8. リレー、そして信じる心
寒い季節が過ぎて行き、新年度を迎えた。綾菜は小学校四年生、高学年の仲間入りである。
「どうしてまた走るんだよ……」
四年生になって早々、体育の時間はリレーの練習である。秋の運動会に向けてバトンパスの練習やチームワークを良くするために、一学期から走らされるのだ。
ついこの間まで辛い持久走シーズンであったのに、また走るのか……しかもリレーはさらに緊張する。運動が苦手で五十メートル走のタイムも学年最下位の綾菜にとって、リレーのチームに迷惑を
かけてしまわないか、プレッシャーを感じる。
さらに高学年ならできるでしょう、という目に見えない圧力。最近まで低学年だったのですが。
「リレーの順番もチームの皆が納得するように決めましょう、皆で力を合わせましょう」
そんな自信はない。綾菜は立場的にもクラスメートに意見しづらく(そもそも走りたくないのだが)、体育の時間がますます苦手となっていた。
結局その日の練習でバトンパスに失敗した上に、他のチームが速くてビリとなった綾菜のチームの雰囲気は最悪であった。
「ごめん……」と綾菜。
「いいよ、また頑張ろう」
クラスメートが優しいのが救いである。
家に帰ってから引き出しの中に入った布切れを眺める。綾菜は戦国時代を冒険する夢を見たことが何度かある。目が覚めると出会った戦国武将に関する何かが枕元にあるので、本当に夢なのかはわからない。
その中でも綾菜に影響を与えた一人の武将のお兄さん……人の心や相手を思いやる気持ちを忘れないよう教えてくれた。お兄さんには二回会えており、この布切れはおそらくお兄さんが身につけていたものの一部。
小学校生活がどれだけ忙しくても、この布切れを眺め、お兄さんへの想いに浸ることは忘れない。
また会うことができるのだろうか……今どうしているのかな。
もちろんその武将は歴史上のあの人だということは、図書室の本で調べたため分かっている。なのにどうして「今どうしているのかな」なんて思ってしまうのだろうか。
「お兄さん……会いたいです……」
そうお空にお祈りして綾菜は眠りについた。
※※※
綾菜が目覚めたのはある城の中。
お兄さんのお城かな?
廊下をトコトコと歩いて行き、奥の部屋に入るとそこには城の主であろう貫禄のあるおじさんがいた。
「えー? お兄さんじゃない……」
初対面のおじさんに向かってデリカシーのない言葉を発する綾菜。この戦国時代である。「無礼者!」と言われて一撃をくらってもおかしくはない。しかし、そのおじさんは微笑んで一言。
「おやおや、可愛らしい姫だこと」
綾菜を怪しむことなく迎え入れてくれた。
「おじさんは、戦国武将なの?」
「ほほう、わしのことが気になるというのか? 確かにこの世は戦国の世じゃ。わしはこの辺りの領地を手中に収めておる」
「え、おじさん強い人だ」
「わしはこの家を大きくすると昔から決めておった。だが、この一帯も多くの領主がおるからな。彼らをまとめ上げる力が必要でな。今までも多くの戦があった。そしてまだこれからも戦は続いてゆくであろう。わしの息子達の代まで……だが必ずや息子達はやってくれる。戦を通じて力をつけ、この家をさらに繁栄させてくれると、わしは信じておる」
「そうなんだ……」
こんなに優しそうなおじさんでも、これまで何度も戦って今の地位を手に入れたんだ。自分の子ども達のことまで考えているなんて。
分かっていたが戦国の世は長すぎる。親から子どもへ、そしてまたその子どもへ受け継がれるものは、平和な世の中であってほしいものである。でもここは戦国時代。将来の子ども達のことを信じながら、このおじさんは“今”を生きている。
「さて、そろそろか」
おじさんがそう言うと部屋に三人のお兄さん達が入ってきた。
「父上、お呼びでしょうか」
この三人はおじさんの息子のようだ。
「うむ、今日はお前達に大事な話がある。お前たちは、それぞれ別の領主の養子となるのだ」
「はい、分かりました」
詳細を話した後に息子達は部屋を出る。綾菜は驚く。
養子って……家族バラバラになっちゃうってこと?
