表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

もしも藤原喜明が藤波辰巳の顔だったら

 藤波辰爾は藤波辰巳だった。辰巳の巳は、蛇の意味だから、それが嫌だったのだろう。辰爾の爾は、なんじの意味で、つまり「おまえはドラゴン」ということになるから、それが良かったのだろう。

 その藤波辰巳は16歳で日本プロレスに入門している。格闘技経験はない。身長こそ180に近いとはいうものの、体重は70キロもなかっただろう。

 そんな彼がプロレスの出世街道を゙走り出す。プロレスの技に忠実だからである。さらには、見た目は勿論である。ベビーフェイス。細身の、しかしながら脂肪はいっさい感じないような筋肉質の体。その優しげな若者が荒くれ男のプロレスラーの技を逃げることなく必ず受けまくる。見る側には悲壮感さえ感じられる。この細い男の子は潰されてしまうのではないか。

 ところが、彼は運動神経に恵まれている。ここで断っておくが、それは格闘技能力とは、また別種のものだ。言ってみれば華麗なダンスのようなものだ。いや、決して悪い意味ではない。ファンは確かに、それに熱狂した。

 最後には相手をリングの外に放り出して、ロープの反動を利用して、そのリング外の相手へと飛ぶのである。ドラゴン・ロケット。飛龍。人気の出ないはずがない。

 藤波辰巳は、アントニオ猪木の一番弟子になった。

 一方の藤原喜明である。身長、体重もあまり藤波辰巳と変わらない。しかし年齢は上で23歳になってから、プロレスにようやく入門。しかもプロレス技のセンスは普通。

 藤波辰巳のジャパニーズ・ローリング・クラッチ・ホールド。プロレスの神様のカール・ゴッチがアントニオ猪木は為に考案したから、ジャパニーズと称される技である。この技を華麗に決めてみせるのが藤波辰巳のセンスである。

 藤原喜明は重たかった。プロレスの動きも、そして顔までもである。そんな彼のエスペランサは関節技であった。

 不思議なことにプロレスの道場ではプロレスの技を練習しない。練習するのはスパーリングと称する関節技なのである。果たして何故そうなのか?

 答えは非常に複雑だが、プロレスに於いて相手を本気にさせない為であるかも知れない。プロレスの技は相手が受けようとしなければ成り立たない。少しでも相手に本気を゙起こさせてしまえば、複雑窮まる展開へと発展してしまう。つまり、喧嘩試合である。

 一般的には、そういうことは起こらない。プロレスラーとしての格の序列が、きちんと存在しているからである。格とは何のことなのか?

 簡単に言えば、人気である。

 しかし、その格に対抗して本気、つまりプロレスの技を受けない不届き者も現れかねない。その用心の為に練習している。

 それと誤解のないように断言しておこう。プロレスの技は練習して出来るものではないのだ。それは、ファンからの見た目に基づく華麗なダンスのような所作と見た目の天性のものなのだ。

 AWA世界チャンピオンのニック・ボック・ウインクルは「相手がワルツを踊ればワルツを踊り、ジルバを踊ればジルバを踊る」という名言を残している。

 藤原喜明に、それはなかった。特に見た目はである。しかし、アントニオ猪木はプロレスを゙逸脱した格闘技戦を仕掛け始める。そのような時に、スパーリングパートナーとして、傍に居たのは藤原である。彼には類まれな関節技の技術があるからだ。

 よくカール・ゴッチ直伝なのだろうと言われるが、そうでもない。ゴッチは「私に最も近づいたのは、木戸修である」と発言している。藤原ではないのだ。

 おそらく彼は、アントニオ猪木から「プロレスの技はいいから、関節技を極めろ」と言われている。それだけの能力があると、猪木が見て採ったのである。

 藤原は来る日も来る日も道場で、関節技に明け暮れる。いや、複雑な人間関係のプロレスより、関節技を極める楽しさを感じていたのではなかろうか。そして自らの能力で、完成の域に達する。ちょうど師匠を持たずに、己の力で二刀流を完成させた宮本武蔵の様に。

 

 ここで、もしもがある。

 もしも藤原喜明に藤波辰巳のベビーフェイスがあったら。おそらく彼は猪木の後継者となっていただろう。いつもはプロレスをこなし、いざとなれば天下に名を成す格闘技者を、片付けてしまう。例えばヒクソン・グレイシーも。

 シン・ニホンは世界を制覇するIWGPへと格闘技戦主体で乗り出していったことだろう。

 藤原に藤波の顔はない。天は二物を与えずか。いや、もし藤原にアイドル性があったならプロレスの試合にも忙しくなり、来る日も来る日も道場で関節技の探求に明け暮れるなどは無理だったかも知れない。

 しかしながら、ここに一つのミラグロ(奇跡)は、紛れもなく存在していたのだった。

 アントニオ猪木。アイドル性を持ちながらも、異種格闘技戦も満天下にこなして見せたていた。それこそが若き日のアントニオ猪木。紛うことなき、その人であったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