エースになりそこねた男達
プロレスラー最強の男は果たして誰なのか。これはスフィンクスの謎のように、永遠に語り継がれるような問題であるのだろうが?
私なら、断言出来る!
それは1970年代後半の、アンドレ・ザ・ジャイアントである。身長2m30、体重200㎏以上。かつていたヘイスタック・カルホーンとかマクガイア兄弟とかの200㎏以上の、ただのデブとはものが違う。アンドレは、その体で運動選手として動けた。
プロレスの技が云々、ではない。存在そのものが最強なのである。
もし、アンドレが他のスポーツをやったとしたら、柔道など格闘技系の金メダリストだったろうし、ハンドボールのゴールキパーでも良かった。もともと彼は、プロレス以前にはハンドボールをやっていた運動選手なのだ。
そんな人間がプロレスをするならば、相手をコーナーに追い詰めて背中でもって、もたれ掛かるようにするだけで危険な技になってしまう。もし、アンドレがトップロープからの急降下でもやったひには、リングに死体が出来る。だからやらないだけで、70年代後半の彼の運動神経ならばトップロープに駆け上ることも可能だったと思う。
そんな最高レスラーを日本人で相手に出来たのは当然の如くアントニオ猪木だけ。
そう思われるが、実は違う。もう一人、いる。それはキラー・カーンだ。
キラー・カーンこと小沢正志、元大相撲幕下。本人によればカーンではなく、カンと呼べと。確かに、昭和のジンギスカンで、カンは、大王の意味らしい。しかしながら、今はジンギスカンではなく、チンギス・ハーンと、それは伸ばすらしいが。
昭和56年つまり1981年5月、アメリカのボストンでキラー・カーンはアンドレ・ザ・ジャイアントの左足を゙骨折させている。
さらに昭和57年。第5回MSG優勝決定戦を猪木は棄権する。体調不良もあったのだろうが、対アンドレならキラー・カーンが居るではないかとの思惑があってのことと思われる。
この頃には、カーンは195cm、130kgに達している。以前のカールゴッチ杯の優勝決定戦で藤波辰巳に負けた頃の面影はもはやない。
先にカーンはアンドレの足を折ったとしたが、裏話がある。実は80年代のアンドレは体重増加で膝を悪くしている。それをカーンが察知して、見せかけのダブル・ニー・ドロップを放って試合をいち早く終わらせて、結果的にアンドレの体調悪化を救った。
八百長云々などという子供っぽい意見などは、この際無視である。相手のアクシデントを察知する。そして、フェイクの大技を掛けて、観客を゙納得させてしまうウィン、ウィン。これぞ、プロレスというワークなのである。
また小沢正志は藤波辰巳に新人の登龍門ゴッチ杯の決勝に敗れたと書いた。いかに藤波とて、陸上部の経験がそこそこしかないのに、対して幕下とはいえ大相撲経験の小沢が負けるはずがなかろう。それは、藤波のルックス、アイドル性に敗北する役割を引き受けざるを得なかったのが疑いのないところであろう。
さて、プロレスの底無し沼の話はさらにさらに続く。
そもそも、アンドレVSカーンの足折のフェイク試合といえるものは存在しなかったというのだ。このスーパーヘビー級対決のプロパガンダとして、でっち上げられたエピソードに過ぎないというのだ。それならそれで、いや、それならそれこそ面白いプロレスの底無し沼の話である。
ところがである。話はまた入り組んで迷路をつたい続ける。カーンがアンドレ連戦の誉から凱旋帰国して、テングの鼻高々になってしまう。
そして!
制裁試合が下されるのである。
その制裁の主が、あの藤原喜明なのである。テングのカーンに対して、頭突き。それから定番の関節技。カーンはリングアウトを装って敵前逃亡、控え室に逃げ帰ってしまったのだ。ただ、俺は、こんな奴とは、やってらんないからねの表情は残している。もしかしたら、観客には格下相手にマジにはやらないよと見えたかも知れない。それもプロレスだ。
とはいえ、この「キラー・カーンを少し懲らしめろ」指令はアントニオ猪木から出ているに決まっている。ヤル気になりゃ、藤原ならやれると猪木は、ちゃんと分かっている。
余談に近いが、藤原は坂口征二にシングルで、一度だけ勝っている。坂口は猪木に次ぐ、つまりナンバー2のポジションだ。普通のプロレスの試合としてならあり得ない。
恐らく何らかの制裁の指令がアントニオ猪木から、藤原喜明に下ってのことであろうと思われる。