IWGPアメリカ大会決勝戦
ジャイアント馬場は、実は日本を嫌っている。日本という余りにも小さな、この島国を。
いや、それは勿論、馬場の本来の心ではない様にも思われる。2メートル9センチ。日本人離れした馬場の、その大きさを受け入れるでなく、珍しい者としてしか見なかった日本人の好奇の眼が原因なのかも知れない。
馬場は、心優しい。
何も人を虐げてまで、のし上がろうとは思っていなかった。猪木とはかなりそこが違う。
しかし、アメリカという自由の国に力道山から遠征を許され行ってみれば、まさに自由の国のプロレスであった。身体的特性は、プロレスの特性として、ちゃんと受け入れられた。
NWA。世界最高峰のベルト。それに三度連続で挑戦するという快挙も与えられた。無論、チャンピオンにはなっていない。それは、NWAはアメリカの為のプロレスでなければならないからだ。
アントニオ猪木は、例によって、このNWAを標的にした。それがIWGP構想であったのだ。台湾から始めて、世界をサーキット、各地域を制圧。最後はアメリカのチャンピオン・ベルトまでも統一してしまおうというものだ。
アンドレの「俺達が、世界最強だ」との一言で、その機会は、思いがけなく早く実現しそうであった。
馬場は、猪木とボックとアンドレが手を組んだと感じた。厄介な実力者達である。この三人ならば、確かに世界統一も夢ではないのかも知れない。
時の、NWAチャンピオンは、ブルーノ・サンマルチノである。
「サンマルチノが、危ない」
馬場とサンマルチノは、旧知の仲である。
馬場は考え込んだ。
そして、ついに結論に至った。
「NWAを、私が守らなければならない」
その為には、自分が犠牲になっても仕方がなかろう。
「猪木と、闘おう」
馬場は猪木に直談判。自分の対戦と引き換えにNWAからは手を引けと。
なんと、猪木は受け入れた。NWAよりも、馬場の首が欲しい。暴君、力道山によって、猪木は馬場より格下と決めつけられた。その恨みは、骨の髄まで染み込んでいる。
その結果は、馬場は、パク・ソンナンのように猪木の為に血だるまとなってしまったのか。
いや、実は違う。
猪木は、馬場の三十二文砲というドロップキックの前に、スリーカウントのフォール敗けをくらったのである。
何故か!?
実は、猪木には、事業の失敗により億単位の借金があった。馬場は、その借金を肩代わりしてやろうとも申し入れていた。
猪木は、その借金に苦しんでいた。馬場が、それを無しにしてくれるというなら、猪木は首を縦にするしかなかったのである。
このアングルを知ったボックは、猪木の下を去って行った。
アンドレは、パーカーを被って会場に来ていた。観客を装いたかったのかも知れない。しかし、それは無理な話だ。アンドレは、誰が見てもアンドレだ。
試合が馬場の勝利に終わると、リングに登場。考えているのは、何をすれば、この会場のフィニッシュを満足に感じて貰えるか。
アンドレは、着ているスエットのパーカーを、倒れている猪木に掛ける。猪木の体は、すっぽりと隠れた。猪木は、そのパーカーの下で眼を開いた。
「3億か」
そこには涙と笑いが同居していた。
アンドレは、勝者の馬場の足元に膝をついた。両足に首を差し入れる。勝者を肩に担ぎ上げた。
肩車だ。
2メートル9センチの馬場。
その東洋の巨人を肩車して、様になるのは。2メートル30センチ。世界広しと言えども、世界8番目の不思議、大巨人アンドレしかいないであろう。
このフィナーレは、アメリカの観客にも、興味深いものであった。




