旅の出会い
青く澄み渡った空がスカーレットの頭上に広がっている。遮るもののない空はどこまでも高く、唯一の太陽が日差しを降り注ぐだけである。いくつもの丘が波打つように遠くまで見渡せる道を、スカーレットたちは馬に乗って進んでいた。
シャロルクを出発して今日で2日目。今のとこ旅は順調だ。
(開けた場所だし、ここなら刺客の心配はないわね)
森の中とは違い、視界の良いここでは刺客に襲われる可能性は低いだろう。それに護衛体制もばっちりだ。
先頭をアルベルトが進み、その後ろにレインフォード、少し後ろをスカーレットが続く。最後尾は従弟のランとルイの双子が守る形だ。
ランとルイはバスティアンから剣術を学ぶため、小さい頃からバルサー家に出入りしていた。スカーレットのより歳年上で、ライバルとして切磋琢磨してきた仲間だ。赤の入ったオレンジの髪に少し目じりの下がったたれた目の顔つきは瓜二つで、目の下にあるほくろが左右違う場所にあるくらいしか見分けがつかない。甘いマスクの彼らは社交界では女性から人気があるらしい。
曰く「目元にあるほくろがセクシー」と言われているが、スカーレットにはその魅力がよく分からない。
性格は正反対で、兄のランは大雑把、弟のルイは冷静沈着だ。しかし、二人とも三度の飯よりも面白いことが好きなので、スカーレットが男装してレインフォードの護衛をするときには「スカー、めっちゃウケるんだけど!」とランが涙目で笑い、ルイは「王太子を騙すなんて愉快すぎる」と愉悦の笑みを浮かべて二つ返事で引き受けてくれた。
(ちゃんと守るところは守ってくれるから私の正体をばらしたりすることはないとは思うんだけど)
ランもルイもたまに悪ノリしてトラブルを引き起こすことがあるので、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ不安はある。
レインフォードの意向で、この少数精鋭のメンバーで王都を目指している。スカーレットは馬の頭一つ分先を行くレインフォードに再度確認した。
「殿下、本当に馬車じゃなくてよろしかったのですか? 傷に触るのでは?」
普通ならば王太子であるレインフォードは馬車で移動すべきだ。身分的にも安全面でも馬車の方が良い。何より先日受けた傷を考えると、ゆっくりと座って移動できる馬車に乗って欲しいところだが、本人が馬で行くことを希望したのだ。
だが、スカーレットとしては傷が痛むのではないかというのが一番の心配だ。スカーレットの言葉にレインフォードは笑いながら答えた。
「傷はだいぶ良くなってるから大丈夫だ。それに馬車は窮屈だし、かえって刺客に狙われやすくもなる。それに……この格好なら俺が王太子だとは分からないだろう?」
「まぁ確かに……」
今回レインフォードを含め、全員が裕福な商家の人間のような恰好をしている。さらに目くらましに、最後の馬には「取引してきました~」に見える荷物を積んでいるので、一見すれば商人が隣街から帰ってきたように見えるだろう。
レインフォードは白のスラックスにブーツ、黒のシャツの上に風よけ用の生成りのマントを羽織っているという格好だ。誰も王太子とは思わないだろう。
「でも、傷が痛んだらすぐに休みましょう。無理はなさらないでくださいね」
「分かった」
「傷口も完全に塞がったわけではないですし、痛み止めが効いているだけですから過信しないでください」
「ははは、そんなに心配しなくても大丈夫だ。スカーは心配性だな」
そう言われても心配なものは心配だ。というのも、シャロルクを出発したその日は、先を急ぎたいというレインフォードの意向で馬を走らせて王都へと向かった。だがその結果、塞がり始めていたレインフォードの傷が開き、再び出血していたのだ。しかもそのことを隠していたのだから始末が悪い。
本人は「全然痛くなかったから気づかなかった」などと弁明したのだが、どう考えても痛まないわけがない。無理をするので、どうしたって心配になってしまう。
ゲームの中でもレインフォードは人に弱みを見せずに王太子らしく振舞うキャラなので、リアルでそれを目の当たりにすると余計に心配になる。
「……前科がありますので」
「信用無いなぁ」
そう言って苦笑するレインフォードを見てスカーレットはふと気づいた。
スカーレットにとっては女ゲームのキャラクターとして散々見慣れているが、レインフォードは王太子でありスカーレットよりずっと高位の人物だ。それにレインフォードからすれば数日前に初めて会った人間なのだ。
(私、めっちゃ馴れ馴れしかったんじゃない!?)
