IWGPモンゴル大会
日本の大相撲は、モンゴル勢つまりは、朝青龍、白鵬、鶴竜、日馬富士に、日本一をも示す日下開山である横綱を、あろうことか総ナメにされてしまっていた。
ようやくに稀勢の里という日本人の横綱が現れたが、日馬富士の急角度の立ち合いの前には、土俵外に転がされ大怪我。優勝は二回だけで残念ながら消えて行った。
相撲は日本の国技なのに、日本人は弱いのかと嘆いた人も多かったろう。
しかし、ここに、一つの誤解がある。
モンゴル人のスポーツは、ほぼ格闘技か、馬に乗るかだ。
日本の運動神経の良い子は、たいがい野球をやる。(日本の国技は野球も、少しは考えたらどうだろうか)また、サッカーもある。柔道部が無い学校は少ないだろう。そして走りやスピードを要する球技でありながら、フィジカル的には、実は格闘技のラグビーもあるではないか。
ラグビーで飯が食えないでしょう、等と言われるかも知れないが、有力大学でラグビーをやっていれば、一流企業への道も待っている。空手以上に就職評価は高いと思われる。
大相撲をやって、その一般の結果は、ちゃんこ屋のオヤジぐらいだ。
つまりのところ、日本のアスリートの卵たちは、ほとんどが相撲以外の競技を選ぶ。
もし、大谷のような一流アスリートが大相撲を選んでくれれば、(太ってしまった大谷を見たくないと言うファンもいるか知れないが)
すいません。
体重170㎏の大谷は、間違いなく大横綱だ。で、白鵬は、あくまでもモンゴルでのポジションではあるが、アスリートとしての大谷なのだ。
まあ今は、大の里が、現れて、めでたしめでたしであるが。
それはさておき。
白鵬の父、ジグジドゥ・ムンフバトはメキシコ五輪のレスリングの銀メダリストだ。まぎれもなきモンゴルのトップ・アスリートなのである。
そして、それがモンゴル大会、アントニオ猪木の対戦相手であるのだった。
モンゴルの大草原にプロレスのリングを組んだ。いちおう、仕切り幕も張った。
モンゴル人はとにかく、格闘技好きだ。今でいう東京ドームぐらいの観客、馬に乗ったりして集まってしまった。あわてて幕を外して、試合は始まった。黒山の人だかりで、遠くでは、さすがモンゴル人、器用に馬の背に立ったりもして観ている。
そしていよいよ、メインイベントの試合。猪木は、プロレスというものを白鵬父のムンフバトに教える積もりであった。対ウィレム・ルスカの様に…日本でプロレスをやってくれないか。
いきなり、猪木は相撲の立ち合いの姿勢を見せる、つまり蹲踞になった。白鵬父も習う。これが実は、白鵬が大相撲に入る、きっかけとなった。猪木の願ったことは、その息子が別の形で実現したわけだ。
組み合っての攻防。モンゴル相撲には、当然スリーカウントはない。それどころか倒される、つまり足の裏以外の体の何処かが地についてしまえば敗けなのである。
猪木は組み合った。フルネルソン、エアプレーン・スピンコブラツイスト、卍固め等など。
ひとしきりプロレスの技を見せた後に、ラフファイトに移る。観客をヒートアップさせる時間帯なのだ。猪木得意の鉄拳、ナックルパート。巧みに、かわす白鵬父。が、やがて、猪木の拳がヒットする。
観客が、怒る。白鵬父が、拳を握って反撃に出ようとする。盛り上がる観客。このやり取りこそが、プロレスだ。
そしてまた、猪木がプロレス技を魅せる。トップロープに登ったりもする。
さらに、再び、ラフ攻撃。下半身へのキック、つまり、アリ・キックだ。怒る観客。白鵬父も、突っ張り等で反撃。盛り上がる観客。
こういった攻撃が繰り返されて、
「十五分、経過」とレフェリーが、日本語とにわか仕込みのモンゴル語で周囲に告げる。
頃や良しと、猪木が最後の大技への準備に入るのである。
その大技とは、勿論、プロレスの芸術品、ジャーマン・スープレックス・ホールドなのである。
白鵬父ムンフバトの背後を、猪木が狙う。そうはさせまいと、すくい投げのような体勢に入る。しかし、これも決まらない。
手に汗握る、観客。
そこで、猪木。意表をつく。後ろにまわると見せかけて、前方から頭を飛び越えて、背中にしがみつく様に回転、丸め込んだのである。
回転エビ固め。
スリーカウント。
猪木の勝利である。
しかし、猪木は立ち上がるや、すぐに相手のムンフバトの手を上げてやった。
しかも、回転する猪木の背が先についているから、モンゴル相撲でいえば、白鵬父のムンフバトの勝利なのである。
モンゴル人の観客は大満足。やんやの喝采。そして、また馬の背に揺られて家路につくのである。
そう、この満足感。
これが、プロレスなのである。




