レインフォード視点:すれ違う想い
夕方になり、全ての会議を終えたレインフォードは、補佐官執務室のドアを開けた。
レインフォードがドアを開ければ、いつもはスカーの鈴の音のような軽やかで綺麗な声が迎えてくれていた。
だが、今は執務室に入っても、そんな声が出迎えてはくれない。
(スカー……)
いないとは頭ではわかっているが、どうしても自然とスカーの執務机に目が行ってしまう。だが、そこには主を失った、空の椅子しかなかった。
『レインフォード様のことが好きだから! ミラに微笑む姿を見るのは耐えられないんです!!』
スカーレットの別れ際の言葉が、レインフォードの中で何度も繰り返される。
その言葉と共に、涙に濡れたスカーの緑の綺麗な瞳も、鮮やかに思い出してしまう。
「殿下、どうされましたか?」
「あぁ、すまない」
タデウスは謝ったレインフォードの視線が空になったスカーの席に向けられていたことに気づいたようだ。
自責の念にかられたような暗い顔で頭を下げた。
「スカーの件は、ご報告が遅くなり、申し訳ありませんでした」
「いや、いい」
タデウスの言葉に、レインフォードは緩く首を振った。
たぶん、あの状況でスカーを引き留めても無理だっただろう。
それよりも、告白された時、自分も好きだと告げていれば何か変わったのかもしれない。
あの日、レインフォードはスカーの告白を受け、あまりにも突然だったことに驚き、すぐには答えることができなかった。
全てが気づいた時には、既にスカーの姿はドアの外に消えていた。
(ようやく想いが通じたのに)
あの時、すぐに答えていれば、あの華奢な手を離さなければ。
悔やんでも悔やみきれない。
『ミラに微笑む姿を見るのは耐えられないんです!!』
そう。
スカーの言う通り、現状、レインフォードはミラ・ジルベスターと婚約する方向で話が進んでいる。
もしレインフォードがスカーの気持ちを受け入れたとしても、スカーを愛妾にするしかない。
それはレインフォードの本位ではないし、スカーにそのような立場を強いるのは酷だ。
もし逆の立場なら、スカーがレインフォード以外の男性に微笑む姿を見るのは自分も耐えられない。
初めて王太子という自分の立場が嫌になった。
(せめて物的証拠があれば……)
リオンの証言から、レインフォードの暗殺を目論んでいるのはジルベスター侯爵だと分かっている。
だから、ジルベスター侯爵を断罪できれば、ミラ・ジルベスターとの婚約も白紙にできるのだ。
しかし、現状はかなり難しい。
というのも、リオンが逮捕された際に、レインフォードはジルベスター侯爵を呼び出し、リオンの証言があることを仄めかしてみたのだ。
「ジルベスター侯爵、貴殿が王位継承に関して何やら画策をしている、という話をとある者から聞いている。どういうことか説明してもらいたい」と。
レインフォードの問いに、ジルベスター侯爵は、偽善者じみた笑顔を崩すことはなかった。
「私が何をしたというのですか? そんな戯言を信じるなど、王太子殿下たるもの、そのような浅慮ではいけませんよ。王太子の資質が問われますゆえな」
そしてジルベスター侯爵は、更に言葉を続けたのだ。
「あぁ、子どもの言うことなど、信用に足るものではありませんよ。惑わされることのなきように」
ジルベスター侯爵はリオンが逮捕されたことを知った上で、彼の証言には何の根拠もないと暗に告げてきた。
つまり、リオンはトカゲの尻尾切りというわけだ。
リオン一人の証言だけでは弱い。
暗殺に加担した複数人の証言か物的証拠を突きつける必要がある。
だが、今のところその手がかりがなく、八方塞りの状態だった。
一つ救いなのは、スカーがレインフォードの元を離れたことで、彼女に危険が及ばないことだ。
レインフォードの元に居れば、スカーは命を賭してでもレインフォードを護ろうとするだろう。
それに、何度も暗殺を阻止しているスカーを排除しようとする動きも見えていた。
(俺だけならいいが、スカーに何かあったら、俺も生きていけない)
皮肉な話だが、そういう意味ではスカーがレインフォードの元を離れたのは、いいことだったのかもしれない。
そんなレインフォードの思考を中断させるように、ノックの音が室内に響いた。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
タデウスが入室許可を出すと、部屋に入ってきたのは意外にもアルベルトだった。
彼は外交補佐官をしているが、仕事で顔を合わせることはなく、執務室を訪ねてきたのも初めてだ。
「アルベルト、久しぶりだな」
「レインフォード様に、お伝えしたいことがあるのですが、お時間いただけないでしょうか?」
久しぶりの旅仲間の顔を見て、レインフォードは笑顔で迎えたのだが、アルベルトの表情は硬いままだった。
その時点で、なにか深刻な話であることが察せられた。
アルベルトの様子に、レインフォードもまた表情を引き締め、話を促した。
「それで、なにか問題でもあったか?」