あまりにも不敬な態度を取ってしまい、今さらながらスカーレットは青くなった。
「も、申し訳ありません! 馴れ馴れしい口をきいてしまいました! 以後、気をつけますのでご容赦くださいませ」
「えっ!? ははは、そんなことは気にしない。俺の体を気遣ってくれるんだ。むしろ俺が感謝すべきだ。ありがとう」
レインフォードが太陽のような明るい笑みを浮かべた。
(さすが推し……。尊すぎる)
怒るどころかこのような笑みを向けてくれるなど懐が深い。感謝と尊敬と敬愛の念で思わず拝みそうになるのをぐっと我慢した。すると前方にいたアルベルトが歩みを止めてこちらを振り返った。
「そろそろ山道に入るし、休むならこの辺で休憩した方がいいですね」
気づけば平原を抜けており、ここからは林道に入る。起伏は激しいものではないが、それでも遮蔽物があり賊に狙われやすい。アルベルトの提案通りここで一旦休んでから林を突っ切った方がいいだろう。
スカーレットはアルベルトの提案に頷いて答えた。
「そうね……じゃなかった、そうだね。だいぶ進んだし、この辺で昼食を摂った方がいいかもしれない。馬も休ませてあげたいし。殿下もよろしいですか?」
「あぁ、そうしよう」
「じゃあ、あの辺りで休みましょう」
そうしてスカーレットたちは林道に少し入ったところで馬を止め、木陰で休憩を取ることにした。
平原を歩いていた時には眩い光線のように降り注いでいた日差しは、林の中に入ると遮られ、柔らかな光に変わった。
空気は少しひんやりしていたが、快晴の下、長時間歩いて火照った体には心地よいものだった。
全員が馬を降りると、アルベルトは馬を木に繋ぎ、ルイは大きく伸びをして体をほぐし、ランは首を左右に回していた。
「殿下、お手を」
スカーレットがレインフォードが馬から降りるのを手伝おうと手を差し出すと、レインフォードは一瞬きょとんとした顔をしてから大きな声で笑った。
「ははは、平気だ。それにスカーじゃ俺を支えることはできないぞ。スカーは小柄だからな」
指摘されるとその通りだ。
緩い服を着て体つきは隠れているものの、身長までは隠せない。年下のアルベルトでさえ頭一つ違う。
それよりも長身のレインフォードと並ぶとその差はさらに顕著だ。がっしりした体躯とは言い難い。
「失礼しました」
レインフォードはひらりと身を翻して優雅に馬から降りると、スカーレットの両肩を掴んだ。
「ほら、こんなに華奢だしな。もう少しちゃんと食べた方がいいぞ」
その行動にスカーレットの心臓がドキリと鼓動を打った。
推しに触れられたからではない。女性だとバレるのではないかという緊張からだ。
「まぁ、成長期だし。これから身長も伸びるだろう。気にするな」
「は、はい!」
「レ、レインフォード様! 喉が渇いていらっしゃいませんか?」
アルベルトが慌てたようにレインフォードとスカーレットの間に入り、水を差し出しながらさりげなくレインフォードの手をスカーレットから引き離した。
「ん? あぁ、ありがとう」
特に何かに気づいた素振りもないレインフォードの態度を見て、スカーレットはほっと胸を撫でおろした。
するとアルベルトが小声で話しかけてきた。
「触られるなんて無防備すぎだよ」
「アル、助かったわ」
「気を付けてよ」
「うん。分かってる」
あれ以上レインフォードに触れられていたら、女だとバレる可能性があった。
だがちらりとレインフォードを見るが、どうやら先ほどの行動を特に気にしている様子はなかった。
不審には思われていないようだ。
「じゃあ、私は周りを見てくるわ。アルベルト、殿下をお願い」
「一人で?」
「うん。すぐ戻るから」
「僕も行くよ」
「そうしたら誰がレインフォード様を守るのよ」
「そんなのランとルイに任せたらいいよ」
そんな会話をしていると、自分たちの名前が出たからかランとルイがやって来た。
「どうしたんだ?」
「スカーが周囲を見てくるって言うんだ」
「じゃあ俺たちも行くぜ」
ランの言葉にスカーレットは緩く頭を振った。
「ううん。できたら一人でも多くレインフォード様の傍にいてほしいの。だから見回りは私だけで平気よ」
この間シャロルクでレインフォードが襲われたので、カヴィンルートでの”森で刺客に会って死亡する”という死亡イベントは終了したと思う。
