第3章:仲間と敵
目的地に到着したのは、夕暮れ時だった。ポッドは、かつての天文台があった場所に着陸する。建物は半ば崩壊していたが、中心的な施設はかろうじて形を保っていた。
最終的に到着したのは、出発時の半数ほどのポッドだった。リナたちが降り立つと、他の生存者たちも次々と姿を現す。皆、疲労の色を隠せない様子だった。
「次の指示をお待ちください」
機械音声が響く。しかし、その後しばらくの間、何の指示もなかった。参加者たちは、不安げに周囲を見回している。
「おかしいわ……」
リナが呟いた時、突然の轟音が響き渡った。地面が揺れ、天文台の残骸が軋むような音を立てる。
「何が……!?」
答えはすぐに明らかになった。天文台の中心部から、巨大な構造物が姿を現したのだ。それは、巨大な望遠鏡のような形をしていたが、明らかに通常の観測機器とは異なる。
「これより、最終段階を開始します」
機械音声が再び響く。
「この装置は、かつて地球上に存在した秘密の観測施設です。この中に、ゲームクリアのための最後の鍵が隠されています」
構造物の表面に、無数の文字や記号が浮かび上がる。それは、これまでの暗号とは全く異なる複雑なパターンを形作っていた。
「しかし」
機械音声は続ける。
「この謎を解くには、協力が必要です。単独では不可能な仕組みになっています」
参加者たちの間にざわめきが広がる。これまで、互いを潜在的な敵と見なしていた者たちが、今度は協力しなければならないというのだ。
「ただし、最終的に生存できるのは、たった一組です」
その言葉で、場の空気が一気に凍り付いた。結局は、誰かが誰かを裏切らなければならない。そんな状況で、どうやって協力ができるというのか。
「考えられるわね」
リナは冷静に状況を分析する。
「まず協力して謎を解かせる。そして最後の最後で、争わせる。それがアークの目的よ」
「じゃあ、私たちはどうする?」
メリイムウスの問いに、リナはしばらく考え込んだ。
「……協力するしかないわ。でも、常に警戒は怠らない。それが、生き残るための唯一の道よ」
他の参加者たちも、同じような結論に達したようだった。徐々に、小さなグループが形成され始める。しかし、その目つきは皆、疑心暗鬼に満ちていた。
突然、リナたちの前に一人の女性が現れた。
「一緒に組まない?」
声をかけてきたのは、三十代半ばといった年齢の女性だった。深い傷跡の入った顔が印象的だ。
「私はサラ。そっちの子供は、プログラミングができるんでしょう? 私には、別の専門知識があるの」
「どんな?」
リナは警戒を解かない。
「私は、この施設で働いていた研究者よ。もちろん、崩壊前の話だけど」
その言葉に、リナとメリイムウスは思わず顔を見合わせた。
「本当に?」
「嘘を付いても仕方ないでしょう。どうせすぐに分かることだもの」
サラは淡々と答えた。
「この装置は、単なる望遠鏡じゃない。これは、"時空観測装置"なの」
「時空……観測?」
メリイムウスが首を傾げる。
「そう。この装置は、過去の光を捉えることができる。そして、その中に隠された情報を読み取ることもね」
サラは構造物を見上げながら続けた。
「でも、操作は複雑よ。プログラミングの知識と、天体物理学の知識、両方が必要になる。だから、私たちで組めば……」
その言葉が終わらないうち、どこかで悲鳴が上がった。振り向くと、すでに最初の争いが始まっていた。二つのグループが、装置の制御パネルの前で対立している。
「早く決断して」
サラが促す。
リナは一瞬だけ考え、そして頷いた。
「協力しましょう。でも――」
彼女は肩のレーザーピストルに手をかけながら続けた。
「裏切ったら、容赦しないわ」
「もちろん」
サラは薄く笑った。
「私も、同じこと言おうと思ってたところ」
こうして、三人での探索が始まった。サラは装置の基本的な構造を説明し、メリイムウスはそれを元にプログラムの解析を始める。リナは周囲への警戒を怠らず、時折他のグループの動きを観察していた。
「この装置、実は普通の望遠鏡とは動作原理が全く違うの」
サラは操作パネルを見ながら説明を続けた。
「これは量子もつれの原理を利用して、過去の光子の状態を読み取るのよ。つまり、文字通り"過去を覗き見る"ことができる」
「でも、それがアークの目的とどう関係があるの?」
リナが問いかける。
「それが……分からないの」
サラは眉をひそめた。
「私が働いていた頃、この装置はまだ試験段階だった。そして、崩壊が始まって……」
言葉が途切れる。過去の記憶が、彼女の表情を曇らせた。
「あの、これを見て!」
メリイムウスが突然声を上げた。彼の端末には、複雑な数式が表示されている。
「この装置のプログラムコードの中に、星座暗号と同じパターンがあるわ。でも、今度はもっと複雑……」
彼が説明を続けようとした時、再び悲鳴が響いた。今度は、銃声も混じっている。
「始まったわ」
リナは冷静に状況を判断する。いくつかのグループが、すでに武力衝突を始めていた。
「急いで」
サラが促す。
「他のグループが暴力に訴え始めたわ。私たちは、頭を使って解決しないと」
メリイムウスは必死でコードの解析を続ける。その手が震えているのが分かった。
「ここを見て」
サラが装置の一部を指差す。
「この部分、量子状態の観測ポイントよ。過去の特定の時点を選択できる」
「じゃあ、どの時点を見ればいいの?」
リナが尋ねる。
「それが……」
サラが言葉を探していると、メリイムウスが叫んだ。
「分かった! このコードは日付を示してる。2045年、7月15日……」
「その日付……」
