36. 高学年、そして船に
「担任の猿川です。一年間よろしくお願いします」
「猿だ!」
「うわっ 猿川って!」
五年生の担任は猿川先生という男の先生。これまでずっと女の先生だった綾菜は緊張していた。高学年を担当する男の先生は怒ったら怖い。そういったイメージしかないのだ。
そして苗字の「猿」を男子にいじられ、軽くかわしながらも……目が怖い。クラスは三クラスから二クラスとなったので四十人が教室にいる。人数が多すぎて、緊張しすぎて、自己紹介の用紙が真っ白だ。
「綾菜さん」
休み時間に猿川先生に話しかけられた。驚きすぎて声が出ない。
「自己紹介の順番、後の方がいいかな? もし前に出るのが緊張するなら、お友達と一緒でもいいからね」
綾菜はコクコクと頷いていたが、何の頷きなのか分かっていない。
「綾ちゃん、僕と一緒に自己紹介する?」
渉が声をかけてくれた。
渉くんと一緒なら大丈夫そうだ。根拠はないのだけど。
「うん……」
ようやく一言話せた綾菜。
「おお、ありがとう! 渉さん」と先生も笑顔になった。
※※※
「猿川先生は本当にいい先生ね」
綾菜の母親が言う。
「ねぇママ、前の先生の方が可愛いかったし良かった」
「そうね、あの先生も良かったわね。だけど猿川先生は始業式の日に電話をくださったのよ」
「そうなの?」
猿川先生は綾菜の前の担任の先生から引き継ぎを受けて、個別に保護者に連絡していたようだ。
「だからね、綾菜。困ったことがあれば誰に言ってもいいの。ママでもいいから何でも言って。私から先生に連絡することもできるから」
「うん……!」
五年生。中学生へ向けて困ったことを自分で解決し、自立して学校生活を送ることに、徐々に慣れていく時期。徐々にと言うが、綾菜にとっては急な変化に感じる。
それでも親や先生やお友達、といった周りのみんなに助けてもらいながら、少しずつ自分のペースをつかめばいいのだ。
そのような中、新たな宿題が出た。
「タブレットのこのアプリを使って『自学』を週末の宿題とします。自分でなぜだろう、とか気になったこと……何でもいいんだ。スライドの数も自由。動画でも良いぞ」
猿川先生のワクワクしたような顔つき。
「俺、漫画の書き方とアニメにする!」
「私はお茶のメーカーを比べる!」
みんなが楽しそうに喋っている。これまでは先生に言われたことが宿題となっていたが、今回は自分で題材を考えなければならない。こういった自ら考えることが綾菜は前から苦手であった。
しかしあの言葉を思い出す。
『存在しなければ、作り出せば良い。これまでもそうだ。己の力を認め何も無い場所からの創造。今後は必ず必要になってくるのだ』
夢の中で渉がこう言っていた。
「そうか。戦国時代の船ってどうなっていたんだろう。絶対に燃えない船……燃えない船……」
「綾菜、自学は歴史にしたのね」
部屋で宿題をしていた綾菜のところに、母親がお茶を持ってきてくれた。
「あら、今回は武将じゃなくて船のことを調べているの?」
「あ……ママ。戦国時代の……武将がね、助けてほしいって……そんな気がして……」
「そうなのね。どのような方法があるかしら?」
「うん、今調べてるから」
綾菜の母親が部屋を出て呟く。
「私の時代にもそういうものがあれば、きっと楽しかったわ。自分からあそこまで熱心に調べようとするなんて……成長したわね」
※※※
夢で目が覚めた綾菜の隣には渉がいた。
「我は行く。綾」
「渉様! 燃えない船はどうなさったのですか?」と綾菜が尋ねる。
「それを超える兵力がある。最新型の鉄砲だ」
鉄砲は前も難しかったはずでは。
「船の方は刀鍛冶に任せておる。心配するでない」
「殿!」
勝もやって来る。
「いざ出陣だ!」
「……待ってください」と綾菜が言う。
燃えない船を作るために一度、現場を見ておきたいと思ったのだ。
「私も参ります」
「良いのか、綾」
最近は城で待っていた綾菜が自ら行くと言っている。
彼女の目は、やはり真実を語る瞳。
「……分かった。我と共に」
「はい!」
二度目の水上戦。兵力だけは前回よりある渉軍である。
兵士達が全員鉄砲を構えて準備をしている。
「相手に近づいてから撃て。ただし、近づきすぎるな」
渉の指示の意味とは。
近づきすぎると先方の火矢や手りゅう弾が飛んで来るから、と考えられるが……陸上戦ばかりであった兵士達に理解できるのだろうか。
対して先方は余裕である。
「おっとまた来たか……数が多かろうと関係ない。我ら最強の水軍の前に全員、平伏すであろう。勝つことのできる軍などいない! 燃えろ……そして沈め。この海の底まで」
やはり渉軍が近づいた途端に火矢が飛んでくる。
「撃て」
渉の声で兵士軍の鉄砲の音が響くものの、船に飛ぶ火矢のせいで不安定だ。
「殿! やはりこれでは……!」と勝が焦る。
「渉様……!」と綾菜も顔を隠して渉にしがみつく。
さらに驚くべき事態が発生した。渉軍の船の数が明らかに減っている。
「まさか……兵士達の船が、先方についています!」
勝が知らせる。この状況での裏切り行為に綾菜も涙が出てくる。やはり強い者についていくのがこの時代。もう私達は……決して「最恐」と呼ばれた武将の仲間ではないことを思い知らされる。
「……寝返ったか」
「殿……!」
やがて囲まれた渉の乗る船。相手方の船の帆が大きく迫ってくる。立派な帆に「本当の最強かつ最恐は我ら」の文字が見えてきたような気がして……綾菜はこの世の終わりを感じた。
だが渉はずっと様子が変わらない。
何も言わずにじっと佇んでいる。
もう諦めたのだろうか。
それとも――
その時、先方の火矢が打たれる。
煙が舞い上がり周りが見えなくなる。すでに船は燃えかかっている。
「殿……!」
「渉様……!」
「……」
――シュッ
一瞬だった。
その一本が、相手方の火矢を撃ち落とした。
煙の中から現れし一つの影。
「……来たか。遅いぞ」
渉がようやく声を発する。
「やはり、燃やされかけていましたね。私がいなければ沈んでいましたよ。お久しぶりです……殿」
弓矢を持つ美しき忍びの姿。百発百中の実力を誇る彼女が、そこにいる。
「み……翠さまぁっ!!」
綾菜が涙を流しながら彼女の元へ行く。
あの寺で私と渉様を逃して代わりに犠牲になった。そう思っていた翠様が生きていらっしゃった……良かった……良かった……!
勝は持っていた鉄砲と落として泣き崩れていた。ずっと後悔していた。彼女を守れなかったと自分を責めたこともあった。だが彼女は……自分なんかよりもよっぽど「今」を生きる力を持っていた。
「勝、殿の前でそのような態度はどうかしらね?」
「…………分かってるさ。翠」
「戻りましょう、殿。船を仕上げるのです」
翠が穏やかだが、その目に新たな力を宿したような雰囲気で言う。
「フッ……そうだな。引き上げるぞ!」
「ハッ!」
渉達の乗せた船はまたもや撤退する。
しかし次こそはうまくいくのではないか。そんな確信のようなものを綾菜は感じていた。




