IWGPソビエト大会
IWGPロシア大会としたいところでもあるが、当時は未だソビエトであった。
ソビエト人、アレクサンドル・アレクサンドロビィチ・カレリンを多くの人が御存じであるだろう。
レスリング・グレコローマンスタイル、オリンピック前人未踏の三連覇。人は、彼を「古代オリンピックからの2000年のレスリング史で最高のレスラーであり、霊長類最強の男」と呼んだ。
この後、レスリング・フリースタイルで同じ様に連覇する選手も現れるが、グレコローマンスタイルでの連覇は価値が高い。
下半身への攻撃を禁じられるグレコローマンでは、上半身を抱えて投げる大技が多くなる。より筋力が必要とされるスタイルだ。
後になって、カレリンとリングスで闘った前田日明は、
「カレリンの筋肉は、競走馬のサラブレッドと同じだ」と、ものすごいような、少しおまぬけの様な発言をしている。
さて、IWGP大会。
「私に、挑戦するソビエト人はいないか」
アントニオ猪木は、呼びかけた。勿論、このレスリング大国を踏まえての発言であったのだ。
当然、多くの猛者達が名のりを上げてきた。その中に、モンスター・ロシモフがいた。身長2メートル30、体重およそ250キロ。この数字を聞けば、もうお分かりだろう。
実は、アンドレ・ザ・ジャイアントである。
アンドレは初来日の時は、リングネームが、モンスター・ロシモフだったのである。どこかにロシア人的な姿が感じられたのであろう。
猪木は、この大巨人を指名した。周りも、この男なら、相当にやるだろうと目を丸くして見ている。
もちろんアンドレはサクラ、プロレス用語ではアングル、つまり猪木の演出というかハッタリである。
天下のアンドレ・ザ・ジャイアントは敗ける訳にはいかないという立場だったのである。
「アンドレがフォールされたら、1億円を支払う」とアメリカのプロレス団体の長であるビンス・マクマホンJr.が言ったという話さえある。
これは、裏を返せばアンドレに勝って、その商品価値を下げてはならないという警告なのだ。
確かに、1970年代のアンドレは最強だった。プロレス史、パンクラチオンとかは抜きにして、こちらは200年ちょっとと言うところだろうが、アンドレは正真正銘の最強プロレスラーであったろう。
しかし、80年代ぐらいには太りすぎた。ビールの飲み過ぎである。動きが悪くなった。
ビアガーデンで、大生を30杯ぐらい飲んだというのは有名な話だ。
そしてついに、87年に前田日明のキックによって戦闘不能に追い込まれ大の字状態。テクニカル・ノックアウトである。
ところが、無効試合という判定であった。アンドレの敗けは、つかなかった。
さて、IWGP大会。
試合が始まった。
素人巨人と見せたアンドレが、斧を持って来る。俺は、木こりだという演出である。
アンドレは、フェイクが好きだ。
スーパー・ストロング・マシンのマスクを被って、謎のマスクマンで登場した事がある。アンドレが素顔を隠したところで謎にはならない。あの巨体であれば、それは誰が見てもアンドレだ。象に別の動物のマスクを被せる様な物だ。
トップロープを、跨ごうとするアンドレに、猪木が、
「斧は駄目だ」という仕草をする。
構わすに入るアンドレに、猪木がリング外へ。下から、
「斧を捨てろ」と、盛んにアピール。逆にアンドレが、斧を振りかざして見せる。あわててレフェリーのミスター高橋が制止しようとする。しかし、空いた方の手で、弾き飛ばしてしまう。
自分の力に驚いたという表情のアンドレ。受ける観客。実は、二人はツーカーの関係だ。高橋が自分から飛んで見せている。
大袈裟に謝るアンドレ。「いい奴じゃないか」と盛り上がる観客。それで、斧は、レフェリーに手渡す。
ようやく、リングに戻って来る猪木。
「俺は、アマレスの経験があるぞ」というスタイルになる。実際に、アンドレはアマレスの経験がある。
それにちゃんと、つきあう猪木。しばらくはアマレスの攻防。
それで、既に「10分経過」に近い。
猪木が、プロレスの技を掛け始める。
戸惑う様子を見せるアンドレ。「この技は、そんなに効くものなのか」という顔。
見事なプロレスのやり取りだ。
やがて、「15分経過」
猪木は、自らロープに飛んだ。そして、反動を利用して、乾坤一擲。フライング・ボディ・アタックを仕掛けたのである。
しかしアンドレは、この攻撃に対して、飛んでくる猪木の体を、そのまま受け止めてしまった。そして、ボディ・スラム。猪木は、マットに大の字。観客は、やんやの喝采。
得意顔のアンドレ、猪木と同じように、ロープの反動を利用すると、これはボディ・アタックを狙ったのである。
しかし、猪木は、いち早く起き上がって、アンドレの自爆を誘発させたのである。巨体である。スリーカウントが入ってしまう。自らの重さによる敗戦と、観る者には思わせる説得力があった。勿論、アンドレ、フォールはアメリカに伝わりはしない。ソビエトの素人巨人が、アントニオ猪木にフォールされたのである。
ところで、猪木に挑戦の手を挙げた、柔道の猛者の中に、一人の意外な人物がいた。
ウラジミール・プーチンである。
その頃のプーチンは、KGBの対外情報部員であった。
プーチンの狙いは何であったのか、本当に猪木と闘いたかったのか。それは謎のままであった。
何しろ、秘密諜報員である。