「ちょっとおじさん! 何で家族が別々になっちゃうの? あたしは嫌だよ……親と離れて別の所に行くなんて。おじさんだって寂しくないの?」
「そなたはまだ幼いから寂しく思うのであろう。わしも全く寂しくないと言ったら嘘になる。しかし一緒にいることで、一度に領地を奪われてしまっては誰も生き延びることはできぬ」
「それはそうだけど……」
家の誰かが生き延びるために、辛くても離れて過ごさなくてはならない。どこで戦が起こってもおかしくない世の中において、一緒にいることは危険なことなのか。
「それにここで生きるのに大事なのは、別の領主達との繋がりを持つことじゃ。息子達を領主達の養子とすれば、彼らとの絆が深まる。別の領主達も含めて仲間にするということだな。結果的にわしがこの地域をまとめるのだよ」
「そうなんだ……」
確かに政略結婚とかいう言葉もあるし、身内を利用しなければ人との繋がりが途絶えてしまう。戦の世の中であっても人付き合いが大事だというのは、前にも聞いたことがある。
「さぁお前さんも今日は早く寝るが良い」
「ありがとう、おじさん」
※※※
それから数日後、
「あの領主が家臣に打たれただと? それはまずい」
どうやら、息子の一人が向かった領主の家臣が裏切り、自分の勢力を拡大しようとしているらしい。
おじさんは戦に行く準備をする。いくら領主をまとめようとしても、自分がのし上がることを考えて裏切り行為が発生する。そして結局それを解決するのは戦のみ。
このおじさんなら人柄の良さで領地をまとめ上げられそうな気がしたが、そうはいかないのが戦国の世。綾菜は胸が苦しくなるが、やっぱりおじさんについて行きたいと思った。
「良かろう、しっかりつかまっておくのだよ」
おじさんの馬に乗って戦場へ向かう。相手の兵士軍、また多そうである。
「落ち着くのだ……今ではない」そう言いながらおじさんはタイミングを待つ。
ど真ん中にある小さな城に入ろうとする相手の兵士軍。
「あの城はわしの建てた城……だがあの中には誰もおらぬ……今だ! 取り囲むのだ!」
てっきり城の中におじさんの兵士軍がいると思った相手方は周りを囲まれ、逃げ場もなく一気に斬り倒されて行った。
「ここまでか……」そう言って相手方、つまり領主を裏切った家臣は自害した。
強い……おじさんは優しいだけじゃなくて冷静で周りをよく見ている。いつの間にか戦略も考えており、リーダーとして自分の軍をまとめるのも上手である。それだからきっと今まで多くの領地を手に入れられたのだろう。
相変わらず犠牲者は多いが、戦いが終わった後のおじさんの横顔は凛々しくて格好よく見えるので、綾菜は戦国武将に憧れてしまう。
そして、おじさんの城に戻って来た。
「おじさんはリーダー的存在だね、チームでも、この地域でも」
「ん? りーだー? ほほう。面白い言葉を使うのだな」
「あたしもみんなと力を合わせて頑張りたいな……」
「そうか、大事なのは人との絆。相手を信じ、自分の考えることを伝えるのだ。仲間を増やして共に戦う……この世を生きるために」
「相手を信じる……?」
「そうじゃ、時に今回みたいに家臣が反発することもあろう。だがわしは、まず相手を信じて絆を深めることから始めておる。最初から疑っていては……誰もわしについてこないだろう?」
「そうだよね……」
「お前さんなら出来る。懸念するでない」
そう言っておじさんは部屋から出て行った。
綾菜もついていこうとしたが……あ……身体が……スローモーションになっちゃう。
※※※
そしていつも通りベッドで目を覚ました綾菜。
あのおじさん……すごい人だった。今回は絆の大切さを教えてもらえた。
枕元には、あのおじさんが戦いの時につけていた、兜のツノの一部分だろうか。少しくすんだ金色のカケラが置かれていた。引き出しに大切にしまって学校へ行く支度をする。
今日は学校でリレーの順番を話し合う日であった。これまでは、走りたくないし皆の足を引っ張ると思っていた綾菜であったが、おじさんが言っていた相手を信じて絆を深めることの大切さを思い出す。
「あたし、走るのは遅いから……前と後ろに速い人がいてほしい」
自分から言ってみた。こんな自分が意見して良いのか迷ったが、クラスメート達をまず信じたい。
「そうだね、綾菜ちゃんが安心できるように僕がダッシュするから」と足の速い子が言ってくれた。
ホッとする綾菜。その後も皆が様々な意見を出し合い、どうにかリレーの順番が決まった。
このチームなら頑張れそう……綾菜は苦手なリレーに少し希望を持つことができた。