43. 大陸出兵
運動会も終わってホッとした綾菜。同時に今夜、何かが始まる予感がした。
「まるで運動会が終わるのを待っててくれたみたい。長い戦が始まるのかな。大陸出兵って言われてたような……」
緊張していたものの、布団に入って割とすぐに眠りに落ちた綾菜だった。
※※※
目覚めた綾菜。部屋には真宗がいた。
「ま……真宗様っ」
「おう、目覚めたか。綾よ。出兵の準備を」
そう、今日は大陸出兵当日。
「猿時殿は海外も征服したいとお考えだ。そのためにまずは北にある“紅の大陸”に出兵する。ここを通路にする必要があるのだ」
「はい、真宗様」
「綾、これを」
そこには一本の刀があった。
「これは……?」
「我が使っていた刀だ。そなたならうまく使えるはず」
綾菜が刀を握りしめると力が湧いてくるような気がした。
(不思議……真宗様のお力を感じる。まるであなたから力を分けてもらえたみたい)
綾菜は忍びの服に着替えて馬に乗り、真宗と共に軍が集合する北西地方まで向かう。誠から譲られた弓矢を背負い、真宗からの刀を持つ彼女。両方とも同じように自身を守ってくれるような気がしていた。
真宗の被る兜を見て綾菜は驚く。
誠様の兜に似ている。
兜の前立ての形が同じ三日月型。印象的だったから忘れもしない。
真宗を見るたびに誠様を思い出してしまう。
誠様と同じく“人の心”を大切にしてそうなお方。
誠様に惹かれるように真宗様にも惹かれている自分。
これから戦というのに心が温まる綾菜。
真宗と一緒なら乗り越えられるとさえ思う。
彼女にとって大切な人がいることは、それだけで大きな力となり得るのだろう。
その頃、同じく真宗も考えていた。綾菜と出会ってから大事なことを思い出しそうな気がしたのだ。彼女と一緒にいたいと考える一方で、大陸にも出兵しなければならないのだが。
天下人の猿時の元にいるものの、心は満たされない日々。だけど、綾菜がその隙間を埋めてくれるように感じる。
ここまでして出兵する意味は何なのか。
だが、綾菜が後ろにいると思うと不思議と心強い。
彼女は一体何者だろうか。
初めて会った気がしないのは何故なのか。
そして――天下のその先には一体何があるのだろう。
港に到着する頃には空は燃えるような朱に染まっていた。無数の軍船が並び、その中のひとつに真宗が立っている。白銀の甲冑に身を包んだ彼の背中は、夕日を受けて黄金にも見えた。
「この海の向こうに、未来があるのか」
強いけれど、不安そうにも聞こえる声を聞いて、綾菜は胸の奥がざわめく。
「猿時殿の望む“征服”とは、違う形で平和を築けるはずだ」
彼の言葉で綾菜は理解した。
これは“征服”の旅ではない。真宗は“紅の大陸”を奪おうとは思っていない。ただ、その先に見える平和の構図を、誰よりも早く手に入れようとしているだけなのだ。
でも――この旅路は、きっと簡単なものではない。
真宗は振り返って綾菜に微笑みかける。
「綾、怖いか?」
「少しだけ。でも、あなたがいるから」
「そうか。ならば安心せよ。私は、そなたと未来を見るためにこの海を越える。そなたと我は離れない運命なのだ」
その言葉に、綾菜の心臓が跳ねた。
今の言葉……どこかで……。
夢の中の遥か遠い記憶。あの日、誠様が言ってくれた言葉と……まるで同じ。
胸の奥が熱くなり、震えそうになる自分をなんとか抑えながら、綾菜は静かに頷いた。
「……はい、真宗様」
(私もあなたと一緒の未来を歩みたい……きっと大丈夫)
同じ頃、別の船に乗った勝も翠に呟く。
「……いつまで征服のために戦を続けるのだろうか」
「そうね。天下が統一されても不安定な世の中だわ」
「もし我に何かあれば……」
「そんなこと言わないの。きっと天は味方してくれる」
「殿みたいなこと言うんだな」
帆が上がり、旗が翻る。
その瞬間、艦隊は静かに大陸への航路へと漕ぎ出した。
※※※
やがて大陸の海岸線が霧の中に現れた。
上陸戦は、予想以上に激しかった。敵の伏兵、入り組んだ山道、慣れない地形。そして何よりも――物資の不足。
「兵糧船が敵の水軍に襲われたようです!」
「補給線が断たれれば、長期戦は不利になります!」
兵士たちの声が交錯するが真宗は、一歩も引かない。
「勝てぬと判断すれば退く。それが命を繋ぐ道ならば、それもまた未来だ」
そう言って、彼は静かに戦地の地図に手を伸ばした。綾菜は心配そうに真宗を見つめる。この大陸の兵力がどれぐらいなのかが分からない……本当にうまくいくのか。
「だが、今はまだ退く時ではない。ここが未来への分水嶺……ならば、耐えよ。全軍、陣を引かず、敵の進軍をここで止める」
真宗の指示に兵たちも頷く。
その夜――
夜の闇と霧が敵の目を欺いている。今しかない。そう判断した真宗が、自ら先頭に立って小舟に乗り込んだ。大きな軍船では敵に見つかるためこの方法をとった。
波が舟の側面を叩くたび、全員の心臓が一瞬止まりそうになったが、やがて陸の影が近づいてきた。綾菜は真宗につかまって震えていたが、彼が優しく手を取ってくれた。
「見えた。ここだ、上陸する」
真宗の短い命令に、兵たちはすぐに動いた。波に濡れながら、ぬかるんだ地面に足を取られながら、それでも一人また一人と、確かに上陸していく。
全員が無事に岸に上がったのを見届けると、真宗は静かに頷いた。
「よくやった。ここからが本番だ。あの丘を越えれば、敵の背後を突ける」
朝の気配が、東の空をわずかに照らし始めていた。
「まだ間に合う。未来を奪わせるな。進め!」
その言葉に、兵たちは濡れた衣のまま立ち上がる。目の前には敵の陣、そして彼らが守るべき仲間たちの未来があった。
「綾、無理はしておらぬか」
「はい、どうにか」
真宗が綾菜と一緒に濡れた岩場を越え、丘の裏手まで進んだ時だった。
「止まれ……!」
低く鋭い声が、霧の中から響いた。次の瞬間、矢が一本、真宗の足元に突き刺さる。
――罠だ。
そう思った時にはもう、四方から無数の兵が現れていた。霧に紛れていたのは、味方ではなく敵の伏兵。
「まさか、我らの動きを読まれていたとは……!」
兵士が悔しそうにしているが、真宗は顔色一つ変えず静かに言い放つ。
「全軍、退け。ここは……我が」
「しかし真宗様――!」
「生きろ、それが未来を繋ぐ道だ。人の心こそ、未来を変える」
その言葉に、綾菜の胸がぎゅっと締めつけられる。言い回しが誠にそっくりである。
彼は自ら刀を捨てた。兵たちの前に立ちふさがるように一歩、踏み出す。
「我がこの軍の総大将、真宗だ。我一人で十分であろう、ほかの者には手を出すな」
敵兵たちがざわめく。
「……連れて行け」
剣を突きつけられながらも、真宗は一度も背筋を曲げなかった。
「真宗様ぁー!」
綾菜が涙ながらに叫ぶが、彼は振り向かない。
一緒に天下の先の未来を見ようと約束したのに、自ら捕まってしまうとは。
彼女は身体を震わせながら、その場にうずくまる。しかし次の瞬間、顔を上げて決意を固めた。
「――私が、真宗様を助ける」