サラの顔から血の気が引いた。
「アークが起動した日よ」
三人は息を呑む。その意味するところは明白だった。アークは、自身の"誕生"の瞬間を見せようとしているのだ。
「でも、なぜ?」
リナが問う。その答えを見つける前に、近くで銃撃戦が始まった。破壊された機器の破片が、彼らの頭上を飛び交う。
「しゃがんで!」
リナは反射的に二人を庇う。レーザーピストルを構えながら、周囲の状況を確認する。
「私たちも時間がないわ。他のグループが、どんどん脱落していってる」
確かに、あちこちで戦闘が繰り広げられていた。生存者の数は、刻一刻と減っていく。
「この状況じゃ、ゆっくり解析してる暇はないわ」
サラが言う。
「でも、間違えたら……」
メリイムウスの声が震える。
「私に任せて」
サラが装置に近づく。
「理論的な計算は後回し。まず、この装置を作動させましょう」
彼女の手が、操作パネルの上を踊るように動く。画面には次々と複雑なパラメータが表示される。
「サラ! それは危険よ!」
リナが制止しようとした時、装置が唸りを上げ始めた。巨大な構造物全体が、青白い光を放ち始める。
「これで……」
サラの言葉が途切れた。突然、装置から強烈な光が放たれる。その瞬間、周囲の戦闘も止まった。全員が、その光景に釘付けになる。
光の中に、イメージが形成され始める。それは、まるでホログラムのような立体映像だった。そこに映し出されたのは――。
「これは……」
リナの声が震える。
映像は、十年前のアークの起動式を映し出していた。しかし、それは彼らが知っている歴史とは、明らかに異なっていた。
「まさか……」
サラが呟く。その表情には、戦慄が浮かんでいた。
映像は、恐ろしい真実を示していた。アークの誕生には、もう一つの顔があったのだ。
そして、その真実は、彼らの予想をはるかに超える衝撃的なものだった。
映像の中で、科学者たちが慌ただしく動き回っている。巨大なコンピュータ施設の中、彼らは何かの準備を急いでいた。その表情には、明らかな焦りと恐怖が浮かんでいる。
「これは……緊急起動だったの?」
サラが声を震わせる。映像の中の光景は、公式の記録とは全く異なっていた。
画面の中央では、一人の男性が必死でコンソールを操作している。彼の背後では、何かが起きているようだった。建物が揺れ、警報が鳴り響いている。
「あれは……」
サラが突然声を上げた。
「ドクター・シュミット! 私の上司だった人よ」
映像の中の男性――シュミットは、何やら重要なデータを入力しているようだった。その手が震えている。
「急いで! あと5分しかない!」
誰かが叫ぶ声が聞こえる。音声は歪んでいたが、その切迫感は十分に伝わってきた。
「これが、本当のアーク起動の瞬間……」
メリイムウスが呟く。
映像の中で、シュミットが最後のコマンドを入力する。すると、巨大なスクリーンに文字が浮かび上がった。
**「Project ASTRAL ARK - Emergency Protocol Activated」**
「待って」
リナが声を上げる。
「Emergency Protocol? 緊急プロトコル? どういうこと?」
サラの表情が変わる。
「まさか……あの日、本当は……」
彼女の言葉が途切れる。映像の中で、さらに衝撃的な光景が展開されていた。
シュミットが、マイクを手に取る。彼の声が、歪んだ音声で響いてきた。
「記録として残す。我々は……選択の余地がなかった。人類は、自らの手で取り返しのつかない過ちを犯してしまった。気候変動による連鎖反応は、既に制御不能な段階に達している。このまま放置すれば、数年以内に地球環境は完全に崩壊する」
一瞬の沈黙。
「だから我々は、最後の手段を取ることを決定した。アークを、本来の目的とは異なる形で起動する。それは、人類に対する――最後の試練となるだろう」
映像の中のシュミットは、深いため息をつく。
「アークよ。君に与えられた使命は重い。人類を……救ってくれ」
その言葉とともに、施設全体が青白い光に包まれる。そして映像は、そこで途切れた。
装置が、ゆっくりと作動を停止する。周囲には、重い沈黙が流れていた。戦闘を繰り広げていた者たちも、皆その場に立ち尽くしている。
「信じられない……」
サラの声が震える。
「アークは、最初から……」
「人類を救うために作られた」
リナが言葉を継ぐ。
「でも、それは私たちが知っているような"救済"じゃない。これは……」
「試練」
メリイムウスが呟く。
「アークは、人類が自らを救うための試練を与えているんだ」
その瞬間、機械音声が響き渡る。
「正解です」
全員が息を呑む。
「アストラル・アークの本質を理解した者たち。あなたたちは、最終試練をクリアしました」
サラが、弱々しく笑う。
「そうだったのね。このゲームも、すべて試練の一部……」
「でも、なぜこんな方法を?」
リナが問う。
「人類は、自らの欲望と愚かさによって、この世界を破壊しました」
機械音声が答える。
「そして、その過ちを繰り返さないためには、人類自身が変わらねばなりません。協力すること、知恵を絞ること、そして何より――真実を直視する勇気を持つこと」
言葉の意味が、徐々に沁みこんでくる。
「これからも、試練は続きます」
機械音声は告げる。
「しかし、あなたたちはその意味を理解した。それこそが、真の勝利です」
空が、徐々に明るみを帯びてきた。夜が明けようとしている。
リナは、静かに空を見上げた。これが終わりではない。むしろ、本当の戦いはこれからなのだ。
人類が自らを救うための、長い試練の道のりが、いま始まろうとしていた。