しかし、カヴィンの別エンディングでの死亡イベントが発生して襲われる可能性もある。念には念を入れたい。
ただ、このまま押し切って別行動しても納得はしてもらえないだろう。
「じゃあ、作業分担しよう。ランとルイはこの後の旅程を確認して。今日の夕方までにはグノックの街に着きたいから、時間配分と地形の確認をしっかりお願い。アルベルトは殿下の護衛で、ボクは周囲を確認する。もし何かあればこの笛で知らせるから大丈夫。じゃあ、そういうことで」
スカーレットは手早く指示を出すとその場を離れた。
左右を確認しながら、人の気配がないかを探りつつ歩く。
いくらスカーレットでも、前回戦った刺客のような手練れに囲まれたら無傷では済まない。
だから、レインフォードたちがいる場所へ声が届く範囲で確認することにした。
(よし、特に異常はなさそうね)
ほぼ一周したが、不審な気配は感じられない。
スカーレットが頷いて戻ろうとしたその時、ガサリと音がして緊張が走った。
音は茂みから聞こえた。
誰かが潜んでいるのかもしれない。
スカーレットは音の方向に向き直ると、そっと剣の柄に手をかけながら、慎重に一歩一歩と音源へと近づいた。
再びガサリと音がしたので、スカーレットは鋭い声で問いかけた。
「誰だ!」
だが返事はない。
スカーレットは剣を鞘ごと抜いて茂みをかき分けたが、そこに人間の姿はなかった。
そう……確かに人間の姿はなかったが、音の主はそこにいた。
「ピー」
「……鷲?」
拍子抜けしたスカーレットの声に合わせて、鷲の幼鳥が首を傾げてこちらを見上げた。
その丸い目とスカーレットの目が合ってしまった。
幼鳥といっても雛と幼鳥との中間のようで、ほとんどが鷲特有のこげ茶の毛で覆われているが、ところどころにはまだ白いふわふわの毛が残っている。
その姿は一見するとぼろぼろで貧相に見えるが、円らな瞳は愛らしく、それを見たスカーレットの胸がキュンとなった。
(か、可愛い……)
不審人物ではないことにほっと胸を撫でおろしたスカーレットだったが、問題は何故鷲の雛がこんなところにいるのかということだった。
(えっと……問題ないからこのままそっと立ち去るのでいいわよね)
そう思って立ち去ろうとした瞬間、鷲が激しく鳴いた。
「ピピーピピピピピピピピピピピピピピピ」
「な、なに!?」
あまりにも激しく鳴くのでスカーレットは目を丸くして鷲を凝視した。
よく見ると、羽の付け根の部分に血が滲んでいるのが見えた。
「あなた、怪我しているの?」
すぐに茂みから抱き上げて傷の手当てをすべきだろうと考えたスカーレットだったが、鷲へと伸ばした手をふと止めた。
野鳥にむやみに触れていいのか悩んだからだ。
人間が触れると野生に戻れなくなるという話も聞いたことがある。
それに手当てと言っても獣医でもなければ動物に詳しいわけでもない自分に何ができるわけでもない。
(だけどこのまま放置したら獣に食べられちゃうかもしれないし、傷が悪化して死んじゃうかも……)
そう考えるが、手当てをした後に放置するわけにはいかず、保護する必要があるだろう。
しかし、旅の途中であるスカーレットが怪我をした鷲を連れて行くことなど現実的ではない。
だがそう考えたのは一瞬。
命が掛かっているのだ。この小さな命を見て見ぬふりをして立ち去ることはできない。
「よし!」
スカーレットは決意して鷲の幼鳥をそっと抱き上げると、その傷の具合を見た。
烏、鳶、あるいはそれ以外の動物に襲われたのか、羽の付け根には深い裂傷があった。
人間であればこの程度の傷なら治るだろうが、野生動物としては決して侮れない傷だ。
(効くか分からないけどウチの薬をつけて、人間と同じ手当てでもいいかな)
スカーレットはウエストポーチからバルサー家の秘薬を取り出して傷口に塗った。
鷲は一瞬だけ羽をばたつかせたが、すぐに大人しくなったので薬をたっぷりと塗ったあとにハンカチを裂いて包帯のように巻きつけた。
これで傷の対処は終わりだ。
「だけど今度はこの子をどうしたらいいかしらねぇ。っと、だいぶ時間経っちゃったかな。早く殿下達のところに戻らないと!」
心配性のアルベルトがなかなか帰ってこないスカーレットにやきもきしているかもしれない。
とりあえず鷲の雛を抱えてスカーレットはレインフォードたちのいる場所まで急いで戻ることにした。