「レインフォード様の暗殺を企てた黒幕が、ジルベスター侯爵である証拠が見つかるかもしれません」
そう言ってアルベルトは説明を始めた。
事の発端はアルベルトが入出国履歴を調べ、ミラとデニスが頻繁にカゼンに行き来していることを見つけたことだったらしい。
そこでジルベスター侯爵とラウダ―デン家に繋がりがあり、二人がカゼンに行く目的が、カゼン側の協力者に会っている可能性が浮上した。
つまり、ミラとデニスはカゼンの協力者に密書を届ける運び屋のような役目を担っていると考えられるという話だった。
(確かに、その可能性は捨てきれないな)
もし、デニスがジルベスター侯爵からの密書を持っていれば、それが物的証拠になる。
それができなくても、デニスの身柄を拘束し、尋問すれば、ジルベスター侯爵が一連の暗殺事件に関与していることを証言するかもしれない。
「次にデニスの出国申請が出ているのは、1週間後です。ですから、ジルベスター侯爵の密書がデニスに渡る頃かと思います」
「なるほど。密書を押さえれば物的証拠になるというわけだな。分かった。情報、感謝する」
「では」
「アルベルト」
言いたいことは伝えたとばかりに、それだけを告げて立ち去ろうとするアルベルトを、レインフォードは反射的に呼びて止めていた。
足を止めたアルベルトが、こちらを振り返ったが、その視線は冷たく、刺すように鋭いものだった。
「なんでしょうか?」
「その……スカーはどうしている?」
言うか言わないか逡巡したが、レインフォードはアルベルトにそう問いかけた。
泣きながら去って行った後ろ姿を思い出すと、胸がキリリと痛む。
スカーはあの衝撃の告白の後、逃げるように立ち去ってしまい、レインフォードはその後の彼女の様子が気になって仕方なかった。
スカーとの接点がない以上、近況を知っているのはアルベルトしかいない。
そんなレインフォードの問いかけに対し、アルベルトは冷めた目でレインフォードに答えた。
「……あぁ、レインフォード様はご存じないのですね。スカーは結婚するので、その準備に追われていますよ」
「え?」
聞き間違いだろうか?
聞き間違いであって欲しい。信じたくないと思いながらレインフォードは震える声を抑えつつ尋ねた。
「どういうことだ? スカーが、結婚?」
「は? 知らなかったんですね。役目を終えた近衛騎士一人などには、関心はないのですね」
アルベルトは侮蔑の表情を浮かべてレインフォードを見据えた。
「僕は、義姉さんを傷つけたレインフォード様に、こうやって情報を提供することも不本意です。正直、貴方の事などどうでもいい。ですが、義姉さんが望んだから貴方に情報を提供しました。せいぜい有効に使ってください。では」
アルベルトの口調から、彼がいかにレインフォードに対して怒り、そしてその激昂を抑えようとしているのかが分かった。
そして、レインフォードの顔など見たくもないと言うように、背を向けると、部屋を出ていった。
パタンと閉じられたドアの音を聞き終えると、タデウスが探るような視線を向けて問いかけてきた。
「殿下、先ほどのアルベルトの話ですと、スカーが彼の義姉ということでしょうか」
先ほどアルベルトはスカーの事を「義姉さん」と呼んでいた。
そのことにタデウスは気づいたのだろう。
「その様子だと殿下はご存じだったのですね。……そうですか。スカーがサジニア様のお相手でしたか」
ぽつりと呟いたタデウスの言葉に、レインフォードは怪訝な顔をした。
今、タデウスはスカーの結婚相手がサジニアであると言った。
「スカーが義兄上と? タデウス、お前は何を知っている?」
「実は、サジニア殿下がバルサー伯爵令嬢とご婚約するという話が出ています」
「なんだって?」
「まだ、噂レベルの話です。外遊に出たいと言うサジニア殿下に、陛下が婚約者を作ることを条件に許可したようで。そして最近、バルサー伯爵令嬢がサジニア様のお住まいの離宮に出入りしているらしく、そのような噂が……」
タデウスの言葉を聞いたレインフォードは、奥歯を噛みしめ、ぐっと拳を握りしめた。
(クソッ。全てが後手後手だ!)
スカーの情報が自分の手元に来るのが遅すぎる。
だが、まだ婚約発表はされていない。
スカーを取り戻すチャンスはまだ残されているはずだ。
そのためには、まずはジルベスター侯爵の罪を明らかにし、ミラとの婚約を回避する必要がある。
「タデウス。すぐにダンテの周辺を洗え。ジルベスターとダンテには繋がりがあることは明白だ。脅してでもいい。どんな手を使ってもいい。絶対に物的証拠を押さえろ」
「……分かりました」
タデウスは今まで見たことのない、静かな怒りを滲ませたレインフォードの顔を見て息を呑んだ。
そして、タデウスは頭を下げるとアルベルトのもたらした情報を元に、物的証拠を押さえるために部屋を出て行った。
急ぎ足で出ていくタデウスがいなくなると、レインフォードは握りしめた手に力を込めながら言った。
「絶対に、義兄上には渡さない」




