠としては薄いけど、私自身が彼を信用できないと思っていたからお父様に泣きついたのよ。それで今日さっそくベルタン侯爵家へ婚約破棄の話し合いに行ったの。浮気の証拠なんて、我がエルラン伯爵家の財力を駆使して調べれば後からでも出てくるはずだわ」
エマはいつも強気だ、きっと以前から隙あらばドミニク様との婚約を解消したいと機を窺っていたのだろう。
「ドミニク様は最初否定していたけど、ベアトリス様が亡くなった夜会の話になると急に取り乱されて……。どうやら、彼女の事故に深くかかわっていたようなの。今から思えば思い当たる節はあるわ、あの夜会は私と一緒に参加したしたけど、帰りは様子が変だったし、故意か事故かはわからないけど、彼が突き落としたのかも知れない」
「そんな……」
「ベアトリス様の件については、アセンサ伯爵夫妻が再捜査を要求するでしょうから、そのうちハッキリするはずだわ」
「経緯はわかったけど、だからって、なんで私を襲おうとしたの?」
納得できない。
「あなたが手紙を見つけたことがきっかけで露見することになったと逆恨みしたのよ、昨日のひったくりもドミニク様だったのよ、昨日の私たちの会話を聞いていたらしくて、アルトゥール様宛の手紙だとしたら、ベアトリス様が暴露している可能性があると危惧して手に入れようとしたらしいわ、でも失敗して」
ドミニク様の危惧は的中していた。でも!
「そんな滅茶苦茶な、あれは私が発見しなくても、いずれは見つかっていたと思うわ」
「そうよね、あなたで良かったわ、他の人だったらたちまち公になって、ベルタン侯爵家、アセンサ伯爵家双方もっと痛手を被っていたでしょう、もちろん我が家も」
そうよね、大スキャンダルだわ。ドミニク様が逮捕されればいずれ公になるだろうけど、噂が先行するよりもダメージは少なくて済むかも知れない。
* * *
数日後、私たちはドミニク様が逮捕されことを聞かされた。
ドミニク様はあの夜、バルコニーでベアトリス様と一緒にいたが、あくまで事故と主張をしているそうだ。裁判でどんな判決が出るのかはまだ時間がかかる。
婚約者があんなことになったエマの元には毎日釣書が山ほど届いているらしい。さすが富豪のエルラン伯爵家だ。しかし引く手数多のエマは、次はちゃんとした人を!と厳選に厳選を重ねて決めかねている。
アルトゥール様の悪い噂は払拭され、逆に浮気された被害者となった。まあそれも不名誉なことではあるのだが……。
アセンサ伯爵夫妻はアルトゥール様に謝罪し、双方の家の業務提携は続けることになったらしい。年は少し離れるが、ベアトリス様の妹と婚約してもらえないかと頼まれたと、アルトゥール様から聞かされた。
あれから一カ月近くが経っていた。
捻挫が長引いている私はなぜかアルトゥール様に毎日送ってもらっている。彼にはなんの責任もないのに申し訳ない、今まで通りエマに送ってもらおうとすると、
『アルトゥール様に怒られるから』
と、言われた。
???
今日もファブリ侯爵家の馬車で、私たちは向かい合っていた。
慣れるもので、最初ほど緊張しない。美人は三日で見飽きるなんて言うけど、美男は一カ月でも見飽きない。
「ベアトリス嬢の妹君との婚約は断ったよ」
「なぜ? いい条件じゃなかったんですか?」
アルトゥール様は大きなため息を漏らした。そして呆れたような目を向けられた。なんか悪いことを言ったのかしら?
「もしかして、ベアトリス様のこと愛してらしたんですか? まだ忘れられないとか」
「彼女との婚約は家同士の繋がりで勝手に決められた婚約だった。よくあることだろ。だから特別な感情はなくても彼女と結婚するものだと思っていた。それが悪かったのかな、彼女は真実の愛を求めていたようだから」
「そうですね、あの本を読んでらしたんだから……。でも思いの大小はあれど女性なら誰でも憧れますよ」
私だって憧れているけど、現実はしっかり見ているつもりだ。
「俺は今まで貴族の結婚は義務だと割り切っていたし、恋愛感情なんて必要ないと思っていた。でも、今は彼女の気持ちがなんとなくわかるんだ」
「アルトゥール様も読まれたんですか? あの本」
「いいや」
この一カ月で彼とはずいぶん親しくなり――そりゃ、毎日送ってもらっていたらね――私は彼を名前で呼ぶ許しを得ていた。彼も私をシモーヌと呼んでくれる。ふふっ、まるで恋人同士みたい。でも、捻挫もそろそろ完治するし、こんな関係もあと少しね。
彼はなぜか私の隣に座り直した。
「恋愛なんて小説の中だけだと思っていたけど、現実にも存在するのかなと思うようになったよ、君と出会って」
「へ……?」
なにをおっしゃってるの?
アルトゥール様のお顔が私の間近に、この距離は危険です!
「君は自分のことになると鈍感なんだね、俺がなぜ毎日君の前に現れるのか不思議に思わなかったのか? と言うか、俺の気持ちに全然気づいていないようだが」
「アルトゥール様の気持ち?」
「真実の愛かはわからないけど、ずっと君と一緒にいたいんだ」
「ええーーーっ!!」
私は椅子からずり落ちそうになった。
「そんなに驚くか?」
「だって、私なんか釣り合いませんし、いくら憧れても手の届く方じゃないと思っていましたし」
「憧れてた? じゃあ、俺を嫌いじゃないと思っていいんだね」
「嫌いじゃないどころか、ずっと……」
「ずっと」
「お、お慕いしています」
これは夢だ、きっと夢だ、でも醒めないで!
アルトゥール様はそっと私の肩を抱き寄せてくれた。大きな手の温もりを感じる。これは現実なのね……。
「なぜ、私なんかを? 美人でもないし、平凡だし」
「なんでだろうね、人を好きになるのに理由なんかないって、小説に書いてなかったっけ?」
書いてあったかしら?
「じゃあ、正式に家を通して婚約を申し込んでいいね」
両親はビックリ仰天するだろうな、それに…。
「貧乏伯爵家の四女で持参金はありませんけど、それでもいいですか?」
おしまい
最後まで読んでいただきありがとうございました。
☆☆☆☆☆で評価、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願い致します。




