IWGP韓国大会
大木金太郎は、韓国籍。
お分りのとおり、本名は金である。
同じ半島出身の力道山の日本での活躍を観て、なんと漁船を頼んで密入国して来てしまった男なのである。
その意味で、力道山、アントニオ猪木、国をまたぐという男達の一員。この辺りの反骨精神というか荒ぶる魂は、馬場とは違う、猪木に間違いなく近いものがあると思われる。
大木の得意技は、何といっても頭突きである。
頭突きは打撃系の最接近の技。単純といえばそれまでだが、接近戦の最も恐ろしい技ではある。
ただ頭から真っ直ぐに突っ込んでいくのだから、防御技術はほぼ伴わない。相手に、拳でも合わせられてしまえば終わり。
藤原喜明も頭突きを得意とした。
頭が固いと言う。藤原もそうは言っていた。
しかし実際のところ、人間の頭が固くなるとか、固くならないとかあるものでもあるまい。
要するに、痛くても構わないという、つまり、プロレスの跳び技や投げ技を得意としない、プロレスでは不器用な選手が用いる技ということになる。こういう選手が華やかなプロレスは苦手だけれども、喧嘩試合では力を発揮するということになりがちだ。
事実、大木は、日本プロレスでは、アントニオ猪木のデビュー戦の相手を務め、頭突きの連発で猪木を沈めている実力者である。
日本プロレスの力道山にも目をかけられ、というより、力道山の働きかけでそれが政治家までを動かしてしまった。超法規措置で、入国が認められてしまったというから畏れ入る。まあ、それが昭和という時代だ。
大木は、日本プロレスでは、馬場、猪木、坂口、大木という序列になる。
猪木、そして馬場までも独立して新団体を作り上げてしまう。それを大木はのし上がるチャンスとふんだ。
ところが、坂口征二という人は違う。あくまでも修復を試みる。それが、二番手でも別に構わない、そういう人物なのかも知れない。ちなみに坂口は、1964年の東京五輪代表の二番手でもある。
馬場は別の意味で余裕がある。NWAつまり、プロレスの世界のトップで、ヒールつまり悪役を誠実に務め上げている。ブルーノ・サンマルチノ、デストロイヤー、フレッド・ブラッシャー、一流の彼等とツーカーの仲なのである。
一方のアントニオ猪木は疲弊している。シン・ニチを早くも立ち上げたものの有力な外国人はウィレム・ルスカぐらいしかいないのだ。
そこに坂口は助け舟を出そうとするのだ。日本プロレスとシン・ニホン・プロレスの合併である。馬場と違って選手層の薄さに苦労している。ここは互いに折れ合い、うまくやって行こうではないかというのが坂口の発想だ。
この時の、日プロ二番手の大木が猛然と反対する。自分が上に出ることしか考えていないのだ。
坂口は大木を捨てて、猪木に合流する。それはそうだ。頭突きの大木金太郎ではスター性がなさ過ぎる
その後、日プロは案の定に崩壊。大木はしばらくフリーの立場で活動を続けていたが、人気も上がらず。仕方なく日本を離れ韓国へ戻ったのである。
そこへIWGP韓国大会である。
大木は手ぐすねを引いた。
しかし、坂口が言い放つ。
「猪木さんが出るまでもない。俺で充分だ」
セミ・ファイナルに位置付けられた。アントニオ 猪木は、この後に登場するのである。
大木は激怒した。
坂口征二は身長1m96cm、対する大木金太郎は 1m83cmである。坂口は大木のプロレスに付き合わなかった。身長差は歴然である。決してリングに膝をついたり、相手に頭を下げたりせず、常に直立状態で相手と向かい合った。
大木の頭突きは、下から出るだけで完全にはヒットしない。相手の技を封じてしまって、坂口は持ち前の体力と柔道技で攻め立てる。これぞ真剣勝負ではあるのだが。
大木はついに力尽きた。
観客の怒号と失望。
後味の悪いプロレスであったが、坂口は完全に勝利した。
メインの試合は、アントニオ猪木が、アステカの魔術師エンリケ・ベラを無難に下して、混乱の中にも韓国大会は終了した。