27. 彼を信じる
あれから綾菜は学校を休んだ。泣いてばかりで食欲もない。夢の中で愛した誠様がいなくなったという事実が心の奥までのしかかる。ただの夢であるはずなのに、夢では済まされないような気がするのだ。
夢の中の誠様と最初に出逢った時に枕元にあった、ある漢字一文字が書かれていたであろう布切れ。彼が戦のときに身につけていたであろう布であるが、その上半分を綾菜が持っている。それを抱き締めて彼のことを思い出しては涙を流す毎日であった。
学校を休んだ初日に、渉が課題を届けに家まで来てくれた。
「綾ちゃんに会えますか?」
「ごめんなさいね、今は誰とも会いたくないみたいなの」
それ以降も毎日、渉が綾菜の家に寄るがなかなか会わせてもらえなかった。
「今日も渉くん、来てくれたわよ。優しい子ね。綾菜のことを心配しているわ」
「そうなんだ……」
綾菜は考えていた。
夢の中の誠様は渉様の元へ行くように言っていた。誠様は渉様のことを信用しているのだろうか。
そして渉様は……やはりあの渉なのだろうか。
綾菜が休んで五日目のことだった。渉がいつもと同じ時間に綾菜の家に来てくれた。
「渉くん、ありがとう。良かったら上がって」と綾菜の母親が言う。
「お邪魔します」
母親に案内されて渉は綾菜の部屋に入った。
「綾ちゃん……」
「渉くん……」
綾菜はさっきまで泣いていたのか、涙の跡がある。渉は綾菜と一緒にベッドに腰掛ける。
「これ、今日の課題だよ」
「ありがとう。いつも来てくれて……」
「だって綾ちゃんのことが心配だったから」
「渉くん……優しいね」
「そうかな……それは多分君だから。どうしても放っておけないんだよ」
小学生が言うような言葉ではない、どこか大人びた渉の姿に綾菜は緊張していた。
「綾ちゃん……何か辛いことあった?」
「えっと……それは……」
綾菜は黙ってしまう。
「言いにくかったら無理に言わなくていいよ。そういうこともあるものさ。ただ……僕は君に会えなくて寂しいんだよ」
「渉くん……」
綾菜の目から涙がこぼれる。渉は綾菜の肩をそっと抱き寄せる。綾菜は久々に誰かの温もりを感じていた。
――誠様……私は貴方のことを忘れられず泣いてばかり。きっと貴方は「綾、何を泣いておる」とおっしゃるのでしょうね。ではどうすれば前に進めるのでしょうか。ここから先……貴方なしで私は生きてゆけるのでしょうか。
その時、耳の奥で誠の声が聞こえた。
『案ずるな……あの最恐と呼ばれる武将であっても、そなたのことは大切にしてくれるであろう』
誠のことを信じて、渉について行っても良いのだろうか。
「誠さまぁ……」
綾菜が渉にしがみついて涙を流す。この人についていけば良いということなのか。よく分からないが、いま渉が一緒にいてくれてとても安心している。
「綾ちゃん……僕が君を守る。約束する。だから僕を信じて……」
「渉くん……!」
渉に抱かれた腕の中は、優しさに包まれているようだった。
これからまた夢を見るのが怖い。だが目の前にいる渉のことは信じられる気がする。どうか離れないで欲しいとさえ思う。
「綾ちゃん、何かあったらいつでも僕を頼って」
「ありがとう、あたし……明日は学校に行けそう」
「本当? 良かった」
渉がまた綾菜をぎゅっと抱き締めた。綾菜は胸の高鳴りを感じる。その辺の小学生とは違う、落ち着いた渉のことを不思議に思った。そして今は……彼がいてくれるならどうにか頑張れそうだと思っていた。
※※※
その日の晩、綾菜は誠のいない城で目覚めた。彼がいないと分かっていたものの、胸が張り裂けそうである。
「起きたか」
そこにいたのは勝であった。
「そなたを迎えに来た。こちらへ」
綾菜は勝に連れられ馬で渉の城へ向かう。
――誠様……貴方のおっしゃった通り、私は今から渉様の元へゆきます。生きて、天下が統一される瞬間をこの目で見てきます。どうか私をお守りください……誠様……。
城に到着し部屋へ通された。しばらく待っていると最恐の武将、渉が現れる。
「待っておったぞ……綾」
渉のその鋭い目を見ると綾菜は動けなくなる。ゆっくりと渉が近づいてくる。もう逃げることはできない。この人の元にゆくと決めたのだから。
「わ……渉様……よろしくお願いします」
「堅苦しい挨拶はよい。こちらへ来るのだ」
綾菜は恐る恐る渉に近づいていく。渉が綾菜の手を取りぐっと自分の胸に引き寄せた。
「そなたの辛い思い、必ずやこの我が消し去って見せよう」
「渉様……」
「綾……我がそなたを守る。約束する。ゆえに我を信じよ」
その言葉にハッとする綾菜。
『綾ちゃん……僕が君を守る。約束する。だから僕を信じて……』
こう言っていた現実世界の渉の姿が思い浮かんだ。
「渉様……渉様……!」
怖いと思っていたはずの渉。しかし今だけは……この人と一緒にいなければ、戦国の世で自分は生きてゆけないと感じた。彼を信じてついて行くしか自分に道は残されていないのだ。
「綾……」
そう言って渉は綾菜と唇を重ねた。綾菜の目から一筋の涙が光りながら流れ落ちる。それは誠のことを考えたことによる涙であった。
――誠様、どうかお許しください。貴方のことは忘れません……ただこの世を生きてゆくためには、渉様のお力が必要なのです。今の私には渉様がいなければならないのです……どうか……誠様……。
「そなたの目に我だけが映っていれば良いものを……まぁ良い。これからそなたは我のもの……」
渉には綾菜の考えていたことがわかっているようだ。誠のことを想う綾菜をいつか自分だけのものにしたい、そして天下もこの手に――そう考える渉であった。
「殿!」
渉と綾菜が口付けを交わしているところに、姫の格好の翠が入ってきた。
「何をされているのですか……? どうしてそのような女を……貴方にずっと憧れて貴方についてきた私の立場は一体何なのですか? 私は……私は……!」
「翠か……邪魔するでない」
「うぅっ……殿……」
綾菜は申し訳ない気持ちになっていた。誠がいなくなってすぐに渉のところに来た自分。だが翠はそれよりもっと前から渉を守るために戦に出て、命懸けで対応しているのだ。渉のことを想いながら。
「わ……私はこれで……」と綾菜が渉から離れようとしたが、渉が綾菜をぎゅっと抱き締める。綾菜は顔が熱くなっていくのを感じた。
「おい翠? ああ……また殿のところにいたのか? 次の戦術を考えなければならぬ。こちらへ」
勝が翠を探していたらしい。
「何よ! もうそれどころじゃないのだから……」
「殿の前で取り乱してはならぬ。我が話を聞いてやるから来るんだ」
そう言われ、勝に半ば無理矢理連れて行かれた翠であった。